24.時の使者

「うわっ!」


 まさかドアを引いた先に人がいるとは思わず、わたしは反射的に飛び退いてしまう。


 遼司さんと由幸さんの喧嘩が中断するほど大きな声が出ていたらしく、彼らも入口に目を向けた。まだ心臓がバクバク鳴っている。


「あ、ごめんね。驚かせちゃって」

「いえ……大丈夫です」

「あれ、梨奈りなじゃん。何か用?」


 由幸さんは目を見開く。知り合いだろうか。


「梨奈」と呼ばれた先輩は彼にうなずく。


「うん。ちょっと刻研に聞きたいことがあってね」

「君は確か……物理準備室の前でよく原田先生と話してるよね?」

「はい。2年の細川ほそかわ梨奈です!」


 梨奈さんは元気よく遼司さんへ自己紹介をする。彼女の太陽みたいな笑顔は愛嬌があって、どんな人でも惹きつけそうだ。


 ……あれ、刻鉄研究会に用があるということは今から刻鉄研究会の活動が始まるわけで、つまりわたしたちも参加しなきゃいけなくなって――


「これってまだ帰らないほうが良い感じ?」


 わたしは咲良の耳元で囁く。咲良は苦笑しながら「そうだね」と答えた。ゲームセンターに行けるのはまだ先のようだ。


 まあ、梨奈さんの様子を見るに誰かが消えた、みたいな緊急性の高い用事でもなさそうだから、少しくらい拘束されても構わないけれど。


 わたしと咲良がさっきまで座ってた席に戻ると、梨奈さんもついてきて咲良の隣に座った。


「先に言っとくけど、原田先生との恋愛相談は受け付けてないよ」


 よく原田先生と話してる、という遼司さんの話の流れからか、由幸さんがそう茶化す。梨奈さんは顔をしかめた。


「はぁ? 何を勘違いしてるの? 別にそういう理由でここに寄ってったわけじゃないけど。そもそも原田先生は初恋の人に似てるってだけで、尊敬はしてるけど恋愛感情とか持ってないし」

「本当に?」

「本当だよ。だいたい先生には彼女いるんだから、もし恋愛感情があってもその時点で諦めるでしょ、普通」


 それよりも、と梨奈さんは無理やり話題を戻す。


「私はを知りたいの!」

「なるほど。消される条件か……」


 遼司さんが神妙な面持ちで考え込む。どれだけ都市伝説について調べていても、そこまでは分からないようだった。


「梨奈ちゃんがどのレベルで都市伝説に詳しいか、どのくらい帰し方駅と現代を行き来しているかにもよるけど、少なくとも俺たちが消されない限りは消えないんじゃないかな」

「それじゃあ1回や2回帰し方駅に行ったとしてもセーフってことですね! 刻研ほど都市伝説に詳しいわけでもないし!」


 よかったぁ、と梨奈さんの相好がまた崩れる。しかし、こっちは彼女のように安心はできなかった。


 だって今の台詞に不穏な影がちらついていたから。


「もしかして、梨奈さんは帰し方駅に行きたいとか思ってるんですか?」


 わたしと同じことを感じていたらしく、先に咲良が問う。すると梨奈さんは素早く首を横に振った。


「いやいや、全然行く気はないよ!? ただ、ちょっとしたがあるからふと気になっちゃって……」

「前科? 何かやらかしたの? よかったら教えてほしいな」


 刻架の都市伝説は結構デリケートな話題だというのに、遼司さんがおくびれもなくそう促す。他人の心情をおもんぱかるよりも、自身のあふれ出る好奇心を優先するのか。


「遼司さん、それを聞くのは失礼じゃ――」

「いいよ、わざわざ気を遣わなくても。別に刻研に話せないようなことじゃないから」

「そ、そうですか……」


 わたしの心配は杞憂だったらしい。梨奈さんは一呼吸置いて、過去を話し始める。


「私、前にちょっと興味があって帰し方駅に行ったことあるんですよ、小5の春に。そこで偶然出会った、私と同じ時代から来た人が使に消されるところを見ちゃって――」

「ん? 時の使者って?」


 遼司さんが思わずといった感じで聞き馴染みのない言葉に突っかかる。


 小学生までは過去に強い執着が芽生えないから帰し方駅には行かないという一般論を逸脱して、過去の梨奈さんが単なる興味本位で帰し方駅に行ったのが不思議でならない。だけど、そこを掘り下げてもおそらくめぼしい情報は手に入らなそうだ。子どもの気まぐれの大半に理由はないんだから。


