第2話 猛悪の大魔女

宮廷呪術師たちによって鏡の調査が行われた。

カタリーナがは、鏡の機能を把握するには十分だった。

分解して調査するまでもなく、証言に従った検証だけで呪術具であることが確認できた。


特定の質問をすると、精神支配の呪術が発動する仕掛けだった。

――鏡よ鏡。壁の鏡。この世で一番美しいのは誰?――

その質問が呪術発動のキーワードだった。


洗脳の効果は、それほど長く続かない。

三日もすれば効果を失ってしまう。

だから侍女たちは、毎日カタリーナに問い掛けをさせていた。


三日で洗脳の効果は無くなるが、呪術の残滓ざんしは長く残る。

大事だいじを取って一週間ほど安静にし、その後も医師が許可するまで無理はしないように、とカタリーナは言われた。


(ようやく、部屋から出られるわ!

退屈な引き籠もり生活も、これで終わりよ!)


今日で、その安静にしていなくてはならない一週間が終わる。

カタリーナはこの日を心待ちにしていた。

ずは、フィーリップのもとへと向かうことにする。




「礼を言いたいのはこちらの方だ。

おかげで政治的にかなり有利になった」


フィーリップの執務室をまた訪れたカタリーナは、助けてくれた礼を言った。

それで返って来たのがこの言葉だ。

冷涼な美貌は相変わらずだが、カタリーナに向ける眼差しは前回訪問時よりも大分優しい。


侍女たちはハッツフェルト家の者たちで、鏡もまたハッツフェルト家から持ち込まれたものだ。

おかげでフィーリップは、ハッツフェルト家に責任追及することができた。

当主であるハッツフェルト侯爵を、宰相職から降ろすことができたのだ。

露骨に王家を乗っ取ろうとするハッツフェルト侯爵は、フィーリップとしても頭痛の種だった。

フィーリップの言う「政治的にかなり有利になった」は、そういう意味だ。


「新しい侍女はハッツフェルト家が用意するが、少し時間が掛かるようだ。

不便を掛けてすまない」


「新しい侍女ですが、陛下にご用意をお願いできませんか?」


「なに?」


(やっぱり、驚いているわね)


王家に侍女を用意させるということは、王家の監視の目を側に置くということだ。

カタリーナの行動は筒抜けになってしまう。


加えて、ハッツフェルト家が派遣しようとしている侍女を断るなら、家と距離を置くことになってしまう。

後ろ盾である生家と距離を置くのは、自身の足場を崩すことに等しい。


どちらも、王宮では致命的だ。

だが致命的なのは、カタリーナがハッツフェルト家の一員としての立場を崩さない場合の話だ。

王家の陣営に移籍するなら、大した問題にはならない。


現状、カタリーナが味方に付けられる勢力は限られている。

しかし、身を寄せる勢力をゆっくり吟味している時間は無い。


『真実の鏡』は、王家が贈ったものではなかった。

ハッツフェルト家が独自に調達したものだった。


従順な愚女を、さらに呪術具により洗脳していたのだ。

カタリーナでさえ絶対しないようなことを、これからさせる計画があったのは間違いない。

このままハッツフェルト家の一員でいるなら、いずれとんでもないことをさせられて、捨て駒として使い潰される羽目になってしまう。


カタリーナは、そうなる前に家と距離を置くつもりだった。

離脱後に身を寄せる先としては、夫である王を選ぶのが現段階では最善だった。


「もちろん構わないが……君はそれで良いのか?

周囲からは、私のがわに立ったと見られることになるぞ?

