第18話
グラウンドはみんなが走ったことで絵砂埃が上がり、曇って見えた。
「うん……」
「でも今回はみんなが一緒だから」
「え?」
「昨日の命令みたいに、誰かを陥れるような命令でもないし。励まし合って走ることができるから」
「うん。そうだよね」
私は大きく頷いた。
こうして走っていても隣に仲間がいると思うと気持ちが違う。
私は知らない間にペースを落としていた。
修が私のペースメーカーになってくれたみたいだ。
自然とこんなことができてしまう修に胸の奥が熱くなる。
「ありがとう。頑張れそうだから、大丈夫だよ」
私はそう言って微笑んだのだった。
☆☆☆
走り始めてから10分が経過したとき、私の後方で誰かがこける音がして思わず立ち止まっていた。
振り向いて確認すると彩が起き上がろうとしているところだった。
「彩、大丈夫」
後ろから追いついてきて花が彩に手を貸している。
「ごめんね、大丈夫だから」
そういいながらも彩の額には汗が滲んでいてかなりキツそうだ。
怪我が痛み始めているのかもしれない。
彩が立ち上がったのを見届けてから私は再び走り出した。
一旦足を止めてしまったから、走り出す足がとてつもなく重たい。
まるで両足に鉛をくくりつけられているような気分だ。
自分は自分のペースで走らなきゃ。
じゃなきゃ走れなくなっちゃう。
心の中でそう呟いて前方だけを見て足を前に進める。
私の前には修がいて、一定のペースで走ってくれているから本当に助かる。
香が今どこにいるのか気になったけれど、見える範囲にはいなかった。
きっと、後ろからついてきているんだろう。
確認したかったけれど、私にはもう後ろを振り返る余裕はなかったのだった。
☆☆☆
走り始めてから40分くらいが経過していた。
太陽は徐々に登り始めていて、私達の体を熱で蝕んでいく。
シャツには汗がベッタリと張り付いていて、額から流れ出る汗は止まることを知らなかった。
できれば休憩して水分補給をしたいけれど、それが許されるかどうかわからないからみんな無言で走り続ける。
最初はあちこちで会話が聞こえてきていたけれど、今はもうみんな黙りこくってただ足を前へ運ぶ。
ただその作業を繰り返すばかりだ。
短くて早い呼吸を繰り返しながら走っていると修が彩と花のふたりを追い越した。
ふたりはこれで一周遅れだ。
だけどまだ走っている。
懸命に足を動かして砂を蹴っている。
頑張れ。
頑張れ!
私は心の中でふたりへ向けてエールを送りながら、追い越したのだった。
☆☆☆
もうどれくらい走っているだろうか。
確かこれで70週目だから、もう1時間以上は走っていることになる。
あと30周。
あと30周で終わることができる。
今すぐにでも倒れ込んでしまいそうになるのをなんとか堪えて足を運ぶ。
修の姿は相変わらず私の前に見えているけれど、そのペースは遅くなっていることがわかった。
いくら運動神経がいい修でも、ここまで長時間走った経験はないだろう。
さっきから時折体が右へ左へと蛇行するようになっていた。
私も、足がふらついてこけてしまいそうになることが何度もあった。
でも、ここでこけたら終わりだ。
もう1度立ち上がって走り出すことなんて、絶対に不可能だろう。
私と修は前方に彩と花の姿をとられて追い抜いた。
ふたりと追い抜くのもこれで何度目かになる。
ふたりはすでに走るのをやめて、肩を寄せ合うようにして歩いている。
彩は怪我をした方の足を引きずり始めていて、それでも諦めずに前へ進んでいる姿に勇気が湧いてくる。
あと30周だ。
大丈夫。
きっと最後まで走ることができる。
私はまたしっかりと目を開いて前方を睨みつけるのだった。
☆☆☆
1度、香の声が聞こえてきた時があった。
後方で「キャッ」と短く悲鳴がして、コケるような音が聞こえてきた。
その音を聞いたときには立ち止まってしまいそうになったけれど、修の背中だけを見つめてどうにか走り続けた。
残り10周まで来て立ち止まるわけにはいかない。
今他のことに気を取られて立ち止まってしまえば、そのから先がすべて水の泡になってしまうかもしれないからだ。
もはや自分が何時間走っているのかわからなくなっていた。
靴ずれが起きてくるぶしから血が出たときは痛みを感じていたけれど、今ではそれも気にならなくなっている。
体のあちこちが痛くて苦しくて、すでに悲鳴を上げている状態だ。
靴ずれの痛みなんて、すぐに忘れてしまった。
☆☆☆
「あと1周だ!」
走りながら視界がぼやけて、頭がぼーっとしてきたとき、前を走っていた修が叫んだ。
その声に意識がハッキリと覚醒する。
修が走りながらこちらを振り向いている。
「あと……1周……」
呟く声はガラガラに枯れていて、自分のものではなくなっていた。
だけどあと1周。
あと1週ですべてが終わる。
そう思うと涙が滲んできて、前が見えにくくなってしまった。
これじゃ走れない。
私は慌てて手の甲で涙をぬぐって最後の力を振り絞って走る。
校舎前にはすでに走り終えた充と正志が座り込んで肩で大きく呼吸を繰り返している。
走る前に怪我をしたのに、それを物ともせずに走り抜いた充はさすがだ。
私も早くその場所まで行きたくて、必死にくらいつく。
「あと半周!」
修の声に元気が湧いてくる。
あと半周で終わる。
それなら絶対に達成できるはずだ!
前へ前へ。
前へ前へ。
とにかくそれしか考えない。
グランドの砂埃だってもうとっくの前から気にならなくなっている。
埃っぽい空気に何度もくしゃみが出たことが、遠い昔のことみたいだ。
「もう、少し!」
スタートラインが視界に入る。
あそこまで走れば終わることができる!
気持ちが前のめりになって私を追い越していこうとする。
それに引きずられるように足が出る。
それはもう走っているのか歩いているのかわからないようなペースだったけれど、確実に前に進む。
白線が目前まで近づいてきたとき、一瞬足の力が緩んでしまった。
そのまま足が絡んで体が前のめりになる。
こける!
そう思って目を閉じたとき、誰かが両手を差し出して私の体を支えてくれていた。
そっと目を開いてみると、私は修の腕の中にいた。
「ゴール」
汗を流しながら笑顔で言う修に、私は自分が立っている場所を確認した。
白線は……私の体の後方にあった。
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