第21話
教室でずっと泣きじゃくっていた香のことが心配で、私は夜になると香の部屋を訪れていた。
電気もつけていない暗い部屋で香はひとり、うずくまっていた。
「香、大丈夫?」
そう声をかけても顔を上げてくれない。
今日は他の子たちもみんな夕食を食べる気分じゃなくなってしまって、それぞれの部屋に引きこもっていた。
「お腹すいてない? 菓子パンがあったから、もらってきたの」
できるだけ明るい声を出して、菓子パンを香に差し出す。
「ジュースも持ってきたよ。本当に、食べ物だけは沢山あるよね。山の中の合宿所だから、こういうものしか娯楽がないのかなぁ?」
香の横に座り込んで自分の菓子パンを開ける。
チョコレートの甘い香りがふわりとかおってきて、なくなっていた食欲が少しだけ復活するのを感じた。
パックの野菜ジュースにストローを突き刺して一口飲むと、甘いリンゴの味が広がった。
あれだけ走らされてなにもかもがすり減ってしまった体に染み込んで行く。
「……美味しそうだね」
香がようやく弱い声を出した。
「香の分もあるよ」
やさしジュースにストローを差して差し出すと、香はそれを素直に受けとった。
一口飲んで少しだけ口角を上げる。
「おいしい」
「だねぇ。普段野菜ジュースなんてそんなに飲まないけど、たまにはいいよね」
ここで準備されていなかったら、滅多に選ぶことのない飲み物だ。
「うん。ありがとうね、歩」
「なに言ってんの? 私はただ夕飯を香と一緒に食べたかっただけ」
そう答えてチョコレートパンにかぶりつく。
甘みが口いっぱいに広がって、疲労が解けていくように感じられる。
それを見た香も菓子パンに手を伸ばした。
「人が食べてるのを見るとお腹が空いてくるよね」
同じ味のパンをかじって香が呟く。
「そうだね」
「食欲がなくても……お腹、すくよね」
香の声が震えた。
私はパンを食べるのを止めて香を見つめる。
香の両目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ出していた。
「どんどん友達がいなくなって、悲しくて、なにもしたくないのに……お腹すいちゃうんだよね」
私は香の体を抱きしめる。
どれだけ辛くても、悲しくても、生きていく者は最低限のことはしなくちゃいけない。
食事はその最低限の中に入っているものだ。
「先生も、潤も、彩も花も……みんな、もうこれ、食べられないのに!」
香が手の中でパンを握りしめた。
ギュッと形を崩したパンは居心地が悪そうだ。
「大丈夫だよ香。私達はみんなの分まで生きていかなきゃいけないんだから」
それは自分へ向けた言葉でもあった。
修に励まされて、それでも納得できなかった自分への言葉。
たとえここから出ることができなかったとしても、それでも生きている限りは生命活動を続けるべきだ。
弱っている香を目の前にすると、強くそう感じることができた。
「明日にはまた命令が書かれてるのかな。それで、また誰かが消えるのかな」
香が独り言のようにぶつぶつと呟く。
きっとそうなるだろう。
ううん、明日こそなにかが変わるかも知れない。
私は何も答えられず、ただ香を抱きしめ続けていたのだった。
☆☆☆
その日、結局私は香の部屋で朝を迎えていた。
寄り添って座ったまま、何度かうつらうつらした程度だ。
昨日走ったせいで全身が筋肉痛で悲鳴をあげている。
できればこのまま香とふたりで昼まで眠っていたい気分だった。
それでもどうにか重たいまぶたをお仕上げてふたりで部屋を出た。
ずっと引きこもっていたら、他の子たちに心配をかけてしまうから、ひとまず顔を出さなきゃいけない。
階段を降りるときには足が痛くてふたりして涙目になりながら、どうにか足を進めていった。
「食堂には誰もいないね」
部屋を出た時間がいつもより少し遅かったせいか、食堂には誰の姿もなかった。
けれどなにかを食べた後の匂いだけは残っている。
「香、なにか食べる?」
「ううん。まだいいや」
昨日の晩は菓子パン一個しか食べていなかったけれど、食欲はまだ回復していないみたいだ。
私もあまり食べる気分にはなれなくて、そのまま教室へ向かうことになった。
「みんなおはよう」
声をかけて教室に集まっていたメンバーに声をかける。
そこにいたには修、充、正志、純子、未来の全員だ。
「遅くなってごめんね」
声をかけながら教室に入ると修が複雑な表情を浮かべてこちらへ視線を向けた。
なにかあったんだ。
そう直感して、香と共に近づいていく。
「どうしたの?」
聞くと修は視線だけでホワイトボードを確認するように促してきた。
ということは、今日もなにかがそこに書かれたということに違いない。
私は1度キツク目を閉じる。
昨日ほど過酷な命令だったらどうしようと、心臓が早鐘を打ち始める。
だけど確認しなければ、そして命令をちゃんと実行しなければ今日消えてしまうのは自分かもしれない。
覚悟を決めて目を開ける。
ホワイトボードに書かれた文字は……。
『誰かを自殺させる日』
全身が凍りついて、なにも考えられなくなった。
周囲の音がかき消えて、目の前の文字を凝視し続ける。
「ありえねぇだろ」
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