第28話 父と娘の関係、カタリーナとフィーリップの関係

「やあ。ご機嫌よう。マルガレーテ」


朝食のためにカタリーナと手をつないで食堂に訪れたマルガレーテは、目を丸くする。

王女宮の食堂に、フィーリップがいたからだ。


フィーリップはこれまで、王女宮の食堂に来たことは一度もない。

それどころか彼は、王女宮に立ち入ったことさえない。

そんな彼が食堂でマルガレーテを待っていて、笑顔で手を上げて彼女に挨拶をするのだ。


「ご、ご機嫌麗しゅう存じますわ。陛下」


マルガレーテは、慌てて挨拶を返す。

事態が飲み込めない彼女は、それからフィーリップとカタリーナの顔を交互に見上げる。


「マルガレーテ。

今日は、陛下もあなたとお食事をご一緒したいんですって。

大丈夫かしら?」


「だ、大丈夫ですわ!」


「ありがとう、マルガレーテ。

さあ。食事にしよう」


カタリーナは約束通り、三家の連合軍をみなごろしにした。

これを受けて、フィーリップも父親として彼女に愛情を注ぐことに決めた。


しかしフィーリップは、これまで一度も父親らしいことをしたことがない。

父親を始めるにしても、何をすれば良いのかよく分からなかった。


マルガレーテと遊べと言われても、彼は五歳の女の子と遊んだ経験などない。

お人形さん遊びなどは、自身の幼少期にさえしたことがなかった。


悩むフィーリップにカタリーナは、共に食事をすることから始めるよう提案した。

ここに彼がいるのは、その提案を受け入れたからだ。


フィーリップは、毎朝マルガレーテたちと朝食を取ることに決めた。

昼食は政治関係者との会食となることが多いので基本的にマルガレーテとは別で取るが、夕食もできる限り三人で一緒に食べることにした。




「昨日は、王妃と一緒に遊んだのかな?」


「そうですわ!

たっくさん遊びましたの!

お絵描きをして、お人形さん遊びをして、ビーズ遊びをして、猫さんの揺り籠もしましたの!

それから、ブランコ遊びをして、輪回し遊びもして、噴水にお船も浮かべましたの!

おやつはレープクーヘンでしたの!」


マルガレーテは最初、フィーリップに人見知りをしていた。

それでも、フィーリップはずっと、にこにことマルガレーテの話を聞き続けた。

いつの間にかマルガレーテも、彼に一生懸命に説明をするようになっていた。


そんな二人を、カタリーナは嬉しそうに眺めている。

父親というマルガレーテに足りないピースを揃えようと、カタリーナはこれまで相当努力をしてきた。

その苦労が、ようやく実った思いだった。



◆◆◆



「国王陛下並びに王妃殿下、ご出座になります!」


謁見の間の側面入口に立つ騎士は、通る声でフィーリップたちの入場を伝える。

扉が開けられ、フィーリップのエスコートでカタリーナたちが入場する。

二人は壇上に設けられた王と王妃の玉座にそれぞれ座る。

ゼッキンゲン侯爵、コルウィッツ公爵、ハッツフェルト侯爵の三人は、既に玉座の前にひざまずいて待っている。


今日の謁見は、唐突な侵略行為を行ったこの三家の貴族を対象としたものだ。

これまでなら、こういった問題は貴族会議で話し合っていた。

会議室で話をすることで、貴族側の意向を最大限尊重していた。


それを変えたのは、カタリーナだ。

彼女の意向で、会議室での話し合いから謁見の間での王家の意向の一方的な伝達となった。


「さて。あなたたちは、王家の許可もなしに勝手に他の領地に攻め入ったわね?

これについて、何か申し開きはあるかしら?」


玉座から三人を見下ろすカタリーナが尋ねる。


「これは、申し訳ありません。

手違いで、書類の提出が遅れてしまったようでしてな?」


ヘラヘラと笑いながらハッツフェルト侯爵が答える。

他の二人も大した問題ではないと思っていることは、その余裕のある笑みからも明らかだった。


「そうね。

あなたたちが侵攻を終えた後に、王宮に書類が提出されたわね?

