ⅰ両目:Our Band Dawn

10.Haguremi

「ねー、純夏すみかちゃーん。本当に吹部に入る気ないの?」

「純夏ちゃんなら1年のうちからコンクールに出れるんだよ? 入らないなんてもったいないよ!」


「い、いやぁ……だから私は吹奏楽部には入らないんですって……」


 昼休みも中盤に差し掛かった頃。トイレから出ると1年4組前の廊下で顔立ちが良い長身の女子生徒が、教室側の壁を背に3年生2人に絡まれていた。


 彼女たちは吹奏楽部員で、こうして元吹奏楽部の1年生を勧誘してるのだ。部活紹介が終わってから、1年生のテリトリーである5階の廊下でこの2人を見なかった日はない。


 そして、先輩たちに詰め寄られてるのは戸塚とつか純夏という4組の生徒だ。


「お、美亜みあ見てみて。今日も相変わらず勧誘やってるねぇ」


 一緒にトイレに行った黒林歌音くろばやしかのんが首を傾げ、他人事のように呟く。頭の左上にまとめた1束の黒い髪がさらりと揺れる。


 中学の時にわたしと吹奏楽部でパーカッションをやってたくせにのんきなものだ。そんな彼女は純夏と同じ4組だ。


 一方、わたしは純夏とはクラスも出身中学も違う。だけど、3組と4組は合同で体育や音楽の授業を受けるから純夏と面識がある。何度目かの授業で、歌音経由で仲良くなった。


「純夏は大変だね。コントラバスやってたってだけであんなに先輩に絡まれるなんて」


 そうだね、とわたしも純夏を哀れむ。


 コントラバスは弦楽器の中で最も低い音域を持ち、低音部の音に深みをもたらしてくれる。吹奏楽では「あってもなくてもどっちでもいい楽器」であるにもかかわらず、あれば低音部が安定するから編成に入れてるバンドは多い。


 しかし、吹奏楽部でのコントラバス経験者はかなり少なく、どの学校でも経験者は他の楽器経験者と比べて重宝される。この学校も例外じゃなかった。


「私、軽音楽部に入るってもう決めてるんですよ」

「えー?」


 先輩たちは面白くなさそうな声を上げる。


「軽音楽部は吹奏楽部と違って大会には出ないから張り合い感じないでしょ」

「そんなことないですよ。軽音楽部もけっこうイベント出るみたいなので楽しめると思います」


「そうは言っても、吹奏楽部の2、3年生はみんな上手いけど、軽音楽部はやる気ある人とない人がいて上手い下手の差が激しいんだよ? それに純夏ちゃんとつり合う同級生とバンド組めるか分かんないよ?」

「あ、そのことなら心配いらないです」


 先輩たちの軽音楽部へのネガティブキャンペーンを強かにかわして、いつから気づいていたのか純夏はずっとやり取りを見ていたわたしたちに視線を送る。それにつられて首を回した先輩たちとも目が合う。こんにちは、と会釈をすると、2人は「あ!」と叫ぶ。


「美亜ちゃんと歌音ちゃんじゃん! 確かにこの2人なら純夏ちゃんと熱量近そうだし楽しめそうだけど……」

「やっぱり2人にも吹部に入ってほしいよねー」

「ねー」


「1つしか楽器を触れないのと、いくつも楽器触れるのとじゃあ全然楽しさ違うのになぁ」

「あとパーカスは希望すればハープも弾けるんだよ。中学じゃハープなんてなかったでしょ」


 さすが大編成の強豪。吹奏楽じゃ滅多に見ない楽器も備えてあるのか。備品の楽器が古く楽器の種類も少なかった氷葦ひあし中とは環境が大違いだ。こんな環境でも、コンクールの県大会の小編成部門では獲れたけれど。


 でも、前みたいにいろいろな楽器を演奏する気はなく、今はドラムを叩き続けたいと思っている。


「どんなにメリットを言われても、わたしも吹奏楽部に入る気はありませんよ。もっとライトに音楽をやりたいので」

「あたしも遠慮しときまーす」


 わたしに便乗する形で歌音も首を横に振る。


 歌音はテキパキと行動できるし、視野が広くて人に気遣いができる社会性も身につけてるから吹奏楽部に向いてそうだけど、部内でたびたび起こるいざこざにうんざりしたらしい。歌音自身が主張を頑なに変えないのが原因のいざこざもあったのによく言えたものだ。


「みんなそんなに軽音楽部がいいの? ていうか何の楽器をやりたいの?」

「歌音がギターボーカル、純夏がベース、わたしがドラム希望です。最終的にどうなるかは入ってみなきゃ分からないですけど」

「へえ、けっこう真面目に考えてるんだね。どうりでつれないわけだ」


 わたしの回答に、先輩は肩をすくめてため息をつく。さっきまでの熱意はすっかり冷めてしまったようだ。


「しょうがない。今日はこのくらいで引き上げよっか」

「うん。みんなまたね。気が向いたら見学に来てよー」


 先輩たちが手を振ったから、こちらもさようなら、と挨拶をして頭を軽く下げる。彼女たちの姿が見えなくなると、わたしたちはほっと胸をなで下ろす。


「よかった。やっと解放されたぁ……」

「お疲れ、純夏。あと数日の辛抱だよ。頑張って!」

「歌音ちゃんはまた他人事みたいに言って……こっちは勧誘を断るたびに先輩たちが悲しそうにするから罪悪感が出て大変なのに」

「別に罪悪感を持たなくてもよくない? たまたま純夏の意思が先輩の意思とは違ってただけなんだし」

「それはそうだけど……」


 純夏は人に優しい。ほんの少しだろうと、人に負の感情を与えるのを嫌うほどに。


 純夏みたいなタイプは吹奏楽部でのドロドロした人間関係に揉まれるのには向いてない。それどころか、好きだった音楽を嫌いになってしまう可能性だってある。


 さっきの先輩たちは、そんな環境を何年も乗り越えてきたのだ。たとえ挫折しそうになったことがあるとしても、こちらが考えてる以上に強いメンタルを持っているのは明白だ。


「純夏が思ってるほどあの先輩たちはヤワじゃないよ。だから気に病むことないよ」

「……確かに。メンタル弱かったら毎日私たちに話しかけてこないもんね」

「そうそう。わたしたちはわたしたちのペースで音楽をやっていこうよ」



 そんな話をした後日、軽音楽部へ入部したわたしたちは希望通り3人でバンドを組めた。そしてバンド名は「ハグレミ」と名付けた。

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