第36話 再出発
あれから数日、揺は家に帰っていない。
流石に家を出た息子を放っておかず、グループメッセージの通知が鳴り止まない。
揺はもう縁を切ってしまいたいのが本音なのだが、兄の贖罪を手助けするという決意があるので、家には戻らず文字だけでやりとりをしている。
一度見放した息子だから愛着も薄い上、直ぐに戻ってくるだろうとタカをくくっているらしい。
けれど簡単には戻らない、これからはずっと一人で生きていくと固く心に誓っている。
従妹の家の近くに引っ越すため、学校を転校することになった。
兄が殺人犯であることは広く知れ渡り、生徒達にはもう腫れ物扱いをされている。
住所変更という口実は都合が良かった。
担任が転校を告げ、揺にとって金蓮花高校での日常は静かに幕を閉じるーー。
けれど、予想に反して見送る客が何名か居た。
◆
「高橋先輩。来てくださったんですね」
「ええ、土居君。引っ越してしまうのね」
夏樹の親友である佳代子は優しく微笑んだ。
「ええまあ……兄のことがあって居づらくなりましたし。それに、家を出て一人でやっていくって決めたので」
「そうなの」
「あの、高橋先輩……怒ってないですか?」
おずおずと問いかけると、佳代子はきょとんとして首を傾げた。
「揺君に怒ることなんてないわ。夏樹と通じ合えたのは揺君がいたからだし……。
標君の方は……思うことは大きいけど……」
俯いた顔から憂いを大きく感じて、揺は視線を落とす。
「ただ、揺君が夏樹に優しく接してくれた事は分かっているつもりよ。夏樹が成仏した日のことも教えて貰えたし」
「約束したから、当然ですよ」
「あれから夏樹はどう?来てない?」
「ええ、あれから姿を見せていません。」
揺は正直に答えた。
夏樹は気配も姿も見せることはなく、揺は一人で過酷な状況にも襲いかかってくる幽霊とも戦っている。
成仏というものはそういうものだし。
けれどそれで良いと思っていた。
ーー良かったんだこれで。
ーー寂しい、けどさ。
「……夏樹と揺君の出逢いって運命のようよね。まるで神様に仕組まれたみたい。
意地悪で、でもお互い前を向いて歩き出せたもの」
揺は優しい声に導かれながら、夏樹と出会って過ごした時間を思い返した。
過ぎてみれば早かったが、彼女と過ごす日々はひとつひとつが色濃かったーー。
「ええ、神様がいるなら、とても意地悪なんだなって思います。でも、夏樹先輩と出逢えて良かったと思いますよ」
「うん、私も!今だって夏樹の事大好きよ」
「夏樹先輩、喜びますよ。高橋先輩のこと大好きですから」
佳代子は何度か頷いて、言葉の意味をかみ締めた。
やがて好美にも夏樹の幽霊事情を話したいと語り、揺の許可を取ると戻って行った。
「土居君。夏樹ちゃん成仏したの?」
「夕波先輩」
どうやらすぐ近くで順番を待っていたようだ。
1週間ぶりくらいに会う海南は、前に会った取り乱した様子と打って変わってすっきりとした顔をしている。
「一応成仏って言うんですかね。温かな光に包まれて行きました。
あの世の世界を見て、自分に向き合ってくるそうです」
「そうなんだね。あの世に行ったら戻って来れない気もするけどどうなんだろね?」
「さあ……俺も死んだことないから……」
生きている限り、幽霊の世界やあの世の事に関しては推測するだけだ。
幽霊から話を聞ける分、揺は詳しい方だとも言える。
「夕波先輩、すっきりとした顔してますね」
「そーだね。あれからいろいろ考えたんだよ。」
小首を傾げる様子は小動物のようであどけない。
けれど、その眼差しは揺が知る時よりも大人びている。
「夏樹ちゃんの知らない部分をあれこれ邪推して気を病むのはもうやめにしようって。
あたしはあたしだから、改めて理想を追求しようって。
まだあやふやで朧気だけどねー。でも、なんとなく憧れの姿が見えてきた気がするんだ」
海南は顔を上げて胸を張った。
「変に背伸びするのはやめて、等身大の自分でいる事をこれからも心掛けるよ。