その申請書だけれど、王家は申請義務違反と判断したわ」


カタリーナの言葉を聞いて、三人の顔色が変わる。


不可侵貴族にとって、この程度のことは大した問題ではなかった。

少なくとも、これまではそうだった。


戦争を仕掛けるなら事前に王家への届け出が必要だ。

しかしそんな書類は、事後的にでも王家に届ければ良かった。


勝手に侵略を行い後から届け出を出す不可侵貴族の横暴に対して、これまで王家は何も言えなかった。

後から出されたその届け出を、事後的に承認する以外にできることはなかった。

王家を軽んじる彼らの常識を、今日カタリーナは変えてしまった。


「王家に届け出もなく侵略を行った罰として、あなたたち三家にはそれぞれ領地の一割没収を命じるわ」


「い、一割ですと!?」

「そんな滅茶苦茶な!」

「それは、とんでもない横暴ですぞ!?」


不可侵貴族の三人は騒ぎ始めるが、カタリーナはどこ吹く風だ。


不可侵貴族たちはフィーリップに視線を向ける。

しかし彼は口を挟まない。

その態度から、カタリーナの意向を最大限に尊重するつもりなのは明らかだった。


「それから、ゼッキンゲン侯爵。

あなたの家の夫人が、無断で王女宮に侵入したわね?

その罰として、ゼッキンゲン家には追加で一割の領地没収を命じるわ。

合計二割の領地を王家に納めなさい?」


「な……そ……その程度のことで!」


「その程度のこと、ではないでしょう?

王宮の立ち入り禁止区域に立ち入ったんですもの。

その場で斬首されてもおかしくはない重罪よ?」


怒りで震えていたゼッキンゲン侯爵だが、カタリーナをにらみ付けるとにやりとわらう。


「承知しました。王妃殿下。

領地の二割を献上しましょう。いずれね?」


あざけりの目をカタリーナに向け、ゼッキンゲン侯爵がわらいながら言う。


カタリーナには、彼が何を考えているのか分かった。

二割を献上する、そう言いつつも実際には献上しないつもりだ。

「いずれ」とは、そういう意味だろう。

献上しなかったところで王家は何もできない、彼はそう思っているのだ。


「はっはっは。王妃殿下

我々から領地を没収できると良いですなあ?」


「そうですなあ」


コルウィッツ公爵とハッツフェルト侯爵が言う。

にやにやと嘲笑するように、カタリーナをわらっている。

どうやら三人とも、口では献上すると言いつつ献上しないことに決めたようだ。


「それなら大丈夫よ。

二週間以内には没収できると思うわ」


嘲笑など気にも留めないカタリーナは、にこにこと笑いながらそう返す。


「ほう? どうされるおつもりですかな?

領地戦でしたら、私はお受けしませんぞ?」


領地戦なら、カタリーナのいる王家の勝ちだろう。

しかし領地戦とは、両者の合意の上で行うものだ。

ゼッキンゲン侯爵たちに受けるつもりがないなら成立しない。


「領地戦ですって?

そんな手緩いことをするわけがないでしょう?

普通の戦争をするつもりよ」


「まさか、また王妃殿下お一人で戦われるおつもりですかな?」


コルウィッツ公爵が鼻でわらうかのように言う。


「ハッツフェルト家に対してならともかく、私もコルウィッツ公爵も不可侵貴族ですぞ?

軍の派兵はできませんが、軍の力もなしにどうやって土地を接収するおつもりですかな?

まさか、お一人で土地の接収までされるおつもりですかな?」


ゼッキンゲン侯爵もまた、見下すような目をカタリーナを見ながら言う。


不可侵貴族であるコルウィッツ家とゼッキンゲン家に対して、王家は軍を動かせない。

敗戦した場合の条件に定めがある領地戦なら、それでも土地を奪い取ることができる。

しかし、通常の戦争で軍を動かさずに土地を奪い取ることは困難だ。


カタリーナがいかに強くても、それだけでは領地は奪えない。

収奪した領地を占領し続けるには、兵力というものがどうしても必要になるからだ。

兵力もなしにカタリーナ一人で領地を攻めたところで無意味だ。

そのときだけ兵を引き上げカタリーナとの交戦を避け、彼女がいなくなってからまた街を奪い返せば済む話だ。

領地を実効支配できないなら、領地を奪うことはできない。


「あら?

あなたたちはアウフレヒト家やオルローブ家が、わたくしと領地戦をしたのを覚えていないのかしら?

あの領地戦は、負けたら領地の半分を差し出すという条件だったのよ?

