第20話 吸血鬼、あせる
「どうしよう……どうしよう……!?」
パソコンモニターの前で、シンクは顔を青くする。
少なくとも、ビールを飲んでいる場合では無いというのは分かった。
配信の切り忘れ。
それは生配信の影につきまとう現代怪異の一つ。
配信を終えた後のプライベートが、本人の知らないまま全世界に配信されてしまい、更にその場面を切り抜かれた動画は、本編よりも多く再生され、未来永劫語り継がれていくとか、なんとか。
しかも、ただのプライベートではない。
生配信という緊張する時間から解放された直後の、緩みに緩みきったプライベートだ。
視聴者への文句を垂れれば最悪。
個人情報を臭わしたり、親密な異性の存在でもほのめかしてしまえばもっと最悪。
というか……もはや、何が最悪に繋がっているか、分からないくらい最悪なのだ。
コメント欄は待ってましたと言わんばかりに湧き立っているが――シンクは今すぐにでもラキュアが炎上に繋がる失言を放ってしまわないか、ハラハラしていた。
「ラキュアは気が付いていないみたいだ……そうだ! emotionで連絡すれば……!」
そうチャットを打ち込もうとして、手を止める。
「いや……駄目だ。もしも通知音が鳴って、それに視聴者が気が付いて、『もしかして男からの連絡!?』とかなったら……!!」
Vtuberは異性関係に厳しい……と、シンクは聞いたことがあった。
ラキュアにそういうファンがついているかは分からないが、ちょっとでも妙な気配を感じとったら騒ぎ立てるというのは、どの時代、どんなジャンルにも存在するものだ。
「わたしが火種になったら本末転倒だ! でも……うぅ、このままじゃ」
他の連絡手段はメールくらいしかないが、emotionより気付かないだろうし無駄だろう。
しかし、同胞が窮地に立たされているとなれば、シンクも何もせずにはいられない。
「こうなったら……やるしかない」
シンクは決意を抱き、立ち上がる。
そして窓を開き、目を閉じ、深く息を吐くと――。
「研ぎ澄ませ《コンセントレーション》」
自身に暗示を掛けるように、呟いた。
瞬間、彼女の世界から音が消える。
いや――目の前のデスクトップパソコン、そのスピーカーから漏れ聞こえる配信の音だけが生きている。
(……どこだ)
シンクはそれとまったく同じ音を、広い外の世界から、探る。
連絡を取る手段が無いなら、行くしかない。
その為の唯一の手がかりは、パソコンから聞こえてくる配信の音だけだ。ならば、そこから辿り、特定するのみ。
(衣擦れの音が僅かに聞こえる。お風呂に入るって言ってた。今までの配信から得た情報では、都内のマンションに一人暮らし。騒いでも怒られないよう防音対策を取っている、だっけ)
情報を落とし込み、それ以外の雑音をそぎ落としていく。
(鼻歌……)
さらに、配信の向こう。マイクがほんの僅かに拾った、ラキュアの鼻歌というヒントを得る。
それは最早、聴覚を超えた別の何かといっても間違いではないだろう。
空気の波が音を伝える以上の速さで、シンクは世界を掌握していく。
自らの領域を広げ、支配下に置く――他の何者にも、気付かれない内に。
そして――。
「……見つけた」
シンクは誰にでもなくそう呟き――直後、夜の闇に溶けるように、その姿を消した。
◇
(あーあ、上手くいかなかったな)
ラキュア・トワイライト――そうネットで呼ばれている彼女は、湯船に浸かりながら今日を振り返り溜息を吐く。
本名、月見里 灯(やまなし ともり)。
9階建てマンションの6階、都内というだけあって家賃はそこそこだが、広さもそれなりの自宅兼仕事場に一人暮らししている。
短大を出て社会人を三年こなし、退職と同時に縁あって今の事務所に所属。
『TerraTube』という世界最大の動画配信プラットホームにて、アニメキャラのようなアバターを被り配信を行う、『VTuber』という仕事を二年ほどやっている。
