第22話 カタリーナによる契約書の計略

領地戦を行う場合、事前に契約書が作られる。

いつどこで戦うのか、勝者が何を得て敗者が何を失うのか、参戦者はどの家なのか。

そういったことを全て事前に定め、その内容が契約書に記される。

その際には、同一内容の契約書が参加する家の数より一枚多く作られる。

各家保管分に王宮保管分を加えた枚数だ。


今日は、その領地戦の契約書を作成する日だ。

四角く囲むように並べられた王宮応接室のソファには、対戦するカタリーナとボールシャイト侯爵が向かい合って座り、彼らの脇には王家に加勢するアウフレヒト辺境伯とオルローブ侯爵が座っている。

全員が席に着くと、カタリーナは用意した契約書を配る。

それを見て、全員があきれる。


「この契約書は一体……」


「わたくしが書いたものよ?」


不可侵貴族たちがあきれ顔なのは、カタリーナが手順をまるで分かっていないからだ。

契約書を作るには、まず話し合って条件について詳細まで詰める。

それから右筆官ゆうひつかんに草案を書かせ、全員で文章の表現について話し合う。

文章表現でも合意できたら右筆官ゆうひつかんに清書させ、ようやく調印と署名だ。

それが通常の手順だ。


しかしカタリーナは、全員が集まった段階で真っ先に契約書を配布している。

条件を話し合うより前に、もう契約書を作成してしまっているのだ。

たたき台ではなく最終的な契約書のつもりなのは、各家保管分に加えて王宮保管分も作っていることからも明らかだった。


しかも契約書は、素人が作ったものであることが一目瞭然だった。

書かれている字は決して悪筆ではないが、普通の手紙のような文字だ。

王宮の右筆官ゆうひつかんが書いたものとは到底思えない。

本職の右筆官ゆうひつかんが書く契約書は、全く同じ大きさで全く同じ書体の字が等間隔に整然と並び、まるでタイプライターで作ったかのような芸術品だ。


「ふむ。

ボールシャイト家が負けたら不可侵条約を破棄する、というのが夜会での話し合いで決まったことだと思います。

しかしこの契約書には『敗者は領地の半分を勝者に無償譲渡する』という条件も追加になっていますな?」


不思議そうな顔をしてオルローブ侯爵が言う。


彼が触れたのは、自分に関係のない部分だけだ。

それ以外にも『王家に味方する家の出兵費用は、全て王家が負担する』などの条件も新たに追加されている。

破格の追加条件であり、普通は援軍にここまでの厚遇はしない。

その変えてほしくない点について、彼は一切触れなかった。


言葉にはしていないが、費用負担がない条項に彼は大変満足している様子だ。

負けたら領地の半分を差し出すという条件を除き、契約書に書かれている内容は、夜会で合意したものよりもずっと貴族たちに有利だった。

誰もが、その内容に満足している様子だ。

それを見てカタリーナは内心ほくそ笑む。


「ごめんなさい。

色々と間違ってしまったのね?

専門官に聞いて、書き直した方がいいかしら?」


「いや、わしはこれで一向に構わん。

すぐにでも署名と調印をしたい。

お二方とも、それで良いですな?」


獲物を捕らえる寸前の獣のようにギラギラとわらって、ボールシャイト侯爵が言う。

カタリーナの原案のまま、契約書への署名と調印が行われた。




「王妃殿下。

また今日も、あの三家の者たちを王宮から排除するんですか?

アウフレヒト辺境伯とオルローブ侯爵も先ほど『領地戦で味方してやってるのに、うちの家門の者を処分するとは何事だ!』って顔してましたよ?

ボールシャイト家はともかく、アウフレヒト家とオルローブ家はせっかく味方してくれてるんですし、せめて領地戦が終わるまでは控えめにした方が良いんじゃありませんか?」


領地戦の契約書への署名と調印が終わって廊下を歩いているとき、カタリーナの後ろからジビラが心配そうな声で話し掛ける。


「大丈夫よ。

ちゃんと考えがあるの。

今はとにかく、あの三家を挑発する必要があるのよ」


「はあ。そうですか」


釈然としない顔をしているが、それ以上追及することをジビラは止めた。

情報漏洩ろうえいのリスクを減らすため、自分の策についてカタリーナはあまり話さない。

こんな遣り取りには、ジビラももう慣れている。



◆◆◆



「緊急事態ですっ!!

