第13話 豊穣祭 後編

(ところで、あれは呪術具よね……)


呪術を警戒して魔眼系の魔法をずっと使っていたカタリーナには、それが見えた。

非難の大合唱にさらされたハッツフェルト夫人は、その対応に苦慮しながらも、ちらちらと怒りの目でカタリーナをにらみ付ける。

彼女のドレスの膨らんだスカート部分には隠しポケットがあるようで、そこに呪術具のような物がある。


ハッツフェルト夫人のスカートにある呪力が宿る物は、竹筒のような物が二本だ。

一本は十分に呪力が籠もっていて、おそらく未使用だ。

もう一本に宿る呪力はわずかで、おそらく使用済みだ。


(あれって、管狐くだぎつねの竹筒よね?

一本は、何に使ったのかしら……)


竹筒を使う呪術と言えば、管狐くだぎつねの術が有名だ。

この術は、竹筒に管狐くだぎつねを込めるときには大きな呪力を必要とするが、竹筒の封を破って管狐くだぎつねを使役するときは呪力を必要としない。

呪術師に竹筒を作らせてしまえば、自分の呪力を消費することなく術を行使できるのだ。

呪術師に依頼する金さえあれば術を使っても不運にはならず、貴族が好んでこれを使う。


もっとも、自分で呪力を込めない場合は制限もある。

その方法で管狐くだぎつねにさせることができるのは、呪力を込めた際に命じたことだけだ。

呪術師のように、竹筒から出した管狐くだぎつねを意のままに操ることはできない。


(自分で呪力を込めるはずなんてないから、計画通りの使い方をしたんでしょうけれど、何をするために使ったのかしら……)


カタリーナが考え込んでいると、がしゃんという音がしていくつもの悲鳴が上がる。

悲鳴を上げた夫人たちの視線の先には、倒れた木箱があった。

『豊穣祈念の宝器』と、収められた物がどれだけ重要なのかを知らせる文字が彫られた木箱は、置かれた台座が壊れて床に倒れてしまっていた。

倒れたときに聞こえた音は、明らかに陶磁器が割れた音だった。


『豊穣祈念の宝器』とは、豊穣祭で使われるかめだ。

遠い国でしか作れない貴重な白磁のかめであり、大昔にこの国の王がわざわざその遠い国の職人に特注で作らせた。

霊宝のように、特殊な効果を持つわけではない。

しかしこの国で唯一、王家の紋章が入った白磁であり、王家に代々伝わる宝物だ。


「まあ!

なんということでしょう!

大変なことになりましたわ!」


ハッツフェルト夫人は大袈裟に驚いて、非難の集中砲火から逃れる。

威勢良く非難の大合唱をしていたコルウィッツ夫人たちも、宝器の箱が倒れているのを見て驚愕きょうがくで固まってしまっている。


会場が大騒ぎする中、カタリーナは動揺している様子もなかった。

笑顔でつかつかと倒れた箱まで行き、腰を落として壊れた木製の台座を観察する。


四脚の台座の足のうちの一本は、中身の木がくり抜かれ、そこにろうが詰められていた。

くり抜いたときの口からは、けたろうが漏れ出している。

その足のすぐ横には、台座で隠れるように懐炉かいろが置かれていた。

懐炉の熱で蝋がけてしまい、表面しか残っていない木材だけでは台を支えきれなかったようだ。


懐炉とは、細かい穴がいくつも空けられた金属製の容器であり、中に炭を入れて使う携帯用の暖房器具だ。

カタリーナが触れてみると、懐炉とは思えないほど熱い。

懐炉では使わない高温の炭を使っているのか、断熱材として炭と一緒に入れる軽石が極端に少ないのか、いずれにせよ高温になる工夫をしているようだ。


カタリーナの魔眼には、ハッツフェルト夫人の竹筒の一本が呪力を失ったのが見えていた。

台座中央に置かれていた懐炉をろうが詰め込まれた足に寄せるために、夫人は管狐くだぎつねを使っていた。


(わたくしを家に監禁できるなら、ハッツフェルト家の犯行だって気付かれても構わないのね。

そんなに、霊宝が欲しいのね……)


呪術を使えば、その残滓ざんしは残ってしまう。

管狐くだぎつねを使って懐炉を移動させれば、管狐くだぎつねが触ったそれにも残る。

隠しポケットの竹筒が見付かってしまえば、ハッツフェルト家による犯行だと王家に気付かれてしまう。

政治的に大きな損失だが、その損を被ることになってもカタリーナの持つ霊宝を手に入れたいのだ。


「王妃殿下、これは大問題ですわよ!?

