ⅱ両目:Afternoon Girls' Party

21.Four Piece Session

「お邪魔しまーす」


 ゴールデンウィーク明けに中間テストがあるから、今日は勉強会をするために歌音と純夏が家に来た。背後で黒い物体を頭上へ伸ばしながら。


 2人がギターとベースを黒いケースに入れて持ってきたのだ。勉強の息抜きに練習するつもりで。


 せっかくのゴールデンウィークなのに友達と会って勉強しかやらないのはつまらないと歌音が言うから、じゃあゲームをやるか楽器の練習をするかしようと提案した結果だ。


 今は両親はいない。音量が小さい生音なら、ギターもベースも弾き放題だ。


 左右の家へ音漏れはしないことは、正面から見て右隣にある陽菜乃の家で検証済みである。


 ――いやいや、今日の主目的は楽器の練習じゃない。ちゃんとテスト勉強をしないと。


 リビングに歌音と純夏を招き、まずはテーブルの上に物理基礎の教科書や問題集を広げる。本当は初めに苦手教科の数学を歌音に教えてもらいたいところだけど。


 問題集にシャーペンを走らせていると、向かいの席に座る歌音が前のめりになって不思議がった。


「あれ、あたしと勉強する時は数学から手をつける美亜が物理からやるなんてめっずらしー」

原田はらだ先生に『クラスで1人でも物理基礎で29点以下を取ったら期末テストまで席替えをしない』って脅されてるの」

「うわぁ、3組は大変だねぇ」

「美亜ちゃん頑張れー」


 歌音も純夏も他人事だと思って適当に哀れんで……こっちは担任の受け持ちが物理基礎だったばかりにテスト以外での不安要素ができたっていうのに。


 とはいえ、今回のテスト範囲は内容的に余裕で平均点を取れそうだ。万が一のことがないように念には念を入れておく。


 当然他の教科も勉強していると、いつの間にか勉強会が始まってから2時間も経っていた。


 さすがに疲れたから休憩することになり、歌音と純夏が近所のスーパーで買ったという小さなクッキーの詰め合わせを貪る。


「ねえ、そろそろがほしくなってきたんじゃない?」


 不意に歌音が立ち上がり、壁に立てかけたギター入りのケースの肩ベルトを掴んだ。


「そうだね。私たち頑張ったもんね」


 純夏もベースに駆け寄る。


 そう言われると、こっちもドラムスティックの質感や重さが恋しくなってきた。


 歌音と純夏が自分の楽器を持ってるようにわたしにはドラムセットがあるわけじゃないけれど、ドラム用練習パッドは1台持っている。家ではあれを叩くだけでも十分楽しい。


「練習するなら良い部屋があるよ。こっちこっち!」


 わたしは2人に楽器を持たせ、2階へ連れていく。階段を上がりきって右側のドアを開けると、わたしの部屋ぐらいの広さの部屋がある。


 このクリーム色の部屋では、中学で使ってた教則本や楽譜ファイルを入れた2段製のカラーボックスをバックに、使わなくなった毛布やタオルをタムやシンバル代わりに積み上げた半円のドーナツテーブルと、スタンド付きの練習パッドを中心に置いている。


