白い少女
黄の国テラガラー王都防衛戦。
戦況は混迷していた。スティングボアやラピッドウルフ、その他多種多様な魔獣が入り乱れ、状況は時間が経つにつれて混沌に満ちていく。
幸いにも一体一体は強力な魔獣というわけではなく、歯が立たない程の脅威が存在している、ということはない。
ただ、その数が異常。
一対二、どころか一対五は当たり前、魔獣を倒せど倒せど、次から次に。
永遠に尽きないと思わせるほどの、怒涛の襲撃に騎士達の体力が先に尽きてしまう。
「魔法支援部隊、放てぇ!」
騎士団長の怒号が戦場に響く。
王城守護騎士団、魔法支援部隊により、炎の玉や風の刃、岩の砲撃などあらゆる魔法が、魔獣の大群に降り注いでいく。
大量の魔獣の死体が戦場に積み重なっていくものの、その死体を踏み越えてまた新たな魔獣が補充されるようにひしめき合う。
「キリがない……!」
騎士団長は人知れず、ギリッと奥歯をかみしめる。
このままではジリ貧。いずれ騎士団に限界が来てしまうのは眼に見えていた。
それでも――
「――単独で戦うな! 敵は下位の魔獣ばかりだ! 固まって、交代に休息を取りながら戦え!」
騎士団長は自らも岩の弾丸の魔法を放ちながら絶叫。一体ずつ、確実に魔獣の息の根を止めていく。魔法支援部隊も交代で大規模な魔法を放つも、一向にその数が減っている様子はない。
やがて魔力切れを起こしてしまう者も現れ始めてしまう。
「くっ……!?」
開戦から半日あまり。
戦い続けによる疲弊が溜まっていき、ついに限界を迎えてしまう者が現れ始める。
そして魔獣の手により地に伏していく騎士達。
「騎士団長! 青の国からの援軍は、まだ来ないのですか!?」
側に控えていた副官が、騎士団長に問う。
それはこの場の誰しもが願っていること。そして、それがありえないことも同時に理解していた。
黄の国から救援要請の早馬を出してからまだ一日も経過していない。
青の国の王都からこちらに来られるまで、どんなに早くとも三日はかかる。
この状況のまま、もう二日。誰がどう見ても耐えられるはずがなかった。
「騎士団長! ここは退却して王都への籠城戦に切り替えましょう! そうすれば、救援が来る数日は耐えられましょう!」
「……」
それは騎士団長も考えた策ではあった。
しかし、防壁の一部でも破壊されてなだれ込まれでもすれば、被害は騎士のみでなく、一般市民にまで及ぶ。
それは絶対に避けなければならないことではあるが。
「……耐えろ。助力を乞うこと前提で考えるな。これは、我が国が越えなければならない問題だ」
それは、騎士団長が自分にも言い聞かせる言葉。
自国の問題に、安易に他国を巻き込むべきではない。
そもそも同盟関係ではあるものの、どの程度の援軍が派遣されるか、どの程度日数がかかるか、分からない。
三日というのは希望的観測に過ぎず、籠城戦に臨んだところで間に合う保証はどこにもない。
そう頭では理解しているものの、この絶望的な状況を打破する策は、考えつくものではなかった。
そうしている間にも、一人、また一人と倒れていく騎士達。
このままでは防衛網が突破され、王都へたどり着かれてしまう。
籠城戦となれば、もう後がないが、撤退という言葉が脳裏をかすめる。
「……総員――」
――撤退を、を口にしようとしたところで、急激に空が曇りだす。
それも局所的に、黒い大蛇のような魔獣の大群の上に。
腹の底まで響くような、低く、重音が戦場に走る。
そして曇天の空から紫色の稲光が迸り、まるで神の怒りのような紫の轟雷が数十、数百と魔獣に降り注いだ
―――――――――――――――――――――
「ここ、どこだ?」
気づいたらハルは暗闇の中にいた。
上を見ても下を見ても、左右も真っ暗闇。
自分が今、立っているのか寝ているのかもよく分からない。
「俺、何してたんだっけ」
直前までのことが思い出せない。
確か、家の道場でカエデと試合して、また反則技されたから追いかけまわしていたような気がする。それをリッカがニコニコ笑いながら眺めていたような。
(でも、なんでか……)
それが随分と前に起きた出来事のような、凄く懐かしいような――そして何よりもかけがえのない記憶。
