第25話 いざ領地戦へ ハインツの策略

「他の不可侵貴族たちが騒いでいる。

領地戦を中止させるべきだとな」


「予想通りですわね」


カタリーナが持っていると言われている霊宝は、領地戦に参加する三つの貴族家による争奪戦となった。

それで慌てたのが他の貴族たちだ。


王家の霊宝に残された力はわずかだ、と王家は発表している。

王の資格である霊宝をいずれ王家は失うと、貴族たちは分かっている。

王家が霊宝を失ったとき、次の王はカタリーナの持つ霊宝を手にしていた者だ。

騒いでいる貴族たちは、自分がカタリーナの霊宝を手にして玉座に座るために、三家による争奪戦を中止に追い込みたいのだ。


「今なら、他の貴族たちを利用して領地戦を中止させることもできる。

本当に良いのだな?

中止しなくても?」


「ええ。予定通り、決行でお願いしますわ」


前世についてフィーリップに打ち明けて以降、彼との仕事も飛躍的にスムーズなものになった。

こうして確認を取ることで心配してくれてはいるが、最終的にはカタリーナの意向を最大限に尊重してくれるようになった。

仕事のパートナーとして、以前よりもずっと良い関係になった。

カタリーナはそう感じていた


「王家からの参戦者が君とジビラの二人だけだと契約書に明記されていなければ、もっと手が打てたのだがな。

身分は文官や王宮使用人でも、本職は隠密で武に長けた者もいる。

彼らを参戦させることもできたのだが……」


領地戦の契約書には通常、参加者の氏名までは記載されない。

ときには数千人規模の軍勢同士の衝突となる領地戦だ。

そんなことまで書いたら、契約書は恐ろしく長大になってしまう。


だがカタリーナは、王家からの参戦者だけは明記してしまっていた。

カタリーナは王家から逃げ出したいのだと、ボールシャイト侯爵たちに誤解させるためだ。


だからフィーリップには、カタリーナのためにできることが少ない。

寂しそうな目をする彼の顔には、歯がゆさが浮かんでいた。


「そのお気持ちだけでも充分嬉しいですわ」


その言葉は、カタリーナの本心だった。

フィーリップに心配してもらえるだけでも、心が満たされるようだった。


「ところで、今日の夜は空いているか?

良かったら、また一緒に酒を飲まないか?

マルガレーテの話を、また聞かせてほしい」


「はい。喜んで」


フィーリップは最近、マルガレーテの話を聞きたがるようになった。

どんなおやつが好きなのか、ということだけではない。

ケーキのいちごはいつ食べるのかなど、かなり細かいことまでカタリーナに尋ねるようになった。


二人はまだ、一緒に食事をするような仲ではない。

だが、彼がマルガレーテに関心を持ってくれるだけでも、カタリーナは嬉しかった。

一時的に激減したフィーリップとの酒席だが、ここに来て急に頻度が増えている。



◆◆◆



これからカタリーナは、領地戦の戦場であるアラハイリゲンの廃墟はいきょへと向かう

彼女は今、馬車の前にいる。


「君を信頼しているが、それでも十分に気を付けてくれ」


自分も一緒に行きたそうな顔でフィーリップが言う。

しかし彼は、王宮から離れられない。


未だ不忠者が数多く潜む王宮だ。

フィーリップがいなくなれば、その隙に霊宝について探ろうとする者が現れるかもしれない。

霊宝の真相は王家の生命線であり、決して知られるわけにはいかない。

彼は王宮に残り、王宮に巣喰すくう害虫に目を光らせる必要があった。


「承知しましたわ。

必ずや吉報をお届けしますから、ご期待下さいませ」


カタリーナは快活に笑った。

これから戦場に赴くとはとても思えない、爽やかな笑顔だった。




「王妃様ああああああああ!!」


関係者への挨拶も済んで馬車に乗り込もうとするカタリーナに、遠くから声を掛ける者がいた。

ぱたぱたと一生懸命に走るマルガレーテだ。

カタリーナに駆け寄って、彼女の足にがしっとしがみ付く。


「王妃様!

戦争に行かれるってお聞きしましたわ!」


「大丈夫よ。

すぐに帰って来るわ」


泣いているマルガレーテに、カタリーナは優しく微笑んで彼女の頭をでる。

しかしカタリーナは、戦争に行くこと自体は否定しなかった。

マルガレーテは顔面蒼白になってしまう。


「だ、だ、駄目です!! 駄目ですわ!!

