第3話 価値観

 土居揺には兄がいる。

 兄の名前は土居標どいしるべ

 クラスは3ーA.夏樹のクラスメイトである。

 そもそも揺が上級生の教室に来たのは、兄を迎えに行くためである。

 帰りの時間が一緒くらいかと思い、勝手に迎えに行ったのだが、標はとっとと帰ってしまっていた。


「そっか、標君の弟くんなんだね」

「ぱっと見分からなかったか?」

「ちょっと印象違うかもー。でもよく見たら顔立ちは似てるね」

 長い前髪を掬おうとして、すり抜けて失敗する。

 でも、揺は意図を理解した。

 けれど、髪をどけて目を見せようとはしない。


 大人しい雰囲気だと思う。

 前髪を隠して敢えて存在感を隠しているようにも見える。

――ああ、幽霊が見えるからか。

 瞳を見られれば、幽霊からも自分が見えているのが丸わかりだ。

 彼なりの面倒事を避ける手段なのだろう。

 まあ自分はそんな手段もすり抜けて強引について来たのだが。


「あ、銀の瞳だ!」

「!」

 折角髪で隠していたのにお見通しかこの先輩。

 夏樹より色素の薄い黒髪に隠された銀の瞳は、きらきらと輝いて見えた。

 なんだろう、人を魅了するものな気がする。

「あまり見るなよ……減る」

「減らないでしょー。綺麗だよその瞳。隠してるの勿体ないよ!」

「目立ちたくないんだよ。幽霊も惹きつけられるみたいだし」

「そっかー」

 夏樹はあっさりと引き下がった。

 

 兄の灰色と違う、光を宿した銀の瞳は、揺にとってコンプレックスだ。

 変わった色合いだから幽霊が見えるのではないかとすら思う。

 どうしても目立ってしまう。変わった色合いだから。

 でも、揺は目立つ事を極端に恐れていた。


 人とあまり関わりたくなかった。

 関わっていれば幽霊が見える事がいずれバレてしまう。

 幽霊が見える事を隠しているが、そもそも隠し事が下手だ。

 今までその秘密を知った者は離れて行った。

 気味悪がる者、面倒事を避けてそっと逃げる者。

 面白がる者もいたが、そういう人は揺の方から離れて行った。人が気にしている事を面白がる人と縁を紡ぎたくないからだ。

 秘密を知ると人は態度を翻す。人を信じてあんな思いをするのはもう懲り懲りだった。

 

 それ以来、揺は敢えて気配を薄くして、目立たずに生きる事にした。

 人に近寄らない、群れない。それで充分だった。


 最もこの先輩には捕まってしまったが、害意のない幽霊なら裏切られる事もないかと思う。

――そんな信じる気はないけど、まあ話し相手くらいならいいか……。

――てか夏樹先輩、俺を逃がす気なさそうだし。


 その後は夏樹が死んだ後の学校の様子の話をした。

 事故死と結論付けたのは割と早かった事。

 それも噂として広がり、不審死から事故死に話題がすり替わった事。

 屋上はフェンス老朽化の危険性があるとして立ち入り禁止になったこと。

 近々フェンスの工事が予定されており、安全性の高いものになること。

 人々は夏樹のいない生活に慣れていったこと。


「先輩のいるクラスは気にしてる奴多いと思うけど。

一年生はもともと関わりなかったから、話題が風化するのも早かった」

「そっかー。本当に人って死ぬと忘れ去られるんだね」

 頷き、納得しているようだ。

 けれど寂しさは覚える。私の存在はそれだけのものだった。

 生きていたら違っただろうか。

 生存して生活することは、生き様を刻むと言う事。

 関わる人が居れば存在が忘れ去られる事はない。

 死んでしまえばいずれ忘却され存在は消えてしまう。

「……それって寂しい事だよねー……」

「……そうだな」

 だから彼女は幽霊になったのだろうか。

 真実は揺にも夏樹にも分からなかった。


 住宅街に辿りつき、ある一軒家の前に着くと、門を開けた。

 広くも狭くもない普通の家だ。

 揺は鍵を取り出してドアノブに差し込んで捻った。


「俺の家だ。いいか、くれぐれも!変な事はしないでくれ。頼むから。

家族は俺の特異体質知ってるけど、ずっと話してたら心配されるから」

「はぁい。分かったよー。驚かせないようにするねー」

 本当に分かってるのかなと心配になったが、これ以上の追及はしない。

 何も言わずドアを開け、夏樹を入れると鍵を閉める。

 そのまま手洗いうがいをすると、とっとと自室のある二階に上がった。


――あれ、ゆらぐ君。家族に挨拶しないのかな?

 違和感と疑問が残るが、黙って揺について部屋に入った。

 介入しすぎると本人が嫌がる気がしたから。

 部屋はやや汚いと言って良い気がする。

 脱いだままの部屋着が置いてあったり、勉強道具を出したままだったり。

 後片付けは得意な方ではないらしい。

 でも少し安堵を覚えた。

――生活感のある部屋だあ。

――ゆらぐ君、気づいたら消えてそうな雰囲気あるんだもん。

 

 幽霊に心配をかけていると気づかず、目の前でさっさと着替えを済ます。

 これには夏樹の方が面食らい、真っ赤になり両手で目を覆った。

――うわああうわああ。男の子だ。身体しっかり男の子だよ!!

 まじまじと男の人の身体を見るチャンスなどない。

 告白されても、相手を愛することが出来ず断っていたんだもの。

 よく見ると手は大きいし、肘も膝も骨ばっている。

 一人どきどきしているのを余所に、当の本人はベッドに寝転がっているし。

 近づいてそっと小声で話しかける。


「ゆらぐ君……。私がいるのあまり気にしてない?」

「気にはしてるけど……。幽霊に見られるのは慣れてる」

「そっかあ」

 話しかけたらちゃんと返事をしてくれる。

――ゆらぐ君は、生きている人の目は過剰に気にするけど、幽霊はそこまでではないのかな?

 視えている、いるけど知らないふりをする。

 それが彼の日常なのはなんとなく察せた。


「揺。帰ってるか?」

 コンコンとドアのノックの音がした。

 揺より声が低く、気さくな男の声がした。

 弟の返事の後、兄が顔を出した。

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