第44話 侵攻の後始末3/3 変わる二人の関係

「マルガレーテを襲撃した貴族と騎士の身元調査が終わった。

反逆に関わったのは、ハッツフェルト家、アウフレヒト家、ゼッキンゲン家の三家だ」


いつも通り、フィーリップとの酒席は業務連絡から始まる。


「オルローブ家は、関わっていなかったのですか?

意外ですわね」


ハッツフェルト家が関わっているのは、もちろん知っていた。

何と言っても、ハッツフェルト侯爵が現場にいたのだ。

実の父親である侯爵の顔を、カタリーナが見間違えるはずもない。


当主こそ参戦していないが、参戦した騎士にはアウフレヒト辺境伯家の者やゼッキンゲン侯爵家の者たちもいたようだ。


しかし、外交利権をむさぼっていたのは、アウフレヒト辺境伯家とオルローブ侯爵家の二家だ。

どちらの家も、ブルークゼーレ王国とのパイプは太い。

その上、どちらの家も、領地戦で領地の半分を王家に没収されている。

ブルークゼーレと密接な関係にあり、王家に恨みがあるのは同じだ。

てっきり、二家ともブルークゼーレの目論見に加担したのだと思っていた。


「使節団との親交のために、ちょうどオルローブ侯爵も王都に来ていた。

彼の話も、聞いてある。

誘いはあったが、乗らなかったそうだ。

なぜ乗らなかったのかと尋ねたら、領地戦を観戦していたからとのことだった」


アウフレヒト辺境伯家もオルローブ侯爵家も、ボールシャイト侯爵家とともに、領地戦でカタリーナと戦っている。

あの領地戦で、二家の当主や後継者、さらに直系の者たちに至るまで全員討ち死にしている。

どちらの家も後継者や有力な後継者候補だった者が死んでしまったので、爵位を継いだのは、これまで後継者の候補にさえ挙がらなかった傍系の者だ。


どちらの家も傍系の者が継ぎ、どちらの家もブルークゼーレ王国と深い関わりがあり、どちらの家も王家に恨みがある。

両家の違いは、現アウフレヒト辺境伯が遠方であるために領地戦を観戦しなかったのに対して、現オルローブ侯爵は、近場だったために領地戦を観戦したことだった。

一万三千もの大軍勢を、たった一人で、しかも三十分も掛からずに、一人残らず殺し尽くすカタリーナを、彼は目撃していた。


「調査員にオルローブ家を探らせて裏を取ったが、彼の証言は事実だった。

参戦しないことを決めたとき、一族からは「腰抜け」と非難の嵐だったそうだ。

だが今は、賢明な後継者として高い評価を得ているとのことだ。

君の圧倒的な力に腰が引けてしまっただけなのだが、それが家を存続させる幸運となった」


オルローブ家の一族からしてみれば、ブルークゼーレの目論見に加担した方が有利なのは、火を見るより明らかだったのだろう。

しかし、最善の選択は、当時は愚策とも思えた現オルローブ侯爵の決定だった。

国家運営も領地経営も、本当に、何が正解なのか分からない。


「彼らの処分については、私に任せてほしい。

君は関わらなくて良い」


(え?)