豊穣祭に必用な宝器を割ってしまうなんて!

これでは祭事もできませんわ!」


貴婦人たちの輪から抜け出してカタリーナに詰め寄ったハッツフェルト夫人は、深刻そうな顔で言う。

その目には、愉悦が浮かんでいる。


「皆様、お騒がせして申し訳ありません。

どうやら、娘の教育が行き届いていなかったようですわ。

娘は一度家に連れ帰って、再教育したいと思います」


嬉しさを隠しきれないハッツフェルト夫人は、そう言って貴婦人たちに深々と礼を執る。

してやられたという顔を、コルウィッツ夫人たちはしている。


国宝のかめが壊れてしまい祭事が執り行えなくなったなら、総責任者である王妃は当然責任を問われる。

王妃を育てた家として、カタリーナを一時預かって謹慎させ、再教育により更生に力を貸す、というのは言い分として筋が通ってしまう。


「何も問題ありませんわ」


そう言うハッツフェルト夫人の横のカタリーナは、相変わらずのにこにこ顔だった。


「あなたは本当に、愚かねえ。

いいこと? これは大問題なのよ?」


蔑むような目をカタリーナに向け、何も分かっていない子供に諭すような物言いのハッツフェルト夫人だが、カタリーナはその会話に付き合わない。

横倒しの木箱のひもを解き始める。

深い上蓋に浅い身の木箱を開け、上蓋を持ち上げて中身を乱雑に絨毯じゅうたんの上へと落とす。

出てきたかめは、やはりもう割れていた。


「まあ! 宝器のかめに似ていますけれど、宝器ではありませんわ!」

「あら! 本当ですわ! 色合いが全然違いますわ!」

「それに、王家の紋章もありませんわよ!?」


宝器のかめは、この国では滅多に見られない白磁で、その素地は透けるような硬質の白さだ。

しかし箱から出てきたかめは、温かみのあるクリーム色をしている。

黄土色の陶器を白く色付けしたものなのが、割れた断面とその質感から分かる。

王家の紋章もない。

宝器に似せて作られてはいるが、宝器とは完全な別物だった。


「ど、ど、どういうことですのっ!!?」


ハッツフェルト夫人はカタリーナをにらみ付け、ヒステリックに尋ねる。


「宝器をずっと会場に置いておくと、今みたいに事故が起こるかもしれないでしょう?

そういったことがないように、今年から宝器を会場に入れるのは祭事を始める直前に変えましたの」


「だったらなんで! そんな物をそこに置いていたんですの!?」


ハッツフェルト夫人は壊れたかめを指差して怒鳴る。


「ここに何もないのも、豊穣祭での社交の場らしさがなくて寂しいでしょう?