行かないで!! 行かないでくださいませ!!」


涙を大粒なものに変えたマルガレーテは、カタリーナの足をぎゅうっと抱き締める。

このままでは出発できない。

フィーリップはマルガレーテを抱きかかえると、王女宮へと向かう。


「うわあああああああああああん!!!

王妃様ああああああああああああ!!!

行かないでええええええええええ!!!」


フィーリップに抱きかかえられながらも、マルガレーテはカタリーナの方に手を伸ばして泣き叫ぶ。

そんなマルガレーテに、カタリーナは胸が痛くなってしまう。


「王女様は、お母さんが亡くなってるからね。

きっとトラウマがあるんだろうね」


参戦はしないものの現地までは付き添う予定のエミーリエが、その様子を見てつぶやく。


「トラウマって、どういう意味かしら?」


この世界にはない単語の意味が分からず、カタリーナはエミーリエに尋ねる。


「同じシンママ同士ってことで、シンママ時代に仲良くなった人にさ。

旦那さんが病気で亡くなっちゃった人がいたんだよね。

その人の子供も、お父さんが亡くなってから病気ってものに過敏になっちゃってさ。

友達がちょっと風邪で寝込んだだけでも、可哀想なぐらいに動揺するようになっちゃったんだよね。

きっと王女様も、それだと思うよ?

王妃様が死ぬかもしれないって、少しでも思っちゃうともう駄目なんだと思う」


その説明で、トラウマの大体の意味は理解できた。

エミーリエの言うように、先ほどのマルガレーテの様子はおかしかった。

母を亡くした心の傷を刺激されてしまったのかもしれない。


ちなみに、シンママの意味ならカタリーナも知っている。

エミーリエがよく使う言葉なので、もう覚えてしまっている。


「それで?

マルガレーテに領地戦のことを教えたのは、誰なのかしら?」


マルガレーテが精神不安定になってしまうことを恐れたカタリーナは、その事実を伝えないようにと厳命していた。

にもかかわらず、マルガレーテはそのことを知っていた。

誰かが教えたということだ。


マルガレーテを追い掛けて来た王女宮の使用人たちは、こそこそと立ち去ろうとしていた。

彼女たちの背後から、カタリーナは尋ねる。


「……ゼッキンゲン夫人です。

先ほど王女殿下のお部屋にいらっしゃって……」


(あの女!!)


教師を馘首くびにした時点で、ゼッキンゲン夫人の王女宮への立ち入りは禁止されている。

にもかかわらず、夫人は堂々と王女宮に立ち入り、マルガレーテが傷付くようなことを吹き込んでいる。

おそらくは、カタリーナはもう二度と王宮には戻ってこないだとか、自分だけがマルガレーテを心配しているだとか、言いたい放題だったんだろう。


ゼッキンゲン夫人が王女宮に入ることができた理由なら、カタリーナにも分かった。

王宮使用人の誰もが、領地戦後にカタリーナは王宮から消えると思っている。

カタリーナが消えたなら、彼女はマルガレーテの教師へと返り咲く。

王女宮で再び、実権を持つようになる。

いずれ王女宮内で大きな権力を持つことになる彼女の横暴を、王女宮の使用人たちは阻止できなかったのだ。


「ヒッ」

「あ……あ……」


カタリーナの周囲の人たちは、真っ青な顔になる。

悲鳴が口から漏れる者もいる。

王女宮の使用人たちは、尻もちまで突いている。


「ちょ、ちょっと!? 王妃様!?