領地の譲渡なら昨日、契約書を締結済みよ?」


謁見の間の脇に立つアウフレヒト新辺境伯とオルローブ新侯爵がにやりと笑う。

不意討ちで攻められた彼らは、コルウィッツ家などの三家に対して怒り心頭だった。

カタリーナの企みに、喜んで協力してくれた。


ちなみに、アウフレヒト辺境伯もオルローブ侯爵も、これまで後継者候補にさえ挙がらなかった傍系の者が引き継いでいる。

もしかしたら自分が霊宝の継承者になれるかもしれない。

そんな希望を胸に、直系の者たちは全員が領地戦に参加し、全員が討ち死にしてしまった。

このため、これまで後継者候補に名前が挙がることもなかった者たちが家を継いでいる。


「ま……まさか……」


「気が付いたかしら?

あなたたちは、アウフレヒト家とオルローブ家の領地を占領しているわよね?

ちょうどあなたたちが占領している場所が、王家に譲り渡された場所なの。

今のあなたたちは、王家の領地を不当に侵略している状態よ?

たとえ不可侵貴族だろうと、この侵略行為に対して王家は遠慮なく派兵できるわ」


カタリーナ一人では、収奪した土地を占領し続けられない。

そんなことはカタリーナだって百も承知だ。

だから彼女は、軍を動かす名目を用意していた。

占領されてしまった領地を、アウフレヒト家やオルローブ家から譲り受けたのだ。


もちろん、譲り受けたのは占領されている街だけではない。

そんな不良債権のような土地を引き取る見返りとして、港町や鉱山など旨味の大きい領地も譲り渡してもらっている。

派兵の口実も作れて、鉱山や港町なども貰えて、王家としては非常に良い取引だった。


「コルウィッツ家は、ボールシャイト領の領都アイトルフを占領しているわね?

ボールシャイト家もまた、王家に対して領地の半分を割譲する契約になっていたわ。

その家を滅ぼしたコルウィッツ家には、あの家が王家に対して負っていた債務も引き継いでもらうわ。

領地の半分を、王家に差し出しなさい?」


「そ、そんな! 半分だなんて!

あ、あまりにも酷いお話です!

到底受け入れられるお話ではありません!」


コルウィッツ公爵に、先ほどまでの余裕はなかった。

もしカタリーナに軍が帯同するなら、もはや彼女との交戦を避けることはできない。

街を譲り渡してしまえば、そこに王家の軍が駐留してしまう。

そうなれば、その街は奪われてしまう。


奪い返すのは困難だ。

しかし、徹底抗戦したところで霊宝を持つカタリーナが相手では無意味だろう。

戦争が開始されたら、致命的に領土を失うことになってしまう。


「では、仕方ないわね。

帰って戦支度をしなさい?

一週間経っても領地の一割と半分の献上が完了していない場合、王家はコルウィッツ家に対して宣戦布告をするわ。

ハッツフェルト家とゼッキンゲン家についても同様よ?

それぞれ一割と二割の領地の献上が完了していない場合、一週間後に宣戦布告するわね?」


「そ、そんな!」

「は、話の飛躍が過ぎます!」

「い、いきなり戦争だなんて!」


「ここは会議室ではなく謁見の間よ。

王家の決定事項を伝えるための場なの。

もうこれは、決まったことなの」


「しかし! いくらなんでも、これは横暴が過ぎます!」


「王家が横暴だと思うなら、あなたたちで連合を組んで王家に剣を向けても構わないわよ?

そうする勇気は、あなたたちにあるのかしら?」


カタリーナは、実に楽しそうに笑う。

そんな彼女に対して、彼らは何も言えなかった。

三十分も掛からずに一万三千もの三家連合軍をみなごろしにしてしまったカタリーナだ。

自分たち三家が連合を組んだところで、似たような結果になることは目に見えていた。


「陛下。当家より上奏したい議がございます」


呆然とするコルウィッツ公爵たち三人の横に出て礼を執るのは、アショフ侯爵だった。


「王家との間に取り結んでいた不可侵条約ですが、当家は本日、それを破棄したくお願い申し上げます。

同時に、王宮に送り込んだ当家に関わる人材についても、可及的速やかに撤収させたいと思います。

また、もし王家が戦争をされるなら、当家は王家に助力したいと思います。

一番槍いちばんやり何卒なにとぞ、当家にお任せを」


「……な」

「貴様!」

「この、タヌキめ!」


コルウィッツ公爵たちは、彼らの横でひざまずくアショフ侯爵を忌々しげににらむ。


(本当に、とんだたぬきね……)