ですから、似たような物で会場を飾って、雰囲気にも気を遣いましたの」


頭に血を上らせてカタリーナを怒鳴り付けるハッツフェルト夫人とは対照的に、周囲の夫人たちは笑い出す。

勝利の笑顔を見せた直後に取り乱す、そんなハッツフェルト夫人の間抜けさが面白かったのだろう。


笑い声に囲まれて、ハッツフェルト夫人もカタリーナへの八つ当たりを止める。

ただ無言でカタリーナをにらみ付け、怒りで震えて歯軋はぎしりをする。


「王妃殿下。お時間です」


宮廷呪術師がカタリーナの許へ来て、祭事の開始時刻であることを伝える。

ここに来る直前まで、彼は王宮敷地内にある高精度の日時計でときを測っていた。


豊穣祭は冬至から翌年の冬至までの期間の三分の一の日、つまり穀雨の日に行われる。

開始時間も毎年違い、星辰せいしん術の得意な呪術師たちによって決められる。


この国には高精度の時計がごくわずかしかなく、人々が正確な時間を知ることは難しい。

このため、式典の開始十分前に会場に入るということもできず、開始時刻が決まっている行事のときは、それよりずっと前に集まる習慣がある。

それがこうして、社交の場にもなっている。


カタリーナの合図で、本物の宝器が持ち込まれる。

宝器と一緒に持ち込まれた新しい台座には足がない。

今度のものは、安定感抜群だ。


部屋に宝器が入れられると、使用人や騎士たちは出て行く。

豊穣祭の祭事を執り行うのは、貴族だけだ。


木箱は呪術具ではないが、祭事的な意味合いから開けるタイミングや手順も決まっている。

カタリーナは全員が整列するのを待ってから、手順通りに木箱のひもを解いてふたを外す。

取り出したかめを台座に置くと、かめの脇に置かれた蝋燭ろうそくに灯をともし、五穀それぞれが載せられた五枚の皿をかめの前に並べて、かめに酒を注ぎ入れる。

それから祝詞のりとそらんじる。

カンニングペーパーなどなくても、その涼やかな声はよどみなく正しい祝詞をそらんじた。

祝詞の奏上を終えると、カタリーナはかめの酒を全員に配る。


「「「大いなる主の恩頼みたまのふゆを常にも仰ぎまつかたじけなまつる。かしこかしこみももうす」」」


声を揃えて祭事の決まり文句を唱え、全員が配られた酒を飲み干す。

これで祭事は終わりだ。


事件はそのときに起こった。

いかにも王宮のホールらしい、大変に高い天井の中程にられたシャンデリアが落ちて来たのだ。


それにいち早く反応したのは、カタリーナだった。

速やかに魔法を発動させると、人の手首ほどの太さで半透明のいばらつるが床から何本も生えてくる。


巨大で豪華なシャンデリアだった。

人の上に落ちたら、間違いなく絶命するだろう。

しかしいばらつるは、余裕を持ってそれを受け止めた。


「ヒッ」


コルウィッツ夫人は、小さく悲鳴を漏らしてへたり込んでしまう。

頭上を見上げ、危うく命を落とすところだったと理解したのだ。


「まあ! 植物ですわ!

あんな式神もいますのね!」


「呪術師でもないわたくしにも、はっきりと見えますわ。

相当強力な式神ですわね」


「あんな大掛かりな呪術まで使い放題なんて……」


「霊宝とは、凄まじいものですわね」


魔法を呪術だと誤解している貴婦人たちは、口々に驚きの声を漏らす。

そして、霊宝を狙うギラギラとした目をカタリーナを見詰める。


「シャンデリアの鎖を降ろしてくれるかしら?」


もう祭事は終わったので、カタリーナは使用人たちをホールに入れている。

その使用人にそう命じた。


高い天井につるされているシャンデリアだが、蝋燭ろうそくの交換や点火のために昇降できるようになっている。

ガラガラという機械音とともに、シャンデリアを失った鎖がゆっくりと降りてくる。

貴婦人たちは輪を作り、興味津々で鎖の到着を待つ。


「まあ! あめみたいになっていますわ」


降りてきた鎖の一番先の金属環は、千切れていた。

金属としての硬さを失ってから、力強く引き千切られたようだった。


「千切れている輪だけ随分と色合いが違いますわね。

見たところ、鉛の含有量がかなり多いようですわ」


「これだけ鉛の多い合金でしたらかなり柔らかいでしょうから、重さに耐えきれずに千切れたのかもしれませんわね」


鎖を取り囲む貴婦人たちは推理談義を始める。


「鉛って、熱に弱かったと思いますわ。

蝋燭ろうそくの火でもけますわよね?」


にこにこと、あまり頭が良くなさそうな笑顔でカタリーナもその談義に参加する。


「ええ。そうですわね。

蝋燭ろうそくよりもっと低い熱でも柔らかくなってしまいますわ」


「あそこに懐炉かいろがありますわ」


そう言ってカタリーナが指差した先には、カタリーナが横にけたシャンデリアの陰に隠れて金属製の懐炉が床に転がっていた。


「熱っ!

お母様! この懐炉、とっても熱いですわ!」


貴族女性は、落ちている物を拾ったりはしない。

だが、まだあどけなさの残る貴族令嬢は、好奇心に負けて拾おうとしてしまった。

しかし、触れた瞬間に手を放してしまう。


使用人が懐炉をトレーに乗せ、貴婦人たちの前に持って来る。

カタリーナはにこにこと笑いながら、一つだけ色合いの違う金属環を鎖から外し、それを懐炉の上に載せる。


「そんな……」

「嘘でしょう!?」


皆で囲んでしばらく見ていると、千切れた金属環は明らかに金属としての硬さを失う。


事故ではなく、殺人未遂事件だった!

