絶望
カエデは馬に乗って、青の国との国境沿いにある砦に真っ直ぐ向かっていた。
当然、カエデに乗馬の技術はない。
馬の手綱を握っているのはテラガラー第一王子である、グランディーノ。
カエデは馬から振り落とされまいと、必死にグランディーノの背中にしがみついている。
「すみません、グランディーノ様にこんなことまで……」
「気にするな」
アルパトの町の中で、繋がれたままの馬を見つけたまでは良かったが、残念なことにカエデには乗馬スキルは備わっていなかった。
元の世界では馬に乗る機会など、それこそ動物園で体験するくらい。
メイドとして、そんな技術も必須スキルだろうか。
無事に戻れたらベルブランカに聞いてみようと、カエデは思ったが、そんなことよりも――
「――どうしてアレンさんは、あんなことを……」
どうしても考えてしまうのは、アレンの凶行について。
女性にはだらしないが、王族に刃を向ける行為など、到底信じられるものではない。
「恐らく催眠状態にあったものと思われる」
グランディーノの言葉に、カエデは催眠ですか、と聞き返した。
「件のゲラルト・ヒュノシスのことについては聞いているな?」
「はい……え? もしかしてその人が?」
「恐らくは。ここ数週間前からこの付近でゲラルトの目撃情報が多数あった。目的は追放した王家への復讐か。魔獣被害も盗掘被害も、奴が裏で手を引いている可能性もある。町の被害が大きくなれば、王族が慰安や調査で赴くことも多いからな。そこを狙ったのだろう」
「じゃあ、アレンさんが自分の意思で、グランディーノ様を襲ったわけじゃないんですね!」
「……私はそう信じている」
グランディーノの表情は後ろからでは分からないが、その声には確信があった。
考えてみれば先程のアレンの様子は、どこかおかしかった。
操られていると言えば、確かにそんな様子だった気がする。
そう考えると、ドッと安堵感に包まれる。
「はぁぁ、よかったー!」
「何故そう思う?」
「だって、アレンさんあんなにグランディーノ様や女王様のことを大切にしてて、グランディーノ様もアレンさんのことを家族の様に大事にしてるように見えたのに、実は襲っちゃうくらい嫌いでした、ってなったら悲しいじゃないですか」
「そうか、お前にはそう見えたのだな……」
「はい! お互いを大事にできてる、ってとっても素敵なことです! だから、グランディーノ様も、女王様も、みんなに慕われてるんだと思います!」
これまで近くで見てきて、本当にそう思う。
女王が治療院で患者と接する時も、第一王子がアルパトの町で町長と話をした時も、相手を慈しみ、道を指し示してくれた。
カエデ自身、助けられてここにいる。
だからこそ守りたい、力になりたいのだと、思うのだろう。
「……カエデは不思議な娘だな。だが、ベルブランカを変えたのも分かる」
「えー、ベル変わりました? 最初から優しくて可愛かったですよ?」
「ふふ、そうか」
その言葉を受けて、グランディーノは声を潜めて笑った。
―――――――――――――――――――――
今のところ、魔獣が追ってくる気配もなく、アレンの姿も特になく、道中は平穏無事だった。
残してきたベルブランカが心配でたまらないが、今はとにかくグランディーノを無事に砦まで護衛すること。
馬を休ませながら、走らせること数時間、ようやくそれらしき砦が見えてきた、が。
「あれ……なんか煙出てません……?」
黄の国と青の国とを隔ててそびえ立つ砦――ブロウ砦。
大きな門と、衛兵の詰め所や簡易宿場などがいくつか建てられており、同盟国である青の国と自由に行き来できるように、と常に門が開かれている。
だが、そんな砦内のいたるところから上がる、異常事態を知らせる煙。
風に乗って焦げ臭い匂いや、人が襲われているような叫び声が聞こえてくる。
徐々に砦に近づくにつれ、砦に入る入口に誰かが立っているのが見えた。
「おっとぉ! 遅かったなぁ!」
カエデ達の姿を見て、一人の女が声を上げる。
漆黒のローブに身を纏っており、何やら酒瓶のようなものを手にしている。
挑発的な笑みと毒々しいまでの赤紫の髪、近づけば噛みつかれるかのような、獣のような暴力的な雰囲気を纏う。
そして何よりも衝撃的なのが、ラピッドウルフやロックゴーレム等、多数の魔獣がその女に従うように後ろに控えていること。
「貴様が魔獣の主か」
「あひゃひゃ、流石は天下の第一王子様! 一目で見抜きますか! まぁ、一目瞭然か!」
女は手に持っていた酒瓶をあおり、上機嫌に笑う。
口からこぼれた酒を手で拭うと、そのまま仰々しく一礼した。
「お初にお目にかかります、グランディーノ殿下。あたしは、『異彩の黎明』メイリア・ビースターと申します」
(異彩の黎明?)
