第31話 ミア

「ねえ、吸血鬼さん。どうして貴女はわたしの側にいてくれるの?」


 ミアの質問に、吸血鬼は身体を拭く手を止める。


 彼女と出会ったとき、ミアは彼女の暮らす農村の住民達から強い迫害に遭っていた。


 なんでも彼女の家系はかつて、豊穣の御子として信仰を受ける対象だったらしい。

 村人達の代表として天に祈りを捧げ、豊作を授けてもらう……そんな役割を担っていたのだとか。


 しかし、その年――村を飢饉が襲った。

 吸血鬼が調べたところ、飢饉は季候の急変によるもので、この村だけではなく、世界中に広がっていたのだけれど……しかし、時に人間は、自分の見たものだけが世界の全てと思い込んでしまう。


 これまでは上手くいっていた。

 何年も、何十、何百……その村は、正しく奇跡的に、凶作とは無縁の日々を送ってきた。

 それなのに、どうして。


 ……彼らの怒りは、ミア達に向けられた。

 彼女らが祈りを怠ったから、いや、そもそも、豊穣の御子などという存在が誤りだった。

 むしろ彼女らは魔女。自分達に不幸をもたらす存在なのだ、と。


 石を投げられ、暴行を加えられた。

 家は焼かれ、村の広場に縛り付けられ、およそ食べ物とは呼べない何かを飲み、食べさせられた。


 両親と幼い弟は息絶え、ミアももうすぐその後を追うだろう……既に彼女には絶望で生きる気力はなかった。

 立って歩く力も、世界を見る為の視覚も、失ってしまった。


 もうすぐ、わたしは死ぬだろう。これでようやく家族に会える。

 村の人達はわたしを魔女と呼んだ。わたしたちを悪魔と呼んだ。

 だからきっと、行き先は地獄だ。けれど、家族みんな、一緒にいられるなら地獄だってきっと悪くない。


 ミアはぐったりと地面に伏しながらその時を待ち――。


 訪れたのは、死ではなく、不死の吸血鬼だった。




『今は凶作で落ち込んでるけどよ、きっとこの村はもっと良くなるぜ。なんたって、この村に巣くってきた魔女を倒したんだからよ!』


 旅人として村を訪れた吸血鬼に、青年が鼻息を荒くして捲し立てる。

 美貌に当てられ気を引こうと躍起になっているのか、聞いてもいないのに、彼は流暢に、自分達の所業を英雄譚の如く朗々と語った。


『そうだ、美人さん。あんたも石の一つでも投げていったらどうだ。相手は魔女だ。神も我らが善行を認め、あんたのこれからの旅路にもきっと幸福が――んぎゃっ!?』


 思わず男の鼻頭に、グーパンを叩き込んでいた。


 吸血鬼にとってこの程度のこと、怒りを覚えるほどではない。

 時代の流れと言うべきか、人間の習性なのか、他者に責任を身勝手に押しつける姿は何度も観てきて、慣れている。


 それに、豊穣をもたらすとして信仰を集めてきたにも拘わらず、それを果たせなかったのだから、村民達が失望し責めるというのも、理解できないでもない。


 しかし、そんなことは吸血鬼にとってはどうでもよかった。

 彼女が男の言葉に、非常に珍しく、ほのかな苛立ちを覚えたのは……かつては讃え崇められていた少女が、蔑まれ、落ちぶれた姿が、不死者としていつの間にか死を奪われた自分と少し重なって見えたからだ。


 吸血鬼は広場に行き、息も絶え絶えなミアを抱き上げ、そのまま連れ去った。

 そして、誰にも邪魔されない、この山小屋へとやってきて……そして今日まで、約一ヶ月程度、共に過ごしている。


(どうして、か)


 頭の中で、ミアの問いかけを反芻する。


 ミアを連れ去ったのは、ただの衝動だ。そして、その衝動はもうとっくに冷め、消え失せている。

 残ったのは後悔だ。傷つき、絶望したミアを無為に生き永らえさせてしまったのだから。

 

「……分からない」


 吸血鬼は諦めるように首を横へ振った。


 拾ってしまったのだから、中途半端になるくらいなら最期まで面倒を見た方がまだマシだ。

 ……そんな考えが頭に浮かんだが、なぜか口には出したくなかった。


「そっか」


 ミアはそんな煮え切らない態度を見ても、気にせず微笑む。

 そして、ぎゅっと吸血鬼の手を握った。


「ねえ、吸血鬼さん。今、この時間は吸血鬼さんにとってまばたきくらい一瞬かもしれないけれど、わたしにとっては本当に、かけがえのない時間なのよ」


 そう、染み込ませるようにゆっくり伝える。

 言葉にはしておらずとも「だから自分を救ったことを後悔しなくていい」と言っているように聞こえて、吸血鬼は手を握られたままミアから視線を逸らした。


「君はまるで、普通以上に見えているみたいだ」

「だって、今のわたしの世界は吸血鬼さんだけだもの。一日中、夢の中でもあなたのことばかり考えているのよ」

「……そう」


 彼女の言葉は半分本当だろう。

 しかし、半分は嘘だと、人の機微に疎い吸血鬼にも分かった。


 ミアは思い出したくないのだ。ここに来る以前の、全てを。

 しかし、眠りに落ち、夢を見れば……彼女の意志に反して、過去は唐突に襲い来る。

 ミアが悪夢に魘されている様を、吸血鬼は何度も見ている。

 その都度、『対処』をして落ち着かせているけれど、あくまで対処療法にすぎず、根本的な解決には遠い。


(ミア……)


 吸血鬼は少女の手を握り返しながら、唇を噛む。


 ミアの言ったとおり、永遠の時を生きる不死の吸血鬼にとって、一ヶ月という時間はほんの僅かなものでしかない。

 

 しかし、なぜか。

 この吸血鬼には、この時間が、今までの一ヶ月とはどこか違うものに思えていた。


 その理由は、吸血鬼自身にも分からない。

 ただ一日の多くを、この人間の少女について思い巡らしているだけで心が安らぐような、そんな違和感だけは妙に気になっていた。

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