第5話 吸血鬼、ランニングに興じる

「えっほ、えっほ」


 自宅から20分ほど歩いた先にある自然公園にて。

 シンクは質素なジャージ姿でランニングに勤しんでいた。


 かれこれ、五時間ほど。


「いちこー、ふぁい、おー。ふぁい、おー」


 五時間の間、常に同じペースを保ちつつ、たまに通ったこともない謎の高校のかけ声を口ずさみつつ、走り続けている。


 なぜ彼女がわざわざこんなことをしているのか。

 その理由を語るには、まず走り始める直前――今朝に時間を戻す必要がある。



「臭い」

「えー……」


 ペペロンチーノを堪能した次の日。

 朝からシンクの部屋を訪れたツムギは、昨日と同じように顔を顰めた。


「昨日とまったく同じ登場じゃない?」

「だって本当に臭いんだもん」


 そう文句を言いつつ、部屋に上がり込むツムギ。

 畳に寝転びだらっとしていたシンクものっそり起き上がる。


「にんにく臭い」

「そりゃあ臭いよ。だって、昨日一晩中、皮を剥いていたんだから」


 にんにくは湿気に弱く、意外と痛みやすい野菜だ。

 なのでツムギは、山のように買ったにんにくをすぐさま消費しきれないと睨み、シンクに冷凍保存を勧めていた。


 ツムギの忠告に従い、シンクは深夜の内に、全てのにんにくの皮を剥き、一粒一粒バラバラにした状態でフリーザーパックに詰め、冷凍した。


 しかし、にんにくは皮もそうだし、中身も臭う。


 一晩かけて、だらだら、じっくりいじくり回し続けたのだ。

 作業をしたシンク自身、そして部屋中ににんにくの生臭い香りが染みついてしまっても、仕方がないのである。


「でも、それだけじゃないんだよね……」


 昨日同様、換気の為に窓を開けるツムギ。しかし表情は渋いまま、シンクを振り向く。

 そして、シンクに近づくと、腕、頭、首筋……と、鼻を近づけ匂いを嗅ぎ出した。


「ツムギ? くすぐったいよ」

「……やっぱり」

「やっぱりって、なに?」

「シンク、体からもうにんにくくさい」

「ええっ! そうかなぁ……」


 シンクも自分の腕を鼻に近づけてみるが、まったく分からず首を傾げる。


「ていうか、酒臭い」

「そりゃそうでしょ。わたしを誰だと思ってんだい」

「胸張るなし! 吸血鬼のくせににんにく臭いことをどうにか思いなよ!」

「そう言われると、確かに恥ずかしくなってきた」

「言われなくても思いなよ……」


 シンクは自身の腕を鼻に近づけ何度か嗅ぎ……首を傾げる。


「うーん。もしかしたら、普段あんまり食べないから上手く分解できてないのかも」

「えっ、そんなのあるの!?」

「うん。だってそもそも、人間の食事も殆ど食べない生き物だからね」


 食事を取るという行為自体、吸血鬼にとってはイレギュラーなもの。

 にんにくなどというクセの強い食べ物を摂取すれば、体が驚いて変な反応が出てもおかしくはない。


「人間だって、栄養ドリンクとか飲み過ぎたら逆に体調悪くなったりするじゃない?」

「そういう話なのかなぁ……」

「たぶん。わかんないけど。……でもおかしいな。お風呂にはちゃんと入ってるんだから、もっといい匂いしてもいいと思うのに」

「毎日?」

「………………たまに忘れちゃうけど」


 ものすごい間を空けて、ものすごいぎこちなく頷くシンク。


「シンク……今から走ってきなさいっ!」

「え。なにさいきなり」

「ずっと部屋に引きこもってるから、駄目になるの! たまにはいい汗流して、酒臭さもにんにく臭さも、老廃物と一緒に洗い流さないと!」

「えー……面倒くさいなぁ」

「文句言うなら、もうご飯作ってあげないから!」

「えーっ!?」


 そんなこんなで、シンクは強制的に走らされることになったのだった。



 そして、再び現在。


「えっさ、ほいさっ。……うーん、いいのかな、これで」


 5時間、延々と走り続けている。ペースも人間基準で考えれば標準を超えている。

 しかし、シンクは殆ど汗を掻いていない。


 不死の身ではありつつも、ある程度代謝はする。

 しかし、普通のランニング程度では強制的に汗を流させるというほどの運動強度には至っていなかった。


(でも、これ以上ペースを上げたら、さすがに目立っちゃうだろうし。オリンピックに出てくれ~ってスカウトされても困っちゃうし)


 長く走ればそこそこの運動になるかと思い続けてみたものの、足りていない気もしている。

 ましてや、時刻は正午を過ぎ、日はこれからどんどん傾いていく。


 不死の吸血鬼でなければ、正午の日の下など到底出歩けるものではない。

 シンクは死なないこともあり平然としているが、それなりに負荷が掛かっているのは確か。

 しかし、これから日が傾けば、コンディションは今以上に整っていく。そうすれば、汗を流す目的はさらに遠くに逃げることに……。


(うん。すこし、ペースを上げよう)


 このまま帰っても、ツムギから本当に走ってきたのかと疑われてしまう。

 重りでも持ってくれば良かったかな、と後悔もしつつ、シンクは送る足を速めた。


「おや」


 そうして少し走った先、同じくランニングをする少女の背中が見えた。

 五時間走って一度も見ていない背中だ。


 この自然公園のランニングコースは一周3kmほど。

 一度も見かけていないということは、今ちょうど走り出したところか、これまでシンクとまったく同じペースで走っていたことになる。


(見たところ、ツムギと同じくらいの子どもだな。じゃあ、わたしのペースも十分人間の常識圏内だったというわけだ)


 なぜか得意げに胸を張るシンク。


(それなら、ちょっと追い抜くくらい、もうちょっとペースを上げたって、全然おかしな速さなんかじゃあないな!)


 ニヤリ、とほくそ笑み、シンクはペースをさらに上げる。

 振った腕が風を切る音を鳴らす程度には速く、グングンと少女との距離を詰めていく。


「……!?」


 足音か、それとも気配を察したか。

 前を走っていた少女が振り向き、迫ってくるシンクを一瞬視認した。


「む」


 直後、少女がさらにペースアップする。

 シンクより速く――再び距離が開く。


「逃げられた……?」


 こてん、と首を傾げつつ、離れた背中を見つめるシンク。

 しかし直後……彼女は再び笑みを浮かべた。


「面白い。絶対追い抜いて、その肩を叩いてやる」


 退屈なランニング。そこで見つけた生意気(暫定)な少女。

 シンクはこの五時間で初めて、胸を躍らせるのだった。

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