カタリーナは意外に思った。

どんなことでもカタリーナの意見を聞くフィーリップが、この件は自分一人で決めると言う。

その理由はすぐに分かった。


『そう言えば、捕縛された人たちの中には、ハッツフェルト侯爵もいましたよね。

王妃殿下は、どういった処分を望まれているんですか?』


いつものおしゃべりの中で、ジビラはそんな質問をした。

彼女にしては珍しく、政治に関することだった。

ジビラはまた、こうも尋ねている。


『法的にどういった処罰をするべきが、ということをお伺いしているのではありません。

王妃殿下のお気持ちとしては、どういった処分をお望みなんでしょうか?』


宮廷人なら、ハッツフェルト家の処分やその時期こそ関心事だ。

しかしジビラは、それらに関心を示さなかった。

尋ねたのは、カタリーナの気持ちだった。


なぜあんな質問をしたのか、ようやく分かった。

フィーリップに頼まれたのだ。


ジビラには、隷属魔法により情報漏洩じょうほうろうえいの禁止が課されている。

しゃべりの中で何かを知ったとしても、それを外部に漏らすことはできない。

しかし、フィーリップだけは例外だ。


もともとジビラは、カタリーナの動向を探るためにフィーリップが差し向けたスパイだった。

結局、ジビラはカタリーナに忠誠を誓い、フィーリップの手駒をカタリーナが奪うことになってしまった。

その申し訳なさから、ジビラの隷属魔法は、彼への情報漏洩じょうほうろうえいだけは例外的に認める形で設定されている。


「……ありがとう存じます」


フィーリップの心遣いに、カタリーナは感謝する。


『二度と会いたくないし、二度と関わりたくない、あの人たちのことを考えたくもない、というのが本音だと思うわ』


ジビラの問い掛けに、カタリーナはそう答えた。

処分の決定にカタリーナが関与するなら、間接的にハッツフェルト家の家族を殺すことに等しい。

職務上、仕方ないとはいえ、本音を言えば、かなりの苦痛だった。


カタリーナの気持ちを探り、そして負担がないように手を打ってくれる。

フィーリップは、やっぱり優しい。

カタリーナはそう思った。


「それから、ハインツの件だ。

命に別条はないが、毒の後遺症が残るそうだ。

加害者のボールシャイト嬢は、王宮内での刃傷沙汰にんじょうざたということで、流刑にしようと思うのだが」


「ええ。妥当なところだと思います」


加害者が女性で被害者が男性の傷害事件の場合、この国では刑がかなり軽くなる。

しかも、ボールシャイト嬢の家は、ハインツの策略により滅門している。

情状酌量で大幅に減刑し、罰金刑程度の軽い処罰にすることも可能だ。


それでも流刑という重い処罰にしたのは、被害者がアショフ侯爵家の後継者だからだ。

罰金刑などにしてしまえば、アショフ家が彼女に報復することは間違いない。

彼女を保護するためには、アショフ家が手を出せない場所に彼女を置くことしかなく、つまり流刑や投獄ぐらいしか選択肢がない。


「次は、ブルークゼーレ王国に関する問題だ。

目撃者も多いので、王子の死については隠しようがない。

事実だけは、連邦議会とブルークゼーレ王国に伝えてある。

そうなった理由を対外的に説明する必要があるが、それは、これから君と相談して決めるつもりだ。

それから、使節団は軟禁中だ。

これから連邦議会が招集されることになるだろうが、彼らの返還は議会の後の方が良いと思う。

これらについて、君の意見を聞かせてほしい」


「その……申し訳ありませんでした」


カタリーナは立ち上がり、深々とした立礼で謝罪する。


本当は、部屋を訪れるなり即座に謝罪したかった。

そうしなかったのは、業務連絡は重要な事項を最後に回すものだからだ。


部屋に入るなり謝罪してしまったら、最初の話題はブルークゼーレ王国に関するものになってしまう。

大きな問題を最初に取り上げてしまうと、その話が長引き、話し合うべき事項を全て取り上げられない可能性もある。

このため、話し合いに時間が掛かりそうな大問題は最後に回すのが、この国の習慣だ。


「まずは座ってくれ。

とりあえず、もう一度乾杯して、少しリラックスしてから話そうか?」


フィーリップに、怒っている様子はなかった。

謝罪してもにこにこと笑ったままで、優しい声で彼女をソファへと座らせる。


