第二章・魔核

第一節・藍の国

見知らぬ廃墟の中


 ――私は、小さい頃のことを覚えていない。


 それが物心がつく頃だったからなのか、単純によく覚えていないからなのかは分からない。


 家の庭から海が一望でき、そこで母が歌を口ずさむところ、それが一番古い記憶。

 妹ができたのは多分その頃だったと思う。


 母が再婚して、新しい父ができ、妹が生まれた。

 枯れ葉色の髪が可愛らしい小さな女の子。小さい頃はオドオドしていて、人見知りが凄かった。逆に自分はよく走り回る子供だったようで、その後を妹が泣きながらついてくるような事もよくあったらしい。



『リッカ、カエデ。家族は大事に、慈しみ、何よりも大切にしなければなりませんよ。いずれ、あなた達にもそう思える家族が出来るはずです。愛を以て接すれば、また相手もあなたを愛してくれることでしょう』


 

 母はよく、そんな事を言って、抱きしめてくれていた。

 その言葉の内容自体は、まだ小さかった自分にはよく分からなかったが、家族を大事にしなければならない事は、何となく分かった。

 ただ、それを言う度に悲しい顔をしていて、まるで自分を通して誰かを思い出しているかのような、何となくそんな気がしていた。


 そんな母の顔を見ていると、なんだか胸がキュッとなってしまい、泣きそうになってしまうので、よく抱き着いていたのを覚えている。

 そうすると、今までの表情が嘘のようにいつもの母に戻るので、安心していたものだった。


 それから妹とは、たまに喧嘩をしたり、我慢しなければならない事もあったが、母の言いつけ通りに、家族を大切に、お姉ちゃんとしてしっかり出来ているな、とちょっと誇らしくもあった。


 ハルと出会ったのはそんな時だった。


 ある日、いつものように妹と浜辺で貝殻拾いに夢中になっていた時、そこから見える公園で一人ポツンと海を眺めている同い年くらいの少年がいた。


 その姿が妙に寂しそうで、放っておくと今にも消えてしまいそうで。

 気がついたら公園まで走っていて、その少年の手を取っていた。



『海は見ているだけじゃ、楽しくないんだよ!』



 それから毎日のように浜辺で貝殻拾いをしたり、水のかけ合いをしたり。

 徐々に笑顔を見せてくれるようになった。


 引っ込み思案だった妹も、最初は人見知りで恥ずかしがっていたが、日を追う毎に慣れていったようで、兄と呼び慕うようになっていった。


 少し前に両親が事故で亡くなってしまい、祖父に引き取られたらしい。


 家族がいなくなるのは辛い、寂しい。

 親や妹と離れ離れになると思っただけで、涙が出そうになる。


 ある日、ハルが浜辺で、また一人で海をぼーっと見ていた時があった。


 たまたま、昨夜つけっぱなしのテレビで、ドラマか映画か、入水自殺という言葉が出てきた事があった。

 どうやら自分から水の中に入って行って死んでしまう事らしい。


 よく分からなかったが、死んだら家族にも会えず、遊ぶ事も出来なくなるし、嫌な事、悲しくなる事なのだな、と思った。


 そんなことを思い出して――



『――ダメだよ! にゅーすいじさつなんてしちゃダメだよ!しんじゃったら、あそべなくなっちゃうんだよ!』



 泣きべそをかきながら必死に引き留め、それから妹も泣き出し、ハルもつられて泣いてしまうの、てんやわんや。

 家族がいなくて寂しいなら、自分が家族になればいい、と子供ながらに考え、もう海に入って行かせまいとギュッと抱きしめた。



『ひっく……なるから! リッカとカエちゃんが、ハル君の家族になるから! ずっと一緒にいるから!』



 きっと母の言っていた大事にしたいと思える家族が出来る、というのはこういう事なのかな、と思った。


 それからは、本当に家族のようにずっと一緒に過ごしてきた。

 幼馴染、腐れ縁、親友。その関係をどのように表せばいいか、だがしっくり来るのはやはり家族なのだろう。


 母にもハルの事を新しい家族だと、紹介した時は驚かれたが、すぐにいつものように優しく微笑んでくれていた。


 寂しく思う事がないように、何をするにしても一緒だった。

 遊ぶ時も、学校の行き帰りも、ハルと妹のカエデも含めていつも三人で。

 年頃になるにつれて、周りの同級生から冷やかされる事もあったが、それでも喧嘩するような事もなかった。


 一つ年下の男の子。可愛い弟のように思う事もあれば、頼りがいがある一面も見せるようになったり。

 段々と大きくなっていく中で、ハルの事を異性として意識するような、ちょっとドギマギしてしまうような事もあったが、それでも今のような関係が心地よかった。


 この先もずっと、優しい両親の元で三人一緒に楽しく幸せに暮らしていけると。

 そう思っていたのに――



―――――――――――――――――――――



「ん……」



 リッカが目を覚ますと、そこは見慣れない部屋だった。

 ただ窓ガラスはひび割れ、家具は壊され、まるで廃墟の一部屋のよう。


 変な夢でも見ているのかと思ったが、夢というには現実感がありすぎる。ちょっと頬をつねってみるが痛い。



「どこだろう、ここ……?」



 直近の記憶を思い出してみる。

 確か、ハルとカエデと一緒に学校の図書室で勉強していたはずだった。

 だが、本の一冊から自分が呼ばれたような気がして開いたら光が溢れて――



 ――この辺りから光が見えたぞ!



