バンシャク・バンパイア ~不死の吸血鬼、ビールを愉しむ~

としぞう

第1話 吸血鬼、にんにくを食す

「ククク……」


 202X年。令和という元号が使われる現代日本において、果たして『吸血鬼』という存在はどの程度実在を信じられているだろう。

 漫画の悪役だったり、たまにハロウィンで仮装対象にされたり。

 お化け、妖怪の類いと同列に語られがちなそれは、多くの現代人にとって空想上の存在でしかない。


 しかし、『吸血鬼』は確かに、今もこの世界に存在している。

 少なくとも、ここに一人は。


「ククク……!」


 東京の下町。

 都営線沿線。最寄り駅から徒歩12分。

 築35年の若干古びたアパートの、202号室。


「ハーハッハッハぁッ!」


 たった一人で高笑いを上げ、そして――。


「ハ……ぁー、どうしよう……」


 そして膝をつき、うずくまりながら頭を抱えた!


「調子に乗って買いすぎた……しかも、よりにもよって、これを……!」


 彼女の目の前に山と詰まれた独特の香りを放つ白い物体。


「『にんにく』を!」


 その名はにんにく。

 世間一般にも吸血鬼の天敵と認知された、まさに『対吸血鬼最終決戦兵器』!


「うっかり、かごに詰めちゃったんだよなぁ。だって特売なんて書いてあって、普段の半額以下で……『今年はたくさん収穫できました』ってにんにく農家さんの写真がにこやかに誘ってきたら、もうさぁ……」


 そんな誰に向けたでもない言い訳を叫ぶ、この吸血鬼の女性。


 頭髪は銀に輝き、瞳は真紅に輝く。

 肌は真珠のように透き通った白で、体格は十代後半とも二十歳前後とも言える瑞々しさを保っている。


 彼女の名は、シンク・エルヴァナ。

 かつて最強と、多くの者に畏れられた、伝説の吸血鬼である!


「あぁ……また無駄遣いって言われるぅ……」


 ……最強と畏れられた吸血鬼である。


「……いや、狼狽えるな、わたし。まだ無駄遣いって決まったわけじゃない」


 頭を抱えていたシンクだが、気を引き締め、精悍な顔つきを浮かべて立ち上がる。


「聞くところによると、人間はこのにんにくを非情に好むらしい。確か、特別な呪文があったはず。アブダカタブラ……じゃなくて、アブラカラメニンニクマシマシ、だったか」


 神妙に呪文を口にするシンク。

 しかしすぐに何かが起こるわけではない。


 この呪文は特定の店にて唱えると特別な待遇を受けられる、合言葉のようなものということは、シンクも理解している。


 重要なのは、人間にとってにんにくは敵ではないということ。

 ならば、シンクも怯んではいられない。


「わたしは、悠久の時を生きる吸血鬼! 目の前に立ち塞がる困難っ! そんなんに一々怯えるような、柔な生き方はしていないっ!」


 シンクはそう堂々と叫んだ。

 その全身から吹き出る覇気によって、壁はビリビリと震え、蛍光灯は怯えるように明滅する。


「これは無駄遣いなんかじゃない……そう、運命がそうさせたんだ。わたしに、にんにくに打ち勝てと、運命が言っているんだッ!! 正しく、今日から常識は変わる! わたしの辞書に刻んでやる! にんにくは我ら吸血鬼の前に屈したとなッ!!」


 シンクは勢いよく立ち上がり、カッと目を見開く。

 そして、力強く両手の平を打ち合わせ、今度こそ唱える!


「『征魔血界』、展開ッ!!」


 シンクの瞳の紅がより強い輝きを放った。

 征魔血界。自身の血を霧状にして空気中に散布し、自らの領域へと染め上げる、吸血鬼の中でも限られた者しか使えない奥義である。

 そして、シンクのこの領域から生きて出た者はただの1人もいなかった……とかなんとか。


「血界と展開で韻を踏んでいるのがポイントだ……なんてことは! はっ!!」


 シンクが閉じていた手を、開く。

 瞬間、にんにくの外装――しわしわの皮が粉みじんに弾け飛んだ!


