第39話 吸血鬼、吐露する

「ふ~、帰ったぞ、我が家~」

「お邪魔しま~す……」

「ん、どうしたのツムギ。普段はもっと遠慮無く上がってくるのに」

「だって、シンクから誘ってくれるなんて滅多にないし……」


 ラーメンを食べ終えた後、チサトとトモリとは解散し、シンクはツムギと共にアパートに帰ってきていた。

 そしてシンクは自室、ツムギは大家宅へと別れるはずだったのだが、シンクがツムギを引き留め、部屋に上げたのだ。


 しかし、普段はまるで自分の家のように居座るツムギが、なぜか居心地悪そうに、緊張するように表情を硬くしていた。


「確かに君を誘うことはあまりないけど……でも、ツムギは誘う隙も無くうちに来るじゃない」

「う……そうだけどさ」


 ツムギは所在なさげに、もじもじと指を絡ませる。

 シンクの指摘を受けても、納得できていないようだ。


「……シンク、あたしのこと鬱陶しいって思ってるんじゃないかなって」

「え?」


 ツムギの言葉に、シンクは目を丸くする。

 言っている意味を理解するのに数秒かかり……理解した後も、なぜツムギがそう言うのか分からない。


「だって、あたしと一緒だと大好きなビールも飲みづらいでしょ」

「ツムギと一緒にいても普通に飲んでると思うけど……」

「そうだけどぉ! でも、さっきとかさぁ……」

「ラーメン屋の話?」

「うん……シンクのことだから、きっとビール飲みたかったんでしょ」


 ツムギが出会った時からシンクは、とにかくいかにしてビールを愉しむかを基準に行動していた。


 ツムギは未成年で、シンクと一緒にビールを愉しむことはできない。

 だから、ビールの前で一層目を輝かせるシンクを見れば、面白くないと感じてしまう時もある。


 同じアパートに住んでいる、気兼ねなく遊びに行ける隣人。

 吸血鬼という、殆どの人が実在を信じないだろう特別な存在である彼女と一緒に過ごしていて、あまり種族の違いを感じることはないけれど……しかし、ビールというそこら中に売っているごくありふれたものが、『違い』を感じさせてくる。


 しかし、ツムギは決して、シンクからビールを取り上げたいわけじゃない。

 むしろ逆だ。シンクがビールを美味しそうに飲んでいる姿が好きだから、毎日隙間時間を作ってはビールに合うおつまみのレシピを調べ、勉強しているくらいで。

 

「……あたしも飲んでみようかな、お酒」

「ええっ!?」


 珍しく、シンクが声を上げた。


「駄目だよ、ツムギ。未成年の飲酒は法律的にアウトなんでしょ。犯罪者になっちゃうよ」

「大げさだよ。こっそりだったらバレないし……きっと」

「未成年がお酒を飲むと、発育的にも良くないっていうし、何かあったらわたし、大家さん達に顔向けできないよ」


 そしてわたわたと慌てつつ、必死に説得する。


「あと四年も待てばツムギも二十歳でしょ。それまで待とうよ。もしもツムギが嫌ならさ……お酒もやめるし」

「それは駄目!」


 まさかの言葉に、ツムギは反射的に叫んでしまう。


「やめてほしいんじゃないの! そんなことになったら、シンクもつらいし、あたしだってつらいし……ごめん、すごく面倒くさいよね、あたし……」

「そんなことないよ」


 泣き出しそうなツムギを、シンクは優しく抱きしめた。

 そして、まるで子どもをあやすように、優しく背中を撫でる。


「わたしさ……吸血鬼でしょ?」

「うん」

「見た目こそ、人間と似てるかもしれないけれど……人の世界で生きる時間が長くなるほど、やっぱりわたしは人間じゃないって思い知らされるんだ」


 ツムギを抱きしめ、二人で畳の上に座り込み、シンクはゆっくりと語る。


「わたしは人間ほど感情豊かじゃない。価値観も違う。例えるなら……お酒だってそう。わたしはお酒を飲んでも、君たち人間みたいに、本能から美味しいって感じたりはできないんだ」

「え?」

「だから、経験っていう知識の中から照合する。この味は美味しいっていうんだって。それとこれが合わされば、たぶん、人間だったらもっと美味しいって思うんだろうなって……ふふっ、言ってて本当に変だなって自分でも思うけど」


 それはまるで、勉強して、解答をテストの答案用紙に書き込むような生き方だ。

 

 人間が美味しいと思うから、これは美味しい。

 人間が正しいと言うから、これは正しい。


 それを考え、反芻し、間違うたびに修正し……そうしてシンクの『人生』は続いてきた。

 おそらくこれからも、それは続く。


「シンクは……人間になりたいの?」

「ううん、そうじゃないよ。いくら真似したってわたしは人間にはなれないし」


 それはまるで、一度目指そうとして、けれど断念したような……そんな口ぶりに、ツムギには思えた。

 

「ただ、もったいないじゃない?」

「もったいない……?」

「わたしがどうせ死なないからって、一日、一時間、一分一秒を無駄にして過ごしていても……その間に人は老い、死んでしまう。出会えたかもしれない。友達になれたかもしれない。そんなチャンスを失ってしまう」


 シンクはツムギを抱きしめる手を離す。

 自然と向き合い、見つめ合う二人……シンクはツムギに苦笑いを向けた。


「そんなの、もったいないじゃない?」


 その苦笑を見て、ツムギはシンクが本音で語ってくれたのだと理解した。


 それはまるで、照れを隠すように取り繕うような笑顔で、シンクの言葉に反し、とても人間的で。


 やはり、そんな後悔するような経験があったのだと察させるには十分なものだった。


「えっと、随分脱線しちゃったけど、話を戻すと……ツムギたちと過ごす時間も、わたしにとってはもうかけがえのないものなんだ。そりゃあラーメンとビールの相性は最高さ。けど、四人で一緒に食べるラーメンも、何にも変えられない筆舌に尽くしがたいものだし」

「……でも、さらにビールが飲めたら」

「もっと最高! ……かも?」

「やっぱり!」

「ふふっ、でもそれはツムギやチサトが大人になるまで、楽しみに取っておくよ。永く生きればその分後悔もたくさん積み重なってく。それに比べたら、未来の楽しみっていうのはすっごく貴重なんだよ?」

「……そっか」


 年甲斐も無く、しかし外見に見合って子どもらしい笑顔を見せるシンクに、ツムギもようやく笑顔を見せる。


「じゃあ、あたしも頑張って、シンクがビックリするくらいの美人になるから!」

「別に美人じゃなくてもガッカリしたりしないけど……でも、うん。楽しみにしてるよ」


 美醜で付き合いを変える気はなくとも、ツムギはもっと可愛く、魅力的になるだろうという確信がシンクにはあった。

 そして確信があろうとなかろうと、楽しみなのに変わりはない。


 鬱屈とした空気を振り払い、健気に笑ってくれるツムギに、心の中でほっと胸を撫で下ろすシンクだった。

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