第32話 病

「直接診ないことには確かなことは言えませんが……」

「そうか。分かった」


 医者との面会を終え、病院を後にする。


 吸血鬼はミアが寝ている日中、山小屋を離れ、世界各地の医者を訪ねていた。

 しかし、ミアの症状を伝えると、どの医者も表情を暗くした。


――おそらくもう助からない。それだけの症状が出て、まだ生きているのがありえない。


 実際の言葉とは違えど、皆、示し合わせたかのように同じような答えを口にする。

 人間の機微に疎い吸血鬼にも、話し始める前からその表情で推測できてしまうほどだ。


(やっぱり今日も空振りか。……そろそろ戻らないと)


 もう何度も同じ一日を繰り返している。

 ミアを助けられる知識を持った医者がいないか世界を探し回る。

 その道中で食材を買い込み、山小屋に帰って調理をする。

 ミアが目を覚ましたら、彼女に食事を振る舞い、わがままに応え、彼女が満足し再び眠りにつくまで共に過ごす。


 吸血鬼に不満はない。元々感情はすり減り、生の喜びなど忘れてしまった身だ。

 しかし――。


(ミアの病状が、また悪化している。確かに人間と考えれば、生きているのが不思議なくらい)


 不安は日に日に大きくなっていく。


 ミアは笑顔を絶やさないけれど、額に脂汗が浮かぶのが目立つようになった。

 食欲も減り、顔色も悪い。

 おそらく起きている時も、全身には耐えがたい痛みが走っているのだろう。


 しかし、それでもミアは、吸血鬼の前では何事も無いように装い、笑う。


――だって苦しい顔でも見せて、吸血鬼さんに覚えられてしまったら嫌だもの。


 冗談みたいな理由で、ミアは笑い続ける。

 その態度に、吸血鬼が、久しく感じていなかった胸の痛みを感じていることも知らないで。


(まぁ、お互い様だけれど)


 吸血鬼は自嘲しつつ、山小屋の戸を開ける。


「う、うあ……!」

「……! ミアっ」


 吸血鬼が小屋に入ると、ベッドで眠るミアが呻き声を上げていた。

 すぐに駆け寄り、顔を覗き込む。ミアの顔には見せたくないと言っていた苦悶の表情が浮かんでいた。


「また悪夢を見ているのか……」


 彼女を蝕む病が、精神も食い尽くそうと暴れている。

 シンクはその姿に苦々しく思いつつ……少し、ホッとしてしまう。


 吸血鬼は医者でも無ければ人体にも詳しくない。

 しかし、悪夢相手なら『対処』できる。


「すぐに解放してあげるから」


 吸血鬼はミアの上に覆い被さり、彼女の首筋に唇を当てる。

 唾液で少し肌を濡らした後、そこに――鋭く伸びた牙を突き刺した。


「う……っ」


 僅かにミアの身体が跳ねる。

 吸血鬼の牙が僅かに伸び、ミアの血管を刺したからだ。


 傷口から漏れ出た血を舐め取るのではない。

 肉を破り、血管に触れた時、牙の性質を変化させ、そこからまるで脱脂綿の如く血を染み込ませ、吸い上げていく。


「ん……ぁ……」


 ミアの口から先ほどまでとは違う、脱力した吐息が漏れ始める。


 吸血の際、人間が覚える感覚は吸血鬼によって異なるという。

 激しい痛みを感じさせる者、逆にあらゆる感覚を麻痺させ自由を奪う者。


 彼女、この銀髪の吸血鬼の場合は……。


「く、うぅ……はぁ……んっ……!」


 人間にとって、抗いがたい快感を与えるという。


(ごめん、ミア。少し耐えて)


 吸血鬼も、これが人を狂わす毒になると知っている。

 しかし、今この時においてはその特性に感謝していた。


 薬が時に毒になるように、毒もまた薬になりえる。

 吸血鬼の与えるこの快楽は、人の精神を惑わせ正常な思考を奪うが……故に無意識に見せられる悪夢を和らげる効果があった。


 ミアの表情が和らいでいく。

 快感が苦悶は消え去り、さらに心地良い睡眠を与える。

 実際、吸血した後の寝起きはとても良いらしい。

 

(とはいえ、病気のミアから血を吸いすぎるのは危険だ。……これくらいでいいか)


――ちゅっ。


 吸血鬼は牙を引き抜き、ミアの傷口に唇を当てる。

 これも吸血鬼の能力の一つ。自身の治癒力を分け与え、牙を刺した傷痕を塞ぐ。


 最初出会った時、傷だらけだったミアの身体を治せたのもこの能力があったからだ。

 ただ、根治には至らない。人間を治すには人間の医学が必要だ。


「すぅ……すぅ……」

「うん、良くなった」


 吸血鬼はほっと安堵の息を漏らし……はっと自分の口を押さえた。

 

(私、良かったって思った……?)


 吸血鬼は既に、自分から感情が枯れ果てたと思っていた。

 しかし、今確かに彼女は安堵を感じた。


 それだけじゃない。

 自覚したのは今が初めてだが、これまで何度も同じような感情を抱いていたような……そんな『慣れ』を感じていた。


 彼女が自覚しない内に、変えられていた。


 傷つき、病に蝕まれ歩けもしない、最早余命幾ばくかのか弱い人間に。


「……ん、吸血鬼さん? どうしたの……?」


 吸血鬼の髪が頬を撫でた違和感からか、ミアが目を覚ます。

 白濁した瞳に自分の姿映ることはないが、それでも見透かされる気がして、吸血鬼は顔を逸らした。


「もしかしてわたし、また呻いてた?」

「……少しね。怖い夢、見たんだろう?」

「どうかしら……ううん、吸血鬼さんの声を聞いたら、そんなこと忘れてしまったわ」


 ミアはそう嬉しそうに微笑む。


「起こしてごめん、ミア。もう少し休んでいていいよ」

「そばにいてくれる?」

「……ああ。手を握っているよ。君が眠り、起きるまで、ずっと」

「嬉しい」


 ミアはそう言って目を閉じ……少しして小さな寝息を立て始めた。

 悪夢とはまるで無縁の、穏やかな寝顔を浮かべるミア……それを吸血鬼は宣言通りに手を握ったまま見守り続けた。


 全てそぎ落としてきた筈の冷たい身体に、何か妙な熱を感じながら。

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