第12話 豊穣祭 前編

「準備は大丈夫かしら?」


「ご指示頂いたことは、万事つつがなく」


カタリーナの問い掛けに淡々と答えるのは、フィーリップが彼女に付けた侍女の一人であるジビラ・カセロッティだ。

準備とは、豊穣祭の準備のことだ。

今日これから、豊穣祭が執り行われる。


「失礼を承知で申し上げます。

本当に大丈夫なのでしょうか?

会場に入れるのは上級貴族以上の女性のみですから、陛下も私たちも入れません

王家の命運が掛かった、非常に重要な場面です。

それに、王妃殿下がお一人で対処されなくてはならないのです」


彼女は、他の貴族と同じ誤解をしている

カタリーナは呪術が使い放題になる霊宝を持っていると、そう思っている。

今日の豊穣祭で、ハッツフェルト家によって仕掛けられたわなによって霊宝が奪い取られることを心配している。


霊宝を大貴族に奪われてしまったら、いよいよ王家は危うい。

王家と命運を共にするジビラたちも、危険な状況に陥ってしまうだろう。

失礼を承知でそんなことを言うのは、それだけ危機感を持っているからだ。

カタリーナはそう考える。


(本当に、陛下は口が堅いわね。

わたくしの監視役にも、わたくしのことを話していないなんて)


実際には、呪術が使い放題の霊宝なんて持っていない。

使っているのは呪術ではなく魔法だ。

持っていないのだから、奪い取られる心配なんてする必要はない。

だが、ジビラはそれを知らない。


「大丈夫よ。

今日はきっと、不戦勝みたいなものよ。楽に勝てるわ」


にこにこと笑いながらそう返すカタリーナを見て、ジビラはこっそりと溜息ためいきく。

『吸血の愚王妃』と揶揄やゆされるほど愚かな女が、この大事な局面で何を楽観的なことを言っているのか、と言わんばかりの不満顔だ。

ジビラの溜息に音はなかったが、大きく息を吐き出す様子からカタリーナも溜息に気付く。


(良い臣下ね。

さすが、陛下が私に付けた侍女だけあるわ)


王妃の監視役が、王妃に取り込まれてしまっては本末転倒だ。

忠義にあつい臣下を派遣しただろうと思っていたが、本気で心配して王妃に諫言かんげんまでするとは良い臣下だ。

カタリーナはそう思い、満足そうに笑う。


実際、カタリーナが「楽に勝てる」と言ったのは、侍女たちの士気を下げないための虚勢ではない。

カタリーナを愚女だと思い込み、性格もよく知っているハッツフェルト家の者たち相手なら、本当に楽勝だと思っていた。




「お時間です。

お迎えに上がりました」


身支度を整えて待っていると、女性使用人二人が迎えに来る。

カタリーナはそれに応じ、部屋を出て使用人に案内されて歩く。

案の定、本宮の外れの人気ひとけのない方へと向かっていく。


「こちらです」


そう言って使用人が扉を開けた部屋は、椅子やテーブルなどが所狭しと並べられている窓のない倉庫だった。

どん、と使用人はカタリーナを倉庫内へと突き飛ばす。


「こんなところまで、のこのこと付いて来るなんて。

本当に愚かですね」


「ご自分が主催される祭事なのに、会場も知らないんですね。

あきれますね」


使用人二人は、カタリーナを嘲笑いながら扉を閉める。

その直後、がちゃりと鍵が掛けられる音が扉から聞こえる。


(うふふ。

びっくりしてしまうぐらいに手口がお粗末ね。

わたくしのことを愚かだと見下しているのね?

助かるわ。

こんなに雑なら対処もしやすいもの)


一人閉じ込められた倉庫でカタリーナは笑みを浮かべる。

そして、少し強めに衝撃弾の魔法を扉に向けて放つ。

激しい衝突音とともに、両開きの扉が弾け飛ぶ。


廊下に出てみると、使用人二人は驚愕きょうがくで目を見開いている。


「な……なぜ、そんな攻撃的な呪術が使えるんですか!?」


王宮内は強固な結界が張られている。

人を殺せるような攻撃的な呪術は発動させることができない。


「あら。知らないの?

