第37話 吸血鬼、扇風機で遊ぶ

「あ~~~、あ、あ、あ~~~」

「いいの、かなぁ……?」

「ん~~~~?」

「ほら、チサト、ちゃんのこと」

「ん~~~」


 扇風機の前に胡座を掻き、自分の声がぶるぶる震えるのを楽しみながら、シンクは脱衣所の向かい側、壁に背中を預けぐったり項垂れるチサトを見る。


 結局、チサトは鼻血を出すほどにならずとも、長湯でのぼせてしまった。

 そんな彼女をツムギがうちわで扇ぎ、水を差しだし看病している。


「ツムギが看てるし、わたし達が心配しても逆に気を遣わせちゃうでしょ。だいじょぶだいじょぶ」


 シンクはそうへらへら笑う。

 実際、チサトがのぼせた原因の半分は自分にあると自覚してはいたが、だからといって命に別状があるほど深刻なわけでもないし、自分が気遣えば間違いなくチサトは見栄を張ると分かっていた。


 そして、ぐったりした彼女を脱衣所まで、自分がお姫様抱っこをして連れてきたと知れば間違いなく恥ずかしがるだろうことも。


「わたしたち大人は、頼られたら出張ればいいんだよ、お~~~~」

「それも、そう、ね」

「ところでラキュア。それ、良い感じ?」

「う、うん。結構、悪くない、かな?」


 ぶるぶると全身を、とりわけ胸を震わせる、Tシャツ姿のトモリ。

 彼女が座るのは昔ながらのマッサージ椅子だ。


 今時な揉み込み機能だとか、全身指圧とか、無重力とか、そういうオシャレな機能が備わっているものではない。

 肩をゴリボリほぐしてくれるシンプルなものだが、一日の多くをパソコンの前に座って過ごす彼女にとっては、これだけでも十分効果があった。


「あ~、気持ち良い……買っちゃおうかな、マッサージチェア」

「え、家に?」

「うん、うちのリビングだったら一台くらい置けそうだし……いや、でも、家に置いたら置いたでありがたみなくなっちゃうか」

「もしも買ったら借りに遊びに行くよ」

「うっ、そう言われるともっと買いたくなってきた……!」


 既にトモリの中に、シンクが悪い吸血鬼かもという懸念はなくなっていた。

 むしろ、社会人の一人暮らし、交流の広くない彼女にとって、気軽に遊びに来てくれる友達というのは激しく貴重で、シンクにならもっと遠慮無く遊びに来て欲しいという思いがある。