 歌音と純夏は目をみはる。


「へぇ、前からちょっと気になってたけど美亜の部屋の隣ってこうなってたんだ」

「練習する時はいつもここでやってるの?」

「うん。何かに使うわけでもないのになんでかある部屋なんだよね。でも使わないのはもったいないし、中学の時からここを使ってるの」


 中は薄暗いものの、電気を点けるほどでもない。南と東の壁の窓にかけられたカーテンを開ける。


 陽菜乃の家が建っているから、東側の窓からはあまり光が入らない。だけど南の窓からは窓枠に遮られながら、床に淡く白い光が浮かんだ。


「そうそう、2人に聞いてほしいのがあるんだよね!」


 歌音がファスナーでシャッと歯切れの良い音を鳴らしてケースからギターを取り出し、ストラップを肩にかけて構える。暗い赤のボディが日光を反射する。


 ギターは一度に複数の音を出してコードを弾くのが基本だ。だけど歌音は慣れてないのか単音で弾いていた。


 たどたどしく、ギターの生音特有の細い音で聞き馴染みのあるメロディが流れる。それはクラシックの有名曲、パッヘルベルの「カノン」だった。


 自分と同じ名前を持つ曲を、歌音は昔から気に入ってるらしい。中学の時も、休憩時間にグロッケンやマリンバでたまにカノンを演奏していた。


 軽音楽部のギター初心者の中ではよく弾けていると思う。最近は家でもギター練習にかまけて宿題をやらないせいで親から怒られてると、自業自得なのに愚痴を吐いていた。


 曲のフレーズが変わったタイミングで、穏やかな深い低音が鳴り始めた。いつケースから出したのか、純夏もベースを弾いている。


 ベースだからギターを引き立たせるために和音の主音をロングトーンで、とはならずに歌音とユニゾンでメロディを奏でている。純夏もカノンを弾けるのか。


 2人とも伸び伸びと楽しそうに弾いている。羨ましい。わたしも参加しよう。


 スネアドラム代わりに置いてる練習パッドをメロディのリズムに合わせて、時にアクセントを入れながら叩く。


「美亜、もっと派手にやっちゃってよ!」


 上品でメロディアスな曲調を意識してると、そう歌音が煽ってくる。


 ここでポップスやロックの如くリズミカルでパワフルに叩いたら、原曲の魅力が薄れるに決まってる。原曲をぶち壊すアレンジは嫌いだ。


 その意思を込めて首を横に振る。しかし歌音は無視していきなりリズムを跳ねさせた。スウィングアレンジだ。


 ギターとユニゾンで弾いてた純夏はすっかり置いていかれて、無難なルート弾きしかできなくなっていた。わたしも混乱してしまって、一時は手を止める。


 だけど歌音の身勝手に振り回されるのは悔しくて、かと言って場の空気を元に戻すのは自作の簡素なドラムセットじゃ不可能で――


 それならわたしがこのセッションを引っ張ろう!


 サビに入ると同時に、シンバルに見立てたタオルと練習パッドをドラムスティックで思い切り叩き、バスドラをキックするように右足でフローリングを鳴らす。


 すると歌音の表情に満面の笑みが宿る。純夏もこの状況に順応していき、ルート弾きにノリが生まれた。


 結局原曲の雰囲気からかけ離れてポップな感じになったけれど、これはこれで楽しい。たまにはこういう遊びも良いかもしれない。


 セッションもいよいよ終盤に差し掛かる。あと10小節ほどで曲が終わるというところで、どこからかアルトサックスの音が聞こえた。


 こちらに届いてくる音は小さい。それでもまっすぐで煌びやかな、背伸びした子どもが大人の真似でメイクを始めたり髪を巻いてみたりするようなほんの少し色気づいた音に、思わず手を止めて3人で聞き入ってしまう。


 アルトサックスの音は、いつわたしたちに感化されたのかカノンを奏でている。


 こんなに小さな音でも、誰が吹いてる音なのかよく分かる。東側の窓から見える家の、ちょうどこの窓と同じ位置についてる窓の奥で陽菜乃がアルトサックスを吹いているから。


「あれ、陽菜乃ちゃんだ」


 純夏がわたしたちに見せつけるようにサックスを吹く陽菜乃へ手を振る。陽菜乃は音を鳴らし続けながら軽く会釈をした。今日は吹奏楽部は休みなんだろうか。


「なんで陽菜乃もカノンを吹いてるんだろ? 偶然にしてはし……もしかしてあたしたちの演奏があっちに聞こえてて、それに影響されて吹いてるのかな!?」

「そんなわけないでしょ。さすがにギターとベースの生音は聞こえないよ」


 わたしは歌音の推測をばっさり切り捨てた。


「どうせ窓から歌音がここにいるのが見えたからカノンを吹いてるんだって」

「あー、そっちのパターンだったか」

「陽菜乃ちゃんってストイックだと思ってたけど、意外と遊び心もあるんだね」


 純夏がクスクスと笑う。


 まさか。陽菜乃は面白味があって機転が利くタイプじゃない。


「いや、何も考えないでとにかく義務的に動いてるだけだよ」

「そうそう。根っからの真面目人間だからそこまで愉快な性格してないよ」


 歌音は呆れたようにため息をつくと、再びギターを弾き始める。今度は原曲をきっちりなぞる陽菜乃のメロディに合わせて。


 わたしと純夏も演奏を再開する。これで4人のささやかなセッションの出来上がりだ。


 さっきはサックスの音に気を取られて中断したけれど、今回は最後まで演奏しきった。ラストの音が決まった瞬間、わたしたちは自然とハイタッチを交わしていた。


「いやぁ、すっごく楽しかったね!」

「うん! 勉強の良い息抜きになったよね」

「でも陽菜乃ちゃん大丈夫かな。『サックスの音がうるさい』って怒られない?」


 歌音とわたしが盛り上がる一方で、純夏がそんな心配事を口にする。


「純夏が気にすることじゃないよ。昼間だし、近所の人たちは陽菜乃がサックス吹いてること知ってるし。ちょっとうるさくしてもみんな優しいから怒られないよ」

「そっか。それならよかった」


 わたしの言葉に純夏はほっと肩をなで下ろす。


 こっちとしては、陽菜乃が騒音で怒られるよりもテスト明けに席替えできるかどうかのほうが心配だ。


 勉強が全然できないのにのんきにサックスを吹いてる陽菜乃には、ぜひ赤点を回避するために勉強してほしいものだ。

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