第2話 交渉

 揺はため息をついた。面倒な事に巻き込まれてしまった。

 夏樹はぐっと拳を握って笑いかけてくるし。

「大丈夫だよ!ゆらぐ君は私が守るからね!」

 なんだろう、この根拠のない自信。

「……長谷川先輩」

「夏樹先輩」

 じっと見つめてくる。名前呼び推奨か。

「……夏樹先輩」

「なあに?」

 根負けした。揺はがくっと肩を落とす。

「なんで成仏してないんだよ、幽霊になってるんだよ、先輩……」

「私にも分かんない!というか私の事知ってくれてる?」

「そうだな、先輩の事は有名だから」

 幽霊になっている夏樹に、揺は説明をする。

 高校三年生の秋に、三年A組の学級委員長の長谷川夏樹は屋上から落下して死亡した。

 真っすぐコンクリートに頭を打ち付け、即死だったという。

 現場はフェンスが老朽化していた。

 警察は、景色を見ようとフェンスに前のめりになり、朽ちて落下したとの見立てを発表し、事故死として処理された。

「……もうひと月経ってるけど、人が一人亡くなっている。暫く校内はパニックだった」

「なるほどー。不審死だもんね。噂にもなるか」

「事故で皆納得してるけどな」

「でも私、事故死じゃないよ。誰かに突き飛ばされた」

「突き飛ばされた!?」

 長い前髪の奥で、瞳がぎょっとしたのが分かった。

「そうなの。死んだ少し前から記憶が全然ないんだよ。

 でも、誰かに背中を強く押されたのを憶えてる。逆に言うと、それしか憶えてないんだけど……」

「…………」

「誰が私を殺したのか知りたいなあ、とは思ってる。

 それが私の未練なのかなあ、とも。知るまで成仏できないかもー」

「……先輩、犯人を呪い殺したりしないよな?」

「えっ、呪い殺せるの!?」

「知るか!」

 自分は生きた人間だ。経験なんてない!

「んー……。私、別に恨みを感じてるわけじゃないんだよね」

「そうなのか?」

 夏樹は長い黒髪を翻し、ふわりと浮き上がってくるりと回転した。

「ただ……寂しいの。生きてたらどうしてたかなあってやっぱり思うよ。

 私にも未来はあったはずだよ。」

「先輩…………」

「ただこう……。何かやりたいことがあったわけじゃないの。未来に夢を見ていたわけでもない。

普通に努力して、就職して、いずれ結婚して……。みたいな普通の毎日があったかなあとは思うけど。

それに憧れているわけでもなかった。

終わってしまえば呆気なかったよ」

 心に空白は残る。

 けれど、強い未練は残していない。何度考えてもそれは解る。

 茶色の瞳は独特の彩をしている。淡々と語られるその言葉に嘘はない。

 ただ、あまり生き汚くない……。

――不思議な人だな、この人……。

 揺は率直にそんな感想を持った。

「だから別に、犯人を見つけても殺したりしないと思う。

ただ、知りたいの。私はどうして死ぬことになったのか」

「なるほど……」

 何度も頷いた。

「確かに、先輩には知る権利がある。どうして自分が殺されなければならなかったのか」

「!でしょ!」

 返ってきた言葉に、表情を明るくしてうんうんと頷く。

 分かってもらえた事が心底嬉しい。

「だからゆらぐ君。協力してよ」

「は?」

「私一人で真実を見つけようにもどうしようもないの。手詰まりなんだよ。

私は誰にも見つけて貰えないから聞き込みも出来ない。

物証は多分警察が調べ尽くした後。その上で事故死判定。

しかも頼りになる記憶もない。どうやってなんとかするの状態なの。

そこに!現れたのが君だ」

「俺、間が悪いな!!」

「ねー、協力してよー。生きている協力者がいれば、聞き込みだって出来るでしょ。

私一人で考えつかなかった事も思いつくと思うよ」

「……先輩の事は同情するし、経緯は分かったから、考えは分かる。

でも、……俺は巻き込まれるのが怖いよ。ただでさえ幽霊に関わる事が怖いのに。

生きている犯人に目をつけられて、俺も殺されかねない」

「あ……」

「そうなったら、先輩責任取れるか」

「責任は取るよ。私と一緒に幽霊ライフだね」

「いや、そういう問題じゃなく」

「確かに私も、ゆらぐ君が殺されたりは絶対嫌だよ。そうなったら犯人の事を呪い殺しちゃうかも。やり方分かんないけど。

でも……このまま引き下がるのも嫌なの。

だから、条件付きで協力してほしい」

「条件……?」

「1,聞き込みは必要最小限。

2,ゆらぐ君が危険だと思ったら即下がる。そこから先は君の手を借りない。

協力できそうな範囲だけで構わないよ。あとは私がやるから。

3,傍について、私が目を光らせているよ」

「夏樹先輩……」

 目を何度も瞬かせる。

 先輩の言葉に嘘も淀みもない。きっと実行してくれるはずだ。

 聞き込みが必要最小限で、危険を感じたら下がっていいなら、確かに俺の身の安全は保証されるはずだ。

――いやいや待て待て。

「ずっと俺に付きまとう気か!」」

「えー、だめー?」

「普通に何考えてんだあんた!」

「だって巻き込むわけだから、身の安全は保証したいじゃん。傍で警備できるし」

「幽霊に付きまとわれているのも怖えよ」

「生きてる人間だって怖いんだよー」

「そりゃまあそうだけど」

夏樹先輩は生きている人間に殺されているわけだし。

「それに独りぼっちって私寂しいじゃん。ずっと話相手欲しい」

「そっちが本音じゃんか!!寂しがり屋か!!」

「だって誰も私を見つけてくれないんだもん!!これは運命だって!」

「とんだ運命だな!!」

「ねー、お願いだよー。受けてくれなきゃ徹底的に付きまとうし、とり憑いてやるからね」

「もはや脅しだろ……」

 呆れたように言うが分かる。この人絶対有言実行するタイプだ。

 

 この人の言葉に嘘はない。

 語ってくれた内面も気持ちも、嘘偽りはないのだろう。

 特に未練も感じていないし、犯人を呪い殺そうともしていない。

 巻き込むことになるけど、協力者には敬意を払い、身の安全は保証しようとするだろう。

 明るくて茶目っ気があるが、誠意はちゃんと感じた。


 なんだろう、放っておけない。

 揺は大きなため息をついた後、肩を落として、しぶしぶながら言葉を発した。


「……分かった。約束は守れよ。俺は死にたくないから」

「!! ゆらぐ君、ありがとう!」

「ちょっ、抱きつくな!」

 首に手を回してぎゅっと抱きついてきた先輩に後ずさり。

 言われた方はうっすらと涙を浮かべて喜んでいる。

 やっと光が差した心地がした。


「……じゃあ帰るか。遅くなっちまったし」

「はぁい、警備します!」

 鞄からスマホを取り出して会話アプリを起動する。

「兄貴とっとと帰っちまってるし……。薄情者め」

「兄貴?」

「ああ、歩きながら話すから。行こう、夏樹先輩」

「うん!」


 後輩から離れると、着地して隣を歩き始めた。

 日はすっかり落ちていた。

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