そんなアショフ侯爵にカタリーナは苦笑いしてしまう。


カタリーナは、不可侵貴族たちの力を削いでいる最中だ。

標的となってしまう原因である不可侵条約を、アショフ侯爵はさっさと放棄してしまった。

しかも、王家に味方することまで明言している。

見事なまでの変わり身の早さだった。


彼とハインツは、領地戦でカタリーナの強さを間近で見ている。

それもあって、家門内の取りまとめも早かったのだろう。


「王妃殿下……私は悲しいです。

なぜ同じ家族である私たちが、血を分けた私たちが争わなくてはならないのでしょうか?」


「なにを……」


ハッツフェルト侯爵がつぶやくように言ったその言葉に、カタリーナは動揺してしまう。


「王妃殿下。

私は今でも、あなたを大切な家族の一人として深く愛しています。

ですから、この家族としての深い愛に免じて、当家への処分を取り消されるようお願い申し上げます」


ハッツフェルト侯爵はそう付け加える。

彼の目は、カタリーナを愛おしげに見詰めていた。


「……国家としての判断を、個人の感情程度で変えるわけにはいかないわ」


カタリーナのその言葉で、ハッツフェルト侯爵は舌打ちをする。

彼の視線はがらりと変わった。

カタリーナに向けていた慈しみの目は、カタリーナが泣き落としに引っ掛からなかったことに対する苛立ちの視線へと変わった。


(やっぱり、単なるお芝居だったのね……)


もちろん芝居だと言うことは、カタリーナにも分かっていた。

それでも、カタリーナは動揺してしまった。

「もしかしたら」という期待が湧き上がってしまい、心のバランスが取れなくなってしまった。


(家族って、解けないのろいみたいなものね……)


ハッツフェルト家の者たちの言動で動揺してしまう自分の心のままならなさに、カタリーナはそんなことを考えた。



◆◆◆



「ハッツフェルト家とゼッキンゲン家に続いて、コルウィッツ家も条件を飲んだ。

王家に領地を割譲する契約書に、ようやく署名してくれた」


マルガレーテを寝かし付けてから、いつものようにフィーリップと酒席を共にする。

そこでフィーリップからそう報告を受けた。


どうやらコルウィッツ家も戦争回避を最優先したようだ。

妥当な判断だ。

戦争になっていたなら、もっと悲惨なことになっていただろう。


ボールシャイト家などの領地を侵略して三割ほど領地を増やしたあの家だが、終わってみれば逆にごっそりと領地を失う羽目になってしまっていた。


「ゼッキンゲン家に続いてあの家も、不可侵条約の破棄を申し出て来た。

これで、全ての不可侵貴族に条約を破棄させることができた。

いずれ不可侵条約を破棄させると君が図書館で言ったとき、私は冗談だと思った。

しかし君は、本当に成し遂げてしまった。

実に、大したものだ」


「それは、わたくしだけの力ではありませんわ。

まさかこの手札で契約破棄にまでぎ着けるなんて、わたくしだって予想外ですもの。

陛下の政治手腕は、大変なものだと思いますわ」


お世辞ではなく、カタリーナは本当にそう思っていた。

全ての不可侵貴族たちに条約を破棄させるには、あと数手は必要だとカタリーナは思っていた。

それをフィーリップは、自らの交渉技術だけで全て解決して見せてしまった。

カタリーナという強力なカードを得たフィーリップの交渉手腕は、想像よりもずっと凄いものだった。


不可侵条約の消滅という王家の悲願がかなった。

二人は乾杯して、一仕事終えた喜びを分かち合う。


「一つ、お願いがあるのだが……。

君を愛称で呼ぶ栄誉を、私に許してほしい」


「ど、どうしてですの?」


フィーリップは別におかしな要求をしているわけではない。

夫婦なら愛称で呼び合うなんて、普通のことだ。


しかしカタリーナの感覚としては、彼は夫ではなくビジネスパートナーだった。

仕事仲間から急に距離を詰められたことで、カタリーナは頬を赤く染めてしまう。


「一つには、マルガレーテとの関係だ。

彼女の前でも、私たちは『陛下』と『王妃』と呼び合っているだろう?

もう少し仲睦まじい方が、彼女にとっても良いと思うのだ」


「それは……そうですわね……」


それなら納得だ。

マルガレーテのためには、良好な夫婦関係を演出した方が良い。

カタリーナにも、彼の考えは理解できた。


「もう一つの理由だが、こちらが主な理由だ。

君は本当の夫婦の関係になるのではなく、王と王妃の関係のままであることを望んでいたな?