言いたくはないが、今の王家は……味方したところで利はあまり無いと思う」


(王としての資質は十分ね)


カタリーナは感心した。

フィーリップとしては、自分の立場を有利にする提案だ。

それなのにフィーリップはすぐには飛び付かず、カタリーナに確認を取っている。

『ハッツフェルトの愚女』にも分かるように説明を添えて。

愚女の無知を利用するようなことを、彼はしなかった。


王宮政治はきつねたぬきの化かし合いだが、表面的には誠実に見える必要がある。

政治とは、数度で終わる取引関係ではない。

引退まで数十年続く長丁場だ。


露骨に不誠実な行いをすると、そのつけは後々まで尾を引いてしまう。

その点、フィーリップの対応は及第点だった。


今の王家は、フィーリップの言うように風前の灯火ともしびだ。

前王が早世したため、幼くしてフィーリップが王位に就いた。

当時、フィーリップの母親である王太后もまた病床にあり、先は長くないとされていた。


両親を早くに亡くし、頼れる味方もいない幼い王が政権を維持するため、王家はいくつかの有力貴族家と協定を取り結んだ。

それら有力家に対して、王家は何があっても武力行使をしない、という協定だ。


武力制裁の心配が失くなったことで、有力家は好き放題に王家を侵食し始めた。

このまま行けば、そう遠くないうちにこの政権は倒れる。

王権が崩壊した場合、王家の側に立つなら命まで失うことになる。


王家に味方しても利が無いというのは、そういう意味だ。

ここで王家の側に立つのは、沈み掛けた船に今更ながら乗り込むのに等しい。


(問題ないわ。

わたくしは、この国を立て直すつもりだもの)


前世のカタリーナは、女王として献身的に国を支えてきた。

そんな彼女としては、この国の腐敗ぶりは我慢ならないものだった。

だからカタリーナは、政権を立て直して腐敗貴族を一掃するつもりだった。


「ええ。構いませんわ。

わたくしは、ハッツフェルト家ではなく陛下のがわに立とうと思いますの」


にっこりと笑うカタリーナは、心では別のことを考えていた。


(わたくしが立て直したいのは、王家ではなくこの国の秩序なのよね。

もし陛下もまた腐敗の原因の一つなら……この人も取り除いてしまうわ)


いくつもの有力貴族家から利権を取り上げる国家の大手術だ。

当然、命懸けの戦いになる。

しかし、カタリーナに躊躇ためらいはなかった。


まつりごとは、命懸けでするものですもの。

命を惜しんでは、王族なんてできないわ)


何も考えてなさそうな、にこにこと笑う顔の下で、そんな勇猛な考えをしていた。


「ありがとう。

では、そのように手配しよう」


礼を言うフィーリップは笑顔だが、その目は笑っていない。

やいばのような鋭さで、注意深くカタリーナの様子を探っている。


(何かの策略かもしれないって、疑っているのね?

それで良いわ。

その程度の慎重ささえ無いなら、国王なんて務まらないもの)


探るような視線は、不快ではなかった。

ビジネスパートナーとして安心できる懐疑心だった。


「それから、侍女たちの処刑をわたくしにお任せ頂きたいですわ」


「すまないが、処刑はできない。

ハッツフェルト家との関係が悪化し過ぎてしまう。

あの家から身元引受人が来たら引き渡す予定だ」


「それは、陛下が処刑された場合のお話でしょう?

わたくしが直々に処刑するなら問題はありませんわ。

実の娘の不始末ですもの。ハッツフェルト家が抗議などできるはずがありませんわ。

わたくしっての希望であることの証拠として、署名付きの嘆願書もご用意しますわ」


「……あの者たちは、君が幼い頃からずっと仕えて来た者たちではないのか?」


「ええ。ずっと虐待されていましたの」


カタリーナは、幼くして母を亡くしている。

その喪が明けてすぐ、父親は今の侯爵夫人と結婚した。

その継母がカタリーナに付けたのが、あの侍女たちだ。

侯爵夫人の顔色だけをうかがい、これまでずっとカタリーナを虐げて来た。


「なるほどな。積年の恨みを晴らしたいのか」


「恨みがあるのも事実ですが、別に報復のために殺すわけではありませんわ。

まつりごとには、私情を差し挟むべきではありませんもの。

あの者たちを処刑するのは、その必要があるからですわ」


「必要がある?」


「ええ。王妃の洗脳なんて、本来なら斬首は免れない重罪ですわ。

その道理を曲げたのは、わたくしの父、ハッツフェルト侯爵の権力です。

国政を預かる王家の者として、権力による紀律の歪曲は最小限に抑制するべきだと思いますの。

特に、あの者たちが犯したのは、不敬ではなく不忠です。

国を揺るがす元凶となるものは不忠だって、わたくしは思いますわ。

ここは、恩赦を与えるべき場面ではありません」


フィーリップは呆気あっけに取られた顔で、まじまじとカタリーナに目を向ける。


「……驚いたな。

政治に携わる者としての、しっかりとした信念を持っているのだな」


「お褒め頂き光栄ですわ」


「それに、恩赦という言葉も知っているのだな。

政治の勉強もしているようだ」


「……」


カタリーナの笑顔は、引きってしまう。


(そのレベルだと思っているのね……)