陛下が許可した人は、どんな呪術も使えるのよ?」


攻撃的呪術が使用できない王宮でも、それを使える者がいる。

王と、王が許可を与えた呪術師だ。


もちろん、カタリーナが使ったのは呪術ではなく魔法だ。

呪術を阻害する結界には影響を受けず、王の許可とは関係なく使える。


それでもカタリーナは、フィーリップから許可を得たかのような言い方をする。

呪術が使い放題となる霊宝を持っている、と誤解された方が都合が良い。


カタリーナたちが来た方向からぞろぞろと騎士たちが現われる。

こっそりと後をけさせていた騎士たちが、扉が弾き飛ぶ音を合図に姿を現したのだ。


「良いよろいね。

動くときにかちゃかちゃ音がしなかったし、足音もしなかったわ」


「こういうときのための鎧です。

金属がこすれ合う部分に牛革をませてあります。

靴底も柔らかい牛革と厚布あつぬのです」


カタリーナと騎士が和やかに雑談しているうちに、使用人二人は縄で縛られる。


「じゃあ、あとはお願いね?」


「お待ちください。

会場までご案内します」


「大丈夫よ。場所は知っているわ。

不死鳥の間でしょう?

案内は要らないから、代わりにまたこっそりいてきてくれるかしら?

途中でまた何かあるかもしれないから、念のためにね?」


「知ってたんですか!? 場所を!?

じゃあ、なんで付いて来たんですか!?」


縄で縛られた女性使用人うちの一人が、怒鳴り声でカタリーナに尋ねる。


「もちろん、王妃を監禁するっていう罪をあなたたちに犯してもらうためよ。

感謝しているわ

おかげで、政治では有利になるもの」


『吸血の愚王妃』と呼ばれるカタリーナがしっかりと政治を理解しているのを知り、使用人二人は驚愕で口をぽかんと開ける。

そして、優雅に笑うカタリーナを見て気付く。

罠に掛けられたのは、カタリーナではなく自分たちだったと。






「お初にお目に掛かります。

ブラームス伯爵家が夫人、ゲルトラウトがご挨拶申し上げます。

王妃殿下。お会いできて光栄ですわ」


四十代の貴婦人がカタリーナに丁寧な礼を執る。

こうやって挨拶されるのは、もう二十四人目だ。

カタリーナが会場に入ると、挨拶責めだった。


家の恥だからと、ハッツフェルト家にいた頃はろくに社交の場に出してもらえなかった。

王妃になってからはずっと引き籠もりで、公式行事の参加さえ拒否していた。

ハッツフェルト家の手駒なんていない方が都合も良いフィーリップも、それを許容していた。

だから会場は、初対面の人ばかりだった。


(うう。恥ずかしいわ。

外国から嫁いで来たわけでもないし、王妃になってもう随分経つのに、挨拶もしたことない人ばっかりだなんて……)


王家と不可侵条約を結んだ大貴族家は、ハッツフェルト家を含めて全部で七家だ。

彼らは不可侵公や不可侵侯などと呼ばれ、その権勢を謳歌している。

不可侵貴族家の夫人たちも、その傘下の家の夫人たちも、人当たりの良い笑顔でカタリーナに挨拶してくれ、笑顔で雑談に付き合ってくれる。




「お姉様。いらっしゃったんですね?」


貴婦人たちとの談笑中のカタリーナに、そう声を掛ける女性がいた。

異母妹のザンドラだ。

「なぜここにいるのか」と言いたげな、不服そうな顔をしている。


「ザンドラ。

公式の場では、お姉様ではなく王妃殿下よ?

皆様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。

妹は少し、礼儀作法にうといところがありますの」


「な……」


妹の無作法を、周囲の貴婦人たちにカタリーナは謝罪する。

『吸血の愚王妃』と揶揄される愚かな姉から礼儀作法に疎いと周囲の貴婦人たちに喧伝けんでんされてしまった。

その事実に、ザンドラは怒りで顔を紅潮させる。


「さあ。ザンドラ。

あなたも謝罪なさい?

