第20話 疾患

 翌日の放課後、海南は一人で教室の中にいた。

 昨日は相当に取り乱してしまった。こんなはずではなかった。

 両親があたしを見る目が変わる。もともと相当に心配されているというのに。心配しなくても思うよりは正常のつもりだ。

 受験ストレスで精神不安定ということになり、担任にも話を通されたようだ。

 今日は落ち着いているが、精神安定剤の副作用により身体が少し重くて眠い。身体に合っていないのかもしれない。

 とにかく、この後母親が車で迎えに来る。家も遠いのでそれなりに時間が掛かるだろう。教室で待っていよう。

 そのとき、指先がピクリと跳ねた。

ーーなにこれ?紙?

 カサリと音を立てて、クラシックな封筒を手に取った。

 告白とかなら嬉しいんだけど、どうにも嫌な予感がする。

 ゆっくりと封筒から便箋を取り出し、折り畳まれた紙を広げーー。

 ドクンと鼓動が跳ねた。

 ドクンドクン、ドクン……

 嫌なのに、無意識のうちに目が文字を追ってしまう。

 筆跡は男の人っぽいけど……。

 この口調は、この言葉の選び方は……

「……夏樹ちゃん………」

 忘れない。忘れるはずもない。

 夏樹に抱いていた強い想いは、あの日を切欠に忘れられないものに変わった。

 もう一度綴られた文字に視線を移す。

「………こんなの、嘘だ…」

ーーだってあたしは、夏樹ちゃんに………。


 ガラリと音を立てて教室の戸が開かれ、海南はビクッと肩を跳ねさせた。

 視界に飛び込んできたのは、前髪を垂らした男子生徒だ。

 名札の色から考えると、一年生だろうか。

「………あたしに手紙をくれたの、貴方?」

「……そうです。夕波先輩。

安心してくれるかなと思ったんですが」

「安心どころか!タチが悪いわ!」

「………どうして? 夏樹先輩が怖いのかと思ったんですが」

「死んだ夏樹ちゃんの言葉を騙らないで!」

 笑わせる。正義ヅラしたところであたしの醜さは隠せないのに。

「………騙っていませんよ。あれは正真正銘の夏樹先輩の言葉です」

「…………」

 揺の言葉に、海南は押し黙った。

ーーあれ、これはもしかすると……。

 その時、揺は夏樹の気配を感じた。教室のドアからゆっくりと夏樹が入ってくる。

 海南の肩がびくりと揺れ、顔色が青くなったことを、夏樹も揺も見逃さなかった。


 海南への接触は叶った。

 あとはどう口火を切るかだが……。

「ミナミちゃん。あの手紙に書いたことは全部本当の私の気持ちだよ。

ミナミちゃんをどうこうする気は無いんだよ」

 夏樹が話しかけてくれるので、揺は代弁を始めた。

「……嘘だよ、そんなの。

夏樹ちゃんとあたしは、最近は普通のクラスメイトだったよ」

「そうだね……。話したい気持ちはあったけど、ミナミちゃんの傍にはいつも友達がいたし、合う話題も違うように思ったから。でも、ミナミちゃんとの思い出は私の中に全部あるよ」

「本当に、あたしのこと嫌いになってないの?」

「なってないよ」

 海南の言葉に夏樹は即答した。

ーーこれで安心してくれるかな?

 ひとつひとつ真摯に言葉を紡ぎながら、夏樹は高鳴る胸を押さえた。

 どうも夏樹の幻影を見て怯えているように思えたから。真実は分からないけど、夏樹に海南を恨む気持ちは無い。

 ところが海南は俯いて、拳を握り、ワナワナと唇を震わせた。

 これなら昨日、許しを乞う方が楽だったかもしれない。

「嘘だそんなの。聖人ぶらないでよ夏樹ちゃん」

「聖人ぶってなんてないよ。私の本当の気持…」

「嘘だっ!嘘だ嘘だ!」

 子供のように地団駄を踏んで必死に否定する。

 認めない認めない。

「あたしは!夏樹ちゃんに嫉妬してたの!要領が良くて器量も良くて、頭も良くておまけに優しくて!

皆、夏樹ちゃんのことを好きになっていく。皆に慕われる。

そんな夏樹ちゃんが煩わしかったの!