あたしは夏樹ちゃんと違う人間だし、あたしらしく大きくなるから」
浮かべた笑顔は、愛くるしくて感情豊かで、だからこそ魅力的だ。
揺は一度大きく頷いて見せた。
「応援してますよ、夕波先輩。今輝いてますよ」
「ありがとー」
立ち直ったなら良い事だ。この分なら治療薬も大幅に減るだろうな。
「土居君、これから大変だと思うんだ。
その……苦しかったよね。夏樹ちゃんを殺した犯人がお兄さんだって話が広がってるんだよ」
「ああ、否定してねえからな。実際夏樹先輩を殺したのは兄貴だよ。
俺が転校するのもその関係だし」
起こったことは否定しない。過去は変える事は出来ないから。
「……探していた犯人が兄貴だって知って……。苦しかった。悲しくて胸が張り裂けそうだった。
何より、兄貴の長年の苦しさを気づいてやれなかった自分の不甲斐なさが呪わしかった。
うかうかしていたから手遅れになって、夏樹先輩も死んだ。
……でもこの痛みも抱えなきゃな」
この楔は手放さない。
俺の、俺だけの苦しみだ。
痛みも苦しみも抱えて進んでいくことを決めたから、もう迷わない。
「……お互い苦労するね。あたしも土居君の事応援してるよ。
何かあったら声掛けてね」
「いいんですか。相談に乗って貰ったりするかもしれないですよ」
「……もう。あたしはあの時、夏樹ちゃんと土居君に救われたんだよ。いいに決まってるよ。
だから連絡先教えて?」
その場でQRコードを読み込んで、メッセージアプリの連絡先を交換して登録した。
やがて海南は等身大の笑顔を浮かべると、手を振って去って行った。
その姿を見送っていると、後ろから頭を小突かれた。
「いでっ。あ、發知先輩……」
まさか毅まで来ると思っていなかった。
高身長の毅を見上げて表情を伺うと、とても真剣な顔をしていた。
「聞きたいことが二つあるんだが」
「なんでしょう?」
もうなんでも来い。ヤケになんてなってないからな。
「……土居標が、夏樹を殺したのか?」
「………そうです。……すみません。兄が、辛い想いをさせました」
「………そうか」
語られた言葉の意味を嚙み砕いて呑み込む。
胸の中を怒りと悲しさで熱く支配された。
ドンッ……!!
やり場のない思いを、近くの壁を叩いて発散しようとする。
左手が痛くなっただけで、何一つ激しい感情は出て行かなかった。
「場所変えないか。詳しく聞かせてほしいんだ」
「俺はいいですけど。先輩いいんですか?
きっと凄く辛いですよ。壁を殴るだけで済まないかもしれない。
俺は別に殴って貰っていいですけど」
「お前が夏樹を殺したわけじゃないだろ。自分を粗末にすんな」
「……切欠にはなったかもしれないので」
自嘲に支配されたような表情が気になった。
前に話した時と違って、前髪も後ろ髪も短くなっているので表情が見やすい。
やがて二人は移動し、人の来ない裏庭までやってきた。
真実を知りたい。夏樹の事を全部知っていたい。
そう懇願する毅の真っすぐさに抗えるはずもないし、抗う気もなかった。
揺の知る真実をひとつずつ教えていく。
夏樹が死ぬ切欠になった標の罪。説得しようとした夏樹の優しさ。
そして毒親の影響で救いの手を跳ねのける事しか出来なかった標の愚かさ。
自殺しようとしたことも、その手を掴んで止めた事も、全て、全て。
そう、毅なら笑わないだろうと、幽霊になった夏樹の説得や言葉も全て伝えた。
「……夏樹、本当に人の事ばっかりだよな。
………クロみたいに助けてやれなくて、嘆いている人間が此処にいるって言うのに……。
本当、……もう……。はは……」
一周回って笑う事しか出来ない。
そうすることでしか、俺の悲しさも怒りもコントロールできない。
揺が毅の肩を優しく叩いた。
低く呻くと、毅は地面に足を付けて崩れ落ち、声を上げて泣いた。
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