第5話 哀愁
次の日、夏樹は昼から登校した。
幽霊だし、誰にも自分の姿は見えない。
ただ、改めてクラスの状態を見たいと思ったのだ。
受験前なので、クラスの人は減っている。
ただ、見る限り、皆いつもと変わらない。
慣れた光景だ。普通に喋って笑って。マイペースに過ごしたり一匹狼もいて。
それぞれが思い思いに過ごしている。
ただ、その中にもう夏樹の居場所はなかった。
当然だ、夏樹が居る事を誰も知らないのだから、誰も話しかけない。
死んだ時点で役割もなくなったのだから、クラス委員長も他の人に代わっている。
頼りにされる相手も、相談される相手も、話し相手もそれぞれが別の人に代わる。
親友の佳代子も他の友達と話したり勉強に没頭しているし。
別の親友の好美も彼氏と会う頻度が上がっているようだし。
寂しく思っていてくれるとは思う。心の中にはいるとは思う。
けれどそれを確かめる術はない。
――……寂しいなあ……。
心の中が哀しみに染まりそうだ。
自分がいなくなっても皆の日常は進む。
ひと月経てば風化もしていく。
夏樹は自分の席に座り、俯いた。
寂しくて寂しくてたまらない。
へにゃっと表情が歪む。
その時、机に影が差す。
「…………?」
見上げると、クラスメイトの男子が立っていた。
「毅君……?」
183cmだから、160cmの夏樹と比べても身長差がある。
一匹狼のようで群れる事はないが、夏樹は頼りにしていた面もある。
彼は面倒見が良いのだ。
「もしかして見えてる?」
問いかけるが、話し終わる前に踵を返して教室を出て行った。
――あれ、見えてなさそうか。
どうしたんだろう。追悼でもしてくれてたんだろうか。思い出してくれてたんだろうか。
だったら嬉しいな。
「……?」
なんだか視線を感じた気がした。
そちらを向くと、クラスメイトの女子集団がきゃいきゃいと話をしていた。
4,5人の女子グループだ。
アイドルとかドラマとか声優とかお洒落に目がないキラキラ系の女子達だ。
「ミナミ、流石詳しい!」
「えへへー、任せてよ!推しが新しくCD出すから、バッチリ予約したよ!」
「あたしもチェック済み!どんどん表現力上がってて聞き惚れるよねー!」
「動画サイトに上がってるPV見た?」
「見た見た!」
趣味会話に花を咲かせている。
――いいなあ。ああいう風に没頭できる何か、そういえば私なかったな。
――心から嵌れる何かがあったらもっと楽しかったかも。
女子グループの中心にいるのは、
海の南と書いてカナ。変わった名前だけど魅力的な名前だと思う。
皆からは字を取ってミナミと呼ばれている。
愛らしい容姿をしていて、クラスのマスコット的存在だ。
暫く眺めていたが、海南の顔色が悪い気がする。
体調不良だろうか。
――皆、気づいてあげて!ミナミちゃん調子悪そうだよ!!
保健室に行くか早退した方がいいと思うんだけど……。
心の声に気づくことなく、周りの友達はいつも通りだ。
普段の自分はこういう時に必ず声をかけていた。
けれど物にも触れられない、話しかけられない自分が出来る事は何もない。
自分から言い出すか、周りの子が気づくのを待つしかない。
改めてクラスの中を見渡した。
いつも通りの風景。
いつも通りの夏樹のいない光景。
嗚呼、皆慣れてしまったのか。
忘れてしまったのだろうか…………。
それ以上教室に居る事が出来なくなり、夏樹は教室を出て行った。
◆
屋上に向かった。
夏樹が落下死してから封鎖されたと聞いている。
工事が終わって安全が確立されれば、またお弁当を食べる場所として開放されるだろうか。
幽霊なのですり抜け余裕。
ドアをすり抜けると、見慣れた光景があった。
薄汚れた床。埃がところどころ積もっている。
ここでよく弁当を食べた。定位置に座ってみる。うん、落ち着く。
――懐かしいなあ……。
もうひと月も経ったのか。
亡くなって直ぐには幽霊ではなかったらしい。
意識が芽生えたのはつい最近だ。
暫くそのあたりをうろうろとしていたが、やがて学校に辿り着いた。服装も制服のままだ。
やがて立ち上がり、屋上を歩いてみる。
「あ、あそこか」
フェンスがひとつだけ不自然に外れている。
周りのフェンスは無事であるものの、大分錆びているか。
仮フェンスを付けて、「近づかないこと!」と言った置き看板が立っていた。
「ふむふむ。私はあそこから落ちたわけだな……」
ふわり。宙に浮いてその場所に近づいた。
「…………」
目を閉じて当時の事を思い出そうと頭を巡らせる。
そう、誰かと話していた気がするんだ。
そして、景色を見た時に後ろから強く押された……。
勢いで老朽化していたフェンスが外れ、そのままフェンス諸共コンクリートに叩きつけられた。
思い出せたのはこれだけだ。けれど収穫だ。
後ろからということは、自分は特別に警戒はしていなかったということだ。
何か睡眠薬などで眠らされて身体を落としたわけでもない。意識は普通にあったのだ。
――残念だけど、これは顔見知りの人だなあ……。
自分が普通に話す人物に絞っていい気がする。
少なくとも不審者や外部の人間の可能性は完全に外していいだろう。校内だし。
もともと人懐っこい性格ではある。困っている人も放っておけない。
だから、接触回数が少ない人も普通に容疑者に入ってくるのが悩みどころだ。
――屋上によく出入りする人かな?
何人かの顔を思い浮かべる。同級生だったり下級生だったり。たまに教師もいた。
しかし、皆、動機があるようには思えない。
どうして私は殺されたのだろうか?
自分に近い存在で屋上に普段から出入りしているのは、毅だ。
彼は一匹狼気質で、教室でご飯を食べない。
一緒にいて突き落とした?
――うーん、イメージがわかない……。
続いてフェンスの状態を見る。
肝心の落下したフェンスはなかった。どこかに仕舞われているか、処分されたのだろう。
周りのフェンスを見ると、確かに錆びれており、そろそろ替えた方がいいと思われる。釘も甘くなっていたっぽいし。
特に刃物で切断された痕もない。ネジが緩くなっているとはいえ、ドライバーなどで細工するのも不可能だろう。
――フェンスが落ちたのは本当に誤算かもしれない?
――落とされたのは間違いないけど、犯人にとってもフェンスまで落ちるのは想定外だった気がする。
押されたのは背中だ。恐らく同級生の指紋採集などは行っていないだろうし。
フェンスを見ても、たとえば拭えるようなハンカチの繊維などは残っていない気がする。
暫く立ったまま考えていたが、今のところ収穫はここまでのようだ。
夕方の景色を見る。
空が橙から青に、紫へと変わる光景。
見下ろせば、生徒達が歩いている。
遠くを見ればどこまでも行けそうな気がする。
この光景が私は好きだ。
けれど、人間生活から外れた今でも、私は縛られたままだ。
眉を下げて、目を閉じた。
私はどうしたらいいのだろう。
本当はいつだって迷っていたのかもしれない。
やがて愛おしそうに景色を眺めてから、踵を返した。
家に帰ろう。
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