 それよりも、「時の使者」の正体を探ったほうが有益だろう。


 梨奈さんも梨奈さんで、なんで通じないのかと不思議そうに首を傾げる。


「知らないですか? なんか大きな黒い手が帰し方駅に出てくるんですよ」

「……ああ、それは多分、俺たちが言う掃除屋のことだね。梨奈ちゃんは時の使者って呼んでるんだ」


「はい。都市伝説を調べすぎたり帰し方駅に何度も行ったりすると時の使者が現れて消される、ってうちの地域では言われてますからね」

「ふうん。掃除屋の存在が示唆されてるタイプの伝承もあるのか」


 と言っても、さすがに伝承の中には時の使者もとい掃除屋に自身の存在が消されるとまでは組み込まれていないだろう。あれは実際に経験したことのある人にしか記憶できない情報だから。


「でも、時の使者が具体的にどんな姿をしてるかまでは伝え聞いてないんですよね。だからあの時初めて姿を見て……そういえば、時の使者って黒い手以外に人の姿をしてたりします?」


 梨奈さんは新たな質問を投げかける。


 人の姿をした掃除屋なんていたっけ、とわたしが戸惑っている横で、遼司さんはあっという間に回答を出した。


「確かに、人の姿をしてる個体もいるね。それのことは時間警察って呼んでるよ。あっちは多分、人間の犯罪者と同じように刺し殺したり殴り殺したりしてくると思う」

「……へぇ、やっぱりそういうのもいるんですね。人に擬態してる、って感じなんですか?」

「そうだね。一度会ったことがあるけど、本当に人と見紛うほどにそっくりだったよ。ね、美亜ちゃん」


 遼司さんから突然話を振られたと同時に、すっかり忘れていた帰し方駅で向けられた殺意のこもった眼差しを思い出して身震いする。


「はい。あれは凶器さえ持ってなかったらただの人ですよね」

「ならあたしたちと同じようにどこかで生活してても時間警察かどうか分からないんだね」

「ちょっと咲良、怖いこと言わないでよ!」

「ご、ごめん! でもあくまでもしもの話だからあんまり気にしないで……」


 咲良がそんな保険をかけたところで、一度怖い話を聞いたら引きずってしまうたちなのだ。そう簡単に忘れることはできないだろう。


「時間警察との遭遇率なんてどうせ犯罪者とすれ違う確率と同じくらいでしょ」


 怯えるわたしを見兼ねたのか、由幸さんは呆れたように言う。そんな単純な話とは思えない。


「犯罪者の中でもこっちを認知してるストーカータイプですよ」

「そんなのずっと気にしてたらキリないじゃん。身近にいた人が時間警察で自分を殺すためにストーキングしてました、って時にまた考えればいいって」

「その時にはもう手遅れじゃないですか!」

「そうだよ。せめて向こうが『自分は人間じゃありません』ってアピールしてくれればいいのにさ」


 梨奈さんもわたしに便乗して文句を垂れる。


 確かに、人間と時間警察とを区別できる手段があるに越したことはない。だけど、この前遭遇した時は全員襲われるまで見抜けなかったから、見分けられる手段はないだろう。


「あ、もう帰らなきゃ」


 上半身を回し、背後の壁の高い位置にある壁掛け時計を一瞥して、梨奈さんは席を立つ。そして、遼司さんへお辞儀をした。


「今日はいろいろ教えてくれてありがとうございました! やっぱり何かあった時は刻研に頼るのが一番ですね!」

「嬉しいこと言ってくれるね。刻研冥利に尽きるよ。また何かあったらここに来てよ」

「はい。それじゃあさようならー!」


 梨奈さんは颯爽と旧資料室を出ていった。


 旧資料室に穏やかな静けさが訪れる。


「さてと。梨奈も帰ったし僕も帰ろっと」

「いいや、由幸くんはまだ帰さないよ」


 鞄をテーブルに置いて帰り支度をする由幸さんを、遼司さんは睨みつける。また騒がしくなるな、これは。


「なんでですか! まだ僕に用があるって言うんですか!」

「ああ。目も当てられない成績を見せられたら、刻研のためにも今後の勉強計画を一緒に考えざるを得なくなったからね」

「そんなぁ……」


 由幸さんはおもむろに鞄を椅子の下に戻し、深いため息をつく。


 遼司さんの言いつけを無視してこのまま帰るかと思ったけれど、意外と素直な部分もあるらしい。いや、遼司さんに逆らう気力がなくなっただけかもしれない。


「あたしたちも帰ろうよ」

「うん」


 咲良と顔を見合わせ、お互いにうなずき合う。勉強計画を立てている遼司さんと由幸さんに挨拶をして、旧資料室を出る。


 これでやっとゲームセンターへ行ける――一刻も早く新曲をプレイしなくちゃ!

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