オルローブ家とアウフレヒト家がっ!! 寝返りましたっ!!」


大慌てでカタリーナの執務室に飛び込んで来た書記官は、そう叫ぶ。


「寝返った!!?

ど、どういうことですか!!?」


驚愕きょうがくの叫び声を上げたのは、カタリーナではなくジビラだった。


「領地戦で、王妃殿下の敵に回るということです!」


「そんなっ!!!

王妃殿下!!?

なんで、ゆったりお茶を飲みながら書類に目を通しているんですか!!?

書類に目を通しながら、片手間で聞くことじゃありませんよ!!!

緊急事態なんですよ!!?」


「別に驚くことではないわ。

こうなるって、少し前には分かっていたもの。

寝返った二つの家に対してボールシャイト家から鉱山や街を譲渡する旨の報告書が、いくつか上がって来ていたの。

この時期にそんなことをするなら、買収のために決まっているでしょう?

ボールシャイト侯爵はどうしても、今回の領地戦で霊宝を手に入れたいみたいね。

たっぷりと財産を譲り渡していたわ」


「なんで、そんなことが許されるんですか!?

領地戦の契約書は、もう締結されたじゃありませんか!?」


「契約書の文言がそうなっているのよ。

これをご覧なさい?」


カタリーナは、引き出しから契約書を取り出してジビラに見せる。

彼女が指差したところを読んで、ジビラは目を皿のようにする。


領地戦の契約書は通常、どの家がどちらの陣営で参戦するかが明記される。

カタリーナが手書きで作成したその契約書は、それが抜けていた。


王家、ボールシャイト家、アウフレヒト家、オルローブ家の四家が参加することが書かれているのみで、どの家がどちらの陣営なのかについては一切記載がない。

これでは、アウフレヒト家とオルローブ家は、どちらの陣営に参加しても良いということになってしまう。


「それに、ここを読んでくれるかしら?

各家は旗を持って、その旗を取られたら負けで、旗を取った家が取られた家に勝者の権利を行使できるって書いてあるでしょう?

アウフレヒト家とオルローブ家が領地戦に参加したのは、ボールシャイト家に霊宝を渡さないためよ?

でもこの条件なら、わたくしの旗さえ取れば、ボールシャイト家ではなくてもわたくしに勝者の権利を行使できるのよ。

王家に味方してボールシャイト家から霊宝を守るより、王家の敵に回ってボールシャイト家より先に霊宝を奪ってしまった方が利は大きいって考えたのよ」


残り六家となった不可侵貴族家はもちろん、それ以外の貴族も全て、カタリーナの霊宝を狙っている。

多くの競争相手がいる中で霊宝を奪取するより、参加する貴族家が三家だけの領地戦時に霊宝を奪い取る方が、得られる確率ははるかに高い。

彼らが寝返るのは、当然のことだった。


「そうだ!!!

ハインツ様にお願いして、アショフ家にお味方してもらいましょう!

ハインツ様なら、きっとお味方して下さいます!」


「それは無理よ。

参戦する家は、契約書に明記されてしまっているもの。

これ以上は増やせないわ」


領地戦の契約書では、参加できる家が明記される。

貴族たちが次々に参戦し、戦火が無秩序に拡大することを防ぐためだ。

今回の契約書でも、それは守られている。


「そんな……」


ジビラは絶望の顔になる。

当初は王家とオルローブ家とアウフレヒト家の三家で、ボールシャイト家と戦うはずだった。

兵力差を考えたら、危なげのない戦いになるはずだった。


それが今は、王家のみで不可侵貴族三家の連合軍と戦う羽目になってしまっている。

しかも王家からの参戦者は、カタリーナとジビラの二人だけだ。

女性二人で不可侵貴族三家の連合軍と戦うのは、常識で考えるなら自殺に等しい。


「……ところで、なんで契約書がここにあるんですか?」


「仕方なかったのよ。

文書管理課に回したら、オットマーや陛下にまで契約内容を知られてしまうもの。

きっと怒られるわ」


「当たり前でしょう!?

私だって怒りますよ!!」





「王妃殿下!!

どういうことですか!?」


カタリーナがジビラからお説教されているところに、怒りの形相のオットマーが現れる。

ジビラが契約書に大きな問題があることを説明すると、オットマーは机の上の契約書を引ったくるように手に取る。

怒り顔で読み始めた彼だが、読み進めるうちにその顔を悲しげなものへと変える。


「王家を……見限られたのですね……」


ぽつり、とつぶやくようにオットマーは言う。


「どういうことですか?」


その言葉の意味が分からなかったジビラが尋ねる。


「ここにある、王家が敗北した場合の条項を見て下さい

王妃殿下は『差し出せるものは全て差し出し、勝者のいかなる命令にも従うものとする』とありますよね?