 と、考えていると、何やら外からガシャガシャと何かが擦れるような音を鳴らして、足音が聞こえてきた。


 バン、と激しく部屋の扉が開かれると、紺色に近い青、藍色と呼ばれる色を基調とした鎧に身を纏った騎士風の男達が数人踏み入ってきた。

 その騎士達を押しのけて、白いひげを貯えた白衣を身に纏う丸眼鏡の老人がリッカを凝視してきた。



「ふむ、一時は失敗したかと思ったが、成功したようじゃ。何故か座標がずれたが……まぁ問題なかろう」


「えーっと……?」



 一体何が起きているのかさっぱり分からない。

 これは何か映画の撮影なのだろうか、と思ってしまうが、どうやらそんな雰囲気でもない。

 混乱しているリッカを尻目に、その老人は口を開いた。



「ついて来い。これから王都に移動し陛下に謁見させる」


「は……? え……?」



 そう言われても、全く理解が追い付かない。

 王都? 陛下?

 聞きなれないワードに疑問符しか浮かべられないリッカに苛立ってきたのか、老人はリッカを無理やり立ち上がらせようと、手を伸ばした。


 ――ガシャン、と突然背後でガラスが割れるような音と共に外から風が吹き込んできたのを感じた。



「ぐおっ!?」


 

 気づいたら、リッカに手を伸ばしていた老人は吹き飛ばされていた。

 窓から入ってきた何者かに蹴とばされたのだと、数秒後に理解した。


 そして、その人物はリッカを守るように騎士達と相対する。

 まず目についたのは、青みがかった黒髪。リッカの髪色と似ているが、それよりも少し薄く、緩く三つ編みに結った髪の華奢な女性のような後ろ姿。



「貴様! 何者だ!?」


「……」



 騎士の一人が、その人物に剣を向けながら問うも何も答えず。

 やがて、騎士は剣を振り上げて、突然の乱入者を切り伏せようとするが、その人物は手にしている長剣で騎士の攻撃をものともせず、なぎ倒していく。


 一人、二人と瞬く間に一撃のもとに切り伏せた。


 上手く言葉に表せないが、綺麗な動きだった。

 ハルとカエデの稽古をよく見学していたが、それよりももっと流麗に、まるで舞うような美しい太刀筋。


 やがて全ての騎士が倒れ、その人物が振り向いた。

 青い狐のような仮面をかぶり、その表情まではうかがい知れない。

 その体つきで女性ではあるようで、ジッとリッカを見据えている。



「あの……これは一体……?」


「……」



 リッカの言葉には答えず。ただその息遣いが聞こえてくるだけ。

 ただ何となく怒っているような、でも喜んでもいるような、その佇まいから察せられる雰囲気が、複雑な感情が潜んでいるような気がした。



「――リア様ー!」



 色んな疑問がリッカの中に渦巻き、何から話せばいいのか分からないまま、今度は遠くから別の声が聞こえてきた。


 ドタドタと激しく足を鳴らしながら現れたのは、赤茶色の髪を肩口でウェーブさせた女性。こちらも顔を仮面で隠しており、赤い狐のような仮面をつけている。

 とにかく急いできたのか肩で息をしながら、青い狐仮面の女性を見てホッと一息をついていた。



「リア様、一人で先行しては危険です」


「仕方ないじゃない、急がないとこの子が危なかったのだし」



 初めて聞いたその声は、凛としていて力強い、だが思ったよりは若く、リッカとそう歳は変わらないように感じた。


 リアと呼ばれた女性が促すと、赤毛の女性はリッカに視線を向ける。

 すると赤い狐仮面の女性は、付けている仮面を上にずらした。

 その素顔はリッカよりも少し上、二十代前半程の年の頃と思われる優し気な雰囲気の美人。

 紅玉のような瞳でリッカの顔をマジマジと見つめると、朗らかに笑みを見せた。

 


「まあ、やっぱり! どうですか、リア様! 感動しますか?」


「別に何とも思わないわ」


「もう、嬉しい癖にー」


「ちょ、ちょっと待ってください!」



 状況について行けていないリッカは、思わず叫ぶように二人の話を遮った。



「さっきからこれはどういう状況なんですか!? ここはどこで、あなた達は誰なんですか!?」



 普段はあまり取り乱すことも少ないリッカだが、流石に状況が状況なだけに疑問が一気に口を突いて出た。

 だがそれよりも、一番知りたいのは――



「――ハル君とカエちゃんは!? 近くに男の子と女の子はいませんでしたか!?」



 あの時――本から光が溢れた時、ハルとカエデも近くにいた。

 なら二人も近くにいるかもしれないが、少なくともここから見える範囲に二人の姿はない。

 言われた二人はキョトンとしたような顔――かどうかは分からないがリッカを見て、やがて赤毛の女性が首を横に振った。



「残念ながら近くに、あなた様の仰るような人間はおりませんでした。もし、召喚に巻き込まれていたとしたら、別の場所にいることでしょう」


「そう、ですか……」



 召喚、というものがどういうものか分からないが、この近くにはいないという。

 その様子を見てスティーリアと呼ばれた女性が軽くため息をついた。



「色々説明しなきゃいけないけど、長くなりそうね」


「それよりも、早めに移動しましょう。この者達もいつ目を覚ますか分かりませんし、また追手が来てしまいます。一から説明致しますので、ひとまず私達に付いてきていただいてよろしいでしょうか?」


「……分かりました」



 この状況においてリッカに選択肢はない。

 何が何だか分からないままではあるが、とりあえずリッカは二人の後をついて行くしかなかった。


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