カエデは聞き覚えのない言葉に首をかしげるが、馬に乗ったままグランディーノはメイリアと名乗った女を見下ろす。
「後ろの惨状は貴様の仕業か?」
「ええ、そうですとも。あたしの可愛い可愛い家族達が腹を空かせてましてね。ちょうどいい所に、ちょうどよくエサが転がってたもんで」
「ひっ!?」
メイリアが取り出したものを見て、カエデは思わず悲鳴を上げてしまった。
遠目からだが、人の腕のように見えた。
メイリアはそれを、ぽいっと魔獣の方に投げると、迷わず食いつくラピッドウルフ。そして骨を噛み砕く音が辺りに響き渡る。
「魔獣を手懐けるのは、貴様の異彩魔法か。アルパトの町を襲ったのも貴様だな」
「ご明察。あ、そうそう、あんたのとこの、アレンって言ったっけ? 女に弱すぎ。ちょっと誘っただけでホイホイ付いてくるのはどうかと思うぞ」
「っ!? あなたが!」
この女が町を襲って、アレンの様子がおかしかったことにも関係している。
カエデは怒りで馬から降り、薙刀型の魔装具を出し、中段に構えた。
だが、グランディーノは軽く手でカエデを制し、言葉を続ける。
「貴様、ゲラルト・ヒュノシスの手の者か?」
「あーん? あいつの手先とか、勘弁して欲しいわ。あたしは単なる協力者」
「喋りすぎだ」
突然、背後から男の声が聞こえ、慌てて振り返るとメイリアと同じ漆黒のローブを身に纏った男が現れた。
白髪初老、メイリアとは対照的に表情はないが、ただその眼光は人を射殺しそうなほどに鋭い。
その視線はカエデ達を通り越し、メイリアに向けられている。
「その煩い口を閉じろ。為すべきことのみ為せ」
「んぐ、んぐっ……ぷはぁ。はいはい、スミマセンね」
全く悪びれずに酒を呷るメイリアを尻目に、白髪の男の視線が今度はカエデ達に向けられた。
「ゲラルト・ヒュノシス……」
「私を覚えておいでとは。光栄です、殿下」
「当然だ。元守護騎士団副団長。目的はお前を投獄した王家への復讐か?」
「復讐? ふっ、そのような些末な目的ではない」
グランディーノの言葉を一笑に付す。
ならば何の目的で町を襲い、アレンを操り第一王子を襲ったのか。
だがゲラルトはその答えを語ろうとはしなかった。
「同行を願おう、グランディーノ・アスファル・テラガラー。できれば手を煩わせないでくれれば、ありがたい」
「断ると言ったら?」
「そんな選択肢は用意されていないな」
ゲラルトはおもむろに指を鳴らした。
するとゲラルトの背後から現れる影が二つ。
見慣れた執事服を身に纏ったダークブロンドの髪の青年と、カエデと同じ黄色と白を基調にしたメイド服に身を包んだ少女の姿が。
「アレン……」
「ベル!」
アレンとベルの兄妹が、光のない双眸でカエデ達を見据えていた。
二人の呼びかけには答えず、まるで反応がない。ベルブランカもアレンと様子が同じ。先ほどまで肩を並べて戦っていた者とは思えないほど、無機質な瞳をしている。
「ベルを元に戻して!」
カエデは激高して魔装具の切っ先をゲラルトへ向ける。
ゲラルトはまるで羽虫を見下ろすかの如く、冷え切った目でカエデを見ていた。
「私は耳やかましいのが嫌いでね。――黙らせろ」
ゲラルトの命令により、ベルブランカが飛び出した。
訓練ではなく、一切の容赦もなく、ベルブランカより放たれる剛腕。咄嗟に魔装具でこれを受けるものの、あまりの衝撃にカエデは体ごと吹き飛ばされた。
「あっ!? ぐっ!」
弾かれた衝撃で腕と体が痛い。
だが、そんな痛みよりも、操られていると分かっていても、ベルブランカに本気で攻撃されたという事実にショックを隠し切れない。
カエデは悲し気に叫ぶ。
「ベル! お願い! 目を覚まして!」
「無駄だ。私の異彩魔法から逃れることは出来ない」
ゲラルトの言う通り、呼びかけだけでは、ベルブランカが元に戻る気配はない。
ベルブランカは更なる追撃の為に、再び腰を落とし――
「――やめろ! 私がそちらに行けばよいのだろう!」
グランディーノの一声により、ベルブランカは構えを解き、直立不動で次の指示を待つ。
馬から降りて敵の元に歩みを進める第一王子に、ゲラルトは無表情からわずかに口元を緩ませた。
「ダメ……ダメです、グランディーノ様!」
「用があるのは私なのだろう。カエデ――その娘は解放しろ」
本来守るはずの第一王子に、逆に守られている。
何故、どうしてこんな事態に陥っているのか、頭が追い付かない。だがこれでいいはずがない。
カエデの思いとは裏腹に、ゲラルトは顎に手を添え考えるそぶりを見せる。
「ふむ、そうだな――断る」