だが私は、諦めるつもりはない。

いつかは君と、本当の夫婦に、本当の家族になりたいと思っている。

愛称で呼び合うのは、少しでも本当の夫婦に近付くためだ。

一人の女性として、私には君が必要だ」


(っ!!?)


膝の上に置かれたカタリーナの手の上に、フィーリップは自分の手を重ねる。

熱を帯びたその手のひらと、熱の籠もった彼の視線に、カタリーナは体がしびれるような感覚におちいってしまう。


「ハッツフェルト侯爵が謁見の際に言っていただろう?

『大切な家族の一人』などという戯れ言を、な。

私は、あの言葉を否定したかった。

今の君の家族は私だと、声を大にして言いたかった。

しかし今の私には、それを口にするだけの資格がなかった。

悔しかった。

あんな、君のことを道具程度にしか思っていない者が君を家族だと言い、私にはその資格がないということがな。

この状況を、少しずつでも変えていくつもりだ」


(そんなことを考えていたのね……)


カタリーナは考える。

あのとき、実父の口から家族という言葉を聞いて自分は動揺してしまった。

だが、もし自分に「これが自分の家族だ」と胸を張って言える存在があったならどうだろうか。

実父の言葉に動揺しなかった、ということはないだろう。

だがその動揺は、もっとずっと小さなものだったのではないだろうか?


今世での家族とは、いつまでもまとわり付くしつこい呪縛のようなものだった。

しかしそれも、フィーリップやマルガレーテとの絆がもっと強くなったなら、どうだろうか。

心を縛る呪いから、心を強くする祝福へと、家族という言葉の意味も変わるのではないだろうか……。


フィーリップの提案は、正直なところ魅力的だ。

自分にとって一番抗いがたい甘い言葉で、誘惑されているような気がする。


だからこそ、慎重にならなくてはならない。

今の自分は、マルガレーテの保護者だ。

どんな提案に対しても、常にマルガレーテの幸せを考えなくてはならない。


「マ、マ、マ、マルガレーテには、な、な、何と呼ばせる、お、お、おつもりですか?」


「……しばらくは陛下だな」


「……」


「おっと、誤解はしないでほしい。

別に、マルガレーテと距離を置くために陛下と呼ばせているわけではない」


カタリーナが目に見えて落胆したのを見て、フィーリップがそう付け加える。


「……それならどうして、お父様ではなく陛下と呼ばせるんですの?」


「彼女は君のことを『王妃様』と呼ぶだろう?

だからさ。

私を『お父様』と呼ぶのは、いつかあの子が君を『お母様』と呼ぶようになったときで良い。

そう思っている」


(わたくしに配慮してくれていたのね。

わたくしが疎外感で苦しまないように……)


予想外に細やかな彼の心遣いに、カタリーナは心が温かくなるのを感じた。


この問題は、マルガレーテがカタリーナをお母様と呼んでくれれば全て解決することだ。

しかしお母様と呼ばせることについて、カタリーナは慎重だった。

エミーリエの助言があったからだ。


『継子に「お母さん」って呼ばせるのは、自然に任せた方が良いよ。

やっぱり、お母さんっていうのは特別な存在だからね。

無理矢理お母さんって呼ばせると、大切なお母さんの想い出を汚すことを強要されてるって思われて子供が傷付く可能性も高いよ?

前世にもね、継子にも実子にも自分のことをボスって呼ばせる人がいたよ。

お父さんとは呼びたくない継子の気持ちを考えてね。

そういう配慮もできる人だったから、その人、継子とは凄く上手くやってたよ?』


「前に、君が言っていたではないか?

いきなり家族になろうとせず、ゆっくりと家族になれば良いと。

そして、人の真似をする必要はないとも、君は言っていたな?

あの子の私の呼び方も、ゆっくりと変えていけば良いと思う。

おそらくそれが、私たちには合っていると思う。

私たちなりに、少しずつ変わっていけば良いと思う」


フィーリップの言葉に、カタリーナも納得した。

カタリーナもまた、何となくそれが良いような気がした。


「わ、わ、わ、分かりましたわ。

あ、あ、あ、愛称で、お、お、お呼び下さいませ」


「ありがとう。

では、君をカティと呼んでも構わないか?」


「は……はい……」


「そうか。

それでは君は、私をフィルと呼んでくれ」


「…………」


カタリーナは、フィーリップの愛称を口にすることはできなかった。

ただうつむいて、頬を赤くするだけだった。

いきなりの愛称呼びは、彼女には高すぎるハードルだった。

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