第36話 吸血鬼、熱湯を楽しむ

「ふぃ~……」


 シンクは肩までお湯に浸かり、盛大に脱力した溜息を吐いた。

 銀色の髪をタオルで巻き、ぐったりと両手両足を投げ出す。


 シンクは普段、風呂もシャワーも面倒と思いながらも、ツムギに叱られるから入浴している。

 しかしその反面、風呂に浸かるという行為が嫌いなわけではない。


(個人的にはもうちょっと熱い方が好みだけれど……でも、ここの湯は中々悪くない)


 銭湯の湯は往々にして、熱い。かなり熱い。

 しかし、吸血鬼という人間よりもかなり丈夫な体質。むしろ熱くないと刺激が足らず、家でもお湯は常に最高温度で設定している。


 そんなシンクにとって、この熱々の湯は相性が良かった。

 もう少し熱くても……と思う気持ちはありつつ、実際これよりも熱くなれば、熱湯好きの江戸っ子でも堪えられないだろう。


「わっ、熱い! シンク、よく堪えられるね……」


 実際、足先をつけたツムギはそう渋い反応をして、隣のぬるめの湯に入っていた。


 しかし、そんな余裕を見せるシンクを前に、面白く思わない者も存在する。


「…………」

「ちーちゃん、入らないの? こっち、いい湯加減だよ」

「ふひぃ~」

「……! ごめんなさい、箕作さん」

「ちーちゃん?」


 シンクの浸かる湯船を緊張した面持ちで見つめるチサト。

 少し迷いを見せつつも、カッと目を見開き……足先をお湯につけた。


(熱っ!?)

「ふふ、チサト。ここは子どもにはまだ早いよ」

「っ……そんなルール、ありませんからっ!」


 痛みに怯みつつも、安い挑発に乗せられ、チサトは両足をお湯に入れる。


(うぐ……熱い熱い熱い!)


 斑鳩チサト。

 好きなお風呂の温度は、無限に浸かってられるくらいのぬる湯である。


「チサト、無理してない?」

「してませんけどっ!?」

「そ、そう?」


 シンクも、チサトの表情から無理を察するが、彼女は固くなに認めようとしない。


 それならツムギが言えば……と、そちらに視線を送ってみるが、


「わっ!? おっぱいって本当にお湯に浮かぶんだ!?」

「つ、ツムギちゃん? あんまりそう見られるとぉ……」


 ツムギはぬるめの湯に浸かるトモリに夢中になっていた。


「言っておきますが、先に出た方が負けですから」


 そしてチサトは自分を追い込むように勝負を仕掛ける。

 その表情は無自覚に、限界を訴えているが。


「…………」


 普段なら一緒に盛り上がるシンクだが、必死に我慢するチサトを前にはしゃぐ気にはならず、むしろ穏やかで……どこか懐かしさを感じていた。


「チサトってさ、おじいさんいる?」

「……そりゃいますけど。両親だって突然どこかから現れたわけじゃありませんし」

「ふふっ、確かに変な質問だったね」


 むすっとするチサトに、微笑むシンク。


「チサトのおじいさんは、熱いお風呂って得意だった?」

「なんですか、いきなり」

「ただの世間話だよ。ほら、ご老人は熱いお風呂が好きなものでしょ。イメージ的に」

「まあ言いたいことは分かりますが……でも、父方の祖父は熱いお風呂が苦手でしたよ。おじいちゃんの後のお風呂は温いって、おばあちゃんが文句言ってましたし」

「へえ。じゃあチサトはおじいさん似だ」

「……まぁ、小さい頃の思い出ですし」


 祖父を思い出しているからか、声からツンケンした雰囲気が引いていく。


「おじいちゃんは随分前、ボクが小学生の時に亡くなったので、少ししか覚えてなくて」

「そっか」

「でも……ボクがおじいちゃん似かは分からないけど、おじいちゃんのことは好きでした。とても優しくて、頼りになって……」

「そっかぁ」


 ぽつぽつと、昔を思い出しながら呟くチサト。

 そんな彼女にシンクは、寄り添うように、ぴたっと肩がくっつく距離まで近づく。


「……シンクさん?」

「チサトの体は温かいねえ」

「はあ」


 チサトはわけがわからないと言いたげに首を傾げるが、離れようとはしない。

 むしろ変な居心地の良さまで感じていて……それは絶対に口にしないが。


(…………)


 真紅の瞳が僅かに深みがかる。

 触れた先、チサトの体が許容しきれない程に溜め込んだ熱を吸い上げることで、彼女がのぼせるのを防ぐ……そんな異能をこっそり使う。


 チサトがのぼせてしまわないように防ぐのと、彼女の熱を自分が引き受けることでより高い温度を楽しめる、まさに一石二鳥だ。


「ふあ……」


 熱い湯に浸かり、しかし過剰な熱が吸い取られる感覚――それが気持ち良いのか、チサトは溜息を吐きながら、シンクの肩に寄りかかり、ぐったり体重を預ける。


「寝ちゃだめだよ」

「寝ませんよ……」


 生意気に張り合う口調は残しつつ、甘えるように無意識に、自身の手をシンクのものと合わせ、絡める。

 もちろん、シンクに熱が奪われていると自覚はしていない(自覚できない程度にシンクが調整している)のだけれど、体は本能的に理解しているのかもしれない。


(イカルガチサト……イカルガ、かぁ)


 そんな彼女を横目に見て受け入れつつ……シンクはチサトのフルネームを頭に浮かべる。


 斑鳩という珍しい苗字。

 初めて聞いたときから、いや、初めてチサトと会った時から、どこか懐かしさみたいなものを感じていた。


(そうだね……時間は流れる。わたしが思っているより早く。赤子が大人になるのも、若者が鬼籍に入るのも、あっという間だ)


 シンクはしみじみと感じつつ、ほどよい熱さに温められた体を冷ますように深く息を吐く。


(だからこそ、今を楽しまないとね)


 シンクは自分の肩を枕にぼーっとするチサト、そしてぬるめの湯で楽しげに会話するツムギとトモリを眺め、優しく微笑んだ。

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