紫炎


「大丈夫ですか?」


「あ、ベルブランカさん・・・ぐす・・・、あはは・・・ごめんなさい・・・お恥ずかしいところを・・・」



 カエデは布団をかぶったまま、鼻声で答える。

 速くいつも通りに戻らないと、と思いながらも中々涙を止められない。



「構いません。落ち着くまでは、このままで」



 ポンポン、とベルブランカは優しく慰めるように布団越しのカエデを撫でる。

 普段の厳しさはない。優しく、暖かく、ぎこちないながらもベルブランカの気持ちが伝わってくる。

 そうしていると、少しずつ落ち着いてきた。



「ありがとうございます・・・ベルブランカさん・・・。急にハルにいとリカねえ、兄と姉のことを思い出してしまって・・・あはは・・・情けないですよね・・・こんなに心が弱いから、魔獣を前にしても足がすくんじゃうんですよね・・・」


「いいえ、あなたは弱くなんてありません」


「え?」



 布団は頭にかぶったまま、少しだけカエデは顔を出す。

 暗闇の中でもわかるくらい、目は充血、頬は紅潮している。



「あなたは恐怖に駆られながらも、子供を助けたでしょう?魔法などなくとも、人を助ける為に行動できた。それだけであなたは、テラガラー王家に仕えるだけに相応しい人物だと、私は思います」


「あ・・・」


「それにあなたは一人じゃありません。陛下もあなたを大切にしていますし・・・私も、もうあなたを認めています。きっとご兄妹も見つかると思いますよ」



 初めて見るベルブランカの微笑み。

 月明かりが窓辺から指して、幻想的で美しい。


 ベルブランカにしては珍しく根拠のない、ただ希望を持たせる為だけの言葉。

 だが認められたということ以上に、不器用なベルブランカの優しさが、思いが伝わってきて、カエデの目にまたさらに涙が込み上げてくる。


 そして、ガバっとベルブランカの細い腰に抱き着いた。



「うえええええん、ベルブランカさあああん」


「・・・もう、仕方ない人ですね」



 嬉しい気持ちと寂しい気持ちがごっちゃになりながら泣き続けるも、ベルブランカは優しくその頭を撫で続けていた。



―――――――――――――――――――――


 それから数分泣き続け、ようやく落ち着いてきた、と同時にものすごく恥ずかしくなってきた。

 寂しいからと、家族を思って泣きじゃくってしまうなんて、しかもベルブランカに抱き着いたまま。

 深く息をつきながら、恐る恐る体を起こす。



「もう大丈夫そうですね」


「あ、はい、ありがとうございます―――って!?」



 ベルブランカのメイド服の、腹部辺りが涙と鼻水でぐっちょぐちょになっていた。



「ごごごごごご、ごめんなさい!!!服を汚しちゃいました!!!」


「ああ、もう着替えようとしていたので、構いません」


「で、ででで、でもベルブランカさん!」


「ベル」


「へ?」



 ベルブランカはそれだけ言うと、少し恥ずかしそうにカエデから視線をそらす。



「陛下や兄さんからは、ベルと呼ばれますから。長いと言いづらいでしょうし、あなたもそう呼んでいただいて構いません」


「そ、そそそ、それはまさか親しい間柄だけに許される愛称というやつですか!?」


「・・・別にどう思っていただいても構いませんが」



 テッテレテッテッテーテーテー

 カエデの心内でファンファーレが鳴り響いた。

 来たわこの世の春が。



「やったー!!!とうとうベルブランカさんがデレたー!!!あ、ねえねえ、ベルって呼んでいい?同い年なのに、敬語って堅苦しいと思ってたんだよね。あ、私にも同じように話していいからね!」


