第27話 壊された救い
人のいない屋上で、男女が向かい合っている。
夏樹は他に誰もいない事を確認してから口火を切った。
「……標君。いきなりだったのに来てくれてありがとう」
「いや。大丈夫だ。気にすんなよ」
心臓がバクバクと音を立てている。
怖い、怖い。
一体何を言われるのか、想像するだけで眩暈がする。
けれど表向き平静を装い、笑顔を浮かべた。
既に夏樹は誰かに話しているかもしれない。
口は堅い方な気はするのだが、彼女の価値基準はまだ把握していない。
――焦るな焦るな……。夏樹の動向を読んで、主導権を握るんだ。
「昨日はありがとう。お話しできて楽しかったよ」
「こっちこそありがとな」
「それで……昨日五条アクセサリー屋で会ったじゃない?
その時にさ……、……標君、指輪盗んだよね?」
単刀直入。アイスブレーキングは無しにいきなり本題を繰り出した。
予想していたとはいえ、見られていたという事実が重く圧し掛かる。
「見間違いじゃないか?この時期に窃盗したらどうなるかくらい分かってるよ」
「そうだよね。標君は特にその辺の意識が高いし……。
だけどね、私は……間違いなく見たよ」
夏樹の茶色の瞳が真摯に訴えかけてきていた。
誤魔化せない。標の判断は早かった。
夏樹の目的を探るんだ。
「………やっぱり、見られてたか。表情から、そうかなーとは」
「標君、なんで……?」
青年の声音はいつもと全く変わらない。
それを額縁の外から見ているような感覚で感じている。
同時に駆け引きを有利にすべく頭をフル回転していた。
「んーと……盗みたいと思って盗んでるわけじゃ、ないんだよな」
「えっ……。イジメとか、誰かに脅されてとか?」
「ああ、そういうんでもないんだよ。」
腹をくくった。下手に嘘をつかずに行こう。ボロが出るから。
いじめられてなどと言う選択肢は秒で捨てた。
夏樹は人の良い性格をしている。同情を誘った方が都合が良い。
「所謂……盗癖を持ってるんだ」
「盗癖?」
ちゃんと耳を傾けて聞いてくれる夏樹に分かるように、丁寧に説明を行う。
盗癖、窃盗症などと呼ばれる病気だ。クレプトマニアという名前の方が分かりやすいかもしれない。
自分がどういう状態なのか、症状が出始めの頃からインターネットでちゃんと調べていた標は、説明することも容易だ。
盗もうと、欲しいと強く望んで窃盗をするわけではない。
窃盗が犯罪であることも許されないものであることもちゃんと理解している。その上でやめられないのだ。
「感覚的には遠くを見ている感じというか……。現実のものじゃない、夢みたいな感覚かな……。
というか大抵盗んでる時の記憶がない。
昨日は意識が戻るの大分早かった方だな」
「ええと……。つまり、盗んでいるときに、盗んでいる意識がないの?」
「ないな。帰ってから持ち物を見て気づく時が多いよ」
「多いってことは、1回や2回じゃないんだ……?」
「……それなりに数はあるかな」
夏樹は頭の回転も理解力も早い。
故に説明を聞いて大体の病状は理解できたらしい。
「……んーと、繰り返しちゃうと人生フイにすると思うんだよね」
「それは同感なんだよな……。気を抜かないように気を付けてるんだけど、どうしてもふっと意識が途切れるんだよな」
同時に感じるのは強い快感だ。
強く蓋をされていた苦しみが一気に解放されていく充実感。
けれどこれは口にしないでおく。
「今まではどうしていたの?上手く盗んでいて発覚していなかったの?」
「2回だけ店側が来て、父親が品物を買い取って払ってたよ」
「親御さんも知ってるの?」
「知ってるよ。……最近治療を始めたところなんだ」
嘘を吐くとボロが出るが、標は嘘を交えた。
馬鹿正直に放置されていると話すとまずい。治療中だと言えば、親の介入があると言えば黙っててもらえるかも。
「……?そうなんだ。専門のクリニックに通っているの?」
「そうだ。家から通える距離にあって。まだカウンセリングを始めたところなんだけど……」
「カウンセラーさんがついてくれてるの?」
「そうそう」
「もしかしてドクターも一緒についていたり?」
「あー、そうだな」
合わせて会話をして話を広げていく。常識の範囲内で処方される事を予想しているだけなのだが。
だが、勝算を夏樹は容易く打ち破る。
前を見れば、じとっと睨んできているではないか。
「標君。嘘はやめて。
治療が進んでるなら、今までのもの全部弁償しているはずでしょ。
あと、ちょっと上の空だよ」
――やべ、バレた。女の勘こええな……。
ひやっと鳥肌が立つ。けれど、それを微塵も表に出さない。
「……悪い。盗癖の事を認めるのも凄く怖くて……」
「下手に隠さなくて大丈夫だよ。話してほしい」
「………分かったよ、夏樹」
観念して全部話す事にした。
――どうして?上手く誤魔化して主導権を握った方がいいのに。
――それは俺が救われたいから……?