確かに、少し前までは知らない言葉だった。

それどころか、国王や王妃の仕事内容さえ知らなかった。

「とっても偉い人」程度の認識しかなかった。


人の印象は、すぐに変わるものではない。

前世の記憶を思い出し、最近は猛烈な勢いで本を読むカタリーナだが、周囲の評価はいまだに『ハッツフェルトの愚女』だった。



◆◆◆◆◆◆



「あなたは! 自分が何をしたか分かっているのですか!?」


「旦那様に知られたら、ただじゃすみませんよ!?」


「そうです! 旦那様はきっとお怒りです!

良いんですか!? 旦那様はもちろん、ご家族全員に嫌われてしまいますよ!?」


「今すぐ、私たちの助命を陛下にお願いしなさい!

すぐに陛下のところに行って、平身低頭お願いするんですよ!」


カタリーナがろうに行くと、投獄されている侍女たちが騒ぎ出す。

鉄格子の向こうの侍女たちは、牢の壁から生えている鎖に左手首がつながれている。

壁と手首を繋ぐ鎖はそれほど長くないので、鉄格子のところまでは来られない。

それでも、その鎖をぴんと張らせてカタリーナに迫り、目を血走らせて怒鳴り声を上げる。


鏡の洗脳が解けたことは、侍女たちも知っている。

それでもこんな態度なのは、カタリーナの扱いが昔からこんなものだったからだ。


幼くして母を亡くしたカタリーナは、家族の愛に飢えていた。

愛されようと懸命に、無意味な努力を続けて来た。


侍女たちには、侯爵夫人の息が掛かっている。

彼女たちから侯爵夫人に悪く報告されることを恐れ、どんな扱いを受けてもずっと耐えてきた。


(馬鹿だったわ。

あんな屑共くずどもに愛されようと思って、必死で努力するなんて)


