第34話 旅の始まり

 シンクは山小屋を取り払い、その跡地に穴を掘り、ミアを寝かせた。


――わたし、ここの空気好きよ。とても澄んでいて、風は冷たくて……あなたもいるから。


 ここからならアルプスの山々を感じられる。

 山小屋を残せば、誰かがやってきて住み着いてしまうかもしれない。シンクはミアを、そんな煩わしさから解放したかった。


 いつの日か山々が拓かれ、誰かが踏み荒らしに来るかもしれないが、その時までは安らかにいられるように……シンクは祈る。

 神がいるかは知らないが、何か少しでもミアの安らぎに繋がるのであれば、彼女は何だって差し出すだろう。


「ミア、また来るよ。なに、君が待っていてくれるんだ。永遠でも足りないくらいだ」


 シンクはそう言って、ぎこちない笑みを浮かべる。

 ミアの前では自然に出せていた小さな表情変化であっても、意識的にはまだ難しい。


(けれど、いつかちゃんと、どこに出したって恥ずかしくないくらい素敵に笑ってみせるよ。君につまらない女だって思われたくないからね)


 シンクはそう心の中で誓い、どこへでもなく歩き出した。


 気がつけば不死になり、気の遠くなる永遠に絶望して、いつからか死ぬ術を求め、世界を彷徨うようになった。

 そうして出会った人間の少女、ミア。

 彼女は吸血鬼に死を与えることはなかったが、変わりに名前と生きる意味を与えてくれた。


 シンク。後にシンク・エルヴァナと名乗る不死の吸血鬼。

 その終わり無き旅路は今日、この瞬間に始まった。



 それから数百年――人間の一生では届かないほど、長い時間が流れた。


「やあ、久しぶり」


 あれから時が経ち――ミアと共に過ごした頃より、なぜか一回り小さく、幼くなったシンクが、再び山小屋の跡地にやってきた。


 いや、そう呼ぶのはもう相応しくないだろう。


「ふふっ。相変わらず大きいね、ミア。豊穣の御子っていうのも伊達じゃなかったってことだ」


 山小屋のあった場所には、一本の大樹が伸びていた。

 ミアの遺体と共に種を埋めたわけではない。

 しかしなぜか、近くの林に生えているのと同じ種類の木が、ぽつんと一本だけ生え育っていた。


 シンクは毎年かかさず、ミアの命日にここを訪れる。

 いつか誰かに切り倒されてしまうんじゃないかと冷や冷やしつつも、こうして育った木を見上げると、シンクは誇らしく感じる。


 まるでこの木に、ミアが宿っているようで。

 もちろん一番は、彼女が死後の世界で幸せに過ごしていることかもしれないが……。


(不死のわたしじゃそこにはいけないから……なんて、甘え過ぎかな、ミア)


 シンクは木の肌に触れ、自嘲する。

 そして数分、黙祷ともとれる時間を過ごした後——。


「よいしょっと」


 シンクはミアの木に背中を預けるように座り、背負っていたリュックからワインボトルを一本取りだした。


 そして、これまた持参したグラスにワインを注ぎ、木の肌に軽く触れさせる。


「かんぱーい!」


 ミアの生前、二人は杯を交わしたことはなかったが、ミアは度々、香草と共に煎じたワインを薬酒として飲んでいた。


 飲むのは決まって、ミアの生まれた国で作られたワインだった――ミアの故郷の村のブドウを使ったワインは避けつつ。(これはシンクが勝手に気を遣ったことだが)


 今もこの日に持ってくるワインの選定方法は変わらない。

 ただ、ミアの故郷の村はずっと昔に廃村になったというから、その分ワイン選びは楽になったが。


「今年のはね、なんかの賞を取ったヤツみたいだよ。わたしはミアとしかワインは飲まないから、あんま詳しくないんだけどね……うん、美味しい」


 そう言いつつ、シンクは軽く一杯飲み干す。

 

「この味……不思議だなぁ。君と一緒に飲んだことはないのにさ、なんでか君を思い出すんだ」


 もう一杯、グラスにワインを注ぎ、くるくると回す。

 そして、暫くグラスで渦巻くワインを眺めた後、今度は一口だけ飲む。


「……さぁ、毎年恒例だ。ふふっ、一年分の土産話、しっかり余すことなく聞いてもらおうか」


 シンクはそう言って、笑う。それは得意気にも見えるし、照れ隠しのようにも見えた。

 毎年ここを訪れては、シンクが見てきたものをミアに報告する――それが二人の約束だった。


 何も無かった年も、欠かさず、必ず。

 シンクはミアに会いに来る。


「まったく君は本当に贅沢者だよ。なんたって、こんなに多忙なわたしの一日を、毎年こうやって独占しちゃうんだからね」


 そんな偉そうな言葉に、どこからともなく風が吹き、木の葉を揺らした。

 

 シンクはそれを見上げ、穏やかに……かつて、ミアが自分に向けてくれたような優しい笑顔を浮かべる。


 彼女は吸血鬼。人間とは外見くらいしか共通点のない全く別の生き物。

 しかし、ミアのことを思うと、自然に目尻が下がり、頬は綻んだ。


「そうそう、去年ある女の子に出会った話をしたよね。今もあの子とはよく一緒に遊んでてさ……」


 こうして、二人は語り合った。

 日が昇り、日が暮れて……一日が終わるまで、ずっと。


 一分、一秒――時間が過ぎていくのを惜しみながら。

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