「・・・急に距離の詰め方おかしいのではないでしょうか。もう呼び名は好きにしてください。話し方はこれが地なので変えられませんが―――って聞いてませんね」



 泣いたカラスがもう笑う、とでもいうものか、カエデはベッドの上で小躍りするほど喜んでいた。

 そんな様子を見ながら、まんざらでもなさそうなベルブランカ。



「もしよければ聞かせてください。あなたのご家族の事」


「あ、うんっ!喜んで!ハルにいとリカねえは小さい頃から―――」



 そうして嬉々としてカエデはハルとの出会いの話、リッカとの思い出を話し始めた。

 そんなカエデを見て、少しだけ目元を緩めたベルブランカは、ボソッとつぶやく。



「これが友人、というものなのでしょうか・・・」



―――――――――――――――――――――


「えええ!?私があの魔法を使えるようになる為の儀式、受けていいのっ!?」



 テラガラー城入口の広大なホールにカエデの驚きの声が響き渡る。


 ベルブランカと友の契りを交わした(と、カエデは思っている)日から数日。以前にもましてカエデはベルブランカとの距離が近かった。

 何よりも周りを驚かせたのは、ベルという愛称で呼び、敬語も使っていないにも関わらず、ベルブランカに咎められない。

 理由を聞いてみても、カエデは「もっと仲良くなっただけだよ」と言い、ベルブランカは「別に理由はありません」と言う。

 益々他のメイドは首をかしげるも、アレンだけは訳知り顔で嬉しそうに微笑んでいるのみだった。


 そんなある日、ベルブランカからコントラクト・カラーリングを受ける気はあるか、声がかかった。



「いえ、もし不要でしたら受けなくても―――」


「受ける受ける!!!受けるに決まってるよ!」



 食い気味にベルブランカの言葉を遮るカエデ。

 これでいよいよ、ファンタジー世界に心身ともにどっぷり浸かれる、と嬉しすぎてテンションが爆上がりする。



「まあ、そう言うだろうと思って手配は済んでいるのですが・・・」



 そんなカエデの反応を見たベルブランカは眉をひそめた。



「いいですか。王家の推薦、かつその費用も王家の負担となるのです。これからもより一層王家の為に邁進してもらわねば―――」


「分かってる、分かってるよー。で、で?どこで、何すればいいの?」


「・・・本当に分かっているのでしょうか」



 返事が軽いカエデに、ベルブランカはあきれ顔。

 ため息を一つついて、今後の流れについて説明。



「わが国で行われるコントラクト・カラーリングは通常教会で行われます。女神から力を賜る為に、特殊な水晶に手を当てれば、その水晶の中に自分の魔力の色と属性が映し出されます」


「ふむふむ。じゃあ、教会に行けばいいんだね?」


「いえ、今回は王室の推薦となるので、こちらに来ていただけます」


「え、いいのかな、そんな待遇・・・」



 普段は教会で申請、そのまま儀式を受けるという流れとなるが、王族、貴族、それに連なる者からの推薦等、特別枠というものがあるらしく、その場合は教会が出張で儀式を行うこともあるという。