なんか、めちゃくちゃ怖いんだけど!?」


エミーリエのその言葉で、カタリーナはようやく気付く。

普段は隠蔽いんぺいしている魔力が、体から噴き出してしまっていることを。

噴き出した魔力には、今カタリーナが感じている怒りが混じってしまい、それで無意識に周囲を威圧してしまっていた。

すぐに、また魔力を隠蔽いんぺいさせる。


もう二度と、こんな事態の発生を許すわけにはいかない。

カタリーナは、フィーリップに連絡を入れ、王女宮にいるゼッキンゲン夫人をただちに追い出し、二度と立ち入らせないよう依頼した。

フィーリップ直属の配下なら、彼らがまず最初に顔色をうかがうのはフィーリップだ。

王女宮の使用人たちとは違って夫人の横暴も止められる。

もちろん、フィーリップも了承してくれた。



◆◆◆



「王妃殿下。

領地戦の場所まで護衛させて下さい」


王宮を出てから少し行くと、千人ほどの軍勢が待ち構えていた。

全員が真っ白な武具の白備しろぞなえで、剣や盾なども繊細な装飾が施されたもので統一されている。

掲げられた旗にあるのは、アショフ家の紋章だった。


使者同士の遣り取りを交わしてから、ハインツはカタリーナのもとへと来る。

そこで彼は、そんなことを言う。


「気持ちは嬉しいけれど、護衛はもう十分よ?」


領地戦に参加するのは、カタリーナとジビラの二人だけだ。

しかし戦場であるアラハイリゲンの廃墟はいきょに向かうまでの護衛は、十分すぎるほどに手厚い。


貴族の誰もが、カタリーナの霊宝を狙っている。

領地戦に参加できなかった貴族たちが、領地戦前にカタリーナを襲撃して霊宝を奪い取ろうとする可能性がある。

狙うなら、防御体制の強固な王宮内ではなく領地戦に向かう道中だ。

このため、フィーリップが王家の軍に護衛させているのはもちろん、他の貴族に霊宝を奪われたくないボールシャイト侯爵たちも軍を派遣してカタリーナの護衛に当たらせている。


「せっかく来たんですから、護衛ぐらいはさせて下さい」


そう言ってハインツは、穏やかに笑う。


ハインツの言うように、アショフ家の軍は兵装を整えて既にここまで来てしまっている。

そのまま帰らせるのも心苦しい。

カタリーナは、仕方なく了承する。



◆◆◆



アラハイリゲンの廃墟はいきょに向かう途中、途中の街で一泊することになった。

と言っても、街の宿屋で宿泊するのは、カタリーナを始めとしたごく一部の者だけだ。

護衛する者たちの大半は、宿屋ではなく街の外での野営だ。

それも、交代勤務での夜通しの警護だ。


昼よりも夜の方が、ずっと襲撃の確率は高い。

夜の警備は厳戒態勢だった。

小さな街を隙間なく取り囲むように陣が構えられ、街中も騎士だらけだ。


そんな中で、ハインツから面会要請があった。

カタリーナは自分の部屋へと彼を招き入れることにした。

街で一番上等な部屋には、寝室以外にも応接室なども付いていた。


宿泊する宿屋に男性を入れてしまったら、通常なら大問題だ。

しかし、今日に限っては問題にならない。

ボールシャイト家など他家の女性騎士の護衛たちも部屋にいるからだ。


彼女たちの任務は、カタリーナの護衛だけではない。

カタリーナが逃げ出したり、道中で霊宝を誰かに渡してしまったりしないように、カタリーナを見張ることも任務に含まれている。

人払いにも応じないため、男女二人だけにはなりようがなかった。


「王妃殿下。ご機嫌麗しゅう存じます」


挨拶をするハインツは、すこぶる上機嫌だ。

そんな彼にカタリーナはソファを勧め、彼もそれに応じる。


「随分と機嫌が良さそうね?」


「ははは。

分かりますか?

ある事実をお伝えして王妃殿下にご安心いただこうと思って、今日ここに来ています。

私が上機嫌な理由とも関係があることです」


「あら。どんな事実なのかしら?」


「王妃殿下。

もうすぐあなたは……私のものになります」


カタリーナを見詰めるハインツの視線には、強烈な熱が籠もっていた。

ハインツのその眼差しと、男性として女性を求めるような過激な言葉に、カタリーナの頬は赤く染まってしまう。


「ど、ど、ど、どういうことかしら?」


「領地戦の対戦相手と覚書おぼえがきを交わしました。

どの家があなたを得たとしても、最終的には私に譲り渡されることになっています」


どうやらハインツは、対戦相手の家を買収したようだ。

カタリーナを絶対服従させる権利を買い取ったのだろう。


命令権の買い取り自体は、法的に何も問題はない。

負けた場合、カタリーナはいかなる命令にも従うと約束している。

カタリーナに勝利した者が「以降、ハインツの命令に絶対服従するように」とカタリーナに命じれば、命令権はそれで移譲できてしまう。


「そうなのね。

敗北したわたくしを得たとしても、霊宝が得られるとは思えないけれど……。

あなたは、霊宝に興味がないのかしら?」


ハインツがカタリーナを得たとしても、霊宝は奪い取られた後になるはずだ。

それなのに、ハインツはすこぶる機嫌が良い。

そのことがカタリーナには不思議だった。


「ありませんね。

あなたさえ得られたら充分です」


「そ、そ、そ、そ、そうなのね……」


求めるのは、カタリーナだけ。

そう明言されて、カタリーナはまた動揺してしまう。


「た、対戦相手の三家と覚書を交わすために、かなりお金を使ったのではなくて?

