19.選択

「一馬!」


 安堵したような声色で、紀斗さんが叫ぶ。一馬さんも友人との再会に微笑むけれど、眉は垂れ下がっている。


 紀斗さんは「何だよ変な顔して」と茶化しながら横のテーブルの、一馬さんと背中合わせになっている椅子を引いて座る。その左右に咲良と由幸さんも腰掛けた。


「美亜さんチームが当たりだったんだね。すごい遠回りをした気分だよ」

「由幸さんたちはどこに行ってたんですか?」

「市街地の大きな楽器屋。3階まで探し回って大変でさ」

「当たり側も考えものだよ。裏春歩いて時間警察に追われて……」


 遼司さんの愚痴に、由幸さんは「うわぁ、本当にいるんですね」と顔をしかめる。


「裏春って?」と時間警察よりも裏春のほうを気にする咲良には、「夜になると不良がたくさん出てくる通りだよ」と教えておいた。


「なあ一馬、もう帰ろうぜ。こんな危ないとこにいたってしょうがないだろ」


 裏春にも時間警察にも一切の興味を示さない紀斗さんは、単刀直入にそう促す。しかし一馬さんは首を横に振った。


「ダメだ。まだ帰れない」

「なんでだよ! どうせドラム教室を選ぶか部活を選ぶかで迷ってんだろ? そんなの現代でいくらでもできるじゃねえか!」

「そ、それはそうだけど……でも……」


 一馬さんは口ごもり、何かを言いたそうにしているのに唇を固く結ぶ。押し付けがましい物言いをしてた紀斗さんも口を閉ざす。一馬さんが自身の言葉で説明するのを待っているようだ。


 騒がしかった紀斗さんが黙りこくったことで、わたしたちの間に静寂が降りる。


 女性たちのんきな話し声、雀のさえずり、石畳を叩く軽やかな靴音――そんな日常を生むささやかな音をもかき消すほどの静寂が。


 ついでに張り詰めた空気ができあがってしまっている。これじゃあ余計に自分の意思を伝えにくいだろう。


 どうにかして一馬さんをフォローできればいいけれど……いくつか台詞が思い浮かぶものの、どれも彼の口を割らせるのは難しそうだった。


 1人で悶々としていると、やっと原田先生が痺れを切らしたのか口を開いた。


「さては過去が恋しくなったな? よくいるんだ。出来心で帰し方駅に行ったら過去に囚われる人間が」


 的外れな推理だ。でも、彼の本心を引き出すための最適解であることは明らかだった。


「いや、別にそういう事情は全然ないですよ。ただ、その……せっかく時間を気にせず決断ができるように帰し方駅に来てるんだから、何も決めないまま現代に戻るのは『逃げ』だと思うんですよ。なので、白黒はっきりさせるまでは帰りません」


「優柔不断な割に頑固なんだね」

「どっちかを選ぼうとしても結局どっちも欲しいって思うような、欲張りで諦めが悪い人間なだけだよ」

「ふうん。つまり君は僕と違って物をなかなか捨てられないタイプと見た」


 由幸さんが自信満々に言い切ると、正解、と一馬さんから冷笑がこぼれる。


「本当は前みたいに1人で好きなジャンルの曲に打ち込むほうが自分のためになるって分かってるんだ。だけど、一度自分の音に他の音が重なって曲が完成される楽しさと感動を知ったらもう後戻りできなくて……何なら教室に通いつつ自分好みのバンドも組みたくて……」


 いつの間にか3つ目の選択肢が現れ、白黒つけるどころの話じゃなくなった。たった1つの物事でこんなに時間をかけてるんだから、他にもいくつか選択肢を作ってたのかもしれない。


「紀斗くんから一馬くんの近況をある程度聞いてるけど、もし教室と新しいバンドとを両立したらまた親が言う『中途半端な演奏』になるんじゃないの?」

「好きな音楽で両立させるから、そんなことにはならないだろうって思いたいですね」


「じゃあ部活を辞める決心はついたんだ」

「いやあ……まだその覚悟ができてなくて……」


 一馬さんが現代に帰らない一番の原因は、退部を渋ってるせいか。なかなか厄介な悩みだ。


 そんな状況なのに、遼司さんは穏やかな表情を崩さないでいる。刻鉄研究会にとって日常茶飯事なんだろうか。


「メンバーのみんなとは部活以外でも仲良くしてるし、せっかく作り上げた友情を壊したくはないんです。部活を辞めたことで気まずい空気になったら、僕は学校で過ごしにくくなるだろうし――」


 と、未来を恐れ過去に縋りつく一馬さんに、考えすぎだよ、と由幸さんがあっさりと言い切る。


「人間っていうのは自分のコミュニティから外れた人間にはただ無関心になるだけだよ。僕だって転校するたびに前いた土地で出会った人のことなんかすぐ忘れるよ。ね、咲良さん?」

