第15話 敵を作るカタリーナと不機嫌なフィーリップ

「最近、マルガレーテの様子がおかしいの」


酷く深刻な顔で、カタリーナはエミーリエに相談を持ち掛ける。


政治に口を挟める程度には知識を身に付けたカタリーナは、王妃としての公務も始めている。

公務中のカタリーナのところによくマルガレーテが来て、今から遊んでほしいとせがむのだと、カタリーナは言う。


「あの子の侍女たちが止めても、止まらないみたいなの。

いつも他人のことを考える優しい子だったのに……。

わたくし……何を間違ってしまったのかしら……」


ゼッキンゲン夫人が教師をしていた頃は、そんなことはなかった。

自分が教育を始めてから、マルガレーテはおかしくなってしまった。

カタリーナはそう言う。


その顔に刻まれた後悔は、不注意で赤ん坊に大怪我をさせてしまった母親のように深い。

そんなカタリーナがおかしくて、エミーリエはシシシと笑ってしまう。


「それ、試し行為だよ」


「試し行為?」


「子供ってね、新しいお母さんが来てもすぐには信用しないの。

本当に自分を愛してくれるのか、どの程度愛してくれるのかを確認するのよ。

それが試し行為ね。

しっかり愛してくれるって理解できたら終わるから、それまでの辛抱だよ。

そんな大袈裟おおげさに心配するもんじゃないから安心して。

面白いぐらいに深刻な顔してたよ?」


そのアドバイスで、カタリーナは一気に気が楽になる。


(この子を侍女にして大正解ね。

本当に、いつも助けられているわ)


簡単に離婚が認められないこの国では、再婚して継子を育てた経験がある者も少ない。

婚姻総数の四分の一が再婚の、日本という国で暮らした経験のあるエミーリエは貴重だった。


「それにしても、王女様は過剰に甘えたがるタイプなんだ。

羨ましいわ~。

前世のうちの子なんて、反発するタイプと叱られることするタイプだったからホント大変だったわ~」


そこからまた、エミーリエの苦労自慢が始まる。

いつもなら適当にうなずきつつ切りの良いところで話を終わらせるカタリーナだが、今日は違った。

マルガレーテの教育の参考にしようと、メモまで取り始めて真剣に聴く。


「王妃殿下。そろそろお時間です」


エミーリエの講義を受講中のカタリーナのもとへ来たジビラが言う。

これからカタリーナは王妃の公務だ。







「王妃殿下はご存知ないんでしょうけど、ここは関係者以外立ち入り禁止なんですよ」


外交部の視察に来たカタリーナが部署に入ると男が立ちふさがった。

その男は、ニヤニヤとさげすむような目で言う。


男の名はデニス・オルローブ。

不可侵貴族であるオルローブ侯爵の三男で、外交部の要職にある人物だ。


実際は、外交部の部署内でもカタリーナは許可を得ず立ち入れる。

王妃には、王政監査権が認められている。

抜き打ち検査も許される立場のため、業務に関係のある場所ならほぼ全て立ち入り可能だ。

本宮で彼女が立ち入れない場所は、男子更衣室などいくつかの場所だけだ。


にもかかわらず、デニスはそんなことを言う。

そう言えばカタリーナを追い返せると思っているのだ。。

つまり彼は、カタリーナは王妃の持つ権限も知らない愚かな女で、ちょっとした嘘一つで簡単にあしらえる『吸血の愚王妃』だと思っているということだ。


豊穣祭で殺人未遂事件のカタリーナだが、目立った活躍と言えば管狐くだぎつねの竹筒を見付けただけだ。

推理などは、他の貴婦人たちとの共同作業だから目立っていない。

むしろ貰った禍言まがごとを嬉しそうに見せびらかしたりして、知能に難がある点で目立っていた。

竹筒を見付けて呪術師としては評価されても、政治的な実力の評価は『吸血の愚王妃』のままなのだろう。

カタリーナはそう考える。


(これは、楽に事を進められそうね)


にこにこと頭が悪そうな笑みのカタリーナだが、内心では黒い笑みを浮かべていた。


「あら。そうなのね?

陛下からここを視察するように仰せ付かったんだけれど、陛下は何かお間違えになったのね?

それでは、陛下にもう一度お伺いしてみるわね?」


「い、いえ。そんなことをする必要はありません。

私の権限で入室を許可します!」


デニスは慌ててカタリーナの入室を認める。

長年政治に従事しているフィーリップには、そんな嘘は通じない。

ありもしない権限でカタリーナの入室を許可し、デニスは新たな嘘によって自分の嘘を誤魔化ごまかす。


王権の弱いこの国だ。

この程度の嘘で、フィーリップがデニスを処分することはないだろう。

しかし政治的に何の意味もないトラブルを起こせば、オルローブ侯爵家内でのデニスの地位は低下してしまう。

どこの家でも、家門内の序列争いは熾烈しれつだ。




「わたくしもようやく快復したから、お見舞いの品を贈ってくれた連邦内の他国に快気祝いの贈り物をしたいの」


部署内に案内され机に座ったカタリーナは、その机の周りに集まった者たちに言う。


カタリーナが引き籠もっていたのは、呪術により洗脳されていたからだ。

しかし、その事実は伏せられている。

病により療養中だったと、公式には発表されている。


公務をこなせる程度の知識を身に付けてから、カタリーナは公務も始めている。

それに先立って、つい最近カタリーナの病床からの快復が公式に発表された。


快復したなら、お見舞いを贈ってくれた他国に快気祝いを贈り返すのが慣習だ。

しかし外交部は、それを贈っていない。

今日カタリーナがここに来たのは、その督促のためだ。


「それがですねえ。快気祝いに添えるお礼状を書ける者が、今日は不在でして」


嘲笑うようにニヤニヤと笑いながらデニスが言う。


「あら。あなたは書けないの?」


「はい。書けませんね」


「そう。

それなら、あなたは書けるかしら?」


「書けませんねえ」


「じゃあ、あなたは?」


「もちろん書けません」


次々と相手を変え、カタリーナは同じ質問をする。

外交部で仕事をしながら、担当国への礼状が書けないなんてあり得ない。

しかし、書けると答えた者は誰一人いなかった。

答えた誰もが、ニヤニヤとカタリーナを嘲笑っている。


彼らにとってのカタリーナは、最近引き籠もりを卒業した二桁の足し算もできない愚かな女だ。

できないと答えれば、この無知な女は諦める。

きっと彼らは、そう思っているのだろう。

カタリーナはそう推測する。


礼状を書くことを彼らが嫌がるのは、カタリーナの予想通りだった。

他国との外交とは、つまり王家同士の交流だ。

外交部に入り込んだオルローブ侯爵家とアウフレヒト辺境伯家は、その王家の交流を抑制する方向で動いていた。

礼状などの発送も遅らせられる限り遅らせ、フィーリップにつつかれて渋々送るような状況だった。


「そう。

では、今できないと答えた人たちは、今日をもって馘首くびにするわ。

今日中に荷物をまとめて退去してね?」


「はあっ!? 何を言い出すんですか!?」

「な、何を勝手なことを!?」

「そ、その通りです! 何の権限があってそんなことを!」


「あら。王妃の監査権を知らないのかしら?

監査によって職務怠慢や能力不足が認められた場合、政務官以下の職位の者は王妃の権限で罷免できるのよ?」


「な……」

「し、知ってたんですか? 監査権を?」


王妃には監査権があるため、本宮のほぼ全ての場所に立ち入ることができる。

部屋に入る前のカタリーナは、そのことを知らない様子だった。

だが実際には、監査権に含まれる罷免権についてよく知っていた。


自分たちはだまされた。

彼らはようやく、それに気付いた。


今日カタリーナがここに来た目的が、これだった。

不可侵貴族であるアウフレヒト辺境伯家とオルローブ侯爵家は、外交部に人員を送り込んで王家の外交を妨害している。

王家に外交をさせない代わりに彼らはしているのは、自分たちの家と他国王家とを活発に交流させることだった。

外交利権を食い物にする彼らは、王家にとって獅子身中の虫でしかなかった。


もし最初からカタリーナを警戒していたら、気付く者もいたかもしれない。

カタリーナが書けるかどうかを尋ねたのは、オルローブ侯爵家とアウフレヒト辺境伯家の関係者だけだということを。

カタリーナを侮っていたため、気付いたときには後の祭りだった。


「王妃殿下! 勝手なことをなさらないで下さい!」


血相を変えて部屋に怒鳴り込んで来たのは、アウフレヒト辺境伯だ。

外務大臣である彼が、この部署の責任者だ。

ちょうど席を外していたが、慌てて戻って来たのだろう。


「外交について何も分かってないのに、口を挟まないで頂きたい!」


「確かに、あまり詳しくないかもしれないわね。

でも担当国向けのお礼状一つ書けない人は、外交部では使いものにならないってことぐらい、わたくしにも分かるわ。

外交に詳しい大臣も、それぐらい分かるわよね?」


大臣は言葉に詰まる。

本当に礼状一つ書けないなら、外交部では仕事なんてできない。


もちろん、本当に書けないということはないだろう。

だが、今さら書けると言うことはできないに違いない。

カタリーナはそう予測する。


王妃の監査権について、カタリーナは知っていた。

それなら、不敬罪の構成要件も知っている可能性が高い。

即座に罷免してしまう気性の激しさを考えると、できると言い直したら今度は不敬罪に問われる可能性が高い。

王族への虚偽の報告は、不敬罪に当たるからだ。

能力不足で刑事罰を科されることはないが、不敬罪には刑事罰がある。

言い直したら、もっとひどい目に遭う可能性が高い。

彼らはきっとそう考えるだろうと、カタリーナは読んでいた。


「大臣は、この人たちのことよりご自分の心配をした方が良いと思うわ。

他国への礼状一つ書けない人を何人も雇用していたんだから、あなたの任命責任も問わなくてはならないもの。

これからわたくしは監査報告書を陛下に提出するから、大臣は次の貴族会議までに進退を考えておくべきだわ」


「……後悔しますよ?」


「ふふ。わたくしを後悔させることが、あなたにできるのかしら?」


不敵な笑みを浮かべてそう言うと、カタリーナは席を立つ。





「王妃殿下。

本当に、これで良かったのでしょうか?

今回の件で、アウフレヒト家とオルローブ家は、王妃殿下が自分たちにとって障害になると認識したはずです。

王妃殿下のお命を狙ってくる可能性も高いと思います」


外交部を後にして廊下を歩いていると、侍女のジビラがカタリーナに話し掛ける。


「何も問題はないわ」


「呪術が使い放題になる霊宝をお持ちなのは存じています。

でも近距離では、呪術は剣に勝てません。

往々にして暗殺者は、不意に刃物で襲って来ます」


呪術では、接近戦で大したことができない。

狐火きつねびの術などで火を点けられても、焼け死ぬより前に術者を斬れる。

式神に護らせるにしても、一体の式神で三人の刺客への対処は困難だ。

数人の暗殺者に襲われると、呪術師は簡単に殺されてしまう。


「大丈夫よ。わたくしは特別なの」


前世では、二十年以上も戦場を渡り歩いてきた。

それだけ血腥ちなまぐさい場所にいれば、夜襲や近接戦闘だって数え切れないほどある。

今さら刺客に襲撃されたところで大した問題ではない。

カタリーナはそう思っていた。


「本当に、理解されているんですか?

王妃殿下お一人を害したところで、王家が軍事力を行使できる条件の『侵略』には当たりません。

軍による報復が、王家はできないんです。

ですから、あの人たちは、何の気兼ねもなく王妃殿下を狙えるんです。

不可侵貴族を怒らせるのは、本当に危険なことなんですよ?」


自分の命が危ないというのに、カタリーナは気にする様子が一向にない。

それがジビラを、苛立つほどに心配させる。


「実はね、あの人たちにわたくしを狙わせることも、今日の目的の一つなの。

だから心配は不要よ。

危険だってことも、気にしなくて良いわ。

まつりごとは、国のために、民のために命を懸けてするものなの。

危険で当たり前なのよ?」


視線だけ後ろに向けたカタリーナがそう言って笑うと、ジビラは目を見開いて立ち止まってしまう。

後ろを歩く侍女が足を止めたことに気付き、仕方なくカタリーナも足を止める。


「……王妃殿下を決して軽んじることがないようにと、陛下はおっしゃっていました。

ようやく、その理由が私にも分かりました」


「ちょ、ちょっと? どうしたの?」


ジビラはスカートを翻し、太ももに隠していた短剣を抜く。

それからカタリーナにひざまずき、両手でその短剣をささげる。


「今このときより、私、ジビラ・カセロッティはなんじに剣の忠誠をささげます。

この身はなんじが剣、この命はなんじが盾、この心はなんじよろい

その証として、我が剣をなんじに」


騎士の誓いの定型句だった。


(そう言えばこの子、騎士の家の子だったわね……)


ささげられた「剣の忠誠」を受け取らないのは、騎士の決意に対する侮辱だ。

大変な非礼となってしまう。

仕方なく短剣を受け取り、剣身の側面でジビラの両肩をそれぞれ二回叩いてから短剣をジビラに返す。

これで忠誠を受け取ったことになる。


「これからも陛下への報告は続けてね?

わたくしにとっても、それが利益になるの」


ジビラは、フィーリップが送り込んだカタリーナの監視役だ。

下手に取り込んでしまったら、フィーリップとの関係が悪化しかねない。

そんなことにならないよう、カタリーナはくぎを刺す。


「それもご存知だったんですね?

感服しました。

では、秘密にされたいことがありましたらお申し付け下さい。

それについては誰にも話しません」


「ええ。そうするわ。

これからよろしくね?」



◆◆◆



「ジビラから聞いたぞ」


フィーリップの執務室を訪れて、カタリーナが最初に言われた言葉がそれだった。

彼の顔には、怒りがにじんでいる。


「申し訳ありません。

陛下の大切な臣下を奪うような形になってしまいました」


「それは別に構わない。

命を賭して君の志を守りたいと、ジビラは言っていた。

仕えるべき主に出会えるというのは、大変な幸運で、むしろ祝うべきことだ」


「ですが……相当ご立腹のご様子ですわ」


「外交部から、アウフレヒト辺境伯家とオルローブ侯爵家の関係者を排除したそうだな?

ジビラから聞いたのはそのことだ。

なぜ、そんなことをした?」


幼い王が取り結んでしまった「王家は、侵略を受けない限りその貴族家に武力行使をしない」という約定には、大きな盲点があった。

王家やその直系家門の人間の暗殺が、その「侵略」に含まれていなかったのだ。

この約定により、王家側の人間が不可侵貴族に殺されたとしても、王家は武力行使できなくなってしまった。


家門やその直系家門の人間が殺された場合、通常なら領地戦となる。

現に、コルウィッツ夫人の暗殺未遂事件でも、コルウィッツ家とハッツフェルト家の間で領地戦が始まりそうな気配だ。

他の貴族が当たり前にできることを、王家はできなくなってしまった。


軍事的脅威が薄れたことで、不可侵貴族たちは王家を食い荒らし始めた。

その横暴を止めようとする王家直系家門の者も過去にはいたが、みな暗殺されてしまった。


忠臣を暗殺されても、王家は軍事的報復ができなかった。

せいぜい犯人が発覚したときに王宮内での役職を取り上げる程度であり、不可侵貴族家にとっては時間さえあれば回復可能な損害でしかなかった。


今ではもう、不可侵貴族家たちの横暴を止めようとする者はいない。

そう。カタリーナを除いては。


カタリーナだけは、何人刺客を送り込まれたところで暗殺される心配がない。

カタリーナだけは、勝手気ままに不可侵貴族家の横暴を阻止できる。

カタリーナを最大限に活用して奪われた利権を回復させることが、王家にとって最善だ。


だからフィーリップなら当然、賛成してくれると思っていた。

しかしフィーリップの態度は、予想とは全く違うものだった。

カタリーナは困惑する。


「それはもちろん、外交利権をむさぼるあの者たちの排除が王家の利となるからですわ。

陛下は、また別のお考えをお持ちですか?」


「いや、君と同じ考えだ。

あの者たちの排除は、王家にとって大きな利益だ」


「では、何が問題ですの?」


「決まっている。

君が狙われることになるだろう?

危険すぎる」


「それは大丈夫ですわ。

先日実演した通り、わたくしを暗殺することなんてできませんもの」


エミーリエを侍女とするとき、カタリーナは暗殺に対処できる能力をフィーリップに見せている。

睡眠中に不意討ちされたとしても十分に対処できることは、フィーリップにも説明している。


「それでも、万が一ということがあるだろう?」


「わたくしの戦力に、疑問をお持ちなのですね?

それでは、こうしましょう?

暗殺を想定した模擬戦をしてみせますわ。

陛下は、騎士や隠密、呪術師など様々な者たちを使ってわたくしの暗殺を試みて下さいませ。

何人掛かりでも、飛び道具や毒を使っても構いませんわ。

わたくしは、それを全て防いでみせます。

もしわたくしが危なげなく防ぎきったら、王宮をむしばむ害虫の駆除を、今後も続けることをお認め頂きたいですわ」


「……いいだろう」






王族のみが使う訓練場に連れて来られたカタリーナは、怪我をしないようにと防具を身に着けさせられた。

盾を使わずよろいで剣を受けることを想定した重装歩兵用のよろいを着せられ、その上に頑丈な鎖で編まれた頭まですっぽり覆うローブを三枚着せられ、さらにネックガードやバックラーなどの金属製補助防具をいくつも着けさせられた。


(お、重いわ。重すぎるわ)


金属塊のようになってしまったカタリーナは、もはや自力では歩けなかった。

騎士たちによって訓練場の中央に運ばれる。

その間抜けな様子に、模擬戦の相手となる騎士や呪術師たちから笑いが漏れる。

フルフェイスのかぶとの下で、カタリーナは赤面する。


模擬戦は順調だった。

複数の騎士たちに斬り掛かられても、隠密に毒の粉をかれても、何人もの弓兵から一斉に矢を射掛けられても、式神や攻撃呪術による攻撃を受けても、カタリーナは危なげなく対処できた。




「わたくしの害虫駆除、お認めいただけますわね?」


模擬戦が一段落したところで、カタリーナがフィーリップに尋ねる。


「……君に十分な対処能力があるのは分かった。

しかし、君ばかり危険な目に遭うこともないのではないか?」


カタリーナが実力を見せたにもかかわらず、フィーリップはまだ不服そうな顔だった。


「それは、問題ありませんわ。

わたくしの得意なことが、たまたま荒事だっただけですもの。

わたくしたちは、共に政局を乗り切るパートナーですわ。

お互いが得意なことをすれば良いと思いますの」


「できれば……この手で守れる範囲に君を置いておきたい」


「わたくしは、戦場で背中を預け合えるような、そんな関係を望んでいますわ」


背中を預け合うとは、つまり相手を信頼、もしくは信用するということだ。

これまで誰も信頼しなかったフィーリップだ。

おそらく、カタリーナという人間を信頼することはできないだろう。


しかし合理的な計算に基づきカタリーナを駒として活用することなら、人に対する信頼に関係なくできる。

この模擬戦で、カタリーナは自分が強力な駒であることを立証してみせた。

人として信頼できなくても、有用な駒としてその能力を信用して使ってほしい。

カタリーナが言う背中を預け合う関係とは、そういう意味だった。


この厳しい政局を乗り切るには、暗殺に強い自分の活用が不可欠だ。

自分という駒を、自陣奥深くの安全なところに置いたままでは駄目だ。

その駒を、敵陣深くまで進ませる必要がある。

カタリーナは、そう考えていた。


「……君は……そういう男が好きなのか?」


「は? え?」


全く想定していなかったフィーリップの問い掛けに、カタリーナは変な声が漏れてしまう。


「パートナーに背中を預けるような、そういう男が好きなのか?」


カタリーナは言葉に詰まってしまう。


(違う! 違うわよ!

落ち着くのよ!

今は政治のお話をしているんだから、王と王妃の政治的な関係についてお尋ねになっているのよ!)


「は……はい……そ、そういう関係が……望ましいと思います」


「……分かった。君に背中を預けよう。

思う存分、害虫駆除をするが良い。

だが、何かあったらすぐに相談してほしい。

些細ささいなことも杞憂きゆうも全て、だ。

必ず全て、私に相談するのだ。

できる限り支援する」


「あ、ありがとう存じます」


フィーリップが向ける美しい瞳は、とても真剣なものだった。

本気で心配してくれるその眼差まなざしに、頬が熱くなるのを感じた。


自分は今、どんな顔をしているんだろう。

フルフェイスのかぶとを被っていて良かった。

カタリーナはそう思った。

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