「それで、何についての謝罪だったんだ?」


また、一つのソファに並んで座り、乾杯をしてからフィーリップが尋ねる。


「もちろん、独断で王子を討ち取って、戦争が不可避な状況にしてしまったことです」


フロリアン王子は、空間転移を可能とする霊宝を持っていた。

あれがあると、戦っても追い詰め切れない可能性が高い。

マルガレーテの霊宝に強い執着を見せるフロリアン王子に、あれを持たせておくのは危険だ。

そう判断したカタリーナは、逃げようとするフロリアン王子を討ち取ってしまった。

その判断が間違っているとは、今でも思っていない。


しかし、入手し得る全ての情報を用いて可能な限り合理的に判断したとしても、それが正解とは限らない。

国家運営における決断とは、そういうものだ。

無謀な決断がのちに英断と評価され、妙手だと思っていたものが、ふたを開けてみれば悪手ということもある。

腰抜けと言われたオルローブ侯爵が、今はその賢明さを称賛されているのが良い例だ。

カタリーナの判断が正解かどうかは、将来になってみないと分からない。


だから、国家の存亡に関わるような重要な決断は、フィーリップが決めるべきだ。

正解なんて、どうせ誰にも分からない。

誰が決めても、賭博でさいを投げるようなものだ。


それなら、国家存亡に関わるさいを投げるのは、フィーリップであるべきだ。

風前の灯だったこの国を存続させるために、幼い頃から大変な労力を費やしてきたのは、他でもなく彼なのだから。


しかし、カタリーナは、彼の判断を待たずに王子を殺してしまった。

殺害していなかったら、戦争以外の選択肢もあり得た。


大国の横暴は耐え忍んでやり過ごすのが、小国の常套手段だ。

悪魔の軍勢を退けた後、連邦議会に被害を訴え、議会の仲裁のもとでブルークゼーレからいくらかの賠償金を得る、というのが、この場合の一般的な対応だ。


しかし、王子を殺害してしまったなら、その選択肢は消える。

大国であるブルークゼーレが、戦争の意向を強く示すことになるからだ。

小国は、その意向に従う他ない。

頼みの綱は連邦議会だが、議会もブルークゼーレを止められないだろう。


本来、連邦内の国を侵略するのは、簡単ではない。

連邦内では、大国は大国同士で権力争いをしている。

もし大国が小国を侵略して領土を広げようとすれば、その大国の国力増加を望まない別の大国が、それを阻止するべく動くことになる。


他の大国が動けないほどの大義名分がなければ、侵略は不可能だ。

その大義名分を、今回カタリーナは、王子を殺害することで与えてしまった。

ブルークゼーレは、これ幸いとばかりに、領土拡大を狙うに違いない。

こうなってしまっては、もはや戦争以外に選択肢はない。


だからカタリーナは、謝罪せずにはいられなかった。


「君が決めても、何も問題はない」


「ですが、この国を支えるために、これまでずっと苦労してきたのは……フィ……フィ、フィ、フィルですわ」


真っ赤になりながらも、カタリーナは愛称で呼ぶことに成功する。

フィーリップは目を見開き、そして嬉しそうな笑顔を見せる。


笑顔を見せるだけで愛称呼びについて言及しなかったのは、その相手がカタリーナだからだ。

恥ずかしがり屋の彼女だ。

ここで愛称呼びについて触れると、赤面して二度と愛称で呼んでくれなくなる可能性が高い。


「そうだな。

これまでずっと、私は一人でこの国を支えてきた。

だが、今は違う。

君も一緒に、この国を支えてくれている。

だから、その件について、君が謝罪する必要はない。

ここは、私が礼を言うべきところだ。

カティ。

国を投げ出すことなく、責任をもって決断してくれてありがとう。

すぐ隣で共に戦ってくれる人がいるのを実感できて嬉しかったし、大きな心の支えになった」


カタリーナは、目をぱちくりさせる。

そういう見方をするとは思ってなかったし、お礼を言われるのも予想外だった。


カタリーナに対する気遣いなのか、それとも本当に嬉しかったのか、カタリーナには判断が付かなかった。

だが、フィーリップらしい言葉だと、カタリーナは思った。


夜会の真っ最中、周囲の視線が集中する中で、ハインツはひざまずいてカタリーナの手の甲にキスをした。

ドラマチックな愛情表現だ。


一方、フィーリップは、そういったことをしたことがない。