「だからこそ、王家の顔に泥を塗るような行為は絶対にしないでください」



 どこかの愚兄のように、とボソッとベルブランカはつぶやいた。

 あはは、とカエデは苦笑しか出ない。



「そういうわけで、午後には神父様がいらっしゃいますので、準備しておいてください」


「今日早速なんだね!わかった!」



 カエデは急いで残っている業務に取り掛かり始めた。

 傍から見ても分かるぐらいワクワク、ソワソワしている。


 ベルブランカはそんなカエデの後ろ姿を見て少しだけ苦笑しながら、神父を迎え入れる準備をする為、城の外に足を向けた。



―――――――――――――――――――――


「ありがとうございましたー!」


 カエデとベルブランカは、コントラクト・カラーリングの為に来てもらっていた神父を見送る。

 無事に儀式を終えたカエデは、これでいよいよ魔法が使えると息を巻いている。


 そんなカエデの左耳には無色透明のイヤリングが風になびいていた。



「私もいよいよ、魔法使いの仲間入りかー」


「さっきも言いましたけど、儀式を受けただけでは魔法を使えるようにはなりませんよ」


「え!?そうなの!?」



 やっぱり聞いてません、とため息交じりのベルブランカ。


 曰く、魔法を発現させる為には、まずは魔装具化を果たさねばならず、今カエデが耳に着けている魔装具化用に加工した魔石のイヤリングを変化させなければならない。

 ちなみに魔装具化用に加工した魔石は、イヤリング型のみでなく、腕輪やネックレス型などもある。

 ベルブランカの魔装具化の魔石は、右耳に留めたイヤリング。

 カエデはベルブランカとお揃いがいい、という理由でイヤリングになった。


 詳しくは解明されていないが、魔装具化を果たす条件は自分の魔力が魔石に馴染んだ時、窮地に陥った時、実戦を経た時に変わることが多いと言われている。



「まあ、兄さんや私でも数週間は要しましたし、先日のような訓練と併せて気長に待っていれば自然と―――」


「あ、できた」


「―――変えられるように・・・って、え?」



 カエデの手に、身長よりも長い柄とその先に反り返った刃が付いた武器、いわゆる薙刀が握られていた。その柄は紫水晶のような紫色に輝き、白銀の刃は日の光を反射している。

 変われー変われー、とカエデが考えていると、耳に留めている無色のイヤリングが紫色の光を放ち、次の瞬間には薙刀へと形を変えていた。


 本来時間をかけて魔装具化を果たしていくものだが、カエデはいともたやすく魔装具化に成功していた。


 ベルブランカは、言葉を失い珍しく目を見開いている。



「・・・初めてあなたを見直しました」


「ふっふっふ。ドヤァ!」



 カエデは得意げにほほ笑み、薙刀型の魔装具を肩に担ぎピースサイン。



「私が魔法の天才ってことかな!?」


「・・・その色の魔力との親和性が高いということでしょうか。まぁ好都合です」


 ベルブランカの耳のイヤリングが黄色く輝き、両腕に籠手型の魔装具を纏い、少し離れた距離まで歩いて行った。



「では、予定を大幅に前倒しして魔法の訓練といきましょうか」


「ん?何するの?」


「これからあなたに向かって、魔法を打ち込むので、防いでみてください」


「え!?ちょっと待って!最初はもっとソフトな感じでやるんじゃないの!?」


「平気です、カエデなら大丈夫だと信じていますから」


「そんな信頼はいらないー!」



 心なしか、ベルブランカの声が弾んでいる。

 まるで友人と遊んではしゃいでいるかのような、そんな年相応な無邪気さが垣間見えたが、そんな変化を楽しめる状況ではない。



「『紫炎しえん』の異彩魔法、見せてもらいましょう」



―――――――――――――――――――――


 それから数分後。



「待って!待って待って!危ないって!」


 カエデは中庭を駆けまわりながら、ベルブランカの撃ち出す石の弾から逃げる。

 前に見たラピッドウルフに放ったような大きな岩ではなく、速度もその比ではないが、こぶし大の石が高速で飛んでくるのは恐怖でしかない。



「逃げてばかりじゃ訓練になりませんよ。『打ち抜け石弾、ストーンバレット』」



 詠唱による魔法の発現。

 ベルブランカの構えた右手の魔装具から、いくつもの石の弾がカエデに向かって打ち出される。

 多数の石が風切り音を伴ってカエデに襲い掛かった。



「ひょえええ!?」



 カエデは薙刀型の魔装具を持ったまま、跳ぶ、のけぞる、体を曲げる。

 一向に避けてばかりのカエデにベルブランカは腰に手を当てて、非難めいた視線を向けた。



「これじゃいつまで経っても魔法なんて使えませんよ。まずは自分の染色魔力の特性を使いこなしませんと」


「いやー分かってはいるんだけど・・・」


「とにかく、魔装具化できたということは魔力を流す感覚は分かるはずです。それと同じように意識して魔装具に魔力を流して、打ち落としてください」



 行きますよ、とベルブランカは再び右手を構えて詠唱を始める。

 カエデは意を決した表情で、薙刀の切先をベルブランカに向けた。



「魔力を流す、魔力を流す・・・」



 魔装具化できた時と同じように意識を集中。

 体の奥から何かが流れる感覚。それと同時に刃が紫色に輝き始める。


 自分の染色魔力がどのような特性かは理解している。

 以前からいつか出来ると思って思い描いてきた必殺技。

 それが現実になろうとしていた。



『打ち抜け石弾、ストーンバレット』



 ベルブランカから打ち出される石の弾。

 今度は逃げず、打ち落とすことだけに集中する。


 切先を構えた体制から、面受けの構えに移行し素早く振り下ろす一閃。

 飛来する石の弾に接触する瞬間に―――爆発。

 石の弾は粉々に砕け散った。



「できた!爆発攻撃エクスプロージョン!」



 いつだったか、ハルに男子小学生かと馬鹿にされた、夢の必殺技。

 これでドヤ顔で披露することが出来る。


 カエデの染色魔力は『紫』、属性は『炎』。その特性は爆発。

 魔装具に触れる任意の部分に魔力を貯め、爆破させることが可能となる異彩魔法。


 最初に聞いた時は何だか物騒だな、と思う反面、主人公みたいな魔法に心が躍った。攻撃だけじゃなく、爆発の威力をコントロールできれば色んな応用が効きそう、と楽しみが尽きない。



