第9話 王と王女の関係

「問題のある教育とは思えないがな。

ここは王宮だ。

父親を含め誰も信用するな、というのは当然習うべきことだ」


フィーリップの執務室で、ゼッキンゲン夫人の問題点についてカタリーナは報告した。

フィーリップの見解は、予想よりずっと酷いものだった。


(まさか、問題とさえ思っていないなんて……)


問題はあるが、ゼッキンゲン侯爵家を王女教育から排除するには弱い。

カタリーナはそんな言葉を予想していた。


「夫人のおかげで、王女はかなりの好成績を維持できている。

更迭する必要はないと思う」


言葉を失ってしまったカタリーナに、フィーリップはそう付け加える。


(やっぱり、この人が関心を持っているのは成績だけなのね……)


フィーリップとマルガレーテの関係は、父と子のものではない。

王と王女の関係だ。

だから、王女としての資質を示す成績にしか興味が行かないのだ。

カタリーナは、そう思う。


(これは、骨が折れそうね)


だがカタリーナは、引き下がるつもりはなかった。


今世での少女時代、カタリーナはときどき夢想していた。

ある日突然、みじめな自分の境遇を誰かが劇的に改善してくれることを。


カタリーナには、そんなヒーローは現れなかった。

現実の当然の残酷さを知っているからこそ、マルガレーテにはそれを経験してほしくはなかった。




「分かった。

君の言う通りにして良い。

ただし条件がある。

ハッツフェルト家を頼らずに、新任の教師を見付けることだ。

ハッツフェルト家の息の掛かった者に任せるぐらいなら、まだゼッキンゲン夫人の方が良い」


しつこく食い下がるカタリーナに、フィーリップは折れた。


「ありがとう存じます。

それなら問題ありませんわ」


「問題がない?

ハッツフェルト家を頼るなら話は別だが、おそらく夫人を解任しても後任は見付からないぞ。

新任教師探しを、ゼッキンゲン家は全力で妨害するだろうからな。

どうするつもりだ?」


「しばらくは、わたくしが王女殿下の教師をしますわ。

教師探しは、王権をもう少し強化してから始めることにしようと思います」


「なに? 君がするのか?」


フィーリップは驚く。

この国の歴史を紐解ひもといても、王妃自らが王女の教師をするのは前例がない。

それに、何と言ってもカタリーナは愚女や愚王妃など知能に難があることを示す渾名あだなの持ち主だ。

本当にできるのかと、フィーリップは教養に関する質問をしてみる。

予想に反して、カタリーナは教養の高さを示す高度な内容の回答を返す。

そうした話し合いの末、フィーリップはカタリーナの言い分を全面的に認めた。

教師はカタリーナがすることになり、マルガレーテの教育はカタリーナの専権事項となった。


カタリーナが教師を担当するのは、政治的にも利のある話だった。

ゼッキンゲン侯爵家もまたハッツフェルト侯爵家と同じく、不可侵条約を盾に王国を食い物にする家だ。

一人でも多くの関係者を王宮要職から追い出したい、というのが王家の本音だ。


そういう政治的側面で説得すると、フィーリップは途端に物分かりが良くなる。

一方で、娘の教育という観点では全く話が通じない。

そんなフィーリップに、カタリーナは落胆してしまう。


「陛下。もう少し父親としての義務を果たして下さいませ」


そんな彼の考えを変えようと、カタリーナは諫言かんげんする。


「なんだと?

父親としての義務を私が果たしていない、と君は言うのか?