 征魔血界内はシンクが支配する完全領域。

 彼女の意志ひとつで、空気中に散布された血は変幻自在に姿を変え、時に刃、時に盾となって、あらゆる敵を葬り去る。


 今も、血の霧が刃となってにんにくの外皮を一瞬の内に切り刻んだ……などとは、当のにんにく自身さえ気がつかなかっただろう。

 しかし、自身が正に、袋の鼠同然であることは、嫌でも理解したに違いない。


「フフフッ、こうしてやると、先程までのオーラも形無しだな。まるで赤ちゃんのお尻のようにツルツルだぞ?」


 シンクは挑発を重ねるが、決して油断しているわけではない。

 むしろ逆。にんにくを警戒するからこそ、敬意あっての挑発だ。


 挑発によって相手のペースを乱す。激昂でもしてくれればこちらのもの。

 冷静さを掻けば隙が生まれる。シンクはそれを見逃さない。


 なぜなら彼女は最強の吸血鬼。

 その冠に劣らぬ実績と経験が、そうさせるのだ。


(しかし、さすがは物言わぬ野菜類……読むべき表情が存在しないのもあるが、随分悠然と、どっしり構えてくれるじゃないか)


 征魔血界の中に閉じ込められ、素っ裸にされ……そんな状況でもにんにくは一切怯むことなく、独特の香りを放ち続けている。


 シンクは平静を保とうと深めの呼吸をする。

 瞬間――にんにくは一転攻勢に出た!


「ぺっ、ぺっ!?」


 シンクが粉々に砕いた皮の破片達が宙を漂い、シンクの呼吸に乗じて口内へと飛び込んできたのだ。

 完全に虚を突かれた上、にんにくの皮はとても舌触り悪くとても食べられたものではない。


 シンクは反射的に吐き出しつつ、がっくりと肩を落とす。


「うええ……」


 思い切りテンションを下げつつ、舌に指を這わせ、残りかすを必死に拭い取る。


 どうしてにんにくの皮とは、これほど頼りなく、しわしわなのだろうか。

 見た目的にいかにもまずそうだし、皮は皮で中々に臭い。


「人間はよくこんなものを食べようって思ったよなぁ。見た目変だし、臭いし……どう考えても美味しそうじゃないのに。彼らの食への探究心には本当に感服するよ」

 

 思い切り機先を削がれたシンクは、人間達の積み重ねてきた歴史に思いを馳せつつ、ぼーっと天を仰ぐ。


(床にも散らばっちゃってるだろうし、ちゃんと掃除しないと足の裏が大変なことに……)


 変に色気を出して、『征魔領域』などとはしゃぎ遊んだせいで、余計な手間を増やしてしまった。


(あーあ、やんなきゃ良かった……)


 鼠色のスウェットを着こなし、部屋では裸足で歩き回り、他者に命を狙われるなど久しく無い。

 そんな平和にどっぷり浸かり、ぬくぬくと暮らすことに慣れた彼女が、今更かっこつけたところで誰も見ていない。


 すっかり頭が冷え切ったのを自覚しつつ、シンクは床に散らばったにんにくの皮の破片を拾い集め、ゴミ箱に捨てた――その時。


「……っ!?」


 キッチンの隅に置かれた、にんにくの山と目が合った。


「……なるほど。ふふっ、それが君たちの魂胆か。すっかり騙されるところだったよ」


 シンクは自身の愚かさと、にんにくの狡猾さを悟った。

 にんにくは自らの皮を撒き散らしデコイ(囮)にすることで、シンクの気を逸らしていたのだ。


 皮は彼らにとって防具であると同時に武器。


「確かにわたしも油断した……しかし、これで文字通り、化けの皮が剥がれたということだ!」


 シンクは改めて丸裸になったにんにくと向き合う。あと床の皮を拾って汚れた指をウェットティッシュで拭く。

 そして再び、自らを奮い立たせた!


「もはや止める術もない。ここからは小細工無しの真っ向勝負だ! いただきますっ!!」

 

 しっかり生産者の顔として飾られていた老夫婦の写真を思い浮かべ、彼らへの感謝を唱えつつ……シンクはにんにくを丸ごと口に突っ込んだ!