「できましたね。これでようやく魔導士としてのスタートラインに着いたことになります」


「ありがとう、ベル!全部ベルのお陰!」



 バッとベルブランカに抱き着くカエデ。

 ベルブランカはやれやれ、とでも言うような表情も、嫌がる素振りは見せない。


 あ、と思いついたように、カエデは離れて薙刀型の魔装具を立てて両手で持った。



「ちょっとやってみたいことがあったんだよねー」



 そう言って、地面に接している柄の先の部分に先ほどと同じように魔力を込めていく。なんだか嫌な予感がしてベルブランカはその場から避難。

 数秒後、ボンッという爆発音とともに、カエデは上空へと打ち上げられた。



「お、おお、おおお!?」



 グングンと空高く昇っていく。

 おかしい、当初の予定では数メートル高く飛ぶだけだったはずなのに。

 気づけば数十メートル高い所で止まり、テラガラー王都の景色が一望できた。


 だが、そんな景色を楽しむ余裕はない。



「これは・・・アカーン!」



 当然の如く自由落下していくカエデ。

 再び柄の部分に魔力を込めようとするも、焦りで上手く魔力が制御できない。そうしているうちに、どんどん地面が近づいてくる。



「ベルぅ!ベルさぁん!助けてえ!」


「・・・本当に仕方ない人ですね」



 ベルブランカはため息をつきながら、落ちてくるカエデを受け止めようと両手を広げた。



―――――――――――――――――――――


 黄の国領内。鉱山地帯、鉱山内部の奥深く。


 赤紫の髪の女が烈火のごとく怒りながら、白髪の男に詰め寄った。

 片手に持った酒瓶から、女が立った拍子に少しこぼれる。



「ゲラルト!てめえ、あたしの可愛い家族をみすみす見殺しやがったな!」



 詰め寄られた白髪の男―――ゲラルト・ヒュノシスはまるで意に介さず、表情も変えず、赤紫の髪の女―――メイリアの横を通り過ぎ円卓の席についた。



「必要な犠牲だったのだ。この十年俗世と関わらなかったせいで、現在の王の側近がどの程度の力を持つか不明だったのでな」


「てめえが協力しろっつーから、あたしの家族を貸し出してやったんだろうが!」


「協力しろと言った覚えはない。貴様がどうしてもと言うから使ってやったまでだ」


「・・・てめえ」



 メイリアから放たれる殺気が膨張していく。

 一触即発。まさにいつ殺し合いが始まってもおかしくない空気がその場を支配する。

 ひとたび触れれば瞬時に爆発し、ゲラルトを殺すためにその牙をむくことになるだろう。



「ねえ、うるさいから騒ぐなら外でやってくんない?」



 円卓に突っ伏して寝ていた色素の薄い青い髪の少年が、気だるそうに起き上がり、殺気を放つ二人に全く物おじせず、そう声をかけた。


 年の頃は十代半ばか。少年は大きく伸びをし、あくびをしている。

 そんな少年の様子に毒気を抜かれたのか、メイリアは視線をゲラルトから外す。

 それと同時に充満していた殺気も、フッと霧散していく。

 ゲラルトもくだらなそうに鼻で笑った。



「・・・次はあんたを使い倒してやるわ 」


「ふん、その前に貴様には大仕事が残っているがな」


「わあってる」



 メイリアは酒瓶をグイッと呷り、イライラを吐き出すようにブハッと飲み干す。

 酒臭かったか、頬杖をついていた少年は嫌そうに顔をそむけた。


 そしてターゲット変更とでもするかのように、青髪の少年のしなだれかかる。



「ねえ、ネストちゃーん。あんたはどうなの?『赤の魔核』担当だろ?」


「くっさ!?・・・まぁ、ボチボチだよ」



 先ほどの態度とは打って変わって、陽気な声でネストと呼んだ少年に声をかけるメイリア。

 青髪の少年―――ネストは鼻をつまみ、顔をしかめて、そう答えた。



「それよりも、どうだった?ボクの作品。通常個体のラピッドウルフよりも大きく、速く強化してみたんだけど」


「ふむ、簡単に制圧されていたからな。まだまだ、といったところだろう」


「あー?なんかあたしの家族から妙な気配がする奴がいると思えば、お前の仕業かよ」



 ネストとゲラルトのやり取りに、初耳というように睨むメイリア。



「やだなあ、ゲラルトが普通の魔獣だと簡単に制圧されてデータが取れないっていうから、ボクの研究結果の一つを投与して強くしてあげたんだよ。あ、メイリアが使役してたラピッドウルフもちょっとした魔法を使えるようにしてあげたんだけど。もうやられちゃったみたいだけどね」



 やれやれ、とネストはため息を突き、次はもっとベースになる個体は強くしないと、と付け足す。



「んだよ、そういうことは、言っておけっつーのよ」



 また不服そうにドカッと椅子に座り、酒を呷るメイリア。

 その様子を見てゲラルトは鼻で笑う。



「魔獣を見殺すのは悪く、魔獣に手を加えられるのは許容するのか」


「ああ!?強くなるならいいだろうが!魔獣の世界は弱肉強食、強ければなんでもいいんだよ」



 獰猛な笑みを浮かべるメイリアに、大して興味もなさそうなゲラルト。

 ネストは酒臭い空間にいたくないのか、そそくさと部屋から出ていこうとしている。



「じゃあ、ボクは行くよ。良い結果を楽しみにしてる」



 メイリアは酒瓶を振りながら笑顔で見送り、ゲラルトは返事をすることも、そちらを見ようともしない。

 扉に手をかけたネストが、そういえば、と立ち止まる。



「メイリアにさせる大仕事って何なの?」



 ふと気になったのか、ネストは振り返って問いかける。

 メイリアは酒を一気飲みしている最中だったので、ゲラルトが無表情のままで答えた。



「蹂躙だ」

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