20.決別

 帰し方駅へ行って4日が経った土曜日の午後。今日は家の近所のショッピングモールへ赴いていた。


 目当ては楽器屋だ。新しいドラムスティックを買いたい。


 それはこの前買ったばかりでは、とわたしが帰し方駅で何をしたか知る人は疑問に思うだろう。


 実は帰し方駅から現代へ帰ってきたら、電車に乗った時までしっかり持ち歩いていたドラムスティック入りの赤いレジ袋がなくなっていたのだ。


 その姿はしっかりと全員の目に入ってたそうだ。レジ袋の赤と制服との組み合わせが異質で目立っていたという。


 どうやら過去の世界で手に入れた物は、現代には持ち帰れないらしい。わたしは1800円を無駄にしてしまった。


 時間警察の存在の有無も含め、今回は帰し方駅でいろいろな情報を収穫した。都市伝説に関する夢を見なくする方法は見つからなかったけれど。


 だから相変わらず夢を見る。


 例えば車に轢かれたりナイフで心臓を刺されたりする怖い夢。

 例えばショッピングモールのフードコートで友達とゲームに出てきた謎を解く楽しい夢。

 例えば家族が自分だけを置いて姿を消すか、あるいは自分だけが世界からいなくなってしまう寂しい夢。 


 ――例えば、どこにあるか知らない青い花畑が車窓から見える電車の中で、訳もなく泣いている夢。


 どんな夢にも必ず「帰し方」と書かれた看板が現れて、今わたしは帰し方駅にいるんだといつも絶望する。


 いつになったら、都市伝説の夢からも異物からも解放されるんだろう。



 憂鬱な気分を抱えながらも、帰し方駅で買ったスティックを求めて、試奏用の練習パッドを叩く。あのスティックの太さや長さ、そして重量感を頼りに理想を探る。


 すると3セット目で、裏春の貸しスタジオ兼楽器アクセサリー店で手にした感覚に近いスティックを見つけた。沈んでいた心が、練習パッドを叩いたスティックのバウンドと共にぴょんと跳ね上がる。


 わたしは迷わずそのスティックを買う。


 黄色の手穴付きレジ袋を提げて楽器屋を出ると、ポケットに入れていたスマホが振動した。


 ロック画面に載せられたポップアップ通知には「伊吹いぶきくん」から送られた〈高校には慣れた?〉というメッセージがあった。咲良が消えた時、電話でわたしを励ましてくれた彼だ。


 楽器屋の前のベンチソファに座り、わたしは部活や友達のことを中心に話す。


 交友関係は今のところ順調だ。自分の偏差値より少し低い学校を選んだおかげで授業もついていけてる。何の面白味もないからエピソードは省略する。


 刻架の都市伝説も面白くない。ただ、愚痴は聞いてほしかった。


〈ねえ聞いて、この前すごく大変だったんだよ。裏春で時間警察に会っちゃってさ……〉


 都市伝説に詳しい伊吹くんは、もちろん時間警察のことも知っている。


 時間警察にナイフで刺されそうになったこと、殺されないように必死に逃げたこと、原田先生が空手部時代の経験を活かして時間警察を撃退してくれたこと――


 それらのエピソードが書かれた緑の吹き出しが、連続で送信される。伊吹くんはこちらが話し終わるまで、静かに待っているのだ。


 一区切りついて文字を打つ指を止めると、〈お疲れ様。みんな無事に戻ってこれてよかったね〉と彼から返信が来た。


〈それに裕也ゆうやも元気そうに仕事してるみたいだし〉


 伊吹くんが不意にそんな名前を出す。


「裕也」という名前の共通の知り合いはいたっけ。わたしが知ってる人だと原田先生がいるけれど……え、仕事してるとも言ってたし、ひょっとして原田先生のことだろうか。


 じゃあどうして伊吹くんは原田先生の下の名前を知ってるんだ。教えた記憶はない。


 それどころか、どうせ話したって通じないだろうからと、原田先生の名前すら彼の前で出したことはない。


 逡巡しゅんじゅんしたのちに、勇気を振り絞って指を滑らせる。


〈もしかして原田先生のこと言ってる?〉

〈うん。幼馴染みなんだ。中学まで一緒で、高校からは別々だったんだけど。今でも連絡は取ってるよ〉

 

 なるほど。世間は意外と狭い。原田先生が都市伝説に詳しいのは、伊吹くんの影響でもあるんだろうか。


〈裏春といえば、高校の時に裕也と手を組んで煙草や大麻を吸ってる他校の生徒と喧嘩したなぁ。割と命がけだったんだよ。その後警察に通報してさ〉


 唐突なカミングアウトに、口がポカンと開く。日常でそんな危険に晒されることがあるのかという驚愕と、道理で原田先生は殺意が溢れた時間警察の攻撃を全てかわせたわけだという感心があった。


