第3話 猛勉強とフィーリップ

(本当に、自分でもあきれるぐらいに無知ね。

『ハッツフェルトの愚女』って言われるのも納得だわ)


前世を思い出したカタリーナは、女王としての高い教養も甦らせた。

その教養水準を知っているからこそ、今世での自分の無教養ぶりがよく分かる。

この有り様では、政治に口を挟むことさえできない。

圧倒的な知識不足を何とかするために、最近カタリーナは王宮内の図書館に通っている。


書架からたくさんの本を机に運び、山のように積まれた本から一冊ずつ手に取り、次々と目を通す。

ぱらぱらとページめくるその様子は、とても読んでいるようには見えない。

だがカタリーナは、しっかりと熟読している。


魔法使いにとって、知識とは力だ。

その力を効率的に付けるための技術が、カタリーナの前世では広く知られていた。

今カタリーナが使っている『速読』の魔法がそれだ。

魔法により脳を活性化させることで、通常の数十倍の速度での読書が可能となる。

必要性から生まれた魔法であり、彼女の前世でも必要は発明の母だった。


全ての分野で勉強が必要という訳ではない。

たとえば数学だ。

これまでは二桁の足し算さえ覚束なかったが、前世の知識を思い出した今では高等数学も難なく扱える。


物理学などもなどもそうだ。

前世の世界と物理法則に差がないことを確認するだけで良かった。


しかし、一から学ぶ必要があるものも多い。

呪術もその一つだ。

今、カタリーナが読んでいるのは呪術関連の本だ。


この世界に、魔法は無い。

代わりに呪術というものがある。


前世では、魔法は一般に広く知られ、人々は生活の中で魔法を利用していた。

この世界での呪術も世間に広く普及していて、簡単な呪術なら誰でも知っている。

子供が怪我をしたとき、母親は呪符や呪文で擦り傷の完治を早めたりしている。

呪術師という職業がこの世界にはあるが、彼らは高度な呪術が使える者たちだ。


その原理は、カタリーナにとって大変興味深いものだった。

おそらくは星、つまり人の運命を対価としている。


カタリーナの『吸星法』は、他人の星を自分の魔力などに変換するものだ。

これに対して呪術は、自分の星を対価に願いをかなえるものだった。


(面白いわ。

前世には無かった発想ね。

この方法なら、どんな願いだってかなえられるわね)


魔法とは、魔力というエネルギーを対価とするものだ。

対して呪術は、魔力などに変換せず原初のエネルギーをそのまま対価とするものだ。


魔力は扱いやすいが、反面エネルギーの等級は低く、できないことも多い

しかし高次エネルギーをそのまま用いる呪術なら、死者蘇生などの禁忌領域を除き、どんな願いでもかなえられるだろう。


(でも、あんまり効率的な方法じゃないのよね)