なんで欠点ひとつ見当たらないの!?そんな人間がいるなんて信じない。

夏樹ちゃんはあたしの事を見下してたはずなんだよ」

 ここで揺は口を閉じた。

「見下してなんてないよ。ミナミちゃんは可愛いし、友達とも仲良いし、話題の幅だって広いんだから」

「認めない、そんなの。狡いよ。

あたしになくて欲しいもの全部持ってるのに、心まで綺麗だなんて。

認めないんだからぁぁっ!!」

 海南が小さな体を縮こまらせ、まるで獣のように唸った。

 そのまま考えられないほどの瞬発力を発揮し、右手に持った何かを振りかぶるーー。

 だが、揺の両手が海南の右手を包み込んだ。そのまま右手に持った瓶を取り上げて……

「?」

 海南は勢いで尻餅をついた。夏樹が驚きに身を震わせながらも訝しげにそれを見た。

 赤い蓋のついた瓶だ。それは台所に置いてあるようなフォルムだ。

 揺がパッパッと調味料を右手に出した。匂いを嗅ぐと頷く。

 夏樹も傍に寄ると倣って同じようにした。

「塩……?」

「古くから葬式から帰った後に塩を撒いたりするよな。多分幽霊避け」

 揺は真っ直ぐと海南と視線を合わせて、

「夕波先輩は、夏樹先輩の気配を感じ取れていて、声が聞こえていますね?」

 揺の言葉に女子二人が注目した。

 夏樹がバッと海南を見る。

「えっ、そうなの!?ミナミちゃん、私の声が聞こえてるの!?」

「姿までは見えないけど、霊感があって声は聞こえて気配は辿れる人が稀にいるらしいんだ。

話を聞いて、まさかとは思ったけど。

俺の霊感体質は普段信じられるまで時間が掛かるんだけど、夕波先輩はアッサリ受け入れてたからな」

 夏樹が見守る前で、海南はぎゅっと自分の身を抱きしめた。

 そして小さな唇から言葉を絞り出す。

「………そうだよ。夏樹ちゃんがいるの感じるよ。聞こえてるよ!!全部分かるよ!

姿までは見えないけど、後輩の彼の左の方にいるんでしょ!」

「ミナミちゃん……!!」

 嗚呼、顔色が悪い。怯えているのだろうか。

 動揺や怯えの表情を感じ取り、夏樹は自分のこれまでを省みた。

 夏樹の死後、見ていた彼女はずっと体調が悪かった。周りの人はそこまで気にとめていなかった。

 もし、その体調不良が幽霊が近くにいるから引き起こされているものだとしたら……?

 夏樹の傍では常に体調不良、そうなってしまう。

 更に昨日海南が保健室に行った日、夏樹は傍に寄って顔を覗き込んだ上に名前も呼んでいる。

 死んだはずのクラスメイトの幽霊の気配を近くで感じ取り、あまつさえ自分の傍から離れず病院までついてきているのを知れば普通に怖いと思う。

 昨日、彼女が常軌を逸していたのは、夏樹の所為だ。

ーー!!

「ごめん、ごめんねミナミちゃん。昨日怖かったよね。

怖がらせるつもりはなかったの」

「そうだよ怖かったよ。どうしてくれるの、夏樹ちゃん。あたしすっかり精神異常者だよ」

「でも!そんなに怯えなくても良かったのに…!」

 それは、海南が夏樹を殺したから?

ーーどう探りを入れよう……。

「だって!あたしは夏樹ちゃんに嫉妬してた!夏樹ちゃんのことを目の上のたんこぶみたいに思ってた!

あたしは昔から幽霊の気配を感じ取れて声が聞こえたの。変な経験も何度かある。

前に憧れてた隣のクラスの人が、夏樹ちゃんに告白してて!でも夏樹ちゃんは何も気にせずにふってて。

悔しかった。高嶺の花なのが憎たらしかった。

その気持ちが跳ね上がった時、夏樹ちゃんが屋上から落ちて死んだの。」

「……………」

「怖かった。あたしのせいだと思った。

夏樹ちゃんはそのこと恨んでるんだって思ってる。ずっと怖かった」

 揺と夏樹は視線を合わせた。

「夕波先輩は、事件のあの日、夏樹先輩が落ちるところを見たんですか?」

「見てない。あの日、彼に告白しに行ってフラれて……。

夏樹ちゃんのせいだって思って家に帰って。

次の日に学校に来たら、夏樹ちゃんが死んだって……。

なんてうっかりな死に方するの。意味が分かんなかった。」

ーーさて、これどうするのが良いんだ?

 揺は考える。

 普通に考えれば、海南は当日の放課後に夏樹に会っていないので犯人では無い。が、恨まれないために嘘をついている可能性がまだ排除できない。

 夏樹を見れば、彼女は意を決した様子で頷いた。

 揺は悟った。夏樹には何か考えがある。

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