その事実に、貴婦人たちは色を失う。


戦慄せんりつする貴婦人たちの輪から抜け出たカタリーナは、輪の外にいたハッツフェルト夫人のところへと向かう。


「何かしら?」


ハッツフェルト夫人の問い掛けには答えず、カタリーナは夫人に手のひらを向ける。

その直後、夫人のドレスが燃え始め、夫人は悲鳴を上げる。


狐火きつねびの術!? どうしてそんなことを!?」

「王妃殿下!? 一体何を!?」

「殿下! お気を確かに!」


カタリーナの思いも寄らない行動に、周囲は騒然となる。


「ご心配なく。

燃やしたのはドレスだけで、夫人は火傷やけど一つしていませんわ。

それで、ハッツフェルト夫人。

その竹筒は何かしら?」


ドレスが燃えたことで、隠しポケットにあった竹筒は今、絨毯じゅうたんの上に転がっている。

カタリーナのその言葉で、全員の視線がその竹筒へと向かう。

ハッツフェルト夫人も竹筒に気付き、顔を青ざめさせる。


「あれは、管狐くだぎつねの竹筒ではなくて?」


「封が破れていますから、何かに使われたようですわ」


「まさか、管狐くだぎつねを使って懐炉をシャンデリアの鎖のところに!?」


「ち、違いますわ! わたくし、そんなことしていませんわ!」


夫人は必死に言い訳するが、貴婦人たちの目は冷たい。

王妃の主催する豊穣祭で要人が暗殺されたなら、王妃も警備上の責任を問われることになる。

よほどの重過失でもない限り普通はそこまでしないが、実家預かりの名分とすることも可能だ。

王妃を実家預かりとすることに、夫人は強い意欲を見せたばかりだ。

動機は十分だった。


「ハッツフェルト夫人。

亡き者にしたいほど、コルウィッツ夫人がお嫌いでしたの?」


「な、何を巫山戯ふざけたことを!

百歩譲ってシャンデリアを落としたのがわたくしだとしても、コルウィッツ夫人の上に狙って落とすなんて、できる訳ありませんわ!」


ハッツフェルト夫人は、勢い良く否定する。


懸命に否定する理由は、カタリーナにも理解できた。

実際に二人の仲が険悪だからだ。

夫人同士のりが合わない上に、領地も隣接していて家同士でも小競り合いが絶えない。

殺意があった、と言われても納得してしまう者も多いだろう。

気不味きまずい関係だからこそ、必死に否定してしまうのだろう。

カタリーナはそう思った。


「祭事中なら、狙って落とすことも簡単ではなくて?

皆様の並び順は、序列順ですもの。

皆様が今日、立たれた場所だって、ほとんどの方は前回の豊穣祭と同じだったのではなくて?

それに祭事中なら、会場には使用人もいませんわ。

上を見上げるなんて、無作法をされる方もいらっしゃいませんでしょうね。

懐炉をシャンデリアの上に持って行くのも、とても簡単だと思いますわ」


カタリーナのその言葉で、コルウィッツ夫人ははっとした顔になる。

周囲もまた、ハッツフェルト夫人に向ける目を厳しいものへと変える。

その場の誰もが、祭事中なら誰かを狙って落とすことも可能だと気付く。


「ち、違うわ!

管狐くだぎつねは、宝器を壊すために使ったのよ!」


「ハッツフェルト夫人。

管狐くだぎつねを使って会場のオブジェを壊したり、絨毯じゅうたんに焦げ目を付けたりする程度のことでしたら、わたくしも問題にはしませんわ。

ですが、王宮で公爵夫人の暗殺を目論んだなら話は別です。

そこのあなた、夫人に何か羽織るものをお渡しして。

あなたたち、夫人を拘束してくれるかしら?」


カタリーナは使用人と騎士に指示を出す。


宗教的な理由から、この会場に男性は入れない。

今ホールにいるのは、使用人や騎士を含めて全員女性だ。

だが、一歩会場の外に出れば男性もいる。

スカートを燃やされた夫人は、会場外では問題のある格好だった。


「宮廷呪術師に連絡して、竹筒と懐炉を調べさせくれるかしら?

残っている呪力を調べて、同じ呪術師のものなのか判定してほしいわ」


カタリーナは、証拠物の調査も指示する。


「コルウィッツ夫人。

あなたの家の呪術師にも調査の立会いをお願いできるかしら?」


「それは、こちらからお願いしたいことですわ」

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