一人暮らしは、短大から含め約七年間続けてきて、楽も苦労も学んできた。
その経験の中で削ったものの一つが、この湯船。
ここ数年、わざわざお湯なんか張らずに、シャワーだけで済ませてしまうことが殆どになっていた。風呂掃除は面倒だし、水道代だってもったいないし。
けれど、今日わざわざ、配信前から湯張り機能を使って準備していたのは……彼女なりの願掛け、気合いの表れだった。
今日は楽しい配信をして、そのお祝いにお風呂に入りながらビール(いつもの安価な発泡酒ではなく本物のビールだ)で乾杯できたら、きっと明日への励みになる。
そう希望を描き、準備をしていた……のだけれど。
結局、お風呂にビールを持ってくるのも忘れてしまった。
少しでも気分を良くしようと鼻歌を唄い、自分の気持ちを誤魔化せないかと足掻いてみたのだけれど、そのせいで
今から取りに行くのも億劫で……彼女は再び溜息を吐いた。
(シンクさん……)
新しくできた友達の名前を思い浮かべる……といっても、本名かどうかは分からないが。
トモリが今日頑張ろうと思った理由の一つは、その新しい友達と明日、一緒にゲームをやる約束をしていたからだ。
誰かとゲームをやる機会は、世間的に見ても恵まれている方だという自覚がある。
配信的には視聴者参加型のゲーム企画も盛り上がるし、同じ事務所のVTuber同士でコラボ配信もやったりする。
けれど、そういう配信とは違って、裏でこっそり誰かとゲームを遊ぶなんて……オンライン上の話ではあるけれど、随分久しぶりだった。おそらく高校生以来とかだろう。
トモリはシンクの素性を知らない。本名、顔、声……性別だって。
チャットでは女性と言っていたが、オンライン上で性別を偽るなんてよくある話だ。
もしかしたら、ラキュア・トワイライトを貶めるために、何か企んでいる危険性もゼロではないが……。
(……ううん、シンクさんは違う気がする。そう信じたいだけかもしれないけれど)
シンク・エルヴァナが初めてメールをくれたのは今から二週間程前のことだった。
その日――というか、その頃ずっと、彼女は自分の将来に悩んでいた。
配信業ではそれなりに、一人暮らしを問題無く継続出来る程度の利益を出せている。
しかし、こんな生活がいつまで続くかと問われれば、不安が無いわけではない。
今は空前のVTuber、ないしは動画配信ブームだ。けれど、飽和していけば次は淘汰されていく。そこに自分が含まれないとも限らない。
そうでなくても、心身を壊してやめていく同業者、知り合いも多い。
収入は不安定で、人に説明しづらい仕事だ。両親にも、自分の仕事は明かせていない。
生活も不規則で昼夜逆転しがち。周りと生活リズムも合わせづらい。
そうして一人で過ごすことが増えていき……一人の時間が多い分、考え方もどんどんネガティブな、閉じこもったものに寄っていってしまう。
トモリも緩やかに、下降の一途を辿っていた……そんなときだ。一通のメールが来たのは。
『初めまして。突然のご連絡すみません』
デビューしたての頃にそれとなくメールアドレスを公開してしまって以来、度々知らないアドレスからメールが来ることがあった。
なんとなく取り下げるタイミングを逸してしまっていて……おかげで、心ない罵倒や、セクハラじみた嫌なメールが送られてくることもあったのだけど。
ただ、今ではNGワードを設定し、酷いメールは自動で隔離されるようにしているので、実害はほぼ無い。
逆に好意的なファンレターも少なくないので、トモリもたまに眺めては元気を貰っている。
そんな中送られてきた、今回のメール。
一瞬普通のファンレターかと思ったトモリだったが、冒頭に入った珍しいワードが妙に気になった。
「『わたくしも不死の吸血鬼をやっておりまして』……?」
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