謝罪ぐらいなら、あなたにもできるわよね?」


明らかにザンドラを格下扱いするカタリーナのその言葉で、ザンドラの目の怒りはさらに燃え上がる。


今すぐにカタリーナを思い切り怒鳴り付けたい顔をしているが、それはできないだろう。

ここでそんなことをしたら、礼儀作法に疎いことを自ら証明してしまうことになる。

そのカタリーナの予想通り、怒りで震えながらもザンドラは貴婦人たちに謝罪する。


(これだけあおれば大丈夫ね。

きっと仕掛けてくれるわ)




「王妃殿下。ちょっと良いかしら?」


「はい。

どうされましたの? ハッツフェルト夫人」


また貴婦人たちと談笑していると、楽しそうにわらうカタリーナの継母・ハッツフェルト侯爵夫人から声を掛けられる。

その後ろにいるザンドラもまた嗤っている。

彼女たちに誘われて、カタリーナはテラスへと向かう。


ハッツフェルト夫人という呼び方は、公式の場での呼び方だ。

家私的な場なら、お義母様と呼ぶのが普通だ。

しかしカタリーナの場合、私的な場では侯爵夫人と呼んでいた。

お義母様という呼び方は、嫁いでもなお許してもらえないままだった。




「あなたのためにこれを用意したの」


三人でテラスに出ると、夫人はそう言って獣皮紙を丸めてひもで括ったものを差し出す。

カタリーナは紐を解かずに獣皮紙を押して、紙を少し細くしてからするりと抜き取る。


「あなたは頭が悪いから心配だったのよ。

自分で考えたら、きっと王妃に相応しくない格式の低い祝詞のりとを奏上してしまうんじゃないかって。

だから格式の高い祝詞を、わたくしが用意して上げたのよ」


紙を広げて目を通すカタリーナに、夫人は猫撫ねこなで声で言う。

その顔は、わくわくと何かを期待するようで、実に楽しそうだった。


あきれてしまうぐらいに、予想から全く外れないわね……)


笑顔が引きりそうになるのをこらえ、カタリーナは何も考えてなさそうな微笑みを作り続けて文章を最後まで読む。


夫人が祝詞と言って差し出した紙に書かれていたものは、予想通り禍言まがごとだった。

国家の滅亡を願うもので、およそ豊穣祭で奏上して良いものではなかった。

古語で書かれているので、カタリーナには理解できないと思ったのだろう。


猛勉強している今ならすらすらと読めるが、少し前の自分なら、確かに読むことができなかった。

しかしそれでも、ところどころで理解できる不吉な単語から、何かおかしいと疑念を持ったはずだ。

だがその頃の自分ならきっと、もしかしたらという愛情への期待で、わき上がった疑念を押し潰してしまっただろう。


(本当に、愚かだったわ)


