第4話 白雪姫との出会い

いつものようにカタリーナが図書室に行くと、豪華なドレスを着た小さな女の子がいた。

自分の背丈の三分の一程の高さで、厚さも十セルチ程ある木版装釘そうていの本を書架から取り出そうとしている。

幼児が持てる重さではなく、引っ張り出そうとした手が滑って、とてんと尻餅を突く。


(可愛いわ!)


転んでから周囲を見渡した女の子は、背後にいるカタリーナに気付いてびくりとする。

彼女の名はマルガレーテ・エンゲルラント。

家名がカタリーナと同じエンゲルラントであることから分かるように、この国の王女だ。


(随分と可愛い子ね。

将来はきっと、相当な美人になるわ)


カタリーナはすっかり彼女に見蕩みとれている。

『白雪姫』というマルガレーテのあだ名が示すように、彼女の肌は透き通るように白く滑らかだ。

黒髪は艶やかで、唇は鮮やかに赤く、黒檀こくたんの瞳はつぶらなものだ。


もちろん、まだ嫁いで半年しかっていないカタリーナが産んだ子ではない。

前王妃の子だ。


「お、王妃様。

お会いできて光栄ですわ。

機嫌麗きげんうるわしゅう存じます」


小さな女の子は慌ててカタリーナのもとへと来ると、折り目正しく礼を執る。

その愛らしい顔には、ありありとおびえが見える。


「ご機嫌よう。王女殿下」


カタリーナがにっこりと笑って挨拶を返すと、幼い女の子は驚いた顔をする。

マルガレーテが驚いたのは、これまでのカタリーナとはまるで態度が違うからだ。


カタリーナは、これまでに何度か彼女と会ったことがある。

会いに行くよう、何度か侍女たちに命じられた。

毎回、出会った途端にひどい罵声を浴びせてきた。

そう侍女たちに命じられたからだ。


カタリーナは深々と礼を執り、ずはこれまでの非礼を謝罪する。

したのは謝罪のみだ。

洗脳されていた事実は言わない。

王妃が洗脳されていたことも、その犯人が大貴族家なことも、気軽には話せない機密事項だ。


いつもなら出会うや否やヒステリックに自分を罵倒する女性が、突然自分に深々と頭を下げるのを見て、マルガレーテはさらに驚愕きょうがくする。

ぽかんと口を開けてしまう。

その様子は、大変愛らしかった。


(可愛いわね!

元々相当な美人だから、何をしても可愛いわ!)


びくびくするマルガレーテに、カタリーナは積極的に話し掛ける。

その可愛らしさを、カタリーナはもっと堪能したかった。


二人は、取り留めない雑談を始める。

今日ここに来たのは、これから授業で使う本を持って帰るためだとマルガレーテは言う。

本を持つ侍女はいないのか尋ねると、自分一人で持って帰るようにと教師から言われたとのことだ。


(こんな小さな子に、この本を三冊も持ち運びさせるの?

狂気の沙汰ね……)


天地の寸法が四十セルチほどあるその分厚い本は、獣皮紙を木版で装釘そうていしたものだ。

重量も相当なものだから、成人女性でも持ち運びには難儀する。


教育の一環として王族に雑用をさせることも、ときにはある。

しかし、何かあったときに対処するための侍女も付けず、王女一人にこんなことをさせるのは異常だ。


「今日は、わたくしが運んで上げるわ」


「うわあ!」


カタリーナが魔法で本を浮かせると、マルガレーテは目を丸くして驚く。


「王妃様!

早く、早くご本を下ろして下さいませ!」


本が浮いたことに驚いたマルガレーテだが、我に返るなりそんなことを言う。


「あら? どうして?」


「呪術は使うと運が悪くなって、使い過ぎると天に召されてしまうって習いましたわ!

そんなにすごい呪術を使ったら、とっても危ないですわ!」


マルガレーテの言うことは正しい。

呪術の対価は運命だ。

使えば幸運が減って悪運が増えるし、使い尽くせば命まで失ってしまう。


遺伝子の存在を知らなくても、子が親に似ることを人々は経験として知っている。

同様に、呪術の力の根源が星だということを知らなくても、この世界の人は経験でそれを知っている。


背丈がカタリーナの腰ほどしかない女の子は、カタリーナを見上げてわたわたしている。

その表情は、カタリーナが虎のいる檻に入ってしまったのを目撃したかのように危機感いっぱいだ。


(本気でわたくしを心配してくれているのね!?

こんな可愛い子がそんな深刻そうな顔をして、舌っ足らずな言葉で心配してくれるなんて!

何か、胸に刺さるものがあるわね)


マルガレーテの可愛らしさに、カタリーナは圧倒されてしまった。

もしかしたらこの子は、可愛いかもしれない。

そんなことを考えてしまうぐらい、その可愛らしさは強烈だった。


「心配してくれてありがとう。

でも大丈夫よ。わたくしは特別なの。

この力をいくら使っても不運にはならないし、死ぬこともないわ」


安心させようと、カタリーナは大袈裟おおげさに穏やかな笑みを浮かべる。


本は浮遊魔法により浮かせている。

魔法は星を消費するものではないから、いくら使っても不運にはならない。






「マルガレーテ! 本はどうしたのです!?

持って来るようにと、わたくしは命じましたよね!?」


マルガレーテが本を持たずに先に部屋に入ると怒声が聞こえる。

彼女の教師の声だ。


(扉が開くなり大声を出すなんて、随分と礼儀がなっていないわね)


話し掛けるなら遠くから大声を出すのではなく、近付いて静かに話すのが淑女だ。

その上、王女を呼び捨てにしている。

たとえ教え子でも、王族には敬称を付けるのが普通だ。


「命じる」という表現も、言葉選びがひどすぎる。

実際には指示を出していたとしても、王族相手にそんな強い表現を使うべきではない。


(この人は、本当に宮廷人なのかしら?)


