第12話 家庭

 階段を降りたら日常風景。

「おはよ、兄貴」

「おはよう」

 標が弟の挨拶に返してきた。

 揺は荷物を持って静かに靴を履いて外に出る。

 夏樹は気になったので玄関先で様子を伺っている。

 母親と父親の様子を見ていたが、揺に気づいているようなのに声をかけずスルーをした。

ーーあれ、行ってらっしゃいって言わないのかな……??

 もう少し見ていると、標には母親が行ってらっしゃいと声をかけているようだ。

 父が標に何かを聞いているようだ。迷ったが、それを聞きに行こうとしたら、ドアが開いて、揺が小さく手招きしていた。

「あっ、ごめんね」

 人の家庭の事情に入り込みすぎたか。

 夏樹は大人しく揺の後について行く。

 分かっている。聞いてはいけないことは。けれど、夏樹は気になったし揺のことが心配になった。

ーーゆらぐ君、家族と上手く行ってない……んだろうなあ。

 理由がもし霊感があることだとしたら、なんて辛いだろうか。

「待たせたか、悪い」

「大丈夫だ、兄貴」

 鞄を持った標が革靴を履く。

 そのまま兄弟ふたりで並んで歩き始めたので、夏樹は少し後ろを浮いてついていく。

 揺と標の様子はいつも通りだ。きっとこれがいつもの家庭環境だ。

 会話の内容はとりとめのないものだ。昨日はよく眠れてないとか、楽しみにしてる雑誌が今週休刊とか、もう直ぐ受験なのに勉強が行き詰まってるとか。

「兄貴、志望校受かりそうなもんだけどな」

「この前の模試はB判定だったんだよ。出来たらA取りたいよな。Bでもチャレンジするつもりだよ」

「そうだよ、Bならきっと行けるよ!」

 標には聞こえていないことが分かっているが、夏樹は後ろからエールを送った。

「まだ期間あるから行けそうな気はするな」

「だよな。でも今ちょっと伸び悩んでるんだよな。親父からもさっき、次はAを取れって言われたし」

「うわあ……無理すんなよ兄貴」

「ありがと。大丈夫だ」

 夏樹は話を聞きながら考える。

 優秀な兄と霊感体質の弟。

 大人は体裁を気にする。進学校に通い、成績優秀な兄は自慢の息子だろう。逆に霊という存在を見て怯え、引きこもりがちの弟だ。

 金蓮花高校に入学できる時点で頭は良いのだが、比べれば弟が劣って見えている気がする。両親が幽霊という存在に否定的なら尚更だ。気が触れているように見えてもおかしくない。

ーーそれってやっぱり哀しいことだよね。

 揺も標も両親も生きて元気にしているのに。仲良くないのは哀しい事だと夏樹は思う。

 でも揺は、家の事に介入して欲しくなさそうに見える。

ーーうう、でもやっぱり気になる。

ーー今度、折を見て聞いてみよ。心配だよー!

「ところで兄貴。昨日言った幽霊の件だけど」

「ああ」

ーーあ、私か!!

 朝に名前を言っていいか問われたので、恐らく今言うつもりだろう。

 そわそわとふたりを見守っていると、揺がさっくりと答えを口にした。

「名前言っていいってさ。兄貴を心配させすぎるのも良くねえって。

うちの学校の生徒で、兄貴のクラスメイト。長谷川夏樹だよ」

「……夏樹か」

 驚いたように目をぱちくりさせた後、何度も頷いた。

 クラスメイトでそれなりに親しかったから人となりはよく知っている。

「夏樹なら確かに悪さしなさそうだな」

「だろ。やたら人懐っこくてびびったけど」

「分かる。今も夏樹は傍に居るのか?」

「ああ、俺の後ろに浮いてるよ」

 標は振り向くと、居るであろう位置を予測して顔を向けた。

「夏樹。俺の弟をよろしく頼むよ。未練が溜まって苦しかったり、しんどかったりしたら俺にも言ってくれよな」

「!! ありがとう標君!」

「あと、揺に取り憑いたら塩ぶつけるからな」

「やめてー!!悪さしないからー!!」

 ぎゃあぎゃあと喚いた。

 揺は煩そうにしながら、しかし少し嬉しそうに会話の内容を兄に伝えた。

「どこでふたりは出会ったんだ?」

「ちょっと前に兄貴を迎えに教室行った時だな。それが初対面だった。

俺が幽霊が見えるってんで、頼ってきたんだ」

「そうか。皆見えないんだもんな」

「未練が何かとか分かりそうなのか?」

ーーどうしようかなあ。

ーー私が殺されたと言って回るのもなあ……。余計なことに出来るだけ巻き込みたくないし……

「まだ悩み中だよー。記憶も一部途切れてるし、ゆっくり見つけていくつもり」

「そうか。頑張れよ」

「ありがとう!」

 やがて玄関でふたりを見送った。

 少し校舎の中を回ろう。


 キーンコーンカーンコーン。

 お昼休みを告げる鐘が鳴った。

 夏樹は弓道場の近くでその音を聞いた。

ーーあ、昼休みか。

ーーいいなあ、皆美味しいものが食べられて。羨ましいなあ。

 幽霊の身だ。何も食べることが出来ない。

ーー美味しいものもっと食べたかったなあ。

 ふと横を見ると、毅が通り過ぎて行った。

 一匹狼である彼は、あまり人と群れない。昼食も独りで取ることが多いようだ。

 昼休みにたまに屋上で一緒になることがあったっけ。

 屋上から見える景色が好きだった。そこに陣取ると、近くに毅が居た。

 聞いてみると毅も屋上から見える風景が、青空が好きなのだと言う。

ーー懐かしいなあ。

ーー今は屋上が立ち入り禁止だから、中庭の端で食べてるんだなあ。

 毅について行って、近くに座る。

 彼は購買で弁当を買っているようだ。唐揚げ弁当美味しそうだな。

 ひとりで黙々と食べているが、彼は独りが全く寂しくないのだろう。

 ひたすら弁当を食べ終わった後、プラスチックの弁当箱を片付けてビニール袋の中に入れる。

 スマホを弄っていると、「みぁ」と小さな鳴き声が聴こえた。

「クロ」

 クロと呼ばれた、全身真っ黒な猫は、毅に近づいていく。

 膝にタッチして、みゃぁと鳴く。

「本当におねだり上手になったなー……。ほら、内緒だぞ」

 鞄の中から煮干しを取り出して足元に置いてやる。

 ガツガツガツと平らげる黒猫。

ーークロ元気そうで良かったなあ。

ーー兄弟猫も元気かなあ。

 夏樹はうんうんと嬉しそうに頷いた。

 金蓮花高校は野良猫が何匹も住み着いている。本来餌付けは駄目なのだが、校長が生粋の猫好きのため、特別に許可されている。

 現在住み着いている猫は去勢がされ、右耳が桜お耳となっている。所謂地域猫ならぬ学校猫だ。

 野良猫達のことは夏樹はよく知っていた。

 今から語るのは、毅との思い出の話。

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