夏樹に全て打ち明けて、楽になりたいから……?
分からない。自分の心が分からない。
人を頼る事が分からない。
自分の心が分からずに視界が揺れる。
「お察しの通りだよ。治療はしていない」
「どうして?親御さんは知っているって言ってたけど……」
「今年の春に打ち明けたよ。相当の覚悟をして話した。
その結果、父さんも母さんもその話をスルーしたよ」
ちゃんと事実を話している。よし。
夏樹の様子を伺えば、両手を挙げてわなわなと震えている。
――一応信じて貰えている、よな?
「スルーしているの?盗癖を!?」
良かった、信じて貰えてた。
その上でその内容の酷さに震えているらしい。
標にとっては予想の範囲内でしかなかったのだが、夏樹の家は違うようだ。
「そうだ。俺も治療させてほしい、休ませてほしいって言ったんだけどな」
「ええ……。言っちゃ悪いけどれっきとした精神病だよねこれ。
放置していると酷くなりかねないし、後から発覚するととてもまずいし」
「そうだよ。精神病だ。
だけど家は、自分を止められないのは気合が足りないからだと言っているんだ。
俺もそう思う。俺は自分自身に勝ててない……」
「違う……。違うよ。
これは気合が足りないとかそんなんじゃない。親御さん理解が足りないよ」
「まあ昔からそうだったから。頭が固いというか……息子が自分の思う道から逸れたらキレる。
頭ごなしに怒鳴られるし、こっちの言う事聞かないから、言うのも面倒でな。
そもそも治療をさせようとしないのも、外にバレると受験どころじゃないからだし」
「…………」
――あ、夏樹のやつ相当頭ぐるぐるしているな。
全身を震わせ、精一杯考えているのが手に取るように分かる。
――毒親だ。家庭環境が原因だよこれ。
――強いストレスが原因で発症したんじゃないの?
夏樹はこの話だけで境遇まで悟っていた。
――このままじゃ酷くなる一方だ。
やがて決めた顔を上げる。
「標君。今から時間ある?」
「あるけど、どした」
「病院行こう!心療内科で治療してくれるところ探して、ちゃんと治療しよう!!」
「えっ!」
治療をする?この救いがたい盗癖を?
周りに知られたらどうなるだろう。
物分かりの良い人だけではない。
クリニックに通うところまでは良いとして、通っているのが周りに知られたら俺はどうなるんだろう。
夏樹は治療途中は黙ってくれていそうな気はするが、口止めは念入りにしないと……いや、それ以前に。
親に逆らって治療に行く、のか……?
