第34話 きっと後悔しないから

 夏樹がここにいる。

 そう聞くと、父親の翔吾は怪訝な顔をした。

 娘がずっと見守ってくれていると、そう言って勇気づけたいのだろうか。

 気持ちは嬉しいが、加害者の弟である彼に今言われても複雑だ。

 隣を見れば、恵美が揺の挙動の一つ一つを見守っている。


「揺君、どういうこと?」

 真菜が積極的に尋ねた。

「………長谷川さん達も俺と両親を見て気づいたと思うんですが。

俺は両親から、頭のおかしい人だと思われて放任されています。

……俺が両親から見放されたのは幼い頃です。

幼い頃の俺は、両親に幽霊が見えると主張していました」

「幽霊が見える……?」

「叱られたので主張もやめて、やがて隠すようになりましたが。

ここでも隠しておこうかと思いましたが……。

夏樹先輩を成仏させたいなと思うので」

「ゆらぐ君!?」

 今まで黙っていた夏樹が声を上げた。

 ぺちぺちと肩を叩く仕草をされる。なんだか風が当たってくる気がした。

「だって……何時までも今のまま居られないだろ?

自分を殺した犯人が分かった。兄貴も逮捕されて次に進もうとしている。

夏樹先輩の未練はもうほぼ晴れているはずなんだ」

「それは……そう、だと思うけど」

「先輩優しいからさ。心配していてくれてるんじゃないかって思ってさ。違うなら恥ずかしいけど。

俺ならもう大丈夫だからさ。そろそろ自分のことを大切にして欲しいんだ」

「ゆらぐ君……」


 目の前の少年が、誰もいない方向を見て、会話をしている。

 まるで一人だけで会話をしているような異様な光景。

 しかし、会話のタイミングなどから話し相手がいる気がしてならない。

 相手も、自分達のよく知る人物と人となりが似ているような。


「でも、ゆらぐ君!私はゆらぐ君が心配だよ。

標君は暫く出て来れないし、家を出るし。誰も守ってくれないじゃない。

独り立ちして頑張るのはいいことだけど、いきなりハード過ぎるよ」

「分かってるよ。……分かってるよ。俺も正直言って寂しいんだ。

夏樹先輩が傍に居て助けてくれたら、大分気が紛れるだろうなって思う。心の支えになるだろうなって思うよ!

でも……それじゃ、夏樹先輩が次に進めない。

せめてあの世でどうとか、転生がどうとかの選択肢も見てくるべきだと思うんだ」

「………それは、そうかも、しれないね」

「俺は、夏樹先輩に幸せになって欲しいんだよ。今更、なんだけどさ」

「…………私は。私の幸せは……」


 夏樹は考える。

ーー私の幸せは、なんだろう?

 自分を殺した犯人を知りたいと思った。

 真実を知りたいと思った。

 闇に葬られていて、光に晒された真実はとても悲しいものだった。

 それでも標が前に進むと分かったから、報われた気がした。

 殺されたことは哀しかったけど、ちゃんと真実が分かったことで、話をしたことで前を向いて行けると思った。

 自分自身は人生を終えている。

 長谷川夏樹として、自分の人生やこの先に未練はない。

――本当に……?


