第34話 未確認飛行物体

「次は、おままごとをするのじゃ!」


「違うです! 次はお絵描きです!」


マルガレーテの部屋で、イピとオンブルが言い合いを始める。


影を塗り固めたような異形のオンブルは今、黒い髪と黒い瞳を持つ普通の女の子だ。

影のような容姿が本来の姿だが、普通の人間に化けることもできた。


アシスタント・アンドロイドが心を持っているというのは、どうやら本当のようだ。

彼女たちにはそれぞれ好みがある。

不満ならへそを曲げるし、良いことがあれば飛び跳ねて喜ぶ。

主であるマルガレーテに従うのも、ときには渋々だ。


その振る舞いは、セルビータを除き、見た目相応の幼子おさなごのようだった。

精神的に幼いままなのは、前マスターの意向だ。

セルビータ以外は、精神年齢が上がらないようにリミッターが掛けられていた。


精神の成長制限は、すでにマルガレーテにより解除されている。

彼女たちの心は、これからマルガレーテと共に成長していく。


少し離れたところでソファに座り、静かにその様子を眺めるカタリーナは、心に大きな穴が空いてしまったようだった。

マルガレーテと遊ぶのは、これまで主にカタリーナだった。

それが今は、アシスタントたちと遊ぶ彼女を眺めるだけのことが多くなってしまった。


いつもカタリーナに向けてくれていた彼女の笑顔は、今はアシスタントたちに向けられてばかりだ。

それがどうしようもなく寂しくて、カタリーナは胸が痛かった。


だからと言って、マルガレーテたちに混ざって遊ぶことはできない。

エミーリエの指導があったからだ。


『子供同士で遊ぶときはさ。

大人は、遠くから見守るのが良いと思うよ?

喧嘩けんかが始まってもすぐには口を挟まないで、しばらく様子を見てるのが良いと思うな。

自分たちで喧嘩けんかを解決することも、子供の成長には重要なことだよ?

そうやって、子供はコミュニケーションを学ぶんだよ』


エミーリエは、そう言っていた。

だからカタリーナは、彼女たちに混ざってマルガレーテと遊びたくても、ぐっと我慢している。


喧嘩けんかしないでくださいませ!

最初におままごとをして、それからお絵描きをするのが良いと思いますわ!」


マルガレーテが喧嘩けんかの仲裁に入る。

それを見てカタリーナは目を見開いた。


今まで、こういうことはなかった。

アシスタント同士の喧嘩けんかが始まったときも、マルガレーテはおろおろするだけだった。

しばらく様子を見てからカタリーナが仲裁するか、セルビータがたしなめるかだった。

しかし彼女は今、アシスタントの喧嘩けんかの仲裁をしていた。


これまで彼女の遊び相手は、カタリーナと侍女たちだった。

大人ばかりだったので、遊び相手同士が喧嘩けんかをすることなんてなかった。

喧嘩けんかの仲裁なんてしたことがなかったマルガレーテが、こうして今それをするようになっている。


マルガレーテは確かに成長している。

それを実感して、カタリーナは胸がじーんと熱くなる。

その喜びは想像以上に大きく、気を抜けば涙がこぼれてしまいそうなほどだった。


アシスタントたちは、カタリーナが連れて来た孤児ということになっている。

霊宝に関係する存在だと知られたら、マルガレーテが霊宝の所有者だということも知られてしまう危険がある。

そうなったら、マルガレーテまで貴族たちに狙われてしまう。

それを避けるための偽装工作だ。


身分の低い者が王宮に出仕したら、いじめに遭うのが通常だ。

幼い孤児なら尚更なおさらだ。

しかし彼女たちをいじめようとする者は、誰一人としていなかった。

自分が連れて来た自分の庇護下の者だと、カタリーナが宣言したからだ。


死刑囚を自ら処刑するほど殺人を好み、ハッツフェルト家にいた頃から仕えてくれた侍女たちさえ殺し、通常なら小競り合いで終わる領地戦で万を超えるしかばねの山を笑顔で築いた極めて残虐な女性。

大貴族にさえ容赦がなく、平然と権益を奪い取る苛烈な女性。

それがカタリーナの人物評価だ。

そんな女性が、王妃として絶大な権力まで手にしてしまっている。


王宮使用人の誰もが、カタリーナを酷く恐れていた。

カタリーナの不興だけは決して買うまいと、誰もがアシスタントたちを丁重に扱った。


「王妃様! 王妃様の絵を描きましたの!」


描いた絵を持ってとことこと寄って来たマルガレーテは、眩しいほどの笑顔をカタリーナに向ける。


「まあ! これはマルガレーテかしら?」


「そうですわ!」


絵の中央にはカタリーナが描かれていた。

彼女と手をつなぐ少女は、マルガレーテだと言う。


その周りにも、少女たちが描かれている。

アシスタントたちだろう。


(こんな絵も、描けるようになったのね……)