 しかも突っ込みどころも満載だ。


〈喧嘩なんかしないですぐ通報すればよかったじゃん〉

〈通報する間もなく殴りかかってきたんだよ〉

〈そもそも絡まれる前に関わらなきゃよかったんじゃないの?〉

〈見て見ぬふりは苦手だからね。一度見かけたらずっと気になるんだ〉


 いかにも刻鉄研究会に向いてる性格だ。伊吹くんの正義感に原田先生が巻き込まれて嘆く様が容易に想像できる。


「あ、中谷さん」


 不意に名前を呼ばれて、顔を上げる。そこには群青色のプルオーバーパーカーを着た一馬さんが立っていた。


 伊吹くんとの会話を中断し、彼に挨拶をする。


「一馬さん! こんにちは」

「こんにちは。もしかしてまたスティックを買ったの?」


 一馬さんはわたしが手首に引っ掛けている黄色のレジ袋を一瞥して尋ねる。


「はい。やっぱり新しいのは欲しいので」

「それなりに痛い出費じゃなかった? 1週間で2セットもスティックを買うのは」

「いや、お母さんに事情を説明したら、元々自分のお金で買ったっていうのもあってスティック代をくれたから大丈夫でしたよ」


 お小遣いとお年玉を貯金やスマホ代に回しつつ捻出した、数少ない娯楽代の一部を無駄にしたと理解した時、ずっと使ってたスティックをしばらく使い続けるか、それともまた新品を買うかというジレンマに襲われた。


 その分かれ道に、お母さんが新たな道を切り拓いてくれたのだ。


「それはよかった」


 一馬さんもほっとしたようだ。


 しかし、他にも心配事があるのかわずかに表情を堅くする。横に腰掛けたから、長話になりそうだ。


「でも『事情』ってどう説明したの? 親にも刻研のことは話してるの?」

「えっと、『階段から新品のスティックを落として折れちゃった』って誤魔化しましたね。その時すごくあたふたしちゃったので、どうせ嘘だってばれてると思いますけど」

「だとしても、スティックがなくなって中谷さんが悲しんでたっていうのは本当だって信じてくれたんじゃないかな」

「そうですね。じゃなきゃスティック代なんかくれませんからね」


 一馬さんのほうはどうですか、と彼の近況も聞いてみる。帰し方駅から戻ってきて以降、一馬さんと話すのは今日が初めてだった。


「とりあえず退部するって話は先生にもメンバーにも通したよ。本音を言ったらみんなショックは受けてたけど、次のライブまで部活をやるって条件で呑んでもらったよ。で、僕の穴は他のドラマーが埋める予定」

「じゃあ6月までですね。そういえば、紀斗さんの楽器は決まったんですか?」


「昨日、放課後に鏡後駅前の楽器屋でギターを見に行ったら、黒がかっこいいって言って早速取り置きしてもらってたよ。今日か明日に買うらしいけど……すごいなぁ、紀斗は」


 一馬さんは羨望と諦めが混じったようなため息をつく。


「いきなり楽器始めたらどうだ、って言われてあっという間にギターを買うって決めてさ……僕はドラムを始めるまで結構躊躇ったから、紀斗のその勇気が羨ましい」

「一馬さんだって選択肢を決めるまで時間はかかるけど、その間にちゃんと自分と向き合ってどう問題を解決するか考えててすごいと思いますよ」


 自虐的な一馬さんに少しでも自信を持ってほしくて、彼に抱いてる印象を素直に伝える。意表を突かれたのか、一馬さんは目を丸くした。


「え、そう?」

「はい。みんながみんな、一馬さんみたいに向き合えるわけじゃないので。例えばわたしとか……向き合わなきゃいけないことを、普段は思い出さないように生きてますし」


 だからこそ、問題が起きた時にしっかりケリをつけようと悩み解決する一馬さんは大人だと感じるし、逆に自分は変なことにこだわって子どもっぽいと感じる。


 とはいえ、今更向き合おうだなんて微塵も思わない。


「そっか……中谷さんみたいな視点は一度も持ったことないから、なんか新鮮だな。こんな性格でも、肯定できるところはあるんだね」

「そうですよ! 一馬さんはすごい人なんですよ!」

「さすがに思考に時間を潰さないようにはしたいけどね」


 また自虐を言ってるけれど、今度はけらけらと笑っている。わたしもつられて笑う。近々やって来る一馬さんとの別れを頭の片隅で覚悟しながら。


「長々と話に付き合ってくれてありがとう。じゃあ僕はもう行くね」

「はい。さようなら……」


 一馬さんは立ち上がる。


 自分が背中を押したにもかかわらず、一馬さんと一緒に部活ができなくなる日がやって来るのは寂しい。


 彼の音を、まだ間近で聞いていたい。パワフルで軽快で繊細な、あのドラムを。


「あ、紀斗から聞いたよ。中谷さんもFolly Star好きなんだって?」


 左側の髪を撫でながら1人で悲しみに暮れていると、一馬さんが思い出したように振り返る。わたしはうなずいた。


「はい。帰し方駅で紀斗さんとその話で盛り上がりましたね。そしたら先生に怒られちゃって」

「あはは! そんなことがあったんだ! それならまた音楽の話をしようよ。部活だけで関係が完結するのってもったいない気がするからさ」


 また音楽の話をしよう――一馬さんは「また」と言ってくれた。わたしとの繋がりを、向こうも保とうとしているのだ。


「わ、わたしも同じことを思ってました! またお話ししましょう! あと、部活を辞めても一馬さんの演奏を聞きたいです!」 

「じゃあ教室主催のイベントがあったら教えるよ。上手い人がたくさんいるし、いっぱい刺激を受けられるよ」

「本当ですか! 楽しみにしてますね!」


 わたしの日常には、まだ一馬さんの姿がある。

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