第21話 器

 あたしは最初は夏樹ちゃんに大きく憧れた。

 素直で可愛くて、成績も良くて。そんな人になりたいと思った。

 三学年にあがり、海南は成績が下がってしまった。

 いくら努力しても本業である学業が上手くいかない。ストレスを発散するように趣味を楽しみ、少しリセットされた心と頭でまた難しい問題に挑むが、また上手くいかない。

 全国模試で志望校の合格判定Dを受け取った時、落ち込んだ海南は、前から憧れていた隣のクラスの男子に優しくして貰えた。

 胸のときめきを覚えた後、夏樹に告白しているところを目撃して直ぐに失恋した。

 夏樹は成績上位で、優しくて明るくてクラスの高嶺の花だ。

 羨ましかった。妬ましかった。

 彼女のようになりたいと憧れた心はとうに醜い嫉妬に変わっていたのだ。

 見ないフリをしていた。でもこれ以上知らないフリは出来なかった。

 大きな存在に勝手に惨敗した小さな少女は、自分を護るために自分に言い聞かせる。

ーー夏樹ちゃんはあたしを見下しているんだ。

ーー自分が人気者で凄いから、他の人を引き立て役にして目立ってるんだ!

 海南にとって、夏樹は大きく強大な存在であり、性格が悪い存在でなければならなかった。

 そうでなければ、矮小な自分は勝てるところが何一つなくなってしまうから。

 ところが、恨みが募った日、夏樹はあっさりと死亡した。

 結局のところ彼女はただの人間だったのだ。

 そんな彼女に恐れていた自分は何だったのだろう?

 ライバルの死を以って心に欠落感を刻み込まれ、体調を崩した。

 欠落感を代替品で無理やり埋めて、過ごしていた頃、教室に幽霊がいるのを感じとった。

『もしかして見えているの?』

 夏樹の近くの席で、毅に発せられた言葉だ。

 海南の聴覚がそれを聞き入れた瞬間、海南は青ざめた。

 いる。夏樹ちゃんが。

 死んでも尚彼女は強大な存在だった。

 幽霊ということは、未練を持っていて、彷徨っているのだろう。

 思ったとおり強大で性格が悪いと確信したところで、夏樹が自分にベッタリだ。

 昨日の自分はそれはもう怯えた。もう生きていけない、呪い殺されると思った。

 それでも、昨日の方が楽だったかもしれない。


「認めない、認めないから」

 夏樹が性格が悪ければ呪われるかもしれない。怖いにも関わらず、それよりもライバルに何一つ叶わない自分が呪わしい。

 海南の思考回路は矛盾していて、とてもぐちゃぐちゃでだからこそ人間らしい。

 頑なになった海南が白か黒か、揺と夏樹は判断しなければならない。


ーーいや、これめっちゃハードコースじゃね?

 揺には海南の心は分からない。

 心の内にどれだけ黒いものを閉じ込めたか分からない。

 それでも言葉が通じにくいのはとてもよく分かる。


「………私はミナミちゃんが思ってくれているような凄い人間じゃないよ」

 考えた末、夏樹は言葉を紡ぐ。

 ここからの話し合いは慎重にしなければ。

「だって!夏樹ちゃんはあたしにないものを沢山持っているよ!」

「確かに、要領は良かったかもしれないね。でも、私はただ思うままに行動していただけ。それがたまたま周りに嵌っただけだったの。

強い人間に思われていたかもしれないけど、私は屋上から事故であっさり死んだ」

「そう、だね……」

 本当は事故でないが、事故と言葉に出す。

 海南の反応は許容だ。受け入れた。

 大きな存在がフェンスの老朽化なんかで死んだと受け入れようとしており、好都合という彩は一切感じなかった。

「夏樹ちゃんも、ただの人間だったんだよね……」

「そうだよ、普通の女の子だったの。格好悪い死に方したと思ってるよ。

おまけに成仏できずに彷徨ってる。推察の通り、未練があるからだと思うよ」

「夏樹ちゃんに未練……」

「まあ、若くして死んだから、これからの未来を過ごせなくて未練が………、って言いたいところなんだけど。

私にはそういうのがなかった」

「……え」

「死んでしまったこと自体は哀しいんだけどね。

結局のところ、私は周りに言われるままに勉強して、地に足のついた比較的興味のある選択肢を取り、良い大学を目指してただけ。

やりたいこともなかったし、大きな夢もなかった。

なんだか空虚だった」

「………………。」

「ごめんね、私はそんなにキラキラしてないよ。目の前のものに目を輝かせて会話に華を咲かせるミナミちゃんの方が、私の目から見て輝いて見える」

「夏樹ちゃん………」

 未練が自分の人生の方だと思ってたが、予想外の方向からぶん殴られた。

 嘘だと突っぱねればいいのだが、初めて見せる一面に視線がそらせない。

ーー夏樹ちゃんは、こういう人だったの……?

 なんだか大人っぽくて、廃退的な何かを感じる。

「そしてね、私が成仏できないのは、私がどうして死んだか分からないからだと思ってるよ」

「え?景色を見ようとしてフェンスに体重をかけて、運悪く落下したんだろうって警察の人がーー」

「記憶が曖昧なんだけどね。誰かに強く背中を押された、と思う」

「えっ!!?」

 海南がハッと息を呑んだ。

 幽霊に出くわした時以上に顔は真っ青で、カタカタと震えている。

「誰かに………、嘘………」

 事故ではなかったと言うのか……?

 夏樹が簡単なおっちょこちょいの事故でなくて別の人物に突き落とされて殺された。

 あたしの強い想いの呪いなんかじゃなかった。

 すとん、と海南の心に安堵の光が灯ったのが分かり、自己嫌悪で頭を抱えた。

「あたし、なんて醜い……」

「ミナミちゃんが突き落としたの?」

「ちがっ……!あたしじゃない…!あたしは屋上に行ってない!……、うう……」

 咄嗟に口から出る言葉は真実なのだろう。

 その後で、自分は蚊帳の外でしかないと真正面から受け止めて、おめめぐるぐる。

 葛藤している様子を見て、夏樹は目を閉じた。

 

 確信した。

 夕波海南は、夏樹を殺していない。


「………ありがとう、ミナミちゃん。

その辺の記憶がなくてさ。私を殺した人を探しているの。

巻き込みたくないから黙っててね」

「死んだ時の記憶が無いの……?」

「そ。間抜けでしょ。誰に突き落とされたかも分からなくて、僅かな記憶と手がかりを元に犯人捜ししてるの。」

「犯人を見つけて、どうするの……?」

 海南の脳裏に様々な想像が過ぎる。

 真っ白な未来を奪った殺人犯だ。恨んで呪い殺されてもおかしくないのだ。

「んー……殺されたことは悲しいんだけど、恨んでどうこうする気はないんだよね。

ただ、どうして私を殺したか、その理由は知りたいと思うの」

 え。

 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、夏樹がいるであろう方向を見た。

「それ、だけ……?」

「そう、それだけ。それが私の未練。

まあ、ミナミちゃんは犯人じゃないことが分かったんだけどさ」

「…………え。………あたし、疑われてたの!?」

「ごめんねー。事件の前と後で様子が大きく違う人が怪しいかなと思って」

 通りすがりの生徒Bなどではなかった。

 嬉しいような複雑なような。

「それは、そう思うよね。

でもあたしは、中途半端に霊感があるだけの小さな存在だよ」

「私はミナミちゃんが小さな存在だなんて思わないよ。

犯人じゃないことが分かった今、私がミナミちゃんを救ってみせる」

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