過去の自分の行動を予想して、カタリーナは心の中でひっそりと自嘲する。


「ありがとう存じます。ハッツフェルト夫人」


すっかりだまされたような、嬉しそうな笑顔でカタリーナは礼を言うと、すぐにその場を離れる。

「待ちなさい。まだ終わってないわよ」と夫人に背後から声を掛けられるが、カタリーナは足を止めない。


おそらく、これから夫人がするのは口止めだ。

誰かに頼ったと知られると王妃としての資質を疑われる、などの理由を付けて、夫人から禍言を貰ったことを誰にも言わないようにと念を押すつもりだ。

そう予想したカタリーナは、そんな会話をすることも嫌で、早くその場を離れたかった。


ハッツフェルト家の者たちの行動は、これまで全て予想通りだった。

予想通りすぎたからこそカタリーナは冷静でいられず、感情的にその場から離れてしまった。


記憶を取り戻してから初めて会った前回とは違い、今回はしっかりと対策を立てた上でハッツフェルト家の者たちと会っている。

対策を立てる段階で、彼らについて熟慮している。

だから、しっかりと理解できてしまう。

本当の家族になることをこれまでずっと切望していた人たちは、自分のことを毛ほども家族とは思っていないことを。

予想通りの行動により、それをまざまざと見せ付けられて、カタリーナは耐えられなくなってしまった。


前世の両親を想いだしたことで、今世の両親が最低だということは理解できた。

前世の人生経験があるから、ハッツフェルト家の者たちに迎合するべきではないことも分かる。

しかし、それと彼らに対する感情は、また別のことだった。


彼らは自分を全く愛していない。

自分を害する存在だ。

すがる価値もない最低な人間だ。

あんな人たちの愛を求めた自分は馬鹿だった。


今のカタリーナには、それが明白に分かる。

しかし、分かったところで、そう簡単に気持ちを切り替えられるわけではない。


憎いと思っても憎悪だけに染まることもできない、かといって素直に愛することなど到底できない、様々な感情が入り混じる人たちだから無関心になることもできない。

それが家族という、残酷なほど重い存在だった。

その火薬庫のように暴発しやすい複雑怪奇な感情を刺激され続け、カタリーナは耐えられなくなってしまった。


(それでも、やることに変わりはないわ。

わたくしは為政者ですもの。

自分の感情とは関係なく、あの者たちを取り除くわ。

国のためにね)


自分に言い聞かせるように心の中でつぶやき、カタリーナは決意を固めて動き出す。



「ご覧下さいませ。

これは、ハッツフェルト夫人がわたくしのためにご用意下さったものですわ。

わざわざわたくしのために、こんなことをして下さるなんて。

感激ですわ」


カタリーナは信念に従って、満面の笑顔でコルウィッツ公爵夫人にカンニングペーパーを自慢する。


「まあ! なんて酷い!」


カタリーナから渡された獣皮紙に目を通した夫人は、大仰に驚く。


「ちょっと皆様! これをご覧になって!」


コルウィッツ夫人は、周囲の貴婦人たちに獣皮紙を見せる。


「これは……」

「まあ! なんておぞましい!」


文章を読んだ周囲の人たちは一様に顔をしかめ、非難の言葉を口にする。


コルウィッツ夫人たちが大騒ぎするのは、カタリーナの予想通りだった。

ハッツフェルト家もコルウィッツ家も、不可侵貴族家だ。

どちらも王家を食い物にしている。

しかし彼らも、歩調を合わせて一枚岩で王家を浸食しているわけではない。

彼ら同士でも、権力争いをしている。


豊穣祭で国家滅亡を願う禍言を奏上してしまったら、カタリーナは実家預かりとなる。

そうなれば、カタリーナが持つ霊宝はハッツフェルト家の手に渡ってしまう。

その程度のことなら、コルウィッツ夫人にも想像は付くだろう。

その事態は、コルウィッツ夫人としても回避したいことに違いない。

なぜなら、コルウィッツ家もまた、頭の悪い女から霊宝を巻き上げることを目論んでいるだろうから。


カタリーナはそう考えて、獣皮紙をコルウィッツ夫人に見せた。

その予想通り、コルウィッツ夫人は大騒ぎをしてハッツフェルト夫人を牽制し始めた。


コルウィッツ夫人だけではない。

アウフレヒト辺境伯夫人やボールシャイト侯爵夫人など他の不可侵貴族も、それら貴族家を寄親とする傘下の貴族たちも同じだ。

コルウィッツ夫人に同調し、ハッツフェルト夫人の非道を声高に非難している。


霊宝というのは、単に便利な道具というだけではない。

この国が属するグリム連邦国内において、霊宝は国家元首の資格の証明でもある。


エンゲルラント王国の霊宝は、王家の血縁者のみ受け継ぐことができると言われている。

手に入れたところでおそらく貴族たちは継承者にはなれず、国家元首の資格を得ることはできない。

しかしカタリーナが持つ霊宝なら、継承できる可能性がある。

それが知りたいようで、先程の貴婦人たちとの談話でも質問は霊宝に集中していた。


もし継承可能なら、この王国が倒れた後、盟主となるのはその霊宝を持つ者だろう。

だから、それを巡る争いも熾烈なものになる。


(うふふ。上手くいったわ)


これこそ、カタリーナが目論んだことだった。

霊宝を強引に奪おうとするハッツフェルト家の姿勢を明らかにする。

霊宝を狙う貴族たちは、当然それを阻止しようとする。

そして、自分たちが先に奪おうと積極的に動き始める。

カタリーナの持つ霊宝という、ありもしないお宝を巡って貴族家同士で争わせ、疲弊させる。

それがカタリーナの狙いだった。


今後は、カタリーナから見えないところでも勝手に牽制し合って、勝手に争ってくれるだろう。

おろおろと戸惑う頭の悪そうな表情を作りながら、カタリーナは内心でほくそ笑む。

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