第46話 恋に全力を尽くす

「……その……相談があるの。

わたくし、おかしくなってしまったみたいなの……」


深刻な顔で、カタリーナは相談を切り出す。


「何があったのさ?」


そう尋ねるエミーリエは、お菓子をつまみながらのんびりとくつろいでいる。

思い詰めた様子のカタリーナとは対照的だ。

深刻な顔で相談を持ち掛けるカタリーナに、彼女はすっかり慣れていた。


マルガレーテが、寝るときも首飾りを外さなくなった。

昼間、マルガレーテが眠たそうな顔をすることが多いが、睡眠時間が少ないのではないか。

ビーズ遊びをするとき、マルガレーテは手元を見ていないことも多い。

何か問題があるのかもしれない。

深刻な顔で持ち掛けた相談は、これまで大体そんな内容だった。

エミーリエからしたら「何でそんな深刻な顔してんの?」と言いたくなる相談ばかりだった。


「……」


カタリーナは、言葉に詰まってしまう。

キスされて以降、フィーリップとまともに会話できなくなってしまった。

そのことを相談したいのだが、そのためにはまず、フィーリップとのキスについて話さなくてはならない。


あの出来事は、エミーリエたちにも簡単には話せないことだった。

恥ずかし過ぎて誰にも言えない、秘密の中の秘密だった。


しかし、いつまでもこんな状態でいるわけにはいかない。

意を決して、誰にも言えなかった秘密を打ち明けることにする。


「そ、そ、その……あ、あの、あの……」


顔をいちごのように赤くして、言葉を詰まらせながらも、カタリーナはあの日の出来事を説明する。


「え? それだけだったんですか?」


「どういう意味かしら?」


ジビラの質問に、カタリーナは困惑してしまう。


「先日の恥ずかしがり様からして、てっきり、ベッドの上で深く愛し合ったのかと思っていました」


「な、な、な、な、何を言っているのかしらっ!!?」


ジビラの勘違いに、カタリーナは猛烈な抗議をする。


「でも、そういう誤解してる人は多いと思うよ?

私たちのところにも、いっぱい来てたよ。

王子様が生まれたらどっちが後継者になるのか、予想でも良いから教えてくれって人がさ。

そんなの、私たちに分かるわけないのに」


エミーリエが、ジビラを援護する。


多くの人が彼女たちのもとへ来るのは、理解できる。

王位継承権者のうち誰を推すかというのは、一族の運命を左右する重要な問題だ。

それを決める前は、少しでも多くの情報を得たいだろう。


そして、王族と近しい者の予想は、往々にして正しい。

エミーリエたちの予想を聞きたがるのも、理解はできる。


しかし、自分たちに初夜がなかったことは公然の秘密だというのに、多くの者が王子誕生を予想することになっているこの状況を、カタリーナは全く理解できなかった。


「そりゃ、そうなるでしょ。

これまで陛下とは、普通に仲良くしてたじゃない?

それが急に、会うなり顔真っ赤にして逃げ出すようになったんだもん。

初夜に何もなかった夫婦が急にそうなったら、やることやっちゃったんだろうなあって、みんな思うんじゃない?」


「そんな……」


動揺は、巧みに隠しているつもりだった。

だが実際は、誰の目にもバレバレだった。

それを知って、カタリーナはショックを受ける。


「そう言えば、ご相談があるっておっしゃってましたよね?

何をご相談になりたいのか、分かりましたよ。

どうやって陛下をベッドに誘うか、ですよね?

キスも済ませましたし、次はベッドですもんね?」


「ち、ち、ち、違うわよっ!

そ、そ、そんなわけないでしょうっ!?

そ、そうではなくて……あの……ふ、普通に話せるようになりたいの。

このままでは、嫌われてしまうかもしれないでしょう?」


顔を赤らめ手をぶんぶんと振って、ニマニマと笑みを浮かべるジビラの問い掛けを否定する。


ジビラのこういった発言は、いつものことだ。

しかし、これまでとは比べ物にならないぐらい、カタリーナは恥ずかしかった。

キスをしたことで、それ以上のことをより現実的に感じていた。


「つまり、好きけしちゃってるのを何とかしたいってことね?」


エミーリエが尋ねる。


「好きけ?

言葉からすると、好きなのにけてしまうという意味よね?

