第25話

泣きながら言ったのは純子だ。

純子も数学が苦手なのか、さっきからボロボロと涙をこぼしている。



「やらないと、誰かが消えるんだ!」



充が叫んで机を蹴飛ばす。

大きな音が教室内に響いてビクリと体を震わせた。



「暴力的なことはやめろ!」



修がすぐに止めに入る。

充はふんっと鼻を鳴らすと、純子と未来へ視線を向けた。



「お前ら3人は机に座れ」



充に命令されてもすぐには体が反応しなかった。

嫌だと全身が拒絶している。



「早くしろ!」



今度は壁を殴りつける。

ドンッと鈍い音が教室を揺るがして、私の体はようやく動き始めた。

のろのろとした動きでテストが置かれている机に座る。

事務室から持ってきたのだろう。

エンピツと消しゴムもすでに準備されていた。



「嫌だ、嫌だよ……」



隣に座った純子が小さな声で呟き続けている。



「制限時間は45分」



正志の声に時計へ視線を向ける。



ちょうど9時になったところだ。

朝ごはんも食べていない頭がちゃんと働いてくれるかどうか不安が残る。

でも、ここまで来たらもうやるしかない。


私はエンピツを握りしめて目を閉じた。

数学の勉強はこの合宿に来た初日にやっている。

だから少しは理解できるはずだ。

落ち着いてテストを受ければ、きっと大丈夫。


自分自身にそう言い聞かせて目を開ける。

同時に「開始!」と正志が合図を出したのだった。


☆☆☆


今まで何度も試験を受けてきたけれど、これほど緊張感のある試験を受けたことはなかった。

3人でテストの点数を争って、悪かったら消えてしまう?

そう考えると体中に寒気が走ってとても集中できない。


だからできるだけなにも考えず、とにかく目の前の数式に集中する。

テストの内容は1日目の授業で習ったところから始まって、まだ勉強していない範囲まで及んでいた。

だけどこれは1度学校で習ったところだ。

数式を思い出すことができれば解ける問題だ。


1問解答するごとにホッと胸をなでおろす。

そして次息を詰めるようにしての問題にとりかかる。

手の平にはじっとりと汗がにじみ出てきて、何度もエンピツを取り落してしまいそうになった。

苦手な数学を前にして、何度も手の動きは止まる。


どうしてもっとちゃんと勉強しておかなかったのだろうと、ここまで後悔したこともなかった。

それでもどうにか最終問題までやってきて、私は完全に手が止まってしまっていた。

最後の問題だけ異様に難しいのだ。


授業で習った記憶はあるものの、難しすぎてすぐにさじを投げてしまった。

先生は最後のこの難問を持ってきたのだ。

どうしよう。



わからないよ……!

必死に授業内容を思い出そうとするけれどうまく行かない。

時計の針の音ばかりが気になって集中できない。


顔を上げて時間を確認してみると、残り5分になっている。

あと5分でこの問題の数式を思い出して、計算しなきゃ……!

焦れば焦るほどにパニックに陥る。


数式を思い出すどころか、頭の中はどんどん真っ白になる。

どうしよう……!

焦りで額から汗が流れ落ちたとき、「そこまでだ」と、正志の声が教室に響いた。


その声を合図にして純子と未来の緊張が解けるのがわかる。

私もエンピツを置いて大きく息を吐き出した。

結局最後の問題を解くことはできなかった。


でも、それ意外の問題は冷静に解いていくことができたと思う。

プリントは充が回収して行き、修が採点してくれるようだ。

私はギュッと胸の前で手を握りしめる。


緊張が解けたせいか、今頃になって指先が震え始めていた。



「純子、大丈夫?」



未来の声に視線を向けると、純子が椅子に座ったまま青ざめてすすり泣いている。



「終わった……全然、できなかった」


「まだ結果はわからないでしょう?」



未来の励ましも耳に届いていない様子で、頭を抱えて震え始める。

かなり悪いできだったのかも知れない。



「未来だって知ってるでしょ!? 私、数学だけは本当にダメなんだって!」


「私だって苦手だよ。ここに来てるメンバーはみんな勉強が苦手なんだから」


「そうだよ純子」



私はたまらず声をかける。

ガタガタと震える純子の視線がこちらへ向いた。



「嘘。あんた、勉強できるでしょう!?」



突然掴みかかられそうになって思わず飛び退く。

純子は目を血走らせて私を睨みつけていた。



「私知ってるんだから! あんたが平均点取れること!」


「そ、それは……」



確かに平均点くらいなら取れているかもしれない。

でもそれは勉強ができる内に入るだろうか?


元にこうして勉強合宿に参加しているんだから、それほど成績がいいわけじゃないと思う。

修のように自分から立候補して参加した生徒とは違うんだ。



「ごめん歩。ちょっと向こうに行ってて」



未来のキツイ声にたじろぐ。



「結局、歩と私達は違うんだよ」



未来の言葉が私の胸に突き刺さった……。


☆☆☆


修の採点は15分ほどで終了した。

私はひとり教室の隅に座り込んで結果を待っていた。

純子と未来は体を寄せ合っている。


ふたりの姿を見ているとどうしても香のことを思い出してしまって、胸の重たい鉛を抱えてるかのような気持ちになる。

ああして寄り添って、励まし合っていけたらどれだけ良かっただろうか。



「採点できたから、みんな集まって」



修の言葉に私は怠慢な動きで立ち上がる。

1度座り込んでしまったから、立ち上がることが億劫になってしまった。

純子の隣の席に戻っても、純子と視線を合わせることはなかった。

今私たちの間には見えない線が引かれているようだ。



「点数を発表していくの?」



聞くと修は左右に首を振った。



「その必要はないと思う。俺たちが点数を知る必要はないから」



ホワイトボードを操っていうる誰かが点数をわかっていればそれでいい。

そんなニュアンスだった。



私は頷いて大きく深呼吸をする。

修はそんな私の前に裏返したテストを置いた。

問題はどのくらい解けていただろう。


点数は?

そっと手を伸ばてテスト用紙に触れる。

紙に触れた指先が微かに震えた。

怖い。


だけど、見なきゃ……。

ゴクリと唾を飲み込んでテスト用紙を裏返したとき、ホワイトボードを見ていた充が「おい!」と、声を上げた。

みんなの視線がホワイトボードへ向かう。

そこには『点数を3人で争う日 純子失敗』と書かれていたのだ。


私は息を飲んでその文字を見つめる。

ホワイトボードを操っているなにかは、本当に点数を把握していたのだ。



「あ……あああ」



純子が立ち上がり、よろける。

その拍子に机の上のテスト用紙が床に落ちて15点という点数が見えた。



「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! 消えたくない!」

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