18.街の裏側
スタジオ店に入ると、「いらっしゃいませー」とカウンターに立っている明るい金髪の男性が、感じの良い声で出迎えてくれる。襟が広いTシャツを着こなす彼の鎖骨あたりからは、ちらりと黒いタトゥーが見える。
「あっちで少しウィンドウショッピングをしましょう。その間に一馬さんが出てくるかもしれないので」
ここでは貸しスタジオ以外にも、木管楽器のリードや金管楽器用のミュートなどの楽器アクセサリーも売っている。買い物だけが目当てのお客さんもいるらしいけれど、こんな
「なんかいっぱいピックが並んでるね。こんなにバリエーションあっても音なんか大して変わらないんじゃないの?」
入口のそばのカラフルなピックコーナーで身をかがめて、遼司さんが怪訝そうに言う。すると「お客さん、分かってないですねぇ」とカウンターからわたしたちを出迎えた男性店員が飛び出してきた。
よく見てくださいよ、形が全然違うじゃないですか。この涙みたいな形のピックは軽い力で弾くことができて、こっちのおにぎりみたいな三角形のピックは持ちやすいしどの角で弾いても同じ音色を出せるんですよ。それから厚さの違いでも音のニュアンスが変わってきて――
押し売りをするでもなく純粋に自分の好きな世界へと
彼らがいる棚の反対側に回ると、何種類ものドラムスティックが棚の一区画に所狭しと入っていた。
軽音楽部に入部したし、心機一転新しいスティックを買おうと思ってたのだ。今回は千円札を数枚、小銭入れに入れてきた。買える分のお金はある。
所在なくうろうろと徘徊する原田先生をバックに、何セットかのスティックで試奏用の練習パッドを叩く。
ウインドウショッピングをしようと言いながら、好みの重量感で一番手に馴染んだスティックをカウンターに持っていく。対応してくれたのは遼司さんを接客してる人じゃなくて、ちょうどバックヤードから出てきたもう1人の女性店員だった。
スティックが入った手穴付きの赤いポリ袋を受け取ると、不意に目の端で星霜高校の制服を捕らえた。
「一馬さん!」
カウンターを横切った一馬さんの足を止める。わたしの声に気づいた原田先生と共に、彼のもとへ駆け寄る。
「え……なんで中谷さんと原田先生がここに!?」
一馬さんはぎょっと目を見開く。
原田先生のみなら、こんな時間にスタジオに何の用があるんだと思うだけだろうけど、星霜高校の制服を着ているわたしの姿を見たなら、どうして自分と同じように帰し方駅にいるんだと疑問を抱いてるに違いない。
「一馬さんが一晩経っても帰し方駅から戻ってこないから……現代では一馬さんの存在が消えかかってるんですよ!」
「ん? どういうこと?」
「そのままの意味だ。物理的に消えるんだよ。俺みたいに既に人類の大半はお前の存在を忘れてる。家族も友達も」
原田先生が残酷な事実を突きつけると、一馬さんはたちまち顔色を青くして「そんな状況になるほど時間が経ってたのか……」とぼそりと呟く。
「それじゃあ帰し方駅の時間の流れは現代と違うって噂は本当だったんだ。こっちに来て8時間くらいだから現代はまだ早朝だと思ってたんだけど」
この時代は現代からしたら結構ゆっくり時が進んでるようだ。油断してたらあっという間にもう一晩経ってしまいそうだ。
「それで、あの店員さんと話してる人も一緒なの?」
一馬さんは遼司さんへ目を向ける。遼司さんもその視線に気づく。相変わらず男性店員はピックの魅力を喋り倒している。
「――そうだ。バックヤードに自前のギターがあるんでピックの弾き比べしましょうか?」
「えっと、連れを待たせてるのでこの辺で失礼します!」
遼司さんは逃げるように外に出る。
スタジオを借りるとか買い物をするとか、そういう目的で来たわけじゃないから店外で一馬さんに事情を聞くのが最善手ではあるけれど、さすがに裏春で話し合いとなると気が引ける。また時間警察に遭遇するのも嫌だし。
……なんて愚痴を吐いてたってしょうがない。遼司さんに続いて、わたしたちも店を後にする。
結局、話し合いの場は裏春を抜けて春生商店街の休憩広場となった。よく考えれば、遼司さんも裏春を親の仇のように嫌がっていたし、裏春に留まるつもりは毛頭なかったんだろう。
休憩広場の中心部に置かれた丸テーブルを囲み、4人で腰掛ける。周りにも、軽食やドリンク片手に憩いの時を過ごす人たちがちらほらといる。
やっぱり裏春と違って春生商店街は空気が澄んでいる。道ばたに煙草の吸殻やごみが落ちてないからだろうか。さらに、初めて空の広さに開放感と安心感を覚える。
「……はぁ。もう二度と裏春には入りたくないね」
当てつけのように遼司さんが深いため息をつく。すると一馬さんは彼の向かいの席で申し訳なさそうに顔を伏せる。
「な、なんかすいません……僕を捜すためにわざわざ裏春を通ったんですよね? どうせ考え事をするならドラムを叩きながらのほうが頭冴えると思ってあそこにいたんですけど」
「……いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだ。とりあえず一馬くんを無事に見つけられてよかったよ」
「紀斗さんもそろそろこっちが当たりだって気づきましたかね?」
「そうだね。一馬くんが移動してるって光で感知してるだろうから、割とすぐに合流できるかもね」
「紀斗……? 紀斗も来し方駅に来てるんですか!?」
わたしと遼司さんの会話に、一馬さんは案の定食らいつく。
「うん。紀斗くんは刻研に一馬くんを捜してほしいって依頼してきたんだ。彼の他にもう2人、帰し方駅に来てるよ」
「そうだったんですか。ていうか、中谷さんは刻研にも入ってるんだね。昨日都市伝説の話をした時、すごく気まずそうな顔をしてたから意外だったよ」
「こ、刻研のみんながみんな都市伝説大好き人間ってわけじゃないですからね!」
と誤解を解こうとしたけれど、遼司さんも由幸さんも、そしておそらく咲良も都市伝説大好き人間だから当てはまるのがわたししかいないことに気づいて、なぜかちょっとした疎外感に苛まれる。
さらに、一般人寄りの思考なのに目的を果たすためだけに都市伝説に干渉するという中途半端な立ち位置にいるせいで、どうせどこにいても孤立するであろうことにも気づいてしまった。
でも、自分で決めた道だから今更文句は言えない。
「そういえば美亜ちゃん、俺が店員に捕まってる間にちゃっかり買い物してたんだ」
「あ、欲しかったのでつい買っちゃいました、ドラムスティック」
「人が困ってるって時に自由だねぇ」
遼司さんは呆れたように肩をすくめる。自分にぴったりのスティックを見つけてしまったんだからしょうがない。
「お、紀斗たちが来たみたいだな」
春生駅側が見える席に座る原田先生が呟く。
振り返って見てみても、日が落ちてきたせいで顔ははっきりとは見えない。だけど3つの人影の中に、咲良と由幸さんと紀斗さんの顔がおぼろげながらに浮かんでいた。
向こうもわたしたちに気づいたようで、3人揃って駆け足で休憩広場へやって来た。
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