それは、違うと思うわ」


「なんでそう思うのさ?」


「だって……わたくしが陛下を好かどうかは……まだ分からないわ」


「はあ。そこからなんだ……」


エミーリエは溜息ためいきく。


「王妃様さ。陛下にキスされて、どう思った?」


「は……恥ずかしかったわ」


「そりゃ、王妃様みたいな人なら恥ずかしいよね。

そうじゃなくて、嫌悪感みたいなのはあった?」


エミーリエにそう聞かれて、カタリーナは考え込んでしまう。


キスをされたときは、天地がひっくり返るような大混乱だった。

当時の自分がどう思っていたのかは……正直なところ、よく分からない。


その後は、どうだっただろうか……。

彼の唇が目に入ったり、彼に見詰められたりすると、ついあのときのことを思い出してしまい、気が動転してしまっていた。

恥ずかしくて、逃げ出したかった。


しかし、嫌悪感はあったのだろうか。

……あったのは、嫌悪感ではない。

彼の笑顔が向けられたとき、彼が気遣ってくれたとき、感じたのは嫌悪感ではなかった。

むしろ、跳ね回りたくなるような嬉しさだった……。


「ほらね?

やっぱり、嫌じゃなかったんでしょ?

王妃様はイケメンなら誰でもOKってタイプじゃないし、好きでもない人にキスされたら、きっと嫌な気分になると思うよ?」


……きっと、そうだろう。

気もない男性にキスをされたら、嫌な気分になるだろう。


「それに、今だって心配なのは、陛下に嫌われちゃうかもしれないってことでしょ?

それこそ、王妃様の本音なんじゃないの?」


エミーリエの言い分を、認めざるを得なかった。

あんなに大胆なことをされても、彼に対して嫌悪感が湧いていない。

そして今、心配しているのは、フィーリップに嫌われてしまうかもしれないということだ。

彼に恋愛感情がある、としか考えられなかった。


「もしかして、わたくし……恋をしているのかしら……」


「ようやく気付きましたね」


「ホント。遅すぎだって」


ジビラとエミーリエは、そう言って笑う。


「ふ、二人とも! 知っていたのかしら!?」


「当然です」


「当たり前じゃない」


聞けば、フィーリップのことを悪く言うとムッとすること、彼との酒席の前はうきうきした様子なこと、彼のことを話すときは楽しそうな顔をすること、最近それが顕著になってきたことなどから、二人はカタリーナの気持ちに気付いていたとのことだった。


「さて。

それじゃ、好きけしちゃうことの対策だね?

王妃様が好きけしちゃう理由って、恥ずかしいからだよね?」


「……そ……そうね」


フィーリップに恋愛感情を持っているものとして、エミーリエは会話が進める。

改めて自分でそれを認めると、カタリーナは頬が熱くなる。


「でも、それだけじゃない気がするんだよね」


「……どういうことかしら?」


「ただ恥ずかしいだけで好きけしちゃう人ってね。

亀の歩みだけど、少しずつ距離が縮まっていくものなんだよ。

でも、王妃様はそうじゃないでしょ?

キスされてからも全然、距離が縮まらないじゃない。

それ以上近付かないようにって、自分でブレーキ掛けてるように思えるんだけど?」


……言われてみれば、そうかもしれない。

エミーリエの言葉に、カタリーナは納得する。


「好きけしちゃう理由って、恥ずかしい以外にも色々とあるんだよ。

今更好きだなんて言えないって体面気にしてる場合とか、きっと無理だろうって諦めてちゃって距離置いてる場合とか、考え過ぎちゃって駆け引きのつもりで遠ざけちゃってる場合とかさ。

王妃様の場合、破局の心配もしてたし、最初から諦めちゃってるように思えるよ?」


エミーリエに指摘されて、カタリーナは初めて気付く。


恋愛でも頑張ると、以前、心に決めた。

だが、頑張り切れていなかった。

まるで、最初から諦めてしまっているようだった。


その原因を、カタリーナは考える。

……頑張れなかった理由は、恋仲になってしまうことを無意識に恐れていたからだ。

たとえ恋仲になったとしても、きっと駄目になる。

そういう考えが、ぬぐい切れていなかった。

無意識のうちに逃げ回ってしまったのは、心の根底にその恐れがあるからだ。


「……そうね。

あなたの言う通り、恋仲になるのを恐れていたわ。

どうせ上手くいかないって分かっているから、それで尻込みしてしまっていたの」


「どうせ上手くいかないって、何をおっしゃるんですか!?

