27話 嗤う赫色

 最初の会談、というか取引を終えて2週間という猶予が生まれた。


 無論これを無駄にする理由はない。


 いつものように彼女の身辺を洗わせてみたが…イマイチ大した情報は得られなかった。


「うーんなんつーか良くも悪くも普通のマダムだな。貴族らしい振る舞いこそするがはない。裏が何かやってる感じがないな。」


「しっかりしてよ。クロード様。」


「わかってるよバーバラ。」


 あれからというもの俺とバーバラの関係が少し変わっていた。馴れ馴れしさがなくなったというか、いつもより距離を置いているように感じる。


「何か掴んでからアイツの所に行きたかったんだがな、弱みってのは取引をするうえでは重要な要素だ。」


 如何に準備をして取引の望むかってのが腕に見せどころなんだが…今回は上手くいかないな。


「なーんか掴みどころが無いんだよなあの人。上手く躱されてるというか、見透かされてるっていうかな。」


 がたがた言ってもなにも変わらないけど。


 あれよあれよと時は過ぎていき、何も得られないままに俺は2週間後を迎えていた。


 取引のための準備などほとんどできていない。かつてない無策で彼女との二度目の取引に向かっていた。


 ガタンガタンと揺れる馬車。その中で少し気になるものがある。


「ん?リンネの持ってるそれって契約書の束だよな?そんな多かったっけ?」


「ええ、契約書ですよ。間違いはありません。」


「…ならいいけど。」


 それで会話は終わり。どことなく気まずい空気の中で揺れる感覚は過去最悪だった。


 ようやく見えたロクサーナ邸では以前と同じく使用人が待っており、俺の到着と同時に屋敷から婦人が出てくる。


「お久しぶりですね。婦人。今日をとても楽しみにしていましたよ。」


「ええ、私もとっても楽しみにしてたの。こっちに来てからはの事だもの。期待もするってものでしょう?」


「…?」


 なんとも要領を得ない婦人の言葉を聞きながら、前の客間に通される。


「ふう、ようやく腰が落ち着けましたよ、馬車の中は私はあまり好きではなくてね。」


「好きな人の方が少ないでしょう。」


 尻が痛いんだよね馬車って。


「しかし、どうでしたか2週間。短いようで長い時間だったと思いますが…決心はつきましたか?」


「そうね…彼女らにとっては短かったかしら…いや優秀な子たちだし存外長く感じたかもね。」


 爪を気にしながら適当に返事をする婦人、明らかに舐めている態度。


 なんだ?何が起きてる。まあいい、こちらは予定通りにやるだけだ。


「…まあいいでしょう。ではそろそろ本題に入りましょうか。リンネ契約書を。」


「ええ、わかりましたクロード様。」


 そういうとリンネは卓上に契約書を…













「おい…なんだこれは!どうなってるリンネ!」




「ふふ、どうしたのです。クロード様。」




「こっこれ、これは⁉」




 卓上に出されたのは契約書、ただし俺の裏工作や騙しに用いた言わば。決して俺とロクサーナの取引のそれじゃない。




「何をやってるんだ!答えろリンネ!」


 彼女は何も答えない。まるでそうあるべきとでも言わんばかりに。








「アッハハハハハ!!!!!!」








 慌てふためく俺とは対照的にカラカラとまるで魔女のように、魔性の女は赫を輝かせて笑っていた。


 部屋に響いた笑い声がスイッチとでも言わんばかりに顔つきが変わる。


「本っっ当に最高!!!まだ14の子供だと思ったけどイイ顔するじゃない!これが見たくて楽しみで仕方なかったの!」


 何言ってンだこの女。


「はあ、ホント面白いわ貴方。馬鹿を騙すのも面白いけど、自分の事を賢いと思ってる奴を騙すのが一番よねえ。」


 まるで騙す側の俺が騙されたみてえなこと言いやがって。


「まだわかってないの?いや、わかりたくないのかしらね。裏切られたなんて。」


 そんなことあるはずねえだろ…。俺たちに限ってそんなこと。


