第22話 蓋の下

「あたしを、救う……?」

 微かに開かれた窓から風が微かに入ってくる。

 冷気を浴びているのに、体は火照ったように熱い。

 救う。夏樹ちゃんがあたしを。

「どうやって……?夏樹ちゃんはもう死んでるのに……」

「確かにそうだよ。私はミナミちゃんに触れる事すら出来ない。

肩を貸すことも、手を差し伸べて立たせることも、姿を見せることすら出来ないの。

でもね、ミナミちゃんは私の声が聞こえる。聞いていてくれる。

だから、私の気持ちを伝える事が出来るの」

「………」

「ミナミちゃん、さっきは気持ちを教えてくれてありがとう」

「……でもあたしの気持ちは、綺麗なんかじゃないよ」

 海南が制服のスカートを握りしめて、涙目で訴えた。

 感情に任せて酷い事を沢山言った。全部ぶちまけた。

 こんなあたしはとても醜くてだいきらい。

「……確かに、砂糖菓子のような綺麗さではないかもね。

でも、私はミナミちゃんの気持ちを知りたかったから。

純粋のように見せて着飾った嘘よりも、本音をひた隠されるよりも、私はありのままを見ていたい」

 夏樹が真っすぐと海南を見据え、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。

 けれど、海南には姿が見えないから、夏樹の真っすぐな眼差しも、優しい表情も見る事が出来ない。

「そんなの、信じられない…!

優しい言葉の方が傷つかなくていいじゃない。合わせて振舞ってもらった方が楽じゃない。

ありのままの言葉が優しいなんて限らないよ。鋭い刃のような心なんて、どうして見たいの。

自分と比べて優越感に浸りたいの…っ!?」

 絆されそうになるのが怖い気持ちがある。

 散らばった心を無理やり継ぎ合せて、アルコールで消毒するが如く自分らしく整える。

 そう、この汚い心が等身大の自分だ。


――だから、どうか赦さないで。

――綺麗さを見せつけないで。


「……そんな優越感は私にはないよ」

「だからそうやって……っ」

「死んでなお、生きたことにしがみ付けない私って、綺麗なのかな……?」

「え………」

「さっきも言ったように、ちゃんと自分の道を生きながらも、一つ一つの事に必死になれてた気がしなくて……。

ただ、見える未来を忠実に歩いていたに過ぎないの。

終わったら呆気なかった。

……ミナミちゃんは、一つ一つの出来事に真っすぐぶつかっていって、いつだって全力で笑って泣いて……。

感情が大きいのも、感情が豊かだってことだよ。

とても人間らしいと思うの。

……強い感情が沢山宿ってるからこそ、私は綺麗だと思うよ」

「………夏樹、ちゃん……」

 夏樹の言葉に、想いに、海南も揺も惹きつけられる。

 直感的に理解する。夏樹は嘘を話していないのだと。

 女神のような慈愛じゃなくて、諦めにも似た大人の落ち着きを感じるのだ。

 さっきもそうだった。斜め上から殴られるような感覚に、海南の頭はくらくらとしてきた。

「……あ」

「?」

 考えていた夏樹が声を上げると、海南が訝し気に反応した。

「私が優越感に浸りたいんじゃなくて……私にないものを持っている人を見ていたいのかも。

私がそういう風になれるともなりたいとも思っていなくて……。

ただ、眺めていると落ち着く」

 それはまるで、屋上から夕暮れに染まる校舎を眺めるときの気持ちにも似ている。

 自分にないきらきらした宝物。

 目の届くところにそれがあれば、なんだか嬉しい気持ちになる。


 つかつかつかと海南に近寄り、至近距離から顔を覗き込む。

「ね、ミナミちゃん……。こんな私は”綺麗”かな?」

 ゾワッ……!

 背筋が凍り付いたのは、幽霊に過度に近寄られたからだけではない気がする。

 得体の知れないものの蓋を開けて覗き見てしまったような、なんとも言えない恐怖。

 やがて、夏樹は無邪気とも慈愛を浮かべているともとれる表情で微笑んだ。

「私にとっては、ミナミちゃんの方がよっぽどきらきらしているよ」

「こんなに……嫉妬や憎しみで歪んでいても……?こんな風に幽霊に怯えたり、変な事を口走っても……?」

「幽霊に怯えるのは当然でしょ。他の人に見えないものが見えるわけだし、何を考えて何をしようとしているかも分からないし。

周りの人も理解もないから、気配が辿れるなんて言いたくもないよね。

それにさ」

 夏樹がいつものようにあどけない仕草で、ついっと人差し指を立てた。

「嫉妬するのは……相手が羨ましいからだよ」

「…………」

「……私はミナミちゃんの思うような綺麗な存在なんかじゃないけど……。

それでも、ミナミちゃんみたいな素敵な女の子に、羨ましいって思ってもらえたのは嬉しいよ。

私達、同じように憧れて、隣の芝生が青く見えてたんだよ」

「……そう、みたいだね………」

 夏樹に嫉妬していたのは、憧れていたから。

 指摘されて素直に頷いた。その通りだ。

 夏樹は、自分が思っていたように見下していたわけでも、逆にとてつもなく綺麗なわけでもない。

 まったく別の視点を持っている、ただひとりの人間なのだと――……。

 そう理解したら、胸の中でストンと落ちた。


 とさりと膝の力が抜け、床に座り込んだ。

 夏樹は傍にしゃがみ込むと、ひとつひとつ想いを込めて丁寧に言葉を紡ぐ。


「ミナミちゃんが、私に対して純粋な好意を持っていないのは痛いほど分かったよ。

驚いたけど、恨んだりしないし、寧ろ聞かせてくれて良かったと思っているよ。

だからね……私の分まで精一杯生きてね。

ひとつひとつの物事に全力でぶつかれる、いつだって精一杯生きているあなたはきらきらとしているよ」

「……それが、本心、なんだね………」

「うん。残酷と言われても、私の本心は本物だから。嘘偽りは言わないよ。

海南ちゃん……。

どうか、なりたい自分になれますように。私はずっと応援しているからね」


 最後に休みの日に会った時に、鋭く此方を睨んでいたかどうかを尋ね、否定された。

 海南が憑き物が落ちたかのような表情になった事を確認して、夏樹と揺は静かに教室を出て行った。

 明るく教室を照らしてくれる夕焼けは、いつの間にか醜いものすら包み込んでくれる夕暮れへと変わっていた。

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