マルガレーテには十分な教育を受けさせているし必要な物は全て買い与えている。

この私のどこが、義務を果たしていないというのだ?」


「それは父親としての義務ではありませんわ。

保護者としての義務です。

王女宮に予算を割り当てるだけなら、財務大臣にだってできます。

父親であるなら、もう少し王女殿下に愛情を注いで下さいませ」


「それは違う。

王家の親子とは、そういうものだ」


しばらく話し合いをしてみて、カタリーナは一度引き下がることにした。

この面でフィーリップを変えるのは、どうやら根気が要るようだ。




フィーリップの執務室を後にしたカタリーナは、廊下を歩きながら考えてしまう。

彼は性格も穏やかで、面倒見が良く、そう簡単には裏切らないだけの誠実さもある。

共に政局を乗り切るパートナーとしては理想的だ。


だが父親としては、同じ家庭で過ごす家族としては全く駄目だ。

政治的なパートナーとしての期待が大きかっただけに、実際に家庭人としての大問題を直視させられると失望も大きい。


「王妃殿下。少しお話をよろしいですか?」


フィーリップの執務室から追い掛けて来た、眼鏡の若い補佐官に声を掛けられる。

オットマー補佐官だ。


「陛下に失望されたのは分かります。

ですが、少し長い目で見て頂きたいのです。

陛下が置かれた環境が少し特殊なのです」


オットマーが言うには、フィーリップの教師だったエルマイザー伯爵夫人もまた、ゼッキンゲン夫人のような教育を彼に施していたそうだ。

自分が乗り越えた教育なので、問題意識も低いのだとオットマーは言う。


「そういう教育を受けましたが、陛下はエルマイザー夫人のことも信用しませんでした。

『決して弱みを見せないように』と、お母上である王太后殿下が生前に繰り返しおっしゃっていたからです」


亡くなった母親の言葉を、幼い王は頑なに守った。

エルマイザー夫人は、フィーリップからの信頼は得られなかった。


「エルマイザー夫人は、あなたのお母様よね?

なぜお母様のことを、そうやって悪く話すのかしら?」


オットマー補佐官の名はオットマー・エルマイザーだ。

公式な会話として話すなら、自分の母親をエルマイザー夫人と呼ぶのはおかしくない。

だが、実の母親が王の精神的支配を目論んだという不名誉な事実を、あっさりと認めてしまったのはおかしい。


「有名な話ですから。

今更隠しても意味はありませんし」


そう言ってオットマー補佐官は笑う。

前世では王宮政治の世界に長年いたカタリーナには分かる。

その笑顔には深い陰りがあった。


エルマイザー夫人がフィーリップの乳母兼教師となったのは、ボールシャイト侯爵家の指示によるものだと言われている。

息の掛かった貴族を王の師とすることで大きな権勢を振るうはずだったボールシャイト家だが、その思惑が外れた。

当時のボールシャイト家の怒りは相当なもので、エルマイザー伯爵家はその怒りにさらされたという。

エルマイザー夫人の最期も、憤死だったといううわさだ。

実際の死因などは、カタリーナには分からない。

しかし、ボールシャイト家からの制裁が相当屈辱的なものだったことは、オットマーの笑顔から分かる。


(オットマー補佐官が王家に付いたのは、もちろん陛下の乳兄弟だからというのもあるんでしょうけれど、それだけではないわね。

ボールシャイト家への復讐のために、不利な王家に敢えて付いたんでしょうね)


笑顔ににじむ憎悪から、カタリーナはそう推測する。


「王女殿下に対する態度も、王太后殿下の生前のお言葉が原因なんです。

誰かに信頼を置くことも、誰かを大切に思うことも、弱点を作ることになります。

そうやって弱みを作ることも、王太后殿下は厳しく戒めていたんです」


(王女殿下と距離を置いていたのは、お母様の教えだったのね……)


前世では、自分も女王だった。

だが自分は、革命により玉座に座った成り上がり者であり、元は伯爵家の令嬢だ。

対してフィーリップは、幼い頃から王として育てられた。

生粋の王が受けた教育は、自分が受けたそれとは全く違うものだった。


価値観が大きく違うのは、そのせいだろう。

カタリーナはそう思った。


「陛下は別に、冷たい方っていうわけじゃないんです。

どうか、陛下を見捨てないようお願いします」


そう言って頭を下げるオットマーの緊迫した表情を見て気付く。

フィーリップに愛想を尽かして、カタリーナがまたハッツフェルト家の陣営に戻ってしまうかもしれないことを彼は恐れている。

慌てて追い掛けて来たのは、そのためだった。


ハッツフェルト家で虐待を受けていたことを、元の陣営に戻るなどあり得ないことを、彼は知らない。

だからそんな心配をする。

カタリーナの悲惨な過去を、フィーリップは側近にさえ話していなかった。


(陛下は口も堅いのね。

本当に、政治上のパートナーとしては申し分ないのよね……)



◆◆◆



「うわ~。最低男ね。

そんな旦那、絶対に嫌だわ」


エミーリエのその言葉に、カタリーナは思わず大笑いしてしまう。

自室に戻ってから彼女にフィーリップとの遣り取りについて説明をした。

返って来た感想がこれだった。


たとえ本人がいない場でも、王宮内で国王を最低男と言い切ってしまうのは、エミーリエだけだろう。

前世では平等な社会で暮らしていたらしい彼女は、身分社会であるこの国の人たちとはまた違った感性を持っている。


これが、フィーリップが派遣してくれた他の侍女たちだったなら、フィーリップ寄りの自分の立場を踏まえた言葉を選ぶだろう。

この少女の発言には、宮廷人が当たり前にする政治的配慮というものがない。


(とても面白いわ。

話し相手には最高ね)