王妃殿下は、もっと自分に自信を持つべきです!

私が保障します!

王妃殿下は、十分に魅力的な方です!」


拳を握り締めて、ジビラが力説する。


「ありがとう。

でも、そう簡単に自信は持てないのよ。

だって、何の実績も経験もないんですもの」


「それなら、私が王妃殿下に自信を持たせてみせます!

次に陛下とお会いするときのドレスは、男性の誰もが目を離せなくなるような際どいものにしましょう!」


「あの……普通のドレスにしてちょうだい?」


やる気を燃え上がらせるジビラに、カタリーナはすっかりビビってしまう。


「大丈夫だよ。ジビラちゃん。

自信なんて、なくても良いんだよ。

恋愛で大切なのはね。

体面を保つことじゃないよ?

変に着飾ったりしないで、駄目な自分も、自信がない自分も、全部相手に見せることが大事なんだよ。

だからさ。

破局なんて心配してないで、自分の弱いとこも、駄目なとこも、できないことも、全部陛下に見せようよ?

それが、恋愛を頑張ることだって、私は思うよ?」


衝撃的なアドバイスだった。

積極的に親切にして、はっきりと好意を伝えること。

それが恋愛を頑張ることだと、これまでカタリーナは思っていた。

だがエミーリエは、弱いところや駄目なところを見せることが、恋愛を頑張ることだと言う。


「恋を育てる過程はね。

お互いを深く知っていく過程でもあるんだよ。

だから、素のままの自分を見せる必要があるの。

もちろん、いきなり全部さらけ出す必要はないよ?

お互いに受け入れられる範囲で、少しずつ本当の自分を見せ合っていけば、深くしっかりと恋が育つと思うよ?」


「……そうね。その通りね。

怖いけれど、やってみるわ。

それに……最初に幻滅されてしまった方が、傷も浅くて済むもの」


「そっか。

じゃあ、まずは陛下にお手紙書こっか?」


「お手紙? どうしてかしら?」


「このままだと嫌われちゃうってことを、早急に何とかしたいんでしょ?

だったら、嫌われるより前に『逃げちゃってごめんなさい。でも、本当は仲良くしたいの』って陛下に伝えなきゃじゃない?

もちろん、自分の口で伝えられるなら、それが一番だけどさ。

でも王妃様、今陛下に会っても、あたふたしちゃって、まともに説明できないんじゃない?」


その通りだと、カタリーナは思った。

今のこの状況では、落ち着いて事情を説明できるとは思えない。

かと言って、いつまでも説明しないままでは、フィーリップに嫌われてしまう。

ここで事情を説明するなら、手紙が最適だ。


それにしても、こうも矢継ぎ早に的確なアドバイスをするとは、さすがは恋愛強者だ。

前世で孫までいた人は、戦闘力がまるで違う。

カタリーナはそう思い、エミーリエを尊敬の目で見てしまう。


「うん。手紙を書くわ」


エミーリエやジビラに手伝ってもらいながら、カタリーナは手紙を書き始める。





「ようやく書き終わりましたね。

さあ。次はお着替えです」


マルガレーテを寝かし付けてからも書いていた手紙が、ようやく書き終わった。

そのタイミングで、ジビラがそんなことを言う。


「着替え?

どうして、それに着替える必要があるのかしら?」


あとはもう、少し事務仕事をしてから寝るだけだ。

にもかかわらず、ジビラが持って来たのは、これから夜会にでも出るかのようなドレスだった。


「これから、陛下と酒席ですから」


「ええっ!!?

そんなこと、聞いていないわっ!!」


「当然です。

陛下の使用人が打診に来たとき、こっそり私がOKしましたから。

そのとき王妃殿下は、お手紙を書かれていましたね」


「えええっ!!?

ちょ、ちょ、ちょっと待って!!

ま、ま、まだ手紙もお渡ししていないわ!!」


「お会いしたとき、直接お渡しすれば良いじゃないですか?

さあ、陛下がお待ちです。

急ぎましょう」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って!!