しかし彼は、日々の生活の中や毎日の仕事の中で、細やかにカタリーナを気遣ってくれる。


今日だってそうだ。

ハッツフェルト家の処分について事前にカタリーナの気持ちを把握し、カタリーナの望み通り、自分一人で決めると言っている。

無断で戦争を決めてしまっても不満一つ言わず、こうして優しい言葉を掛けてくれる。


劇的なことを、これまで彼はしてはいない。

しかし、日々こうして優しさを積み重ねられると、その温かさが心の奥深くまで浸透してしまう。


この気持ちが恋なのか、カタリーナにはまだ分からない。

でも、今日もまた、彼は優しく気遣ってくれ、昨日よりも強く彼にかれることになっている。


それが分かったのは、カタリーナがずっと自分の気持ちを注視していたからだ。

自分がフィーリップをどう思っているのか、カタリーナはずっと悩み、自分の気持ちの変化を今も探っていた。


もしかしたら、恋なのかもしれない。

胸に広がる温かさを感じながら、カタリーナは思った。


「忘れないでほしい。

王家はもう、君の家だ。

ここが君の居場所で、君は、私の隣にいるべき大切な人だ。

君が戦争を決めても、何も問題はない」


ハッツフェルト家との決別を決めたとき、カタリーナは「王家の陣営に付いた」という感覚だった。

だがフィーリップは、カタリーナは王家の味方の一人ではなく、カタリーナこそ王家だと言ってくれ、居場所はここだと言ってくれた。


寄る辺のない根無し草だという思いが、きっと心のどこかにあったのだろう。

彼の一言でそれが消えて、心が安らぐのをカタリーナは感じた。

同時に、フィーリップにますますかれていることにも、彼女は気付く。


(今よ! 手を! 手を握るのよ!)


立て続けに彼に惹かれ、自然と手を握りたくなった。

しかし、気軽に男性の手を握れるほど、カタリーナは恋の上級者ではなかった。

心の中で十分な気合いを入れ、フィーリップの手に自分の手を重ねる。


決意とは裏腹に、フィーリップの手の甲に辛うじて小指が引っ掛かるぐらいの、申し訳程度の手の重ね方だった。

だが、それでも、フィーリップは目を見開いて驚いた。


フィーリップは、何かを決意したような顔になり、逆にカタリーナの手をしっかりと握ると、その手を放さないままソファに座るカタリーナの前でひざまずく。

そして、カタリーナの手の甲に唇を落とす。


「カティ。女性として、君を愛している」


「はっ!!? えっ!!?」


唐突な言葉に、カタリーナは仰天する。

およそ王妃とは思えない、品位の欠片もない驚愕きょうがくの声が、口から出てしまう。


「フロリアン王子による侵攻を聞かされて、君の命が危ういと思った。

汗だくになって君のもとへ走っているとき、頭の中に浮かぶのは後悔ばかりだった。

本当の夫婦になれなくても、せめて想いだけでも、はっきりと君に伝えるべきだったと、そう悔やんだのだ。

何も伝えられないまま全てが終わってしまうのではないかと、あのとき私は恐怖していた」


フロリアン王子との一戦は、カタリーナからすれば、危なげのない戦いだった。

しかしフィーリップからすれば、王宮内に突如現れた悪魔の大軍勢は、死の影が濃厚に漂う絶望の光景だったようだ。

思い詰めた表情は、彼が受けた衝撃の大きさを物語っている。


「奥手な君に合わせてゆっくり進めようと、これまでは考えていた。

だが今回、その間違いに気が付いた。

これから戦争がある。

このままゆっくり進めていては、後悔することになるかもしれない。

そう思ったのだ。

だから、自分の気持ちだけは、しっかりと君に伝えよう。

カティ。愛している」


カタリーナは、無言だった。

処理能力の限界をはるかに超える事態に、顔を真っ赤に染めたまま固まってしまっている。


フィーリップは立ち上がる。

そして、ソファに座るカタリーナに、ゆっくりと顔を近付ける。


(えっ!!? えっ!!? えっ!!? えっ!!?)


全身をフリーズさせたまま、カタリーナは、ただただ驚くばかりだった。


その日、フィーリップは、カタリーナの唇を奪った。

少し唇が触れただけの、奥手なカタリーナを気遣ったキスだった。

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