それだけの価値があることなのかしら?」


ハインツは、領地戦前にカタリーナを逃すようフィーリップに打診している。

逃げたカタリーナを受け入れるだけなら、大して費用なんて掛からない。

それどころか逃亡費用の援助を王家から受けられるから、金銭的にはむしろ大きなプラスになるはずだ。

しかし、奴隷となったカタリーナを買い取るなら、かなりの代価を要求されるはずだ。


「その程度の出費、大した問題じゃありません。

愛人などではなく、私だけがあなたを独占できるんです。

ふふふ。今から楽しみでなりません。

私が上機嫌な理由は、もうお分かりでしょう?」


うっとりとした顔で空想の世界に浸るハインツに、カタリーナは薄ら寒さを感じてしまう。


「もう一つ。これは大事なことです。

ボールシャイト家には、絶対に捕まらないで下さい。

他の二家はあなたを無傷で引き渡すことに同意してくれましたが、あの家だけはそれを拒否しました。

あの家に捕まってしまった場合、私に引き渡されるのはあなたを存分に楽しんだ後で、ということになってしまいます」


「そうなのね」


カタリーナにとって不思議なことではなかった。

ボールシャイト侯爵にとってのカタリーナは、息子のかたきだ。

しかもそんな相手に、これまで高価な贈り物をしなくてはならなかったのだ。

金銭的な利益だけでは収まりが付かないほど、はらわたが煮えくり返っていることは容易に想像できた。


「家を一つ、買いました。

規模としては、伯爵家の屋敷ほどでしょうか。

それほど大きな家ではありませんが、二人で暮らすには十分な広さだと思います。

今、そこを大急ぎで改装させています。

私とあなたで住むために用意したものです」


「ず、随分と気が早いのね」


「あなたを傷付けないために急いだのです。

絶対服従の契約なんてしてしまったら、社交界に出たら辛い目に遭うことは間違いありません。

ですから、用意した屋敷にずっといて、社交界になんて出ないで下さい。

屋敷の使用人は、十分に厳選します。

それでももし、少しでもあなたに粗相があったなら即座に首をねます。

そこなら、誰もあなたを傷付けません」


ハインツの言うことは事実だ。

夫でもない男の奴隷になったことで、王家から離縁されるのだ。

嘲笑の的になることは間違いない。


しかし、それは『吸血の愚王妃』と揶揄やゆされる現在と大差はない。

カタリーナとしては、そうなった場合にも閉じ籠もっているつもりはなかった。


「……屋敷から出たいと、わたくしが言ったらどうするのかしら?」


「そんなことおっしゃらないで下さい。

不自由な思いは、何一つさせません。

お望みのものは全てご用意しますし、その屋敷がお気に召さないなら別の屋敷をご用意します。

だから、私が与えた家から一歩も出ないで、私以外の誰とも会わないで下さい。

私だけを、ずっと見ていて下さい」


病的なまでに過激な求愛の直撃を受けて、カタリーナの背筋に冷たいものが走る。


「もちろん、あなたが屋敷から出たいなんて考えなくなるように、私だって努力はします。

そこを、あなたが抜け出そうと思うことさえないような愛の巣にするつもりです」


「あ、あ、あ、愛の巣!?」


貞操観念の非常に高い世界で暮らしていたカタリーナにとって、驚愕きょうがくしてしまうほど過激な表現だった。


「はい。

毎日、朝から晩までずっと愛し合いましょう。

あなたが他の全てを忘れてしまうぐらいに、あなただけを深く愛するつもりです」


「あ、あ、あ、朝から晩まで!?」


「今から楽しみです。

ドロドロに甘やかされて、全身くまなく愛されて、あなたがどう変わっていくのかが」


「……も……もう……帰って下さい……」


蚊の鳴くような弱々しい声だった。

王妃であり、立場は上なのだから「下がりなさい」と命じることもできたはずだ。

しかし出てきた言葉は、あわれみを乞うようなものだった。


露骨な求愛と、過激な言葉の羅列は、カタリーナの許容限度をはるかに超えていた。

カタリーナは耳まで真っ赤にして、目をうるうるとさせながらうつむいてしまっている。

ハインツの言葉が効いていることは、誰の目にも明らかだった。


こらえきれない笑いを漏らしつつ、ハインツはそれに応じて席を立つ。




ハインツが立ち去ってからも、カタリーナはすぐには正気に戻らなかった。

宙をぼんやりと見つめ、突然赤面したと思ったら、頭を抱えて首を振ったりしていた。


「王妃様ってさ。本当にチョロいよね」


そんな彼女を見て、エミーリエは呆れたように言う。

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