敷かれたレールから外れる事はとても怖い事だ。
流石に保険証なしで受診する事は出来ないだろう。恐らく病院から家に連絡が入るはずだ。
揺に協力して貰えれば親への発覚は免れるかもしれないが、揺は未成年。親の対応を求められるはずだ。
つまり十中八九、自分が言いつけを破り逆らった事がバレる。
盗みを繰り返している事も、歯止めが効かない事も全部全部露呈する――。
春頃は治療を望んでいた事も忘れ、恐怖に震えた。
「待ってくれ夏樹……。病院は、病院はまずい……。黙っててくれないか……」
「何言ってるの標君。放置していい状態じゃないよ。ちゃんと治療をして手を打たないと」
「怖いんだ。俺が親に逆らった事がバレる。どんなキツイ事言われるか、どんな風に怒鳴られるか、想像しただけで怖い……」
「家を出る事って出来ないの?親戚の家に転がり込むとか……」
「親戚は関りが薄くて……。従妹とは連絡取ってるけど年下だしな……」
「ううん……。今の環境は良くないよ。家庭環境こそが原因だと思う。
変えていかないと治らないと思うんだ」
「………わ、かった……」
頭の前が真っ暗だ。どうしていいのか分からない。
治療をしたところで、家庭環境が良くなるとも思えない。
嗚呼、またこの感覚だ。視界が揺らぎ、遠くを見ているような気分になる。
「よし。善は急げだね。早速クリニックを探して、受診しよう」
「流石に今日から治療は受け付けてくれないんじゃねえかな……」
「その際は予約だけ取っておけばいいでしょ。最短で取ればいいよ」
「……検索かけるか。あまり遠くないところで、口コミが良いところがいいよな」
「うんうん!」
俺は普通に対応できているか?
俺は何をしているんだっけ……。
夏樹はスマホを弄り始めた標を見て、ほっと胸を撫で下した。
これでいい。これがいい。
まだ方針も決まってないけど、専門家と話をすれば活路が開けるはずだ。
毒親な事はカウンセラーには伝わるから、指導してもらうかなんとか離してもらって……。
風が吹くと長い黒髪が靡く。
視界を邪魔されながら、光を見た。
綺麗な景色が見える。夕焼けに照らされた街並み。
お気に入りの世界を眺めていると、力を貰える気がする。頑張ろう。
――お金とかカンパは難しいよね……。お小遣い多いわけじゃないし。
――家庭環境だし、弁護士さんに相談とか?連絡の取れている従妹に相談して親戚の力を借りる?
…………。
標は背を向けている夏樹の傍までにじり寄っていた。
両手にはしっかりと皮手袋をしている。
夏樹の背中を両手で強く押した。
「――え!?」
夏樹の華奢な身体が吹っ飛んだ。
そのままフェンスに勢い良くぶつかって金属音を立てる。
肩をさすりながら咄嗟に立ち上がった時、同じ場所を狙うようにまた強く押されて――
老朽化していたフェンスが外れ、フェンス諸共夏樹が落下していく。
――しるべ、くん……。
――駄目だよ、逃げないで……。
夏樹の願いは届かない。
「あ……」
標は静かに下を覗き込んで状態を把握する。
周囲に人は無し、目撃者なし。夏樹は血だらけで恐らく助からない。
老朽化していたフェンスは容易く外れた。
周囲が夏樹の遺体を見てどう思うだろう。
壊れたフェンスが傍に落ちていて、作為的なものがないなら事故死扱いになるのではないだろうか?
その時、夢見心地の標の心の中で悪魔が囁いた。
発覚しなければまだ進める。
指紋も特に残していないはずだ。
静かに踵を返して屋上を去った。
標の意識がはっきりしたのは、裏口から降りて素早くその場を離れた後だ。
校門を出る頃には人だかりが出来ていた。
――嗚呼、俺が突き落としたのか。
俺はこの瞬間、人殺しとなり果てた。
差し伸べられた手を取らずに最悪の形で裏切った。
嗚呼、嗚呼。
俺は最大の救いを自ら壊したのか。
それなら隠し通さなければ。
俺は決して救われてはならない――。
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