夫人の教師としての資質に、カタリーナは疑問を持ってしまう。


「わたくしが持って来たのだけれど、何か問題だったかしら?」


浮かせた本と一緒にカタリーナが部屋に入ると、老齢の夫人は目を見開く。

この老夫人は、マルガレーテの専属教師ジルビア・ゼッキンゲン侯爵夫人だ。


マルガレーテと同じく、ぷかぷかと浮く本に老婦人も驚いている。

それぐらい珍しいことだ。

たかが本を運ぶ程度のことで呪術を使う者はまずいない。


「勝手なことをなさらないで下さい。

マルガレーテの教育のためにしていることです」


「勝手なことをしているのは、あなたでしょう?」


「何ですって?」


ゼッキンゲン夫人が気色ばむ。


「この本は重いし、装釘そうていの隅は補強のための金具も付いているわね?

足に落としたら、きっと怪我けがをするわ。

木製の装釘そうていでは、固い床に落としたら割れてしまうかもしれないわね?

重くて持てずに引きったりしたら、床も傷付くでしょうね?

その不始末を、あなたはどう付けるつもり?」


「ふんっ!

怪我けがをしたら治療をすれば良いし、本が壊れたら修理すれば良いのです!」


「その費用はどこから出るの?」


「王女宮の予算から出せば良いではありませんか?

その程度の予算は十分にあります。

まあ、予算のことなんて、王妃様はご存知ないでしょうけど?」


カタリーナに侮蔑の目を向けて夫人は嘲笑あざわらう。


「そんな支出、わたくしは認めないわ。

問題が起こりやすい教育方法を選んだのは、あなたよ。

あなたの選択に問題があったんだから、あなたがその不始末を付けなさい?」


「はあ? ふざけたことを言わないで下さい!

何の権利があって、そんなことを言うんですか!?

王女教育は、わたくしの専権事項です!

あなた如きに、王女教育に口出しする権利なんてありません!」


「あら。これは王女の教育問題ではなく王女宮の予算問題よ?

王女宮の予算に関する最終決裁権限は王妃にあるって、財政法で定められているんだけれど、まさかご存知ないのかしら?」


「な……」


ゼッキンゲン夫人の顔が怒りで紅潮する。

彼女は別に、知的で優雅だからマルガレーテの教師に抜擢されたのではない。

大貴族家同士の力関係により、その役目を得ただけに過ぎない。

それでも、これまで誰からも簡単にあしらわれていた『ハッツフェルトの愚女』に言い負かされるのは、相当な屈辱のようだった。


(最近は『ハッツフェルトの愚女』と言われることも少ないみたいだけれどね。

『吸血の愚王妃』って、最近は呼ばれているらしいわ)


まともな異名が付かないことに、カタリーナは心の中で溜息ためいきく。


異名からハッツフェルトの家名が消えたのは、生家との対立が鮮明になったからだ。

吸血は、死刑囚の処刑を王妃自ら行う奇行が原因だ。

カタリーナは、別に血を吸っている訳ではない。

だが、老人のようになった死体を見た人たちは、血を吸ったのだと誤解してしまった。


カタリーナが自ら死刑囚に手を下しているのは、もちろん魔力の器拡張と魔力補充のためだ。

死刑が決まっている者に残された運命なんて微々たるものだ。

それでも、ちりも積もれば山となる。


「ところで、あなたはできるのかしら?

立派な貴婦人になるための教育なんだから、そのお手本であるあなたもこの本を運べるはずよね?

その本を運んで見せなさい?」


ふわふわと浮かせていた本を、ゼッキンゲン夫人の足元に積み上げる。


「はっ。何故なぜわたくしがそのようなことを?」


夫人は小馬鹿にしたようにわらい、侮蔑の目をカタリーナに向ける。


「余の言うことが聞けんのか?」


前世で女王だった頃にしていたように、カタリーナは威圧を念を込めた魔力を夫人に向けて放つ。

もっとも、ここは戦場ではない。

放つ魔力はほんの少しだけ、その勢いもそよ風のように優しくだ。

それでも、間近で威圧の魔力を浴びた夫人は、顔を青褪あおざめさせる。


(大失敗ね……。

口調まで、前世みたいになってしまったわ……)


カタリーナは恥ずかしくてうつむいてしまう。


魔力を使っての威圧は、今世では初めてする。

久しぶりだったため、失敗しないようにと意識がそちらだけに向きすぎてしまった。

口調まで気が回らず、前世でよくしていたことをしたら、口調まで前世のものになってしまった。


幸い、すっかりおびえきった夫人は、カタリーナを直視できずうつむいてしまっていた。

赤面する様子は見られていなかった。


怯える夫人は、無言のまま従順に三冊の本を持ち上げる。

図書室まで運ばせてみたが、やはり途中で本を取り落としてしまった。


(やっぱり、そうなるわよね。

老齢の貴婦人が長時間持てる重さではないもの)


床と本の修理代はカタリーナが私費で出すことにした。

命じたはカタリーナだから、これは自分の不始末だ。

彼女はそう考える。


(これに懲りて、王女殿下に無理難題を課すことを控えてくれれば良いんだけれど)


怒りで顔を紅潮させながら立ち去るゼッキンゲン夫人の後ろ姿を眺めながら、カタリーナはそう心の中でつぶやく。

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