第47話 オーストレーム帝国へ

「はわぅ!?」


馬車には今、カタリーナとフィーリップの二人しかいない。

二人だけの密室で突然、すぐ隣に座るフィーリップに手を握られた。

カタリーナはつい、変な声を出してしまう。


「もう恋人同士なのだ。

手をつないだって構わないだろう?」


「は……はうぅ」


またも変な声が出てしまった。

自分では、優雅に微笑ほほえんで「はい」と言うつもりだった。

だが、緊張がそれを許してくれなかった。


二人が乗る馬車は、オーストレーム帝国へと向かっている。

連邦議会に出席するためだ。

オーストレーム帝国はグリム連邦の議長国であり、連邦議会はいつもそこで開催される。


今回行われる連邦議会は、臨時総会だ。

フロリアン王子の殺害をフィーリップが各国に通知したため、急遽きゅうきょ開催が決まった。


既に、事件から一ヶ月半ほど経っている。

構成国全ての日程を調整した上で開催されるため、どれだけ急いでもこの程度の期間は必要だった。


「見てくれ。

子どものビーバーがいるぞ」


フィーリップが視線を向ける馬車の外を見ると、川辺に五匹のビーバーがいた。

大人が二匹で、子どもが三匹だ。

じゃれつく子どもたちの相手を、大人たちがしている。


「……初めて見ましたわ」


木をかじったり、ダムのような巣を作ったりするので、ビーバーの痕跡を見付けるのは容易い。

しかし、警戒心が強く、水中や巣の中にいることも多いため、ビーバーそのものを見付けるのは難しい。

特に子どもは、安全な巣の中にいることがほとんどであり、人が目にすることはほとんどない。


「私もだ」


ビーバー親子からカタリーナへと視線を移し、フィーリップは笑顔を見せる。

その笑顔がまぶしすぎて、カタリーナは目を逸らしてしまう。

頬が熱くなるのが、自分でも分かった。


フィーリップに想いを伝えてから、カタリーナはずっとこんな調子だ。

つないだ手から伝わる彼の体温も、すぐ真横から向けられる彼の笑顔も、間近で聞こえる男性らしい低い声も、何もかもが刺激的だった。

彼の一つ一つに、カタリーナの胸は高鳴ってばかりだった。


恋をするとは、どういうことなのか。

これまで知らなかったことを、カタリーナは実体験によって理解し始めていた。


周囲の人たちには、恋愛に重きを置く者が多かった。

これまで、その気持ちが理解できなかった。

しかし、実際に自分が経験してみて、恋愛を重視する彼女たちの気持ちが理解できた。




「襲撃です!

服装から山賊と思われますが、かなり腕が立ちます!」


森の中を走っていた馬車が停まり、窓の外から騎士がそう声を掛ける。


「……わたくしがお相手をするわ」


甘いムードが台無しになって、不快感を隠せない顔でカタリーナは言う。


馬車を出て周囲を確認すると、道の前後をふさぐように山賊が陣取っていた。

道から外れた草むらにも、馬車を取り囲むように山賊が武器を持って身構えている。

草や木に隠れてはいるが、山賊の人影はかなり遠くまで続いている。

相当な規模の襲撃だ。


彼らはまだ、こちらに斬り掛かって来てはいない。

まずは遠距離から矢を射掛け、近接戦の前にこちらの兵力を損耗させようとしている最中だ。

対して、こちらの騎士たちは、大盾や木の板を使って自身や馬などを矢から守っている。


カタリーナが手を挙げて手のひらを前方に向けると、騎士や馬車を包む大きな透明な膜が現れる。

盗賊たちの矢は、透明な膜に弾かれる。


「結界の呪術か!

あれだけの矢を防ぐとは! やるな!」


盗賊の一人が叫ぶ。

実際にはカタリーナの防御魔法なのだが、盗賊たちは呪術だと誤解している。


「……あなたたち、たったこれだけの人数で、わたくしをどうにかできると思っているのかしら?」


周囲を見回したカタリーナが言う。


こちらは騎士が五十人ほどだが、敵は五百人以上だ。

弓の技術や包囲する陣の組み方、堂に入った剣の構え方からして、賊の練度は正規兵以上だ。

普通に考えるなら、こちらが劣勢だ。


しかし、こちらにはカタリーナがいる。

敵の兵力がこの十倍であっても、難なく返り討ちにできる。


だから、カタリーナがそう尋ねたのは、純粋な疑問からだった。

制式の訓練を受けた形跡が見られることからして、単なる盗賊ではないことは明らかだ。

たまたま通り掛かった者を襲ったのではなく、カタリーナたちが乗る馬車を狙って襲撃したのだろう。

ここを通ることを知っていて待ち伏せたなら、この程度の兵力などカタリーナにとって物の数ではないことも知っているはずだ。


「はっ。おまえがいればこちらにも損耗は出るだろうが、結果は変わらんさ。

凄腕とはいえ、たかが呪術師、しかも貴族夫人だ。

お上品な女一人で何ができる?」


賊のリーダーとおぼしき男が、自信満々の笑顔で言う。


「うふふ。

わたくし一人で、あなたたちをみなごろしにできるわ」


カタリーナは、にっこりと笑って言う。

敵リーダーの野卑な笑い方とは対照的な、優雅で上品な笑顔だった。




当然のことながら、戦闘はカタリーナの圧勝だった。

盗賊たちの足元に半透明のいばらつるが突然生えると、あっという間に全員が絡め取られた。

拘束された者の大半は、即座に星を吸い取られ、老人のような姿になり息絶えている。


物見役と思しき三人が数百メルト離れた岩陰にいたが、カタリーナのすぐ近くの地面から生えたいばらつるがグンと伸びると、彼らも絡め取ってしまった。


物見役は死んでいない。

彼らを絡め取ったいばらつるがグンと縮み、カタリーナの足元に引き寄せられたものの、星を吸い取られてはいない。


これら全てが終わるのに、三十秒も掛からなかった。




「この程度の兵力じゃ王妃殿下には勝てないって、分かりそうなもんですけどね。

なんで、こんなことしたんでしょうかね?」


生かしておいた数名の盗賊たちが縄に掛けられる様子を眺めながら、ジビラがつぶやく。

カタリーナたちとは別の馬車で、彼女もこの旅に同行している。


「領地戦のことが、他国には正確に伝わっていないのだ。

ちょうど同じ日に、領地戦に参加した貴族家は、他家から侵攻を受けている。

ボールシャイト家も、そのとき滅んでいるだろう?

大半の他国は、その侵攻の動きを事前につかんでいた。

旧不可侵貴族家同士の争いに密偵を集中させた結果、領地戦は後回しにされたのだ」


ジビラの疑問にフィーリップが答える。


外交利権に巣喰すくう旧不可侵貴族家を排除したことで、王家は外交上の権力を取り戻した。

これにより、他国の情報を手に入れられるようにもなっている。

密偵たちから上がって来た情報によれば、領地戦の顛末を把握していない他国王家も多いとフィーリップは言う。


領地戦があった当時、王家は実権を失っており、旧不可侵貴族家がこの国の実権を握っていた。

実権者である彼らの争いこそ、他国にとっての関心事だった。


小国は、連邦内での影響力も乏しい。

これらの国に送る密偵の数は、どこの国もそう多いものではない。

少ない人数で効率的に情報を得るため、ほとんどの国は領地戦に密偵を派遣せず、その人的資源を貴族家同士の争いに回していた。


「領地戦の結果は、どう伝わっているんですか?」


「領地戦に参加した三家は、いずれも領地戦の日に他の貴族から攻められている。

領地戦にも、それら貴族家の介入があったようだと伝えられている」


ジビラの質問にフィーリップが答える。


「でも、領地戦で見せた王妃殿下の武威は有名ですし、後からだって情報は拾えるんじゃないですか?」


「密偵が直接、王家に伝えるわけではないからな。

間に何人もの人間を介することになる。

信じがたい情報というのは、途中で報告が止まって再調査が行われるのが通常だ。

普通なら即座に再調査が行われるが、その後、旧不可侵貴族家が失脚してこの国の政局が大きく動いているからな。

大半の国は、そちらの調査に手を取られて、領地戦の真相までは手が回っていないのだろう。

そんなことより、各分野での新たなキーマンやその者の性格を探ることの方が、国家にとっては重要だ」


「他の国の王家は、この国について、いい加減な知識しかないんですね。

なんだか、がっかりです……」


「我が国は、大きな国ではないからな。

他国の関心も高くはないから、入り込んでいる密偵も少ない。

必然的に、密偵から伝えられる情報も不正確なものが多くなる」


ジビラが漏らした感想に、フィーリップは苦笑いしながら言う。


これまでにカタリーナは二回、その絶大な武力を見せている。

一回目が領地戦で、二回目がフロリアン王子の侵略時だ。


フロリアン王子による侵略の事件が他国に伝わっていないことについて、ジビラは疑問に思わなかった。

他国に情報が伝わっていないことは、ジビラを含めその場にいる誰もが容易に想像できた。


一行が王宮を出る直前でも、ブルークゼーレ王国の使節団はまだ軟禁されていたし、情報が漏れないよう王宮の出入りも厳しく制限されていた。

王宮で働くジビラたちは、当然それを知っていた。


「ブルークゼーレの手の者かしら?」


独り言のようにカタリーナが言う。


これから行われる連邦会議は、この国とブルークゼーレ王国の対立について協議するものだ。

この国の王族が欠席したなら、欠席裁判となってしまう。

ブルークゼーレの主張だけが、一方的に会議で通ることになる。


「その可能性が高いが、それ以外の国の可能性もある。

尋問してみれば分かるだろう」


「尋問する時間は、ないと思いますわ」


フィーリップの言葉に、カタリーナはそう返す。


訓練された刺客から情報を引き出すのは難しい。

素人ではない、本職の尋問官が必要だ。

ときには拷問を行うことにもなるので、そのための器具もなくてはならない。


もちろん、王宮に戻れば尋問官もいるし、そのための施設もある。

しかし、今から王宮に戻ったら会議には間に合わない。


「大丈夫だ。

この先のいくつかの街でも、尋問ための場所は既に確保してある。

尋問官も拷問器具も、もうそこに送り込んである。

あとは、そこに彼らを連れて行くだけだ」


「……さすがですわね」


道中襲ってくる刺客を尋問する準備まで終えているフィーリップの仕事ぶりに、カタリーナは感心する。

山ほど仕事を抱える中、どこに、そんなことにまで気を配る余裕があったのだろうか。


そんなフィーリップも、格好良く思えてしまう。

うっとりと彼を見詰めている自分に気付き、カタリーナは恥ずかしくてうつむいてしまう。



◆◆◆◆◆◆



「……すごい街ですわね」


「二千年近い歴史がある街だからな。

オーストレーム帝国の首都になってからも、既に五百年以上経っている」


窓から景色を眺めながらつぶやいたカタリーナの言葉に、フィーリップが返す。


多少のアクシデントはあったが、カタリーナたちは無事オーストレーム帝国の帝都ウィーナに入ることができた。

その街並みに、カタリーナは圧倒されてしまった。


街に入ってから随分経つ。

カタリーナたちの国の王都なら、もう端から端まで優に抜けるほどの距離を走っている。

にもかかわらず、街の中心部である宮殿さえ見えてこない。


馬車が走る大通りは精巧に敷き詰められた石畳であり、これと同じ馬車が五台並走しても余裕があるほどの道幅だ。

その大通りに面した建物も、四階建てや五階建てといったものであり、カタリーナたちの国ではあまり見られない背の高いものばかりだ。

街を行く人たちも、お祭りの最中なのかと思ってしまうほど多い。

何もかもが、カタリーナたちの国よりはるかに文化的だった。


「あれは……随分と大きな建物ですのね」


「帝立歌劇場だ」


「まあ! あれが、管弦楽の聖地ですのね!」


「その近くに、赤い屋根の小さな古い家があるだろう?

モーフェットが晩年過ごしていた家だ」


「あの、天才音楽家のモーフェットですの!?

名声の割には、随分と小さな家ですわね!」


カタリーナは初めてこの街に来たが、フィーリップは連邦議会に出席するため何度か来ている。

まるでガイドのように、彼はカタリーナの観光の手助けをする。


恋人同士になる前から、彼はずっとこんな感じだった。

カタリーナが楽しめるようにと、いつも気遣ってくれていた。


彼が見せる優しさは、これまでと何も変わっていない。

しかし、恋人になる前と後では、それが全く違うもののように感じられた。

今の彼の気遣いは、親切にしてくれたことに対する感謝だけではない、胸がきゅんとするような嬉しさを心に生み出すものだった。




「尋問の結果が届きました」


馬を降りた騎士が、馬車の扉をノックした。

扉を開けると、騎士はそう言って書簡を差し出した。


街中であるため、馬車は常歩なみあしの速度だ。

徒歩でも難なく馬車と並走できる。


「襲撃は、ツヴィンガー王国によるものらしい」


書簡を受け取り、それに目を通しながらフィーリップは言う。


「ええっ? ツヴィンガー王国ですの?」


カタリーナにとって、全く予想外だった。

ツヴィンガー王国とは、国境を接していない。

同じ連邦の構成国ではあるものの、カタリーナたちの国とは縁が薄い。


なるほど。

密偵の数が少なく、カタリーナの戦力を把握しきれなかったのもうなずける。

縁が薄い小国の動向なんて、注意も払わないだろう。


それにしても、なぜ襲撃したのだろうか?

カタリーナは考える。


ツヴィンガー王国は、カタリーナたちの国とは縁が薄いが、ブルークゼーレ王国とは国境を接している。

両国は同じ一等国同士であり、隣接することから利害衝突も多い。


ブルークゼーレがこの国をみ込もうとしている今、ライバル国の国力増強を阻止しようと動くなら分かる。

しかし、カタリーナたちを襲撃して連邦議会に出席させず、ブルークゼーレの主張だけが一方的に通るよう画策するのは理解に苦しむ。


「狙いは君だけで、私は生かしておくつもりだったようだ」


カタリーナは、また考えてしまう。


現在、カタリーナは、霊宝の所有者として広く認識されている。

たとえ密偵が少なかったとしても、その程度の情報は拾えるはずだ。

霊宝所有者であるために、狙ったのだろうか?

しかし、そうする理由が分からない。


ただでさえ、国力で勝るブルークゼーレの方が、この国との戦争では圧倒的に優勢だ。

カタリーナの戦力を知らないなら、そう考えるのが自然だ。

霊宝所有者であるカタリーナを殺してしまったら、ブルークゼーレはさらに有利になってしまう。

これでは、ライバル国の領土拡大を援護射撃するようなものだ。


ツヴィンガーとブルークゼーレで、同盟でも結んだのだろうか?

しかし、長年険悪だった両国だ。

たかが小国一つのために、これまでの対立を水に流して力を合わせるとは考え難い……。


すっかり仕事モードになってしまい、カタリーナは景色を楽しめなくなってしまった。

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