これまでのマルガレーテは、塗り絵ができるだけだった。

あらかじめ線画が描かれたものに、ただ色を付けるだけだった。

それが今では、白紙の紙に一から絵を描けるようになっている。

マルガレーテの成長を如実に示す絵だった。


絵の中のマルガレーテは笑顔だ。

かつて王宮で孤独だった彼女は、絵の中で今、とても幸せそうに笑っている。

それもまた、カタリーナの心を大きく震わせた。


「素敵な絵ね。

こんな絵なら、わたくしもほしいわ」


あふれそうになる涙を懸命にこらえながら、カタリーナは笑顔を作る。


「それなら、その絵は王妃様に差し上げますわ!」


「……ありがとう。大切にするわ」


そう言ってカタリーナは笑う。

何とか、涙をこぼさず乗り切ることができた。


アシスタントたちの身体は成長しない。

いずれ、正体が明らかになってしまうだろう。

そうなったとき、今のこの国の状況ではマルガレーテを狙う者も現れてしまう。


霊宝目当てでマルガレーテを襲う者など現れないよう、さらに王権を強化しなくてはならない。

この幸せを、決して失ってはならない。

感動的な絵を眺めながら、カタリーナは強くそう思った。




マルガレーテが何気なく贈ったその絵は、高価な額に入れられ、カタリーナの自室に飾られた。

今では、カタリーナの宝物の一つだ。

る度に大きな感動を与えてくれ、心を温かくしてくれるその絵は、カタリーナにとってどんな名画にも勝る芸術品だった。



◆◆◆



「な、何だ、あれはっ!!?」


「て、鉄の塊がっ、空に浮かんでるぞっ!!」


「きゃああああああ!!!」


王宮の使用人たちは、半狂乱の大騒ぎだ。

逃げ惑う者、腰を抜かしてただ震える者、涙を流しながら抱き合う者……。

まるで、世界の終末でも訪れたようだった。


「そりゃ、飛行機もない世界に突然UFOが来たら、そうなるよね……」


恐怖や驚愕きょうがくで悲鳴や怒声を上げる使用人たちを眺めながら、エミーリエがつぶやく。


七越山の霊宝が、王宮に移動してきた。

もちろん移動は、フィーリップの許可を得て行っている。

アシスタントたちは、距離が離れていても会話が可能だ。


それでもこの大騒ぎなのは、これが霊宝だからだ。

霊宝への攻撃や霊宝の簒奪さんだつを防ぐため、機密事項としてごく一部の者にしか伝えられていなかった。


「うわあああ!!

すっごいですわあ!!

皆さんのおうちは、お空を飛ぶんですのね!!

びっくりしましたわ!!」


上空を眺めるマルガレーテは、目をきらきらさせている。


「そうなのじゃ! 空を飛ぶのじゃ!」


「私たちの本機ベースは、すごいんですみょん!」


イピとギリゾンは得意気だ。


「マスターも、乗ってみるです?

空を飛んでみるです?」


「乗りたい!! 乗りたいですわ!!」


オンブルに誘われ、マルガレーテは大喜びだ。


本来なら、円盤はそのまま王宮地下に設けられた格納庫に収容する予定だった。

予定は急遽きゅうきょ変更され、収容する前に少しだけ空の旅をすることになった。




「待ってくれ。

私も同行しよう」


王宮に着陸した円盤にカタリーナたちが乗り込もうとしたとき、後ろから声を掛けられる。

フィーリップだった。


「君がマルガレーテと一緒に七越山を旅行したのが羨ましくてな。

私も、君たちとどこかに行きたくなってしまったのだ。

少し短いが……それでも、私にとって初めての家族旅行だ」


ほんの数十分の空の旅だ。

それでも、フィーリップは感慨深そうに喜ぶ。


彼がマルガレーテとの距離を縮めるようになったのは、つい最近だ。

また、間者ばかりの王宮で霊宝の秘密を守らなくてはならないため、彼は王宮からほとんど出られない。

マルガレーテと親子で旅行をしたことは、これまで一度もなかった。


「わたくしたちが揃って旅行するのは、これが初めてですわね」


「家族揃って」とは、カタリーナは言えなかった。

だから「わたくしたちが揃って」という表現を使った。

彼女にとって「家族」という言葉は、ハッツフェルト家の者たちによる虐待を思い起こさせてしまう、苦しさや寂しさも含む言葉だった。

この場で使うには、相応しくないように思えた。


「そうだな。

これが私たち家族の、初めての旅行だ。

存分に楽しもうか?」


フィーリップは、カタリーナに笑い掛ける。


彼の使った「家族」という言葉の意味が、自分が知るものとは全然違うようにカタリーナには思えた。

とても温かみがあって、希望に満ちあふれた言葉に感じた。

その一言で、自分の中の「家族」の意味が大きく変わったと、カタリーナは思った。




「うわあああ!!!!

雲が下にありますわああ!!!