「配信のネタにもなるし……買っちゃおうかな」


 先ほどよりもずっと前向きに、トモリは悩む。


「配信……そうだ、昨日の配信も見たよ」

「あ、ありがと……」


 嬉しく思いつつ、面と向かって言われると恥ずかしいトモリ。


「でさ、みんなが送ってる投げ銭的なやつを送ってみようと思ったんだけど、なんか設定が分からなくて」

「えっ!? わざわざいいわよ!?」

「でも……あ、そっか。直接知り合いなんだから、直接お金を手渡した方がいいか」


 トモリ――ラキュア・トワイライトが配信を行う動画サイト『terratube』には投げ銭システムが実装されている。

 100円から50000円の幅で、視聴者がリアルマネーを配信者に送れるというものだが、その金額がそのまま届くわけではない。

 プラットフォーム側への手数料や、ラキュアが所属するVtuber事務所側の取り分も発生し、彼女の手元に届く頃には随分と目減りしてしまうのだ。


 それならば、直接渡してしまうのがトモリにとっても良いとシンクは考えたのだが――。


「そんな、いいよ! 友達からお金なんて、もらえないもの」


 トモリは断固として拒否する。

 まだ何かを奢ってもらうとかならともかく、現金をそのまま渡されてしまえばそれはもう純粋な友達関係とはならないだろう。


 スポンサー、パトロン、もしくはヒモとか。

 適切な言葉は浮かばずとも、決して対等なものではない。


「私は、シンクちゃんが私の配信を楽しみにしてくれているってだけで、十分嬉しいから」

「でも、ラキュアが頑張ってるんだから、わたし的にも何か応援がしたいというか……」

「……そうだ。だったらさ!」


 トモリはあるアイディアを閃き、ぱっと顔を上げ、シンクをきらきらした目で見つめる。


「今度、コラボしない!?」

「……コラボ?」

「いや、コラボとは違うか。シンクちゃんがチャンネルを持っているわけじゃないんだし……。ええとつまり、私の配信に出演しない?」

「わたしが、ラキュアの配信に?」


 シンクとしては完全に予想外の提案。

 不死の吸血鬼として、そういう生き方があると知った衝撃を忘れたわけではないが、だからといって自分がそうなるとは露ほど考えていなかった。


「いや、でも、顔出しとかは」

「いらないいらない!」

「ラキュアみたいな、えっと……アバターっていうの? そういうのも持ってないし」

「いらないいらない! 声だけで大丈夫!」


 トモリはすっかりその気になって、前のめりに逃げ道を塞いでいく。


「シンクちゃん、声もすっごく綺麗だし、きっとリスナーのみんなも喜ぶと思う!」

「で、でも」


 その熱に圧され、シンクはじりじりと逃げ場を失っていく。


 シンク的にはあまり乗り気にはなれない。

 それは自分のことというより、自分が出ることでトモリが被るデメリットが気になるからだ。


 今、ラキュア・トワイライトを取り巻く環境は決して悪くない。

 二人が顔を合わせるきっかけになった配信切り忘れも大した問題には発展せず、チャンネル登録者数は伸びていっている。


 順風満帆と言える現在の状況に、果たして自分のようなイレギュラーが関与するメリットはあるのだろうか……と、訝しまずにはいられない。


「わたしはラキュアの友達ってだけで、それがいきなりラキュアの配信に出るとか……眷属のみんなは良く思わないんじゃないかな……」

「そ、それは……確かに……?」


 なんの背景も持たないプライベートの友人を突然配信に出す。

 内輪ノリとか、プライベート匂わせとか、悪い言葉と簡単に結びつきそうな行為だ。


 トモリもはっとしつつ、腕を組んで頭を捻る。


「……いやっ、でも考える! みんなが受け入れてくれるような、何か! ちゃんと考える! 事務所の人にも相談してみる!」

「そこまでする必要無いんじゃないかな……」

「あるよ! だって、シンクちゃんは私のこと、『ラキュア』だって認めてくれたでしょ? だから、なんていうか、月見里灯としてだけじゃなくて、ラキュア・トワイライトとしても、シンクちゃんと一緒にいたいっていうか、その……」


 トモリは、上手く言葉にできている自信が無いながら、本気で訴えかける。


 トモリも素人のシンクを配信に無理やり巻き込もうなんて双方様々なリスクを抱えていることは承知委している。

 これはただの思いつき。それほど拘る話でも無いかもしれないという自覚もある。


 しかし、一度想像してしまえば抗えない。

 シンクと並んで、ラキュアとして、お喋りしたり、一緒にゲームしたり、映画を観たり……そんなの絶対楽しい、と。


「……ラキュアがそこまで言うなら、考えておくよ」

「ほんとっ!?」


 年甲斐も無く、トモリは体を跳ね刺す。

 けれど、いいのだ。


 たとえ成人していたって、立派な大人と言われる年齢だって。両親からそれとなく結婚をせっつかれていたって。

 目の前で生きる不死の吸血鬼に比べれば、自分なんて全然子どもだ。

 ついつい我が儘をぶつけてしまっても、誰も責めたりはしない。


 そう開き直りつつ、トモリは早速、事務所のマネージャーになんて質問すれば話が通りやすいか風呂上がりのスッキリした頭で考え始めるのだった。

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