「え? あたしは今でも浜松の友達と連絡取ってますけど……」


 咲良のこの一言がよっぽど予想外だったのか、由幸さんは「なんか僕だけが超浅い人間ってことになってない?」と焦りだす。


 自身と同じく転校経験のある咲良に、勝手にシンパシーを感じていたんだろう。彼女は故郷が大好きと知ってるはずだから、噛み合わないのは当然だと思わなかったのか。


「そういう生き方をするのが賢いんだろうけど、やっぱり僕はみんなとこれからも仲良くしたいと思うよ」

「追い討ちはやめて! 今言ったことめちゃくちゃ後悔してるから!」


 一馬さんにも改めて考え方の違いを見せつけられて、由幸さんは片手で顔を覆う。さすがに参ったらしい。


「でも、君の話を聞いてちょっと気が楽になったよ。自分が部活を辞めたところで世界は大して変わらないかもって」


 そう一馬さんが続けると、由幸さんの青ざめた肌から手が離れる。そして「よくぞ気づいた!」と得意げに鼻を鳴らす。


「こっちがどれだけ悩んだところで向こうの環境は何も変わらないんだよ。だったら変に人間関係で気に病むことはないんだって!」

「ありがとう。おかげでやっと覚悟が決まったよ」


「部活のことは解決しそうだけどよ、一馬はバンドもやりたいんだろ? 新しいバンドメンバーの当てはあるのかよ?」


 紀斗さんが尋ねる。すると虚をつかれたのか、一馬さんは目を見開いたまま固まってしまう。


「……全然ない。ていうかバンド組もうよって誘う勇気すらないし」

「だと思った」


 2人は大きなため息をつく。メンバー探しの過程で、初対面の人と接触するのは避けて通れない道だろう。


 だけど、引っ込み思案な一馬さんでも新たな仲間を簡単に作れる方法はある。


「それは一馬さんが見ず知らずの相手を誘う前提で考えてるからですよね。だったら音楽の趣味と時間が合う友達と組めばいいと思うんですよ。紀斗さんは一馬さんと音楽の趣味が合うみたいですけど、何か楽器やってますか?」

「え、オレ? オレは……」


 何か後ろめたいことでもあるのか、紀斗さんは目を泳がせる。


「……昔父さんのギターをちょっとだけ弾いた時に弦を切っちまったのが軽くトラウマで、その日からずっと『オレが楽器をやるのは向いてない』って思ってんだよ」

「あー……弦って消耗品なので、特にギターみたいな細い弦は古いまま弾いてたら普通に切れちゃいますよ」

「そ、そうなのか!? じゃああれはオレが悪いってわけじゃなかったんだ……確かに父さんも『お前は悪くない』って散々謝りまくるオレを慰めてたな」


 いいかもな、楽器始めるの。紀斗さんがやる気になってる横で、一馬さんが嬉しそうに「何の楽器やる? ギター? ベース? それともトランペット?」と早速勧誘を進めている。トランペットが候補に出てくるあたり、ジャズバンドでも作ろうとしてるんだろうか。


「なんかすごく盛り上がってますけど、紀斗さんには部活もあるんじゃないですか?」


 不意に咲良が水を差す。そういえば紀斗さんから一度も部活の話を聞いてない。それなのにわたしの提案に乗せてしまって大丈夫だったのか……


「いや、オレは卓球部に入ってるけど、緩い部活だから練習時間はちゃんと取れるよ」

「そうなんですか。それじゃあ安心ですね」


 よかった。わたしの心配は杞憂だったようだ。咲良と同時にほっと胸をなで下ろす。


「そろそろ気は済んだか? ならここで話し込まないでとっとと帰るぞ」


 原田先生が時間切れを告げる。一馬さんも紀斗さんも晴れ晴れした表情で返事をした。


 今回は掃除屋が出てくる前に現代に戻れますように。


 そう願いながら商店街の大通りをまっすぐ進み、春生駅へ向かう。空に黒い点が出てきたから急ごう、と警鐘を鳴らす遼司さんに合わせて、わたしたちも走り出す。


 とはいえ、このオレンジと青のグラデーションが綺麗な、雲ひとつない空のどこに黒い点が見えるんだろう。この前もそうだったけど、遼司さんはわたしには見えない物まで見えるようだ。


 どうすれば彼と同じ景色を見れるんだろうとなんとなく空を見上げると、空が一瞬で夜の闇に染まった。


 ――いや、違う。掃除屋の大きく真っ黒な手が、視界を遮っているのだ。


 掃除屋はわたしの頭上を通り越し、ジェットコースターみたいに急降下する。


 その軌跡を追うと、背後にいる一馬さんと紀斗さんの眼前の地面に突き刺さっていた。お前はもう帰らせないぞ、と過去と未来との間に壁を作るように。


「うわっ、なんだこいつ!?」

「え……帰し方駅ってこんなのが出てくるの!?」

「掃除屋だよ。帰し方駅に長居してると現れるんだけど、あれに捕まると存在が消えるんだ」


 驚いて大声を上げる2人に対し、遼司さんは淡々と解説する。人が消えるかもしれないというのに、よく冷静でいられるものだ。由幸さんと原田先生もいつも通りみたいだし。


 こっちとしては、むしろ隣で怯えてる咲良を見るほうが落ち着ける。彼らみたいにこのトラブルに慣れれるとは思えない。


「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ! 2人でバンドを組みたいならな!」


 原田先生に煽動されて、一馬さんと紀斗さんは本当に壁のように動かない掃除屋に触れないように迂回する。そして全速力で駅まで走り切り、全員で電車に乗り込んだ。


「オレ、もう二度と帰し方駅には行かねぇ……」

「うん……僕も御免だよ」


 椅子に座って息を整えながら、一馬さんと紀斗さんは弱々しく誓いを立てた。

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