そんな人物は、隷属の術で情報漏洩禁止の制約が課されている。

だからつい、気兼ねなく愚痴を零してしまう。


彼女に掛けられている隷属魔法だが、話し合いによって解かないことになった。


『最初はショックだったけどさ。

冷静に考えたら、大した問題じゃなかったんだよね。

殺人禁止なんて、禁止されるまでもなく絶対やらないし。

情報漏洩禁止だって、仕事で守秘義務負うなんて当たり前だしね。

前世でだって、仕事で読んだ企業間の契約書の内容漏らしたりなんかしたら、巨額賠償コースだったよ?』


隷属魔法の解除についてカタリーナが話を持ち掛けたとき、エミーリエはそう言った。

カタリーナにとっては強力な手札の一枚を失うことになる王族の殺害禁止も、エミーリエにとっては何一つ困ることがない制約だった。

カタリーナが話を持ち掛けたとき、彼女は逆に交渉を持ち掛けた。


追加で制約を課す場合は、事前にエミーリエの同意を得ること。

問題を起こさない限り、六十五歳まで雇用すること。

出産や育児での休暇を認めること。

その交渉の結果、この三つを条件に隷属魔法は継続されることになった。


『やっぱり、大金より定年までいられる超好待遇・超高収入の職場でしょ?

私、まだ十六歳だよ?

二十年や三十年遊んで暮らせるお金じゃ足りないし、働き盛りなのに無職なんて絶対嫌だし』


隷属魔法を継続させるなら、大金で裏切りを持ち掛けられてもその話に乗ることはできなくなる。

本当にそれで良いのかとカタリーナが確認を取ったら、エミーリエはそう言った。

裏切るつもりは毛頭ないようだ。


「でも、王女様の侍女たちも王女様と距離置いてるのは、ちょっと意外だったな。

孤独なお姫様が唯一信頼するのがずっと仕えてくれてる侍女、ていうのが物語の定番なのに」


「そんな物語は読んだことがないわね……。

わたくしから見たら、前世でも今世でもそれはかなり非現実的なお話ね。

職務の範囲を超えて親しくなったら、王女殿下の派閥ということになってしまうわ。

親しくしたくても、できないのが普通だと思うわ」


「え? 意味が分かんない。

何で、できないの?」


「将来わたくしと王女殿下が対立したら、わたくしは何をすると思う?

普通なら、まずは王女殿下の派閥を弱体化させることでしょうね。

つまり、派閥の人たちを一人一人潰していくことになるの。

それが定石よ。

王女殿下の派閥に入ってしまったら、将来はわたくしの標的になってしまう可能性が高いって侍女たちは思っているのよ」


「あ。なるほど。保身のためか」


「……そうね。

聞こえは悪いけれど、保身と言えば保身ね。

でもね。

彼女たちにだって家族がいて、守りたい大切な人たちがいるのよ。

わたくしと対立して家が没落したら、その人たちまで巻き添えになってしまうわ。

王女殿下をあわれには思っても、お仕事の枠を越えて親しくはできないのよ」


「そっか。そうだよね。

誰だって自分の家族が一番大事だいじよね」


「でもね。

侍女たちが必要以上に近付かないのは、将来わたくしと王女殿下が高確率で対立するって思っているからなの。

対立する可能性が低いと分かったら、親しくなろうとするはずだわ。

王女殿下と親しいことは、大きな利益になるもの」


「ああ。だからか。

王妃様ってなんか、王女様と急いで親しくなろうって焦ってる感じだったんだよね。

あれって、王女様の周りの人たちの警戒解くために、仲良しアピールしてたんだね?」


(何も考えていないようで、意外に鋭いわね)


エミーリエの推測通りだった。

カタリーナがマルガレーテとの関係改善を急いでいるのは、それが彼女の孤独を解消する近道だからだった。


「というわけで、これから王女殿下の教育はわたくしが担当することになったの。

また知恵を借りることもあると思うけれど、よろしくね?」


「私で良ければ、いくらでも相談に乗るよ?」

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