 夏樹が考えている様子を揺は見守っていた。

 これでいい。俺が寂しいのは耐えればいい。これまで甘えていたツケを払うべき時だ。

 このまま自分に向き合って、悔いなき選択を取って欲しい。

 せめてこの先の広い世界を見てきて欲しい。


 そんな二人の様子を、長谷川家の面々は目にしている。

 これはどういう事だろう。

 信じ難い光景だが、揺は本当にここに居ないはずの人と話をしているのだ。

 幽霊が見え、声が聞こえて話をすることが出来る。

 夏樹も幽霊となりこの世に留まり続けていると言う。

 夏樹が殺されたことを考えると、成仏出来ず幽霊となっているのは当然のように思うが……。


「ねえ、翔吾さん。

確かに揺君は、ここに来た時からたまに後ろを見たり、夏樹の名前を呼んだりとしていたわ。

私ずっと見てたもの」

「そうなのか……?」

 ひそひそと両親が相談をしている。

 信じる方に心が傾いているのを真菜も分かっていた。

 真菜も同じ気持ちだ。また姉に会えるのならーー……


「お、姉ちゃん……?」


 呼びかけると、リビングの姉の椅子の上に置いていたクッションがゆっくりと浮き上がった。

 誰も手を触れていないのに、ひとりでにクッションが持ち上がったのだ。

「お姉ちゃん……!!」

「夏樹!」

「夏樹……!」

 いる。姉がすぐ傍にいる。

 真菜が、恵美が、翔吾がクッションの所へ駆け寄った。

 夏樹はクッションを抱いて立っているので、丁度夏樹を家族が取り囲む構図になっている。


「夏樹!ここにいてくれたのねっ!会いたかった、ずっと会いたかったの……!」

「お母さん……!ごめんね、急に死んでごめんね……!」

 すかさず揺が通訳をする。

 残念ながら家族は声も聞こえていない様だったから。

 この忌まわしい能力が彼らの為に活かせるなら喜んで活かしたい。

「夏樹がどうして死んじゃったんだって、ずっと思ってたの……」

「仏壇の前でそう言ってくれてたよね……。聞いたよ」

「不幸な事故だって。屋上で身を乗り出して落ちて莫迦な子だって思ってた。

でも違ってたのね。夏樹は、手を差し伸べたのに、良い事をしたのに突き落とされて殺されて……」

「そうなんだよね。ごめんね。私も不注意だったよ。

でも、標君を助けようとした事自体に後悔はないんだ。

ただ……殺されて悲しかった……」

 夏樹がクッションを握りしめながら、感情を吐露していく。

「この声が届かなかった事が悲しかった。

殺されて暫く私は眠りについていて、目が覚めてから二週間も経っていないの。

目が覚めた私は、死んだときの記憶を失っていたの」

「そうだったのね……」

「気が付いたら夕方の教室にいたの。

入ってきたゆらぐ君が幽霊が見えるのがすぐわかったから、助けを求めた。

彼は、私の力になってくれたの。

だからゆらぐ君の事は責めないでほしいんだ」

「……分かったよ、夏樹」

 父が受け止めて頷いた。

 彼に思う事がないわけではない。でも、揺が協力してくれたから、通訳してくれているからこうして事件が解決して夏樹と話せているのだ。

「お姉ちゃん、それからどうしていたの?」

「ゆらぐ君に事件の事を調べて貰って、聞き込みをしたり、私の友達と繋げて貰ったりかな……。

突き落とされた事自体は覚えていたから、犯人探しと同時に、私の中の未練をなくしていく方向かな。

悪霊になりたくなかったし、いつかは成仏しないといけないし」

 そう、成仏はいつかしないといけない。

「……そうして、標君が犯人だって解った。

彼が盗みをしたのを見たのを思い出したのは、その店に行った時だよ。

そうして、するすると記憶の糸が解けたの。

……ゆらぐ君に伝えるとき、とても心苦しかった……。ゆらぐ君はお兄さんの事をとても慕っているから」

「夏樹……」

――この子ったら、こんな時まで人の事を心配するのね。

 優しい子。だからこそ幸せになってほしかった。

「でも、私もゆらぐ君も、向き合わないといけないことだって分かったから。

結果、標君の自殺は止められたし、罪を償う方向に進んで良かったと思ってる。

……ちょっといろいろ遅かったんだけどね」

 夏樹は死んで、標は殺人と言う罪を犯した。

 時間を戻せるものなら戻してしまいたい。

 夏樹はそう願い、それ以上に揺がその願いを強く抱いていた。


 でも、どれだけ願っても時は戻らない。

 ただ、進むのみ。


「ゆらぐ君に、これからどうするか考えてほしいって言われて……。私なりに考えたよ。

私の事、私のこれからの事を……。

まだ迷っているんだけど……。

お父さん、お母さん、真菜……。聞いてくれる?」


 夏樹の穏やかな声音を表現できているだろうか。

――なんで夏樹先輩はこんな時も穏やかで優しいんだろうな。


 家族全員が頷いたのを確認して、夏樹は微笑んだ。

 そうして、口火を切る。

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