そして、突然頭の中をぐちゃぐちゃとかき回されるような強い不快感に似た痛みが走った。
「ぐっ――」
そうして突然思い出す。
何気ない日常から、突然別の世界に飛ばされて。
リッカとカエデとバラバラになって。ジュードとアイリスに出会い、助けられて。
ようやく再会できたと思えば――カエデは敵に貫かれて。
「あ……ああ……」
思い出した。思い出してしまった。
目の前でどんどん流れ出ていく血も、徐々に冷たくなっていく体も。
ありありと、鮮明に、瞼の裏に焼き付いている。
(全部……俺が、弱いから……)
助けられなかった。
大切な人はいつもいなくなってしまう。手から零れ落ちてしまう。
絶望が、虚無が、ハルの存在自体を黒く塗りつぶしていく。
(もう……疲れた……)
頑張って、順応して、走り続けて。ようやく取り戻したと思えば、また失って。
全てを投げ出し、諦め、もう楽になりたい、とハルは静かに目を閉じた。
―――――――――――――――――――――
――どれくらいそうしていただろうか。
数秒か、数時間か、数日か。暗闇に染まり、身も心も溶け込んでしまったような感覚。最早時間の感覚すらわからなくなってしまった時。
ハルの目の前に、本当に些細な小さな白い光が、ゆらゆらと漂っていた。
それは儚く、今にも消えてなくなってしまいそうな。
何気なく、手を伸ばす。
『――大丈夫』
頭の中に響いてきたのは、リッカの声のような気もしたし、カエデの声のような気もした。何となく、その光から温かみを感じる。
『――心配、ないよ』
とても安心する言葉が頭の中に響いてくる。
それは徐々に光を強め、暗闇に支配されていたハルの心すらも明るく照らしていく。眩しくて、目が明けていられないが、それでもハルは手を伸ばした。
――白い光が、ハルの手を掴んだ。
―――――――――――――――――――――
それは突然、何の前触れもなく。
ハルの体から溢れ出していた黒い魔力が、突然フッと消えてなくなった。
ハルが手を伸ばしている先には、純白の髪、雪のような白い肌、白い和装のような服を纏った、十歳程度の歳の頃の少女が、ハルの手を握っていた。
リッカやカエデの幼い頃に似ているような、それほど似ていないような、そんな不思議な印象がある、まるで白い雪の妖精のような少女だった。
「き、みは……」
既に意識を取り戻していたハルは、そう少女に問いかけるも、少女は優しく微笑むのみ。ハルの手を握ったまま、導くようにカエデの元へ向かう。
ジュードもアイリスも、アレン、ベルブランカも突然の出来事に言葉が出せないでいる。
いつの間にか、ハルの魔力暴走は止まっており、ジュード達が受けていた重力も消失していた。
その少女はカエデの側に座り、ハルもそれに倣いしゃがむ。
そして少女の手がカエデの胸元にかざした瞬間――
「――これは……」
カエデの胸から紫色の小さな炎が揺らめき現れた。
それはとても小さく、吹けば消えてしまいそうなほど儚く。まるでカエデの命の灯を表しているかのようだった。
その紫色の灯は、白い少女の手の中で白い炎へと変化していき、その白い炎をまたカエデに還した。
すると、白い炎は瞬く間にカエデの全身に燃え広がっていく。
だが不思議にもカエデの体や服が燃えるようなことはなく、むしろ胸に空いた穴が塞がっていき、その顔に血色が戻っていく。
そして、ゆっくり息を吹き返していった。
「あぁ……」
これは奇跡だと、そんな簡単な言葉で片づけたくはないが、正にそうとしか言い表せない。致命傷だったはずの貫かれた胸の穴は綺麗に傷一つ残さず治っていた。
白い少女は、再びハルに向き直り、ニコッと微笑みかけると、まばゆいまでの光が辺りを照らし出す。
あまりの光の強さに、その場にいた全員が目を閉じた。
「あ……」
再び目を開けた時には、その白い少女はどこにもおらず、ハルの手に残された温もりだけが残っていた。
(今のはいったい……)
「ん、うーん……」
白い少女のことを考えるよりも先に、カエデはゆっくりと目を覚ました。
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