「んぐ……!? うぅうッ!?」


 最初に感じたものは、熱。

 食道を通って、胃に落ちたにんにくが、さながら小籠包の皮に封じられたスープの如く、内側からシンクの体を焼いていく。


――いやぁ、にんにくはマジでやべえよ。臭いも最悪だし、特に二日目がやべぇ。ナニとは言わないけど。


 シンクの脳裏に、かつての同胞、にんにくを食べてお腹を壊した武勇伝を語っていた吸血鬼、マクスウェルの笑顔が浮かぶ。

 あれはもう何百年も昔の話。まだ随分たくさんの吸血鬼が闇に蠢いていた――太陽が苦手だから。


 今ではめっきり減った吸血鬼の同胞達。

 シンクはあんまり帰属意識がなく、ここ数年は誰にも会っていないが、それでも今ばかりは思い馳せずにはいられない。


 確かに、にんにくは人間にさえ知られるほどの、吸血鬼の天敵。

 マックスの与太話が武勇伝として広まるわけだ。彼ほど胃が強くなく、度胸試しに口にして、うっかり逝ってしまった吸血鬼もいた……らしい、とシンクは遠い記憶をぼんやり思い出した。


(しかも現在は品種改良も進み、より香りも、味も、深みを増していると聞く……確かにこのパワーはッ! さしものわたしも、ダメージを受けずにはいられないっ!)


 バリボリと鳴る固い感触も、その反面、歯がズブッと食い込む地味な柔らかさも、どちらもあるのが憎い。


 しかし、シンクとてやられっぱなしではない。

 自らの口を抑え、逆流という退路を塞ぐ。まさに背水の陣に自らを追いやる。


 そして、全身の汗腺から染み出てきていたドロッとした汗を、自らの意志で抑え込む。

 永き時を生きた吸血鬼であれば、この程度造作も無い。


「わたしをここまで追い込むとは……中々やるな。並みの吸血鬼なら既に灰となっていたかもしれない」


 とりあえず全てを飲み込み、しかしその分の痛みを背負い……シンクは笑う。

 彼女は決して、痛みを快楽に変換できる性癖ではない。

 痛みは苦しみとして感じ、しかし、その苦しみが自身を更に上へ導くと知っている。


「痛い、熱い、苦しい……だが、これこそがっ!!」


 シンクは早足でキッチンへ行き、勢いよく冷蔵庫を開けた!

 そして、取り出す!


 黒い体に刻まれた白い紋章っ!

 その名も……『ホッカイ生ホワイトラベル』ッ!!

 350ml缶ッ! アルコール度数5度ッ! 税込224円ッ!!(購入時現在)


 即ち、ビールである。


――カシュッ。


 イージーオープンエンドが小気味良い音を奏でる。

 普段のシンクなら、この軽快かつ豊かな産声を楽しみ、期待を膨らませるのだが、今回は違う。

 缶内から麦芽の香りが覗いてくるより先に、思いっきり煽った!


(く……ッ! これだ……!)


 誰かが言った。

 仕事終わりに飲むビールは至高、と。


 人は日々の仕事の後に様々なものを失う。

 体力、水分、精神的な何か、あと色々。


 それらをビールは全て、まったく、余すところなく補う!!!

 完全栄養補給飲料なのである!!!!!(諸説あり)


 そして今、シンクは、天敵によって全身を打ちのめされていた。

 痛く、熱く、苦しく……だからこそ、ビールが沁みる! 沁みわたるのである!


「ぷっはぁぁあああっ!! こののどごしっ! たまらんっっっっ!!!」


 殆ど一気飲みの勢いでビールを胃に流し、シンクが吠える。

 でも大丈夫。冷蔵庫にはまだまだたくさん、ホワイトラベルが詰め込まれているから。


 にんにくを大量に買ってしまった後悔。相性故の苦しみ。

 それら全てがビールの味を引き立たせ、シンクは今、正しく、高みへと達した。


「あぁ、わたしは生きてる。ふへへ……今日もビールは最高に美味い……♪」


 ぐでっと畳の上で仰向けに転び、夢見心地に溜息を吐く。



 彼女はシンク・エルヴァナ。

 悠久の時を生きる、『不死』の特性を持った最強の吸血鬼。

 

 現在、東京下町アパート暮らし。

 好物は人間の血……ではなく、キンキンに冷えたビールである。

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