言い終わると同時に、ゲラルトの手がグランディーノの頭を掴み、藍色の光が輝く。
グランディーノはその手から逃れようとゲラルトの腕を掴むが、数秒後にはだらんと力なく腕をおろした。
「あ……ああ……」
とうとう守るべき主も敵の手に落ちた。
たった一人、残されたカエデに絶望の魔の手が襲い来る。
「さて、小娘。何か言い残したことはあるか?」
「――して」
「ん?」
「――返して! ベルを、みんなを返して!」
それは精一杯の強がり。奪われた仲間を、主を、取り戻す力がない。地面に這いつくばりながら自分の無力さを呪う。
それでも奥歯を食いしばり、恨みがこもった目で、ゲラルトを睨み上げた。
ゲラルトはそれを受けても、くだらない、と言わんばかりに鼻で笑う。
「ふ……ならば、友の手で逝くといい」
ゲラルトが目を向ければ、ベルブランカがゆっくりとカエデに近づいてくる。
いつも見ている大好きなベルブランカではない。
悲しくて、悔しくて、色んな感情がごちゃ混ぜになった視線で、友を見る。
「……」
その目からは何の感情も窺えない。
それでも最後まで、カエデは真っ直ぐベルブランカを見据えていた。
(ハルにい、リカねえ……助けて……)
その願いも叶わず、無情にもベルブランカの拳が振り下ろされた。
―――――――――――――――――――――
同刻。
青の国クリアス王都、青の騎士団団長ローゼンクロイツ家の庭先にて。
黒の魔力を纏う刀の魔装具と、青い炎を迸らせる大剣の魔装具が打ち合い互いに甲高い金属音を響き渡らせる。
「……ん?」
「隙ありぃ!」
「ぐえっ!?」
刀の魔装具を手にしている少年――ハルがふと違和感を感じて動きを止めた瞬間、大剣の魔装具を手にしている青年――ジュードがハルの腹を蹴っ飛ばした。
ハルはそのまま地面をゴロゴロ転がっていき、ひっくり返ったカエルの如く空を見上げていた。
痛みに呻きながら恨みがましい視線でジュードを睨み上げる。
「お前……思いっきり蹴っ飛ばしやがったな……」
「オホホホホホ、戦闘訓練中に集中を途切れさす方が悪くってよ」
ジュードは手の甲を口元に寄せた仕草、いわゆる悪役令嬢のような高笑いを披露しながらハルを見下した。
ジュードのふざけた言動はいつもの事だが、先程の奇妙な感覚が頭から離れない。
何だか嫌な予感というか、焦燥感というか、そんな曖昧な不快感が胃の中をグルグルしているかのような。
「ジュード……タダでさえ馬鹿力なんだから加減しなきゃダメだよ。大丈夫ですか、ハルさん?」
少し離れた所から訓練を見守っていた透き通るような青い髪の少女――アイリスが心配そうにハルの顔を覗き込んできた。
ハルは大丈夫と手で制しつつ、腹を押さえながら立ち上がる。
それでも浮かない顔をしているハルにアイリスはまだ心配そうに眉根を下げている。
「どうかしましたか? お腹、痛くなっちゃいました? 回復魔法かけてみますか?」
「いやいや、違うんだ。なんか急に嫌な予感というか、そういう変な感じがするというか……」
「なんだぁ? 煮え切らねえな。俺なんて、そんな不安感じた事ないぜ! オカンに呼び出された時以外はなっ!」
「……それで怒られる時は、大体ジュードのせいだからね。呼び出される前に自分から謝った方が良いから、後でちゃんと行ってよ?」
「まだ何もしてねえっ!」
いつものような夫婦漫才をするジュードとアイリスに苦笑しつつ、ハルは思い当たる節を考えてみるが思い当たらない。
こういうのが虫の知らせと言うものか、まさかリッカやカエデに何かあったのかもと思ってしまうが、今は確かめようがない。
「そういう時はアレだ! とにかく体を動かして考える間もないくらい筋肉を酷使してしまえばいい!」
「なにその脳筋理論……」
大剣の魔装具を肩に担いで爽やか風に笑みを見せるジュードにアイリスはあきれ顔。
だが体を動かして不安を払しょくする、というのには賛成だった。
「よし、ジュード! もう一回頼む!」
「よっしゃあ! バッチコイよ!」
ハルは再び刀の魔装具を構えてジュードに向ける。それに応えてジュードも好戦的な笑みを浮かべて青い炎を魔装具に纏わせる。
理由の分からない不安を気にしてもしょうがない。
それに気を取られて足元がおろそかにならないように、自分に出来る事をしていくしかない。
ハルの染色魔力である『黒闇』の魔法を使いこなすことと、もう一つの染色魔力『白光』の魔装具化を成功させる事。
今はただ、ハルはそれを目標に魔装具を振るうのみであった。
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