第13話 野良猫
それは三年生の初夏の日だった。
ある日の放課後、夏樹は日本史教師に捕まった。片付けが苦手な教師が漸く本腰を入れて片付けする決意をしたようだ。
それはいいのだが、道連れならぬ協力者を探していたらしい。白羽の矢が立ったのが、クラス委員長の夏樹だ。
ーークラス委員長は雑用係じゃないんだぞぉぉぉ!!
内心喚くが、この教師は押しが強かった。
あれよあれよという間に社会準備室に連れていかれ、本の整頓を手伝わされた。
嘆いても仕方が無いので何日かかけて整頓したら、漸く綺麗になってくれたらしい。後は本類を十字に紐で括り、捨てるだけだ。
借りてきた台車の存在に感謝しながら、台車一杯に捨てるものを詰め込んでゴミ捨て場に向かう。
一人で紙ゴミを下ろす作業をしていたが、なんだか腰に来そうだ。
ゴミ捨て場にいると煙草の匂いが鼻をくすぐる。教師が喫煙所代わりに利用しているのだ。
そしてこの場所には学校猫も多い。
この辺りに住む野良猫を何人かの生徒や教師が過去に餌付けしていたらしい。やがて校長決定により、学校に住み着く野良猫を去勢し、学校猫にした。その猫には餌をあげても怒られない。
猫好きな夏樹は、少し猫と戯れて帰ろうかと周囲を見渡す。
「にゃぁあああああっ!!」
けたたましい悲鳴が上がった。
ーー何事!?
これは只事では無い。緊急事態に違いない。
慌てて悲鳴の主を探した。結構近い。
左の方。もう少し前。茂みのあたり、いた……!
小さな黒猫が、茶猫が、灰猫が鴉に襲われていた。
食べるつもりだろう。長い嘴も抱えようとする前脚も脅威だ。
「こらー!!やめろー!!!」
野良猫とはいえうちの学校の猫だ。放っておけない。
夏樹は何も考えずに叫んで飛び出した。
鴉の鋭い目が、夏樹の左腕に嵌っている腕時計を見据える。
バサアッ!!
身を捻ったかと思うと、夏樹に向かって真っ直ぐ襲いかかってきた。
ーーあ、やば、何か武器になるもの!
「長谷川!!」
低い声が夏樹を呼んだ。
大きな手が夏樹の肩を掴み、後ろに引き寄せる。同時に箒の先が鴉に命中した。
「カァッ、カァァァーー!!」
素早く体勢を整え、もう一度と助っ人の頭目掛けて嘴が光るが、彼は強かった。
もう一度箒で鋭く打ち据えると、適わないことを悟った賢い鴉は飛んで逃げて行った。
「發知君……」
夏樹は自分を庇ったままのクラスメイトの男子を見上げた。
距離が近くてどきどきする。
夏樹の心の中を知ってか知らずか、發知毅は夏樹を解放した。
「長谷川無茶しすぎだ。丸腰で鴉に向かうなんて」
「うっ……。ごめんね。助けてくれてありがとう!」
「どういたしまして。獲物を物色してるみたいな様子が見えたから念の為持ってきといたんだ」
箒を翻した後、毅は猫達の元に向かったので夏樹も続いた。
しゃがみ込んで怪我の具合を見る。
「灰色のと茶色のは無事そうだ。黒いのちょっと危険だと思う」
「そんな……」
鴉の嘴は硬い。猫の肉は柔らかい。
怪我が生々しいが、夏樹は視線を逸らさず頑張った。
「連れてこう、動物病院!」
「そうだな。何かこいつを保護できる箱みたいなものあるか」
「待ってて!」
箱ならさっき整頓したものがある。バラしてないものがまだあったはずだ。
急いで丈夫そうなものを選び、埃を叩いた。
床に私物の白いタオルを敷くと、毅の元に戻る。
「上出来」
言葉少なだが、毅は褒めてくれた。
箱の中に黒猫を入れ、立ち上がる。
「みぁ……」
「にゃぁ……」
残された2匹の猫が心配そうに纏わりついてきた。
「待ってろ。直ぐに治療してもらうから」
「隠れて待っててね」
ふたりの人間の言葉が通じたのかは分からないが、小さな猫達はそろそろと茂みの中に隠れた。
「足はどうしよ。私電車だよ!」
「俺が先にチャリで行く。一番近くの動物病院ってどこだ」
「桜通り駅の近くに、本宮動物病院ってあった!」
「近いな。長谷川は後から追いかけて来い!」
「分かった!」
そこからはとても迅速だった。
急いで台車を返し、部屋に戻り自分の荷物を取って電車に乗った。
駅で降りて動物病院に着くと、既に毅は待ってくれてた。
必死で自転車を漕いだのだろう。汗が額から滴り落ちている。
「処置は終わりました。大丈夫ですよ。
お薬を飲ませて、少し安静にさせれば良くなっていきます」
「良かったー!!」
心の底から安堵した。
涙目になりながら毅とハイタッチをした。
ありがとうございましたと深く頭を下げる毅に倣い、夏樹も獣医さんに頭を下げた。
その日はファミレスでふたりで語り合った。野良猫の話、鴉の話、獣医さんの話ーー。
毅とはあまり話したことがなかったが、面倒見が良くて猫が好きなのはよく分かった。饒舌でなく、背も高くて威圧感を感じやすいが、中身は優しい。
やがて少しの間、毅が家で面倒を見てくれた。黒猫の怪我が完治した日、夏樹は早朝から毅と一緒に兄弟猫を探しに行った。
「みゃみゃ!!」
毅の抱える箱の中、黒猫が元気に鳴いた。
弓道場の下に隠れていた茶猫と灰猫が出てくる。
みゃあみゃあと鳴きながら近くに寄り、身を擦り合わせる。
あの時の感動は忘れない。
「長谷川、涙目……」
「だってだってぇええ。良かった、ほんとに良かった……!!」
「みゃぁん」
黒猫は毅と夏樹の足にスリスリした後、お礼を告げるように何度も鳴いてから、兄弟猫と共に去っていった。
◆
ーー懐かしいなあ。
ーー毅君とはその時からの付き合いなんだよね。
クロと名付けられたその猫の成長を、毅も夏樹も見ていた。
掌に乗るくらいに小さかった仔猫は、やがて大人になろうとしている。
兄弟仲も良く、三匹連れ添って校内を闊歩しているのをよく見た。見かけたら頭を撫でて可愛がっていた。
毅は屋上でもよく会う。
一匹狼気質である彼は、教室で食べる事はほぼない。面倒見が良いので慕われやすいが、本人は人付き合いは得意でないらしい。
『ああ、夏樹か』
『毅君。今日の購買の弁当は鮭弁かあ。美味しそう!』
『やらないぞ』
そんなささやかなやり取りが楽しくて好きだった。
ーー毅君。
クロの頭を撫で、喉を撫でてじゃらしている彼の姿を見ながら夏樹はひとり考える。
『お前は長生きしろよ』と話しかける彼は、事件当日の昼も屋上で会った。
放課後はよく覚えていない。
こんな風に動物に優しい彼が、自分にも優しかった彼が犯人だとはどうしても思えない。
でも一度は疑わないといけないのが辛い。
どうにかして潔白を証明したいのに、手段が分からない。
「毅君は、私のことを殺してないよね?」
答えてくれる声は、なかった。
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