つまり、たとえ性的な命令であっても王妃殿下は全て従うということです。

王妃はそう簡単に離婚できるお立場ではありませんが、これは数少ない離婚の条件を満たすものです」


この国は、簡単に離婚できる国ではない。

まして王妃なら尚更だ。

しかし王妃であっても、離婚となる場合がある。

それが今回のケースだ。


領地戦の契約書は、王宮で保管される公式文書に当たる。

他の男の性奴隷となったことが公式文書に明記されてしまった者を、王妃の座に置いたままにはできない。

実際にはそういう扱いを受けなかったとしても、王以外の者にその体を自由にすることを許した事実は、公式に記録されるだけで致命的だ。


浮気程度で離婚になる国ではないから、王妃が浮気をしたとしても普通なら離婚にはならない。

しかしそれは、非公式の場でこっそりと火遊びを楽しむ場合の話だ。


後継者問題も絡むことだ。

少なくとも表面的には、王妃には厳格な貞操観念が要求される。


「……離婚になったら、王妃殿下はどうなるんですか?

まさか、性奴隷になってしまうんですか?」


(本当に良い子ね)


オットマーにそう尋ねたジビラを、カタリーナは温かい目で見てしまう。

王と王妃が離縁となれば、王家はもちろん王妃付き侍女であるジビラだって大きな影響を受ける。

にもかかわらず、自分の心配より先に、王家と縁が切れたカタリーナの心配をしている。


「王家からは放逐されることになりますね。

ですが、何も心配は要りません。

ここを見て下さい。

領地戦の場所は、アラハイリゲンの街と書かれています。

そして王家側は街の中に、ボールシャイト家側は街の外に陣を敷いてから開戦とあります」


「アラハイリゲンって、大昔に『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』で滅ぼされた廃墟はいきょの街ですよね?

それが何だって言うんですか?」


廃墟はいきょとなった大きな街で、しかも建物などはまだ残っています。

女性二人だけなら、隠れられたら見付けるのに一苦労でしょう。

隠れるのに、王妃殿下が得意な呪術を使ったらなおさらです。

最初に見付けるのは、よほど幸運な者か……あるいは事前に王妃殿下から居場所を教えてもらった者です」


「何が言いたいのかよく分かりません。

領地戦の対戦相手の中に、事前に王妃殿下から居場所を聞き出す人がいるってことですか?」


「そうです。

彼らも貴族ですし、懸かっているのは霊宝です。

そのぐらいの事前工作はするでしょう。

対して王妃殿下ですが、今はハッツフェルト家に戻ることが難しい状況です。

王家から放逐された後に身を寄せる先は、絶対服従することになった主のもとだと思います。

その主を、王妃殿下は選べる立場です。

事前に居場所を教えてほしいなら良い条件を示せ、と工作を仕掛ける三家に対して言えるんです。

何と言っても、霊宝が懸かっています。

なんとしても、自分の家を選んでもらわなくてはなりません。

どの家も総力を挙げて、身を寄せた後の快適な生活を保証するはずです。

王妃殿下の離婚後の生活は、きっと快適なものになるでしょうね」


「そんな……」


オットマーの説明を聞いて、ジビラはショックでよろけてしまう。


「ああ。王妃殿下と共に参戦するあなたも、おそらくは大丈夫ですよ。

あなたの身の安全を保証することも、王妃殿下ならきっと条件に入れるはずです。

本当に、全てが丸く収まる計画ですね。

さすがです」


オットマーはそう付け加える。

仕事で一緒になることが多い彼は、カタリーナがうわさ通りの愚女ではないことをよく知っている。


「王妃殿下!!

そんなことを、お考えになっていたんですか!?

