第23話 本心
校舎の階段を一人の中年女性が焦った様子で駆け上がってくる。
夕波海南の母親は、青い顔で必死に前を見つめていた。
車で娘を迎えに来たのだ。
近くの路上に停めて連絡をしたのだが、何度メッセージを送っても電話をしても全く反応がない。既読すらつかない。
何かあったのだ。
また錯乱しているのだろうか。
何かあってからでは遅い。早く娘と合流しなければ。
ガラッ……!
「海南………!」
暗い教室の中に駆け込み、娘の姿を探す。
いない、いない、いない、いた……!
海南は机と机の間に挟み込まれるような形になって、座り込んで泣いていた。
「海南、大丈夫?」
肩を揺すって状態の確認に努めた。
外傷はなし。特に錯乱して暴れている訳ではないが……。
やっぱり精神が不安定になったのだろう。
そう思っていると、海南がゆっくりと顔を上げた。その顔には涙が溢れている。
「どうしたの……?何かあったの?」
「……大丈夫……。もう、大丈夫だから」
ほろほろと涙が零れる。
「あたし、ちゃんとやるから……」
夏樹ちゃんのありもしない幻影に怯えていた。
彼女は自分が思うのと全く違う、意思を持つ人間だった。
それがちゃんとわかったから、認めたから。
彼女に押し付けた憧れでも嫉妬でもなく、自分が思う憧れの理想像を作り、また近づけていこう。
娘が自分に抱きついてきて泣いているからそのまま抱きしめた。
何があったのか分からない。きっと訊いても答えないだろう。
昔からそうだ。海南は、肝心な事を言わない癖がある。
けれど、表情からは何かを乗り越えたことを見て取れたので、少なくとも昨日より大丈夫なのだと思えた。
◆
「さっきの話、全部本心か?」
帰り道。暗い路地裏で、揺は静かに訊いた。
先を歩いていた夏樹は、黒い長髪を流しながら振り向いた。
「ああ、うん。全部本心だよ。
あー、でも一個だけ誤魔化したかも。優越感に浸っていないのは本当なんだけど、なんかきらきらしたものを見ると、自分も影響を受けてきらきらした気分になるというか……。
その辺の説明はちょっと不十分かも。」
「まあ、ニュアンスは伝わったと思うぞ……」
「そう?なら良かったー」
指を合わせてほっとしたように笑う。
こうしていると親しみやすいかつ美人な高嶺の花なのに。
先程語られた本心に驚いたのは揺も一緒だ。
普段わたわたと反応するし、お茶目なのに、根っこは想像できないくらいに諦観している。
空虚さも持ち合わせており、いまいち長谷川夏樹という人物が読み切れない。
――マジかよ先輩。二面性あるな……。
屋上の話をした時も思ったが、価値観が少々特殊な気がする。
――上に立つ者は孤独、みたいな奴かな……。
それでも、斜め上の価値観が海南を救ったことは疑いようがない。
夏樹は敢えて自分の心の内を晒す事で海南を救いに行ったのだ。
自分に激しい嫉妬を、憎悪をぶつけるクラスメイトを助けるために普段は表に出さない部分をあらわにした。
それは、なかなか出来る事ではないと思う。
「夕波先輩、もう大丈夫だと思うぞ」
「そうだよね。最後はほっとしてくれたみたいで、本当に良かったよ。
このまま彼女本来の理想の姿を目指せるといいなって思うよ。
私よりよっぽどきらきらしてるんだからさ」
「……感情豊かだと、輝いて見えるのか?」
「そうだねー。目の前に熱心とか、感情豊かにいろいろなものに揺れ動くとか、強い感情を持つとかだと、生きてるって感じするよね。
そういう強い感情が憧れというか……そんな感じ」
そこまで強い感情を持てない。いつだってどこか冷静なのだ。
揺は長い前髪の下、瞼を伏せた。
「……夏樹先輩、自覚ないだけで自分が思うよりも真っすぐで、ちゃんと物事を受け止めてると思うぞ」
「本当?それは良かった」
返す言葉がどこか淡々としていたのは何故なのだろうか。
揺にも、そして夏樹自身にも分からない。
「でも、手掛かりなくなったな」
「………あ」
揺に指摘されて気づく。
夏樹が死んでから休みがちになった生徒は全員白が確認された。
あくまで感情を読んで白打ちしているだけだが、その判断が間違っていたとは思わない。
「うーーん……とっかかりがないよね……。また振り出しかあ……」
「まあ、犯人捜しは多分時間が掛かるものだしな。
物的証拠がどうとかもこっちでは調べられないし。アリバイがどうとか調べるのも限界がある」
「ゆらぐ君を危険にさらすわけにいかないからね。もー、どーしようかなー」
ゆらんゆらんと体を揺らして迷いを表現する。こうしているとただの緩い先輩なのに。
「休みの日の殺気みたいな視線も夕波先輩じゃないそうだしな。
他に人が居たってことになるし、それも気味悪いよな」
「まあ、ゆらぐ君が外出るときは私が一緒にいようと思うよ。狙われた時が怖いから。」
「よろしくな」
「あと、どう調べるかだけど……」
うーーーんと唸る声が聞こえてくる。やがて夏樹は項垂れた。
「まあ、夏樹先輩に時間はそれなりにあるだろ。とりあえずゆっくり休めば。
リラックスすれば案が思い浮かぶかもしれないだろ。
それこそ記憶が戻るかもしれない」
「そうだね。明日はゆらぐ君を学校に送った後は、ゆっくり出かけてこようかな?」
「そうしろそうしろ。学校では一人にならないようにするから。団体は苦手だけどな」
話は決まった。
夜の行動は危険が伴う。ふたりはさっさと家に戻る事にした。
容疑者は絞り切れないが、迷える相手を救えた。
それはとても喜ばしい事だから。やりきった表情で土居家の門をくぐった。
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