すっごいですわあああ!!!」


窓から景色を眺めるマルガレーテは大はしゃぎだ。


この霊宝は、周囲の状況をガラス板に表示することもできた。

だがマルガレーテは、窓から自分の目で直接景色を見たがった。


この円盤の窓は、五歳児がのぞくには少し高い位置にある。

今はフィーリップが彼女を抱っこして、一緒に窓の外を眺めている。


「マルガレーテは良い子だな」


イピとギリゾンは喧嘩けんかを始めて、セルビータにたしなめられていた。

元気なアシスタントたちと対照的に、マルガレーテは大人しく窓の外を眺めている。

そんな彼女を、フィーリップは褒める。


「そうですわ!

わたくし、いつも良い子にしていますの!

王妃様も、良い子だって褒めてくださいますの!」


「本当にその通りだ。

ありがとう……こんな良い子に育ってくれて……」


フィーリップは、マルガレーテの頭をでる。


マルガレーテはちらりとフィーリップの顔を見て、またすぐに窓の外に目を向けた。

だから彼女は気付かなかった。

彼の目には、光が浮かんでいたことを。


少し離れたところから見ていたカタリーナは、それに気付いた。

彼はきっと、良い父親になる。

カタリーナはそう思った。






遊覧飛行を終え、カタリーナたちを降ろした霊宝は王宮の地下収容施設へと入って行く。

カタリーナが魔法で地下深くまで掘って作った施設だ。


この霊宝がその効果を最大限に発揮するには、はるか上空に上がる必要がある。

だから、この収容施設も『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』のように完全に埋めてしまうのではない。

離着陸も可能な構造だ。


収容施設の浅い部分では、騎士や呪術師に護衛させる。

こちらの準備はもうできている。


しかし深い部分での侵入者対策設備は、まだ作られていない。

アシスタントの一人であるフォルジュフォンが、これから作ることになっている。


「UFOのアシスタントなのに、UFOの部品だけじゃなくセキュリティ設備まで作れるの?

すごいね!」


円盤が地下に下りて行くのを眺めながら、エミーリエが言う。


「へへん! そうさ!

俺はすごいんだぜ!」


上着とボトムスが一繋ひとつなぎになった作業服を着た赤い髪の少女は、得意気に胸を張る。

修理や資材工作を担当するフォルジュフォンだ。


「本システムにはかつて、高度の秘匿性が要求されていました。

全てが電子決済される以前の世界では、資材調達などの経済活動の痕跡を消すことは困難だったのです。

このため、多くの物資について自給自足が可能となっています」


侍女服姿のセルビータがそう付け加える。


霊宝が収容施設に納められてから、あれはカタリーナの霊宝だと発表された。

まだ王宮に多くの間者が潜んでいる。

現段階では、マルガレーテの霊宝だと発表するわけにはいかなかった。


その発表を疑う者はいなかった。

実際カタリーナは持っていないのだから、彼女の霊宝を見たことがある者はいない。

あれこそが呪術が使い放題になる霊宝の本体だと、王宮の者たちは理解した。



◆◆◆



「どうかしら?」


カタリーナがフォルジュフォンに尋ねる。


「センサー部分の接触不良だな。

この部分を部品交換すりゃ、マスターユーザーの登録はできると思うぜ」


「本当か!!」


「やったわ!!

すごい!! すごいわ!!」


フォルジュフォンのその言葉で、フィーリップとカタリーナは大喜びだ。

フィーリップは、涙ぐんでさえいる。

霊宝を継承できなかった彼の苦労は、それだけ大きかった。


カタリーナたちとフィーリップは今『輪を描いて回る炎ケルビムの剣』内の一室にいる。

フォルジュフォンとセルビータも一緒だ。


フォルジュフォンは、霊宝の修理が可能だった。

輪を描いて回る炎ケルビムの剣』の修理も可能かどうか、彼女に確認してもらった。

その結果、センサー部分の修理によりマスター登録が可能だった。


「ユーザー登録ぐらいなら問題ないけど、稼動させるのは本格的にメンテナンスしてからの方が良いと思うぜ。

おそらく、あちこちにガタがきてるはずだ」


フォルジュフォンがフィーリップに言う。


一国の王に対する言葉遣いとは思えないが、何も問題はない。

霊宝の地位は、王よりも高い。

コミュニケーションが可能な霊宝の場合、王は霊宝に対して敬意を払う。


もっとも、彼女たちの扱いは例外的だ。

精神的にまだ幼いことや、これから成長することをカタリーナは知っている。

だからカタリーナは、その地位に囚われず彼女たちを叱ったりもしている。


「これはエデン社製だから、システム内部にメンテナンス情報が入ってるんだ。

マスターユーザー登録してから、修理仕様書データへのアクセスを許可してくれよ。

そうすりゃ、俺でもメンテナンスできるぜ」


フォルジュフォンの言葉の意味が、フィーリップたちは理解できなかった。

そこは、セルビータが丁寧に解説してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る