「どうせこんなこと思ってるんでしょう?そんなことあるはず無いって、何かの間違いだって、認めた方が楽だと思うんだけどねえ。」


「…しろ。説明しろ、…リンネ、バーバラ。」


「申し訳ございません、クロード様。これが私たちの選択なのです。」


「ゴメンね、クロード様。ボクたちはもう選び終わったんだ。」


「選ぶ?何をだ…。」


 聞きたくもない。聞く必要なんて…。


「これ以上二人に言わせるのは酷でしょう?クロードちゃん。だからわたしが代わりに言ってあげる。二人はを選んだの。それが現実。」


 魔性の言葉は毒となり俺を蝕んでいるような気がした。


「さ、そんなよりこれからの話をしましょう?私と貴方との、を。」


 これから…。なにを…。いや、この契約書を俺の前に出したってことは…。


「流石に何を言いたいのか分かったようね。これから行うのは私から貴方への一方的な取引。拒否なんてできもしない絶望的な脅迫よ。ふふ、とっても楽しみね。」


 ただ一つ俺に分かるのは、もう俺のクロードとしての人生は終わった、そう言う事だった。


「この契約書、一つ一つが今のクロード・ランスソードとはかけ離れた所業の数々を記してある。貴方の直筆のサインに家紋の印まで押してある。言い逃れは…、できないわねえ…?」


 工作と悪事の数々を俺が行ったというこの証拠は、一枚でも流出すれば終わりの代物。


 ここまで築き上げてきた優秀な領主という肩書、其の全てを失い、先代と同じクズ領主としての烙印を押されるだろう。


「これを二人からもらった私が国王や市井にバラまけば、悪事を裁いた功績に貴族の座を貰うことも、何なら貴方の領地すべてを貰うことだってできるでしょう。」


 これを断罪されたなら、もう家の存続も怪しいレベルだ。先代は圧政こそ敷いたやりたい放題のクズだったが、ここに書かれているのは領民はおろか貴族まで騙したソレ。


 王にバレれば一発アウトの爆弾だ。


「そんな絶望を貴方に与えて終わり、でもよかったのだけど。ふふ、まだじゃ済まないわよ。」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる彼女。彼女に従う以外に道はない。


「二人がとてもいい提案をしてくれたの。裏切ったとはいえかつての主、少しくらいは情けが欲しいってね。だからあなたにチャンスをあげる。」


 パチンと指を鳴らすと前もいた使用人が目の前に大きな鞄を置く。中には大量の金貨が詰め込まれていた。





「およそ、1億。貴方にあげるわ。」





「…は?」





「そうね…期日は…2年でいいかしら。」


「何を…言って…。」


「2年でそれを5億にして私に返しなさい。そうしたらこの契約書全て返してあげる。」


「馬鹿を言うな!!!2年で5億?できるわけがない!!!!」


「言ってるでしょ?これは最後のチャンスよ。貴方が救われるための最期のチャンス。それに達成出来たら…貴方を見直して二人も帰ってきてくれるかも。」


「ふ、二人も…。」


「そう、頑張りどころよ。クロードちゃん。今日で二人は主を変えちゃうけれど…もしかしたら2年後には戻ってくるかもしれないのよ?男を見せるチャンスじゃない。」


 俺の…最後の…チャンス。


「どう?契約してみる?」


「やれば…いいんだろ。2年でコイツを5億にすれば何もかも帰ってくる。そうだな!!」


「じゃあ此処にサインしてね。」


 差し出されたのは契約書。今までの内容を網羅した俺にとっては無茶の全てが書かれたそれ。


 そこに俺はクロード・ランスソードと名を記す。そして今や彼女の預かりとなった悪事に用いた契約書と同じ家紋の印を押してしまえば…。




「ハイ。オシマイ。貴方の人生は2年で決まるわよ。もっとも想像もできないほどの地獄でしょうけどね。」




 楽しそうに嗤う彼女の顔はとてもとても美しかった。

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