第23話 霊宝1/2 王が王女を愛せない本当の理由

「陛下がお呼びです」


持ち帰った仕事を自室でこなしていると、使用人からそう伝えられた。


フィーリップと会う度に、カタリーナはマルガレーテの話を彼にしている。

二人の関係を改善しようと、彼にはいつもマルガレーテの可愛いさを説明している。

そのおかげで、カタリーナがマルガレーテを寝かし付ける時間も彼は把握している。


連絡があったのは、マルガレーテを寝かし付けてからしばらく経ったときだった。

マルガレーテとの時間だけは、フィーリップも邪魔はしない。


「さあ。王妃殿下。お着替えです」


フィーリップと会うということで、ジビラがまた気合いの入ったドレスとアクセサリー類を持って来る。

化粧品や整髪用具もそろえて、髪も化粧もばっちり決めるつもりのようだ。

寝る前に少し会うだけでも、彼女には妥協がなかった。

渋々ながらも、カタリーナはそれに付き合う。





「わざわざ来てもらってすまない。

少し歩こうか」


いつも通りフィーリップの寝室に行くと、彼は部屋の外に出るための服に着替えていた。

体調は大分回復したように見える。


「お体は大丈夫なんですか?」


「ああ。大分良い。

呪術も開発されて少しずつ良くなっているし、君のおかげでゆっくり休めているからな」


フィーリップの言う通り、少しぐらいなら歩いても大丈夫そうだ。


体内から鉛を除去する呪術は、無事開発された。

にわか造りの術なので一度の術で完治させるものではない。

数日おきに術を掛け、徐々に治していくものだ。

既にフィーリップは、何度か術を受けている。


てっきり、夜風の心地良い庭園にでも向かうのかと思った。

しかしカタリーナをエスコートするフィーリップは、彼の住居である王宮の地下へ向かった。

衛兵が守る扉を抜け、呪術師たちが守る呪術の結界を通り抜け、フィーリップだけが鍵を持つという扉を二つ通り過ぎて、ランタンの灯を頼りにさらに下へと降りて行く。

その突き当たりは、白い壁だった。


(え!?)


カタリーナは、びくりとしてしまう。

フィーリップが壁に埋め込まれたガラス板をのぞいたと思ったら、壁が独りでにスライドしたのだ。

取っ手がないから壁だと思っていたが、扉だった。


「すまない。驚かせたか?

このガラス板をのぞき込むと、自動で扉が開く仕組みなのだ。

このガラス板は、顔と虹彩を確認する装置だ」


「……不思議ですわね。

魔力も呪力も働いていませんでしたし、人が動かした気配もありませんでしたわ」


中に入って少し進んで、またカタリーナはびくりとしてしまう。

入口の扉が自動で閉まったのだ。

魔法を利用して常に周囲を警戒するカタリーナにとって、自動ドアは心臓に悪いものだった。


そんなカタリーナに、フィーリップは可愛いものでも見たかのように笑う。


「ここは一体……」


不思議な空間だった。

ランタンの灯を頼りに、地下深くまで降りて来た。

ここまでの道は、途中から真っ暗だった。

しかし取っ手のない扉の先は、天井が白い光を放ち昼間のように明るかった。

壁も床も天井も見たことのない材質で、どれも驚くべき加工技術の高さだ。


「これが『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』だ」


「そうでしたか。

あの先にその剣があるのですね?」


霊宝の保管場所であることは、カタリーナも予想はしていた。

でなければ、ここまで厳重な警護体制は取らない。


しかしこの部屋には、剣らしきものはなかった。

代わりに部屋の突き当たりの壁には、この部屋の入口にあったものと同じ黒いガラスの板がめ込まれていた。

その横には、ここの入口に似た取っ手のない扉がある。


「そうではない。

輪を描いて回る炎ケルビムの剣』とは、実は剣ではないのだ。

この建造物全体のことだ」


「……そうだったのですね」


アラハイリゲンの街を滅ぼしたのは、この国の霊宝だ。

それが地下深くに埋まったこの施設だと言う。

はるか彼方の街を、ここから滅ぼしたということだ。


前世では大魔法使いだったカタリーナには、山をいくつも越えるほどの距離から強力な攻撃を行う魔法陣も知っていた。

輪を描いて回る炎ケルビムの剣』とはきっと、その魔法陣のようなものなんだろうと思った。


「……陛下はなぜ、わたくしにここをお見せ下さったんですの?」


しばらく部屋を眺めてからカタリーナが尋ねる。


「この国の霊宝の真実を、君に教えなくてはならないからだ。

これを見てほしい。

文字が書いてあるだろう?」


カタリーナはまた、びくっとしてしまう。


部屋の中央には、不思議な材質で作られた机らしきものがあった。

床に据え付けられ、床と一体となっているような机だった。


その机の天板部分には傾斜が付けられていて、そこに大きな黒いガラス板がめ込まれていた。

フィーリップがそのガラス板に触れると、ガラス板に絵が浮かび上がったのだ。

彼がその絵に触ると、次々と絵が変わった。


「すまない。

また驚かせてしまったな。

これは“ディスプレイ”というものだ。

触れると絵が現れる」


フィーリップはくすりと笑う。

びくびくするカタリーナが可愛いようだ。



“ディスプレイ”とは、古代語だ。

その意味は「絵を映し出す鏡」だ。

図書館で古代語に関する本も読んだので、カタリーナもその言葉を知っていた。


古代語は王族の必須知識だと、図書館でフィーリップが教えてくれた。

それを聞いて、カタリーナも古代語の勉強に力を入れた。

彼のアドバイスの意味を、カタリーナは理解した。


「ここに書かれた文字を読んでほしい」


“このシステムをご利用になるには、マスターユーザーの登録が必要です。

ご登録には、左にある生体情報リーダーに手のひらを置いてください。

現在、マスターユーザーの登録はありません”


“ディスプレイ”には、古代語でそう書かれていた。


「これは……」


「君には以前、霊宝の力の残量には限りがあると言ったな?

あれは嘘だ。

本当は……霊宝の継承に、私は失敗している。

“生体情報リーダー”に手を置いても反応がないのだ。

おそらくは、霊宝の故障だと思う。

そこに書かれている“マスターユーザー”とは、この霊宝の継承者のことだ」


「そんな!」


衝撃の事実だった。

霊宝は王位の証だ。

継承できなかったら、王家を名乗る資格を失う。

連邦議会に気付かれたら、この国は国家として認められなくなってしまう。


「この国は、傾きかけているのではない。

もう、滅んでいるのだ」


全てを諦めたような哀しい目をして、フィーリップはつぶやく。


「……豊穣祭のとき、ハッツフェルト家は管狐くだぎつねを使って霊宝を探っていましたわね?

もしかして、気付いているのでしょうか?」


「薄々勘付かんづいている者もいるだろう。

貴族と取り結んだ不可侵条約は、騎士団と軍の出動を制約するものだ。

霊宝については、何も制約はない。

軍事的威嚇のために、当時の私は霊宝だけはなんとか死守した。

しかし、これほど王権を食い荒らされてもなお、王家は一度も霊宝を使おうとしていない。

霊宝の継承式典もしていない。

疑いを持たれるのは当然だ」


「……かたくなにマルガレーテと距離を置いていたのは……もしかして、このことと関係がありますの?」


「そうだ。これが関係している。

人を信用してはならないことを教えることより、こちらの方が理由としてははるかに大きい。

霊宝が継承できなかったことを確信したら、貴族たちは適当な理由を付けて、協力して王家に攻め入ってくるだろう。

霊宝が存在しないことを立証するためにな。

もちろん、王家を上回る兵力で攻め入ってくるはずだ。

それは、そんなに先の話でもないだろう。

遅くとも数年以内だ。

そのとき、あの子は遠くへ逃がすつもりだ。

私があの子を愛していたら人質として大きな価値はあるが、王が興味もない王女なら何の価値もない。

多大な費用を掛けて、血眼ちまなこになって捜したりはしないだろう。

愛さないことが、あの子の安全につながるのだ」


「そうでしたか……」


もしかして、と思って尋ねたらやっぱりそうだった。


フィーリップは、マルガレーテに興味がないのではなかった。

彼女の未来を、しっかりと考えていた。

だから、えてあんな態度だったのだ。

カタリーナは、ようやく本当の理由を理解した。


「あの子の気持ちを考えても、その方が良いと思った。

愛する両親と死に別れるというのは、本当に……苦しいことだからな。

あの子が、私を愛するようなことがあってはならない。

私が経験した苦しみを、あの子には経験してほしくない」


フィーリップのその気持ちは、カタリーナもよく分かった。

彼女もまた、同じ経験をしている。

前世では両親を殺され、今世では母親を亡くしている。


その苦しみは、肉体の痛みでは到底喩えられないほどの壮絶だった。

そんな思いはしてほしくないという彼の親心を、彼女は理解してしまった。


フィーリップの目には、運命に翻弄ほんろうされた者の無念が色濃く浮かんでいた。

そんな選択をせざるを得ないほど彼は追い込まれ、一人苦悩していた。

それをカタリーナは理解してしまった。


フィーリップを誤解していた。

彼は、人としての重要な感情か欠落しているのではなかった。

人として当たり前の感情は持っているが、それを押し殺していただけだった。

まぎれもなく彼は、一人の人間だった。

カタリーナはそう思った。


「君は以前、人としての自分を大切にするように、と私に言っていたな?

それは君にも言えることだと思う。

君は、自分の感情よりも政局を優先するだろう?

それが苦しい生き方であることは、私も知っている。

だから、君にはもうこれ以上そんな思いをしてほしくない。

もっと自由に生きて、人としての自分を大切にするべきだ」


「……何のお話をされていますの?」


「ハインツから打診があった。

領地戦より前に君を逃がしてほしい、とな。

君が彼と一緒になりたいなら、私も応援しよう。

私が手筈てはずを整えるから、彼に匿ってもらうと良い。

好きでもない男の性奴隷になる必要はない。

君は……幸せになるべきだ」


その提案に、カタリーナは目を見開いた。

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