過去の自分を振り返って、その愚かさを自嘲する。


カタリーナは、前世の記憶を取り戻した。

愛情いっぱいに育ててくれた前世の両親のことも想い出している。

敬愛して止まない優しい両親の記憶があるからこそ、今の両親の最低ぶりが鮮烈な対比としてよく理解できる。

カタリーナはもう、彼らの愛情を求める気にはならなかった。


衛兵に牢の鍵を開けさせ、カタリーナは牢の中に入る。


「ふふふ。あなたたちがくずで本当に良かったわ。

だって、心が痛まないもの。

羽虫を踏み潰すみたいに気軽にできそうね」


そうつぶやいてカタリーナはわらう。

楽しそうな顔のカタリーナが侍女の一人の頭をつかむと、侍女の頭上に複雑な模様の光が浮かぶ。


頭を掴まれた侍女は悲鳴を上げるが、そう長くは叫んでいられなかった。

二、三秒もすると悲鳴は止み、侍女は見る見るうちにしわだらけになり、三十代後半の侍女が老婆になってしまう。

それを見て、他の侍女たちは絶叫する。


今世では、魔法の修練を行っていない。

この体には、魔力をめる器が作られていない。

器が無いために魔力がほとんどなく、魔法使いとしては何もできないに等しい。


前世でしていたように巨大な力を振るうには、まずは魔力の器を作ってそれを大きくし、それからそこに魔力を溜める必要がある。

魔力の器の生成と拡張は、一朝一夕でできるものではない。

長期間にわたって厳しい修練をしなくてはならない。


しかし、正攻法にらないなら一瞬で終わらせる方法もある。

それがこの『吸星法』という外法だ。

星、つまり人の運命を吸収し、そのエネルギーを利用して器を生成・拡張するのだ。


運命が尽きれば、命も尽きる。

細胞の一つ一つに至るまでの全ての運命を吸い取れられたなら、老人のようになって死んでしまう。


「いやああああ!!! 呪術よおおおおお!!!」

「あら? これは呪術ではなく魔法よ?」


「なんですか!? その禍々しい術は!? 今すぐそんなことは止めなさい!! 神々は許しませんよ!?」

法ですもの。魔の道のわざなんだから、禍々しいものが多くて当然でしょう?」


「こんなことをして!! 地獄に! 地獄に堕ちますよ!?」

「そうね。ハッツフェルト家での生活は、本当に地獄だったわ。またそうなるかしら?」


いかにも女王らしい、寒気がするほど優雅な微笑ほほえみを浮かべ、カタリーナは泣きわめく侍女たちと楽しげに会話を交わす。

茶飲み話をしているかのような軽い口調で会話に応じ、全員から星を吸い取る。


人のいのちは尊い。

これは魔法でも言われることだ。

人に宿るいのちは、宿命と呼ばれるものであり、人の運命を指し、つまり星のことだ。

命という尊いエネルギーは、万能に近い。

それを用いるなら、あっという間に魔力の器を形成し拡張できる。


『吸星法』はわずかな魔力でも扱える。

少ない魔力で発動させたら吸収に時間が掛かる、というだけのことだ。

だから、今のカタリーナでも扱えた。


少ない魔力でも使うことはできるこの外法だが、難易度は極めて高い。

数千年に及ぶ前世の歴史の中でも、この外法を扱えた者は片手で数えられるほどだ。


この外法を使える数少ない一人だったからこそ、前世のカタリーナは『猛悪の大魔女』と呼ばれることになった。

万能のエネルギーである星はまた、魔力に変換することもできる。

尊いエネルギーを変換したなら、得られる魔力は莫大ばくだいなものになる。


普通の魔法使いなら、魔力が尽きれば魔法は使えなくなる。

再び魔法を使うためには、調息して魔力を集めなくてはならない。


しかし戦場でのカタリーナは、敵兵から星を吸い取ることで、調息することなく大魔法を連発できた。

敵国からすれば、自国の兵士の命を吸い取り、それを糧に自国を蹂躙じゅうりんする前世のカタリーナは、悪辣あくらつなことこの上ない存在だった。


「あら? どうしたのかしら?」


カタリーナが牢から出ても、騎士は扉を閉めなかった。

青褪あおざめた戦慄せんりつの表情で、呆然とカタリーナを見詰めていた。

そんな彼に、カタリーナは優雅な笑顔で話し掛ける。


「い、いえ!

その……何も、王妃殿下が御自おんみずから手を汚されることはないと思いまして」


そんなことを考えて、カタリーナを呆然と見詰めていたわけではないだろう。

得体の知れない方法で嗤いながら人を殺したカタリーナが恐ろしくて、警戒心から目が離せなかったのだろう。


カタリーナはそう思うが、それを指摘したりはしない。

不敬な視線を向けてしまったことを誤魔化ごまかそうとする彼に、だまされてあげることにする。


「気遣ってくれたのね? ありがとう。

でもね、たとえ名君とうたわれる偉大な王だって、為政者の手は必ず血にまみれるものよ。

わたくしの手が汚れることを、気にする必要なんてないわ」


民を思う心優しい君主だって、殺人鬼や侵略者にまで優しいわけではない。

国を護るという巨大な責任を背負う以上、民をおびやかす者たちには厳正に対処しなくてはならない。

自らの手が汚れることを嫌い、自分一人だけ血生臭い場所から遠ざかろうとする者には、玉座に座り民の命を預かる資格は無い。

カタリーナはそう考えていた。


(ふう。前世の水準にはまだまだ届かないけれど、それなりに戦える程度には器も拡張できたわ)


侍女を処刑したのは、国家の紀律を正すためだ。

しかし兵士の手を借りず自ら処刑することにしたのは、魔力の器の生成と拡張のためだ。

国を建て直すためには、魔法使いとして急成長する必要があった。

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