私を、私たちを、お見捨てになるんですか!?」


泣きそうな顔をして、ジビラはカタリーナに詰め寄る。


「王家から逃げ出すつもりはない、と言ったら信じてくれるかしら?」


ジビラの目を見詰めてカタリーナが尋ねる。


「……信じます。

私は、王妃殿下に剣の誓いを立てた者です。

主が真剣におっしゃった言葉なら、全て信じます」


「ありがとう。

あなたの期待を裏切るつもりはないから、安心してね?」


「申し訳ありませんが、僕は信じません。

王家から逃げ出すための条件が整いすぎています。

ですが……非難もできませんね。

歴史を見れば、王権崩壊に際して王族は大抵処刑されています。

処刑から逃れるために崩壊寸前の王家から逃れたい、とお考えになるのも理解はできます。

特に王妃殿下は、最近になって王家に来られた方です。

王家に対する思い入れも、私たちよりずっと浅くて当たり前です」


「信じてもらえなくても仕方ないけれど、お仕事だけはお願いしたいわ。

あなたが言うように、領地戦の対戦相手はどこも事前工作をしてくると思うの。

これからわたくしに、たくさんの贈り物をしてくれるはずよ?

貰った物は全部渡すから、物毎にそれぞれ一番高値を付けてくれそうな商人を選んで売って、代金は国庫に入れてほしいの」


「良いんですか?

贈り物は王妃殿下の私物になりますが?」


オットマーの言うように、対戦相手からの贈り物は王妃が公務で貰うものではなく、カタリーナの私物だ。

そしてオットマーは王の補佐官であり、王の業務の補佐が彼の仕事だ。

王妃個人の物の売却は、彼の本来の業務ではない。

だがカタリーナは、えて彼にこの仕事を依頼している。


「今の王家は、そんなことを言っていられる状況ではないでしょう?

財政は、火の車じゃない。

この契約書だって、少しでも王家の財政を良くしようと思って、色々と考えて作ったのよ?」


「……そういうことにしておきましょう。

仕事は、もちろん引き受けます。

感謝の意を込めて、喜んで」


「ありがとう。

嬉しいわ。

前向きな気持ちで引き受けてくれて」


「はは。前向きにもなりますよ。

ボールシャイト侯爵は、憎い息子のかたきのご機嫌取りをしなくてはなりませんからね。

霊宝のために高価な贈り物をいくつもするでしょうが、きっと苦虫を噛み潰したような顔で品を選ぶはずです。

それを想像しただけで、気分が良くなります。

どれほど高価な物を贈ってくるのか、今から楽しみで仕方ありませんね」


オットマーの母親は、ボールシャイト家から受けた屈辱により憤死したと言われている。

おそらくそれは事実なんだろうと、カタリーナは思っている。


イーヴォが持っていた、カタリーナを楽しむための呪術具を渡したとき、彼は凄まじい形相となり、怒りで手を震わせていた。

触れたら爆発してしまいそうなほどの、深くてくらい怨念がその内にあるのがカタリーナには分かった。

この仕事を彼に依頼したのも、少しでも心の闇が晴れればというカタリーナの思いからだ。


「オットマー。

領地戦は、ぜひに来てほしいわ。

きっと、面白いものがられると思うの」


少しでも彼の心の闇を払うため、カタリーナはそう提案する。


カタリーナは、三十人以上による襲撃を返り討ちにしてみせた。

近接戦闘に弱い呪術師がそれだけの暗殺者を倒したなら、相当な凄腕と言えるだろう。


しかし領地戦での敵軍の規模は、少なくとも数千になる。

いかに霊宝を持つ凄腕だろうと、呪術師一人で対処できる数ではない。

女性二人で戦うカタリーナの敗北を、オットマーやジビラを含め誰もが当然だと思っている。


しかし、カタリーナだけは知っていた。

『猛悪の大魔女』にとって、数千の軍勢など物の数ではない、ということを。

不可侵貴族三家が全て敵に回ってしまったこの窮状は、カタリーナにとってこの上なく好都合だった。


カタリーナが今回作った契約書は、見る者によって全く性格が変わる。

カタリーナの評価が低い者から見れば、契約の締結手順も知らないド素人が作った穴だらけ欠陥品だ。

そういった者は、それを逆手にとって霊宝を奪うことを考えるだろう。


カタリーナを油断ならない人物だと考えている者からすれば、この契約書は沈みかけの王家から脱出して生き残るための手段だ。

オットマーも、そういった誤解をしている。


しかしこれは、オットマーが悪いわけではない。

なぜなら、これもまたカタリーナの策略だからだ。


不可侵貴族家たちがカタリーナを相手に油断しなかった場合に備えて、彼女を警戒する者には王家脱出計画の一環だと見えるように、カタリーナは契約書を巧妙に偽装した。

オットマーは、言ってみれば、カタリーナの策にめられた被害者だ。


実のところ、王家脱出計画の一環、というのもまた偽装だった。

その真の狙いは『猛悪の大魔女』の絶大な力を知るカタリーナだけが理解していた。

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