読み進めてカタリーナはそう考える。


理論上は多くのことができる呪術だが、実際には大したことができない。

対価が自分の星というのが大問題だ。


こういったものは等価交換だ。

呪術で人の命を奪おうとすれば、その代償として自分が命を失いかねない。

人を呪わば穴二つ、ということになってしまう。

火魔法一つで簡単に人を殺せる魔法とは違い、できることはずっと小規模だ。


カタリーナが次に手に取ったのは歴史書だ。

この歴史の勉強で、彼女は大苦戦をしている。


いつどんな事件があったのか、ということなら歴史書に書かれている。

『速読』の魔法があるので、それを物凄い速度で読むこともできる。

暗記という点では、苦労をしていない。

問題は、事件の背景事情が歴史書により全く違うことだ。


今読んでいる領地間の争いもそうだ。

攻め込まれた側の領地の歴史書には、鉱山を狙って不当に攻め込んで来たと書かれている。

しかし、攻め込んだ側の領地の歴史書には、領主の妹を殺されたから報復に攻撃したと書かれている。

歴史的事件とともに、関係する領地や国の主張も一緒に覚えなくてはならない。


関係する領地が二つだけならまだ良い。

多くの領地が関わっていたりすると、面倒臭さも指数関数的に跳ね上がる。


複数の歴史書を総括して、結局どういう事件だったのかを解説する歴史書があれば良いのだが、それを編纂へんさんする歴史学者は皆無だ。

この国の貴族たちは気性が激しい。

ちょっと名誉を傷付けられただけでも、気軽に領地間で戦争をしている。

各家が主張する「正史」に反する書物を出版したら、貴族を嘘吐うそつき呼ばわりすることになり、そんな彼らの名誉を傷付けてしまう。

気骨ある歴史学者がそういった本を出版することもたまにはあるが、その全員が命を落としているし、本も回収されてしまっている。


本の内容を頭に書き写すだけなら『速読』の魔法で対応できる。

しかし、把握した歴史書を総括して結局どういう事件だったのかを考えるのは、カタリーナ自身の地頭じあたまを使うしかなかった。


(なんだか、無意味な努力を強いられている気がするわ……)


前世のエルテル王国では、絶対的な権力を持つ中央が歴史書を編纂へんさんした。

歴史の基本を抑えるだけなら、それを学ぶだけで良かった。

そのお手軽さを知るカタリーナとしては、この国の歴史学の勉強は無駄が多く、非効率に思えた。


(でも、この霊宝の話は面白いわね。

つい、調べたくなっちゃうわ)


退屈な歴史書の中にも、カタリーナの興味を引くものはあった。

この世界には、霊宝というものがあるそうだ。

宮廷呪術師が束になっても到底できないような、強力な呪術を使える呪術具らしい。


各国王家は、この霊宝を国宝として所持しているとのことだ。

この国の王家も『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』という霊宝を所持しているらしい。


(でも、解釈は間違っているわね。

ほぼ間違いなく、呪術具ではないわね。これ)


呪術の知識を得たカタリーナとしては、歴史書の霊宝の説明には懐疑的だった。


たとえば『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』は、その剣の一振りで街一つを滅ぼしたと歴史書に書かれている。

だが、呪術は等価交換だ。

それほど大規模なことをするなら、街一つ分以上の生贄いけにえが必要になる。

しかし、どの歴史書を見ても、生贄いけにえに関する記述は無い。


滅ぼされた街が廃墟はいきょとして現存していることや、どの領地の歴史書にも記述があることからして、何らかの手段で街一つを滅ぼしたことは事実だろう。

しかしその手段は、呪術ではないはずだ。

カタリーナはそう考える。


(霊宝を呪術具と誤解しているのは、呪術の対価が何なのかを、ほとんどの人が知らないからでしょうね……)


どの歴史書も、霊宝を誤解している。

世界の誰もが、この矛盾に気付いていない。

そのことからカタリーナは、そう結論付けた。


前世でも、星について知る者は少なかった。

『吸星法』を研究したカタリーナは、それを知る数少ない一人だった。

どうやら、この世界も同様のようだ。


知識が力であることを、魔法使いであるカタリーナはよく理解している。

星についての知識は、迂闊うかつに口外しないことにする。


(いけない。

今日はこの国の歴史について勉強する予定だったのに、つい興味があることばっかり勉強しちゃったわ)


気を取り直して、カタリーナはこの国の歴史書を広げる。






「また、ここにいるのか。随分と勉強熱心だな」


図書館の机に何冊も本を広げてカタリーナがうなっていると、後ろから声を掛けられる。

フィーリップだった。

彼の手には、仕事で使う資料らしきものがある。


(国王なんだから、資料ぐらい臣下に持って来させれば良いのに。

なぜか最近、いつも自分で取りに来るのよね)


最初に会ったのは、フィーリップが自分の趣味の本を借りに来たときだった。

彼は、読書が趣味だった。

そのときは挨拶を交わしただけだった。


それが何度か続くと、それなりに会話もするようになった。

会えばしっかりと会話するようになった頃、彼は仕事で使う資料も自分で取りに来るようになった。


最近は、彼女が机に広げている本の解説をしてくれたりする。

まだ到底、夫婦と言えるほどではない。

だが、それなりに距離は近付いている。

カタリーナはそう感じている。


(でも今は、タイミングが悪いわね……)


カタリーナは気不味きまずく思ってしまう。

机の上に広げられているのは、この国の王族の寿命をまとめた資料だった。


この国の王族は最近、早世する者が多い。

特にフィーリップの祖父の代になってからがひどい。

五十まで生きられた者は一人もいない。


フィーリップもまた祖父母と両親と兄を亡くし、八歳で天涯孤独となっている。

結婚してようやく天涯孤独から抜け出せても、その妻もまた夭折ようせつしている。


「その……すまない。

迷惑を掛けることもあると思うが、でも必ず守ってみせる」


これだけ偶然の死が続くことはあり得ない。

そんなことは誰だって分かる。

この王家は、何者かから狙われている。


国内の貴族なのか、それともこの国が属する連邦国内の別の国なのか。

国内外の情勢について勉強を始めたばかりのカタリーナには、まだ犯人を推測できない。


言葉を濁しながらもフィーリップが謝罪し、守ると言ったのは、その犯人がカタリーナを狙う可能性が高いからだ。


「何も問題はありませんわ。

逆賊は全て討ち滅ぼすつもりですもの。

向こうから現われてくれたら、むしろ好都合ですわ」


フィーリップは目を丸くする。

そして、少し間を置いてから大笑いを始める。


(……驚いたわ。こんな顔で笑うのね)


フィーリップが普段見せる笑顔は、社交という刃の下をくぐるためのよろいだった。

軽やかな銀髪で、抜けるような白い肌で、冷たい美貌の彼の計算された笑顔は、彼のアイスブルーの視線をより一層冷徹なものに見せた。


しかし今、彼がしている大笑いは、普段のものではなかった。

素直な笑顔に冷徹さはなく、若者らしい可愛らしさがあった。


警戒する必要のない表情を見せられてしまうと、カタリーナもまた警戒せずにそれを眺めてしまう。

彼の素の表情を、彼女は素の心で見詰めた。

そうすることでカタリーナには、政治上の交渉相手ではない、フィーリップという一人の男性の輪郭がはっきりと見えた。


政治の世界から抜け出た素の彼を見て、二人で同じ本が読めるほどの至近距離に一人の男性がいることにカタリーナは気付く。

しかも、空気を通じて体温さえ伝わるような間近にいるのは、飛び切りの美貌を持つ男性だ。

間近に男性がいることを唐突に実感し、カタリーナは焦りのような感情を覚える。


「君は、勇ましいな。

ありがとう。心強い味方ができた気分だ。

実に気分が良い」


優しげにカタリーナへと向ける彼のアイスブルーの瞳もまた、仕事で見せる氷河のような冷たさではなかった。

青空のような晴れやかさだった。

その至近距離の眼差しもまた、カタリーナを動揺させる。


「さ……差し当たっては、有力貴族家と取り結んだ一方的不可侵条約ですわね。

まずはそれを撤廃しますわ」


「気持ちは嬉しいが、無理をする必要は無い。

ハッツフェルト家の駒にならないだけでも十分な貢献だ」


そう言うフィーリップの目は酷く優しげだ。


(わたくしには、全く期待していないのね……。

そうよね……『ハッツフェルトの愚女』ですもの……。

まあ、警戒心が薄れただけでも今は十分な成果ね)


以前よりずっと近い関係になり、フィーリップは素の笑顔も見せるようになった。

カタリーナはそれで満足することにした。


二桁の足し算さえ怪しかった女が、最近ようやく引き籠もりを止めて部屋の外に出るようになったのだ。

そんな女が社交界に出るなり、百戦錬磨の老獪ろうかいな貴族たちを相手に彼らを上回る計略で大活躍を見せる、なんて誰も考えない。

しかし、たとえ能力不相応な高望みであったとしても、愚女なりにフィーリップを助けようとするその意気込みは、フィーリップの心をますます温かいものにしていた。


話題を変えるために、カタリーナは別の歴史書を広げる。

フィーリップもその意図に気付き、カタリーナにその事件の解説してくれる。

既に教養の勉強を終えているフィーリップからしてみれば、複数の歴史書の総括は一度通った道だ。

カタリーナには難解なことを、彼はすらすらと教えてくれた。


(分かりやすいわ。

さすが王族、とても優秀ね)


彼の教養の高さを見て、カタリーナはフィーリップの評価を上方修正した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る