ま、ま、まだ、こ、こ、心の準備が!!」


「お着替えしながら、してください」


侍女たちが勢揃せいぞろいで、カタリーナの着替えやメイクに取り掛かる。

彼女たちによる入念な検討の末に選ばれたドレスは、背中と胸元が大きく開いた、深紅のマーメイドラインドレスだった。

トレーンも長く、アクセサリーも豪華で、いつも以上に華やかだ。

あれよあれよと着せられて、カタリーナは部屋を追い出される。



◆◆◆◆◆◆



「お、お待たせしました」


酒席の準備が調ととのえられた部屋に入り、待っていたフィーリップにそう声を掛ける。


カタリーナはつい、もじもじとしてしまう。

これほど大胆に肌を見せ、体の線がはっきりと分かるドレスを、カタリーナはこれまで着たことがなかった。

抵抗はしたものの、ジビラたちの圧力に負け、結局着ることになってしまった。


「美しい。

今日は、一段と魅力的だ」


笑顔でそう言われると、余計に恥ずかしくなってしまう。


フィーリップは、カタリーナに近付いて来る。

その顔には、ありありと緊張の色が見える。

そんな表情で近付かれる意図が分からず、カタリーナは胸が跳ねてしまう。


「すまなかった」


カタリーナの前でひざまずき、彼は深々と謝罪する。


「陛……フィ、フィル?」


「私が、焦りすぎていた。

君の気持ちを考えて、もっとゆっくりと進めるべきだった。

だから、どうか……私を嫌いにならないでほしい」


深く思い悩んだような瞳で、彼はカタリーナを見上げる。


ああ。

自分だけではなかったのか。

カタリーナはそう思った。


キス以降も、彼はずっと穏やかな笑顔だった。

余裕がないのは、自分だけだと思っていた。

そうではなかった。


彼は、彼なりに思い悩んでいたのだ。

切実に満ちた彼の目が、それを如実に教えてくれる。


「あ、あの、わ、わたくし、恋愛はま、全く経験がありませんわ。

で、ですから、きっと、フィ、フィルを、た、退屈させてしまうとお、思いますの」


エミーリエのアドバイスを思い出し、カタリーナは自分の駄目なところを説明する。


「そんなことはない。

今までと同じようにしてくれるだけで、十分に楽しい」


「お、お話も、お、面白いお話が、お、お、思い浮かびませんわ」


「君が話してくれるなら、どんな話でも楽しいな。

君が何を思い、どんなことを考えているのか、それが分かるだけで十分嬉しい」


「こ、こ、こ、恋人同士がするような、あ、あ、甘い会話なんて、き、きっとできませんわ」


「甘い言葉を言わなくても、何も問題はない。

君がいてくれるだけで、私は甘い気分になるからな」


「ほ、本当に、わたくし、ぜ、全然、だ、駄目なんです」


カタリーナの手を取ると、フィーリップは彼女の手の甲にキスをする。


「そんな君を、私は愛しているんだ」


彼はそう言って笑う。

溶けてしまいそうなほど、甘い甘い笑顔だった。


「教えてほしい。

君は……私のことをどう想っているのだ?」


彼のその笑顔に、全身がしびれてしまったようだった。

思考が上手く働かず、彼のことだけで頭がいっぱいになってしまう。


「……す、す、す、好きです」


普段なら、決して言えない一言だった。

言えたのは、彼の甘い笑みと優しい言葉があったからだ。


それでもカタリーナは、精いっぱいの勇気を振り絞る必要があった。

彼女は、彼女なりに全力を尽くしていた。


予想とは違う答えだったようで、フィーリップは目を見開く。

そして、輝くように笑う。


彼は立ち上がると、カタリーナの背中に手を回して顔を近付ける。


背中の開いたドレスのため彼の手が素肌に触れ、息は触れ合っている。

心臓は痛いほど早鐘を打ち、目の前にいる彼以外が見えなくなってしまう。

まるで溺れてしまったようで、呼吸さえ難しくなる。


「キスをしても?」


フィーリップのその言葉を、承諾してしまったら、もう後戻りはできない。

そんな気がした。


どうするべきなのか、カタリーナは心に問い掛ける。

後戻りはしたくない。

たとえ、いずれ破滅するとしても、この一瞬だけは流れに任せ、幸せに浸りたい。

それが、素直な気持ちだった。


カタリーナはそっと瞳を閉じる。

生まれて初めて、彼女は男性からのキスを受け入れる。


何度も書き直し、苦労して書いた彼への手紙だった。

しかし、突発的に発生した非常事態により、カタリーナの頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。